- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106106644
作品紹介・あらすじ
巨大消費の火付け役。ブームは、ヤツらに聞け! ハロウィン、リムジンパーティー、Instagram……。企業もひそかに注目するトレンドセッターの正体とは? 『ヤンキー経済』の著者が放つ、今最も新しい消費モデル。
感想・レビュー・書評
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とんでもない奇書
最初はパリピの定義や歴史についてだったのに、最後らへんは「パリピの生態は○○の傾向にあるので、こういうものを与えるとパリピはよろこびます」みたいな生き物図鑑みたいになってた なんだこれ詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あるマイナースポーツの隆盛させるためのアイデアづくりの参考にならないかと思い手に取る.
パリピ→高いアンテナ・発信力、派手なものや目新しいものへの好奇心の高さ、交友関係の広さ
→ハロウィン、フェス、オクトーバーフェスト
他のレビューではまり注目されてないが,パリピの歴史も地味に参考になる.会社のおっさんの「俺の若い頃はな」話とリンクする部分が多く,今の若者(自分)が受け入れられない価値観でもこの人が自分と同い年くらいだった時は成立していたんだなあとわかる.
あとインターネットの力が情報発信のフローを大きく変えて最上流にあったマスメディアがその影響をもろに受けているところとかも見える,
若者の生の声が多く,自分の知らない世界を見せてくれる.しかし統計的なデータなどは一切無く「パリピが経済を動かす」というのは如何なものか.
彼らの行動を観測しやすいだけで今の若者で回っている経済は意外とスマホゲームの課金とかが多かったりして(これも根拠なし)
経済とは複雑系の極み,その形を捉え切るのは不可能で一側面でそれっぽく理論立てて語るのが精一杯という一例かもしれない.
少なくともパリピが若者の消費行動の典型例である,とこの本で読み取ってはいけないと考える,
同じ日本にいながら自分とは全く異なる暮らしをしている若者が実在するんだなあと思う.
パリピがアーリーアダプターだと言われてイマイチ実感がわかないのは自分がその消費指向のトレンドに乗らない人間であることと自分の周りでそういう人間をあまり観測しないからだろう.
一部クリエイターはいるものの基本的に「いかに自分の消費がいけているか」という側面が強く,資本主義の暴力で消費に快楽を見出す東京・海外(先進国)の消費慣習を是とするのはどうなのと改めて思う.
このどうなの?という考えはこの本で気づかされたものではないが,改めて考えることとしては自分にはこの選択肢(裕福な家での出生から始まるイージーモードな人生)がなかったので無い物ねだりの反復・ジェラシーがあるのかもしれない.
「好きの反対は嫌いではなく無関心」という言葉を思い出す.関東圏で暮らしている限り,そのジェラシーと向き合わなければいけない機会は多いだろう.何かきっかけがあるたびにこういうことを思い出す自分は表向きは無関心と言いつつ,どこか無関心になりきれていないんだろう.
いや,パリピになりたいわけではないけど. -
パリピ、フィクサーの存在に???!!!でした。知らなかった。すごい。幸せで、勘がいいんだな。バカにしてはいけない若者がいることに力を得ました。
トレンドリーダーの系譜とマスコミの役割の変化も参考になります。 -
160523読了
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市場のいち側面でしかない。
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ハロウィン、リムジンパーティー、Instagram…。若者の中での巨大消費の火付け役、「パリピ(パーティーピープル)」の実態に迫る。広告代理店の人が書いた、典型的な本。
序 ハロウィンを流行らせたのは誰か?
第1章 「パリピ」とは何か
第2章 パリピのルーツ――トレンドリーダーの系譜
第3章 フィクサー、パリピ、サーピー、パンピー
第4章 パリピの人生観
第5章 パリピトレンド大予測――次はこれがくる -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/689768 -
序盤:
「若者から聞いたのはこんな感じ!」
→「その友人なら聞いた話はこうらしい!」
という又聞きが増え、濃度が益々薄くなってた。
途中:
若者のインタビュー
→なんかパリピを小馬鹿にしたような気もする文章。
ラスト:
若者の意見を取り入れて、
「こういうのが今後流行ると提案します!」
という、
就活のグループディスカッションのような
まとめ。
あとがき:
「マイルドヤンキーの言葉を流行らしたのは自分!」などの自慢。
うーーーん…
『1986年-1991年頃(バブル世代)は、
マスコミが流行っているものを紹介→それを若者がそのまま真似る「マニュアル主義」が多かった。
(自分達の両親の世代) 』
タメになったのココだけかな… -
1977年東京出身の博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーによる現代日本若者論。著者には他に『ヤンキー経済』(幻冬舎、2014年)などの現代日本若者論が存在するが(「マイルドヤンキー」という言葉を生み出したのも著者である)、本書も「パリピ」(パーティーピープル)という切り口からの現代日本若者論となっている。
と言っても、本書は既に4年前の本なので、本書のパリピ像と現代のパリピ像はかなり異なっているだろう。それを承知の上でまとめると、パリピとは、「インターネットの発展によりマスメディアや広告代理店を通さずに、直接流行の発信者(フィクサー)に連なり、流行を最前線で享受する層」ということになりそうである。
“ 1970年代から90年代にかけての若者のトレンドは、ヒット曲しかりファッションしかり、テレビ番組や雑誌や広告といった「マスメディア=プロの大人」が仕掛けて作り出すものでした。もしくはプロの大人たちがトレンディーな若者たちとつながり、そこから流行を作り出していきました。前世紀までよく聞かれた「広告代理店の人と知り合いの大学生」が、一定の地位を確保していたのはそのせいです。
しかし現在、若者のトレンドのかなりの部分はこのような大人が作ったシステムの外で生まれ、場合によっては、大人たちに知られることのないまま、拡散していきます。
その立役者として中心的に機能しているのがパリピです。ハロウィンのように、パリピが流行らせたものが老若男女をも巻き込んだ国民的なイベントに発展していく可能性も、あわせて留意しておきたいところでしょう。”(本書17-18頁より引用)
“ パリピは既に巷で流行っているものをミーハーに追いかけるのではなく、海外セレブや国内の一部で流行っているものをいち早く見つけ出す嗅覚を持ち、それを自分のものにしてマスに対して伝道する役割を持っています。”(本書22頁より引用)
興味深いことに、2016年刊行(ということは本書に出てくるようなパリピ像がリアルだったのはさらにその数年前)の本書には、パリピが飛び付く上流の文化の発信源として、韓国の存在が挙げられている(48-51頁)。インターネットやSNS上での反韓国的言説(というのも嫌になるようなヘイト表現)を目にする機会を思うに、流行に最初に飛び付く位置にいるパリピの親韓国的な感覚と、流行を後追いする側にいそうな人々の反韓国的な感覚のズレがまさかここまで大きかったとは。2010年代半ばには日本は韓国からオシャレなものを学び、取り入れなければならない立場になっていたのだ。
ただ、統計その他のデータ面で弱い気がする。極端な話、全部著者の目に入った特殊な人々の話であって、「パリピ」という言葉でまとめて一般化して語れる存在ではないのでは?というような疑問も成り立たないではない。しかし、にもかかわらず、やはり著者の身の回りには、このような人びとの世界があるのだろう。パリピの特徴の一つとして著者は、「家の裕福な人が多い」(63-64頁)ことを挙げているが、現代日本の格差社会の上層部にいる若者達はこんな風になっているのだと改めて思った。1920年代の日本の富裕層の若者達が「モボ」とか「モガ」とか言われながら外国の文化に被れている最中で、そんなことはどこ吹く風と極右や極左が勢力を伸ばしていた構図と、なんとなく被る気がしないでもない。 -
わたしは流行に疎い30代女性なのですが、自分のようなおばさん・おじさんがイメージする「パリピ」は、本書で言う「パリピ」(若者たちの間でそう呼ばれている本物の「パリピ」)とかなりズレていることがわかりました。
わたしの考えていた「パリピ」はまさに今年のハロウィンに渋谷で騒いでいたような若者たちのこと。
ところが、本書によるとそれは流行に追随しているだけのただの「パンピー」で、本物のパリピたちの間では渋谷のハロウィンはもうホットではないのだそうです。
つまり、本物の「パリピ」はあくまでトレンドを拡散する側、「アーリーアダプター」のことで、トレンドに追随する側であるアーリーマジョリティ・レイトマジョリティは含まれていないようなのです。
ということで、本書を読む前に期待していた若者論とはだいぶ違ったことが書かれていましたが、これはこれで良かったです。流行の火付け役たちが何を考えているのかを知るのも面白いですからね。
地方在住で、家が裕福で、頻繁に大都市部に行く地方在住パリピ。
これが今後の若者マーケティング戦略に重要な層なのだとわかりました。
より詳しいレビューはブログにて。
https://yulinyuletide.hatenablog.jp/entry/2019/12/28/paripi-keizai