- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106107467
作品紹介・あらすじ
タブーと偽善を吹き飛ばす、本音度一〇〇%の障害者論。「24時間テレビ」「バリバラ」「ボランティア」「パラリンピック」から「バニラ・エア騒動」「やまゆり園事件」まで、障害者芸人の著者が世間の矛盾と盲点を鋭く衝く。
感想・レビュー・書評
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先天性多発性関節拘縮症により、生まれたときから手足が使えない重度障害者のお笑い芸人である著者が、自らの経験をふまえ、本音バシバシで綴る障害者論。
読む前に想像していたよりもはるかによい本だった。随所に適度な笑いがあって面白いし、リーダビリティも抜群。
本人が書いたのだとしたら、著者の文才はなかなかのものだと思う(※)。
※出版界の最近の傾向として、ライターが話を聞いてまとめた本の場合、奥付などに構成者が明記されることが多くなってきた。本書は構成者の名がないから、おそらく本人が口述筆記等で書いたものだと思われる。とはいえ、構成者の名がないからといってライターが介在していないとは限らないのだが……。
ホーキング青山さん、昔一度取材したことがある(もう20年近く前になるか)。舞台等での印象よりも、ずっと真面目な方だと思った。
本書を読むと、「明晰な知性の人」でもあるという印象を受ける。
とくに、乙武洋匡氏に対する複雑な思いを綴ったくだりや、「やまゆり園事件」について論じた部分は素晴らしい。この著者にしか書けない鋭い分析に満ちている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
障害のある方々に普段から接しているため、世の多くの人よりは障害者に対する意識はフラットだと思っている。彼らに接していて、不便なことは多いだろうし、ご家族は何かと大変なことが多いだろうと思う。本人の将来のこと、親なきあとのことなど、どれほど制度があれ、悩みや不安が尽きないであろうことも想像に難くない。だが結局は私自身が当事者ではないため、あくまで想像の域を出ず、本当に理解することはできていないのだとも思っている。そもそも、人と人とがお互いにお互いを心底理解し合うこと自体、本当のところではできっこないのだ。
ましてや、障害のために自分の思いを表現するのが難しい人、またメタ認知そのものができない人もいるわけで、だからこそ、わかろう、わかってもらおうと努力し続ける以外に方法がないとも言える。
筆者が言わんとしていることは、つまるところこういうことで、ご本人も言っているが、別に何か劇的な解決策を提案したわけでもなんでもなかった。
ただ、やまゆり園の事件について、障害者施設での事件云々としてではなく、かなり極端に歪んだ考えの持ち主が起こした事件とまずは捉えるべき、という彼の持論にはとても納得がいく。それとは別の次元で、障害者に関わる社会のあり方について、考えなければならない問題がいくつも提起されたと私も思っている。というか、今までも関係者は気にはなっていたけれども、社会に対してなかなかこれを、どうするのですか、と強く問題提起できないでいた、と言った方がいいかもしれない。
今までうやむやにしてきたことについて、しっかりと考え議論し合わなければならない時が来ている。 -
何年たっても、障害者が何かすることが「異例」だったり「驚き」と表現してしまう愚かさがよく分かる本です。
昭和のころ子ども時代をすごした人は、「こびとプロレス」や「あんまさん」のような触れていいのか悪いのかわからないエリアの人たちを、やはりどこか憐れむ視線で見た記憶があるのではないでしょうか。
平成も終わろうとする今。
多数に対する少数を尊重する難しさを誰もが意識して、
自分にないものを持った存在から、新たな発見と新たな力をお互いに与え合える時代になってきているのでは、と信じていたいです。 -
障害を持っている方のエッセイは乙武さんの『五体不満足』以来か。
タイトルのまま、筆者本人からの視点で、『障害』を考えている、と言う事がこの本の最大の特徴で
、なかなか健常者だと言いづらい事や誤解を生みかねない内容に踏み込んで書かれていたように思う。ご本人も車椅子なだけに、少しだけ障害者に厳し目(鼓舞するよう)な内容だった様に思った。
印象に残ったのは、「親切な人が壁になる」という項目で、障害者の身近な人達が、障害者を『特別な存在』と見ていない、という強い意識があるのではないか?と。そういう意識が皮肉にも結局障害者を「特別な存在」にしてしまっているのではないか?と提起していて、なるほどなと思った。彼らは接しているだけに、自分達が1番彼らを理解していると思っていて、それが悪い方に作用しているのではないかとも。
何より筆者が繰り返し伝えていたのは、障害を持っている人達を、家族や介助者以外の人達と、もっと交流できる場を当たり前のように作るべきだ、と。そうする事で、本当の意味で、特別では無くなっていくのではないか?という事で、それはとても同意した。 -
こんなふうに障がい者本人が思っているなんて、目から鱗だった。とてもタメになった本。
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障がい者以前に一人の人であると言う当たり前のことに障がい者も、健常者もお互いが気付ける関係だとよいなぁ。
とは言え、人としてどうよ、という場合、障がい者のくせに、とか思わない自信はない…。
また、身体的に健常であっても倫理的におかしな人だっている←やまゆり園の犯人みたいに。
24時間テレビや乙武さんの話やらも興味深かった。
こんな夜更けにバナナかよ、の鹿野さんだったり、このホーキング青山さんだったりの強く、賢く、意見を言える障がい者は稀で、世の中には沢山の障がい者がいる。
ママは身長100センチの伊是名さんは意見を述べて炎上してたなぁ、てか、この騒ぎでこの本を知ったのだった。
きれいごとではない、せめて直接知り合う障がいを持つ人とは気持ちを通わせたい。 -
障害者は介助者がないと行動できない存在ではあるが、その介助者が「保護者」のように振る舞い芸人としてのパフォーマンス内容にまで口出しし(あまつさえ事業資金を持ち逃げもあった)つまり知的人格的に劣った存在と見るらしい/「感動をありがとう」24時間テレビ、パラリンピックへの違和感。著者は「ありのままを評価してほしい」という。芸人として車椅子で登場するハンディキャップを乗り越えたものとして/やまゆり園事件。犯人の「重度障害者は殺すべき」論は本音とは思えない。1年以上経って旧職場に復讐する異常性格者である、共感無用