- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106104626
作品紹介・あらすじ
東日本大震災後、ダライ・ラマ14世は来日を強く望み、霊山・高野山や東北の被災地などで多くの日本人に語りかけた。困難や逆境を克服するにはどうすべきか、豊かになっても幸福を感じないのはなぜか、孤独や嫉妬から抜け出す方法はあるのか、あの震災は私たちに何を問いかけているのか-。日本人が「次の段階」へ移行するために、自らも苦難と激動の人生を歩んできた法王が語る渾身のメッセージ。
感想・レビュー・書評
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◯ダライラマが東日本大震災の後、高野山大学で講演した際の言葉を一冊の本としたもの。
◯タイトルの通り、震災に対してお悔やみやこれからの生き方への励ましが描かれているのかと思ったら、意外にも般若心経や空に関する解説が主だったところであった。読めるには読めるが、何故この話が?と思ってしまう。その点。それぞれの話のテーマを区切った章題によって、この本が成り立ってるようにも思った。詰まるところ、章題がないとわかりにくい。
◯これらの解説を踏まえて、東日本大震災からの復興への励ましがあったと考えれば必要な文脈だったんだろうと思うが、空の解説はやはり難解であった。と言っても空の話ばかりではないため、他の本よりは幾分読みやすい。
◯仏教は人がどう生きていくべきなのか、ということに対する考え方を教えてくれるものと認識している。震災で傷付いた個人として、これからどう生きていくべきなのか、難解ではあるが示してくれていると思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前にダライラマ14世の名言集を読んだのですが、とても分かりやすくて科学的な方という印象を受けました。
本書を読むと、仏教というのが本質を見極めようとする考察を主とする宗教で、何かを崇めて救ってもらうものでは無いという事が分かります。
とても理知的で、何故そうした方がよいのかという事を平易な言葉で語ってくれています。難しい言葉は一切出て来ないので小学生でも読めるレベルです。
色々な事柄と仏教的観点を照らし合わせて、しかも押し付けるわけでも無くスッと心に入り、しかもとっても為になります(論理的で科学的)。
人間が持っている知性をフルに生かして、色々な角度から物事を見て画一的な考えを捨て、自分以外の考え方を認め、議論しよりよく発展させていく。人の幸せに寄与する事で自分の心にも喜びを積み上げる(心の平和)。これは何度でも読みたい本です。
この本を読んで自分自身を見つめ直し、心を柔らかく保って、寛容な心を持って生きていきたいと強く想います。 -
ダライ・ラマについて知りたくて読書。
仏教に祈るべき「神」はいない(p24~)
あ、そうなんだと氣づかされる。
この点が、一神教である、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教との違いなんだろう。
地域宗教であるヒンドゥー教と世界宗教となった仏教との違いも興味深い。
多くの日本人の日本人は無宗教だと思い込んでいるが、実は神道であり、文化的には仏教の影響を大きく受けている。現実的には、神道と仏教が融合しちゃっているのかも。そんな上手な融合を許すのも仏教の特性と言える。
確かに帰国して思うのは、日本って仏閣が多いな。そして、今の中国を見ていると日本人は、神社にしても定期的に皆で一緒に行く場所があるって素晴らしいと思う。
ダライ・ラマ14世が日本人向けに話した内容を元にまとめられた本。
さらに、口語から文章にしたものなので理解しやすいのかもしれない。
とても哲学的でかつ、科学的で驚いた。
心の時代と呼ばれて久しいが、日本人は確かに心の豊かに飢えている。でも、どうしたらいいのか分からず日々生きているそんな感もある。
そして、この現象は、近い将来中国でも起こるのだと推測される。そんなときだからこそ、ダライ・ラマのような存在は本当に重要だと思うのであるが…。
仏教とは常に己と対峙する人生修行、鍛錬、訓練なんだと思った。
直接、お話を聞く機会があればいいな。
読書時間:約40分 -
チベットの最高指導者ダライ・ラマ14世からの、文字通りに、東日本大震災で傷ついた日本人に向けたメッセージ。仏教観に彩られた「宗教を学ぶことは、自分の人生を見定めることなのです。」や「記憶や遺志を受け継ぐ者として「生きる決意」を強くし、前向きに生きていく」といった、慈愛に満ちた言の葉が綴られていきます。それにしても、密教の信仰が継承されているのが「チベット仏教」と「日本仏教」の二か所だけとは意外でした、大切にしたい「絆」ですね。
さて、そんな仏教ベースの人生訓のような本書ですが、後半では「科学する宗教」なんて観点もあって、知的好奇心への刺激もなかなかに、、やはり「文化としての宗教」は興味深いです。私の場合、宗教を信仰対象としてみるには、歴史学の視座の影響もあって、ちょっとヒネくれ過ぎてたりしますが、、(汗
科学の定義を「自らの言葉で思考し、検証し、実証し、体系化していくこと」とすると、「仏教徒はこう考えて、あらゆる物事を観察し、そのありようを論理的に説明してきた」とは、非常にスルっと入ってくる内容でした。また現時点では「脳科学者たちも意識が何かわからない」とありますから、仏教の「死後も意識は消失せず、他の生命の意識として生まれ変わるもの」との概念についても、否定は出来ていないと言えるのでしょう、、ふむ。
ちょっと話はズレますが『ロスト・シンボル』での「意識の質量の話」などを考えると、非常に興味深い、、現実にも「純粋知性科学」は学問として体系化されているようですので、気になります。また一方で『生物と無生物の間』での「生命の定義」とのリンクも見出してみたいとか思ってみたりと、、うーん、こういったクロスオーバーでの視座を持ちたくなるのは、歴史を学んだ者の良いところでもあり、悪いところでもある、のでしょうか、なんて。
そんなことを考えていたら、お釈迦様の「ただの信仰心で私の教えに従うのはやめなさい。はじめから私の教えを信じこむのではなく、私の教えが正しいかどうかを自分で調べ解き明かしなさい」とのお言葉は、正しく「科学」の考え方だよなぁ、と納得してしまいました。
とすると「「宗教は科学と対立する」というイメージは、仏教にはそぐわない。」のも確かにと、、キリスト教などの一神教系の神学については、食わず嫌いにロクに触れたことが無いのでよくわかりませんけども、、佐藤優さんの神学系の本でも読み解いてみようかなぁ。。
個人的には、宗教を学問としてみた場合の社会的有用性の一つは「倫理観(モラル)」を養っていく点かな位の認識でしかいなかったりも、、うーん、新渡戸さんの『武士道』も再確認する必要があるかな、、武士道の思想背景に何が見いだせるのか、ちょっと気になってもきました。 -
ダライ・ラマ14世の温かいメッセージに触れて日本人として感動するとともに、仏教の教えをざっくり理解するのに最適な本だな、と!ダライ・ラマ14世の宗教的寛容さ、仏教の論理性を知ることができて面白かった。仏教もっと知りたい
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書店にてタイトルを見て涙ぐみ、少年の肩を優しく抱く写真で一粒泣きました(;ω;)
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心にあるいろんな悩みやわだかまりや昔から引っかかって取れなかったところがすーっとなくなっていく
全てのものは空であること、でもどうしようもない悲しみは否定しなくていいこと、抱えた上で人は前に進むための知性があること、
空であるはずのどこかにあるわたしの心にすごく突き刺さってやさしく染み渡るお言葉ばかりでした。
何度も読んで一生かけて理解したい本。 -
これまでは死後のための宗教というイメージでしたけど、ダライ・ラマの話で、宗教というのは心の学問だと実感しました。
宗教というと、一つの正しい考えがあるように思ってしまいます。
てすが、宗教といえども、吟味して自分なりに考え、哲学を深めて行くことが大切なんだと。
仏教の教典を読み、思考し、正しいと思ったものは瞑想で自分に取り込んでいく。
自分自身との対話のためのものなんだと。
無宗教に対しても柔軟な考え方なのに驚きました。
仏教の講話ですが、心や意識について、仏教的な考え方をわかりやすく優しく語りかけてくれます。 -
チベットに生まれ、中国の侵略を受けて、インドに亡命することになったけど、1989年にノーベル平和賞を受賞した、ダライ・ラマ14世が、東日本大震災で多大な被害をうけた日本を訪れることを熱望して、高野山で講演をしたときの教えを一冊の本にしたもの。
日本人は無宗教の人が多いけど、その考え方や行動の基本は仏教的な考え方からきとることが多い。
ちょっと宗教的な話が多くて、わかりにくいとこはあるけど、なるほどねって話もでてくる。
他の本でダライ・ラマの考え方を読んでみたい。 -
東日本大震災のあと
日本での講演をまとめた本。
仏教ってこんなに哲学的なのかー。
日本人は
無宗教と言いながら
考えや行動が
知らずしらずのうちに
仏教的考えになっている、、
みたいな内容を読んで
おもしろいなーと思った。
アレは仏教からくるのかー、とか
新しい発見もあった。