- Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106103926
作品紹介・あらすじ
茶を「礼儀作法を学ぶもの」「花嫁修業のため」で片付けるのはもったいない。本来の茶の湯は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の全領域を駆使する生活文化の総合芸術なのだ。なぜ戦国武将たちが茶に熱狂したのか。なぜ千利休は豊臣秀吉に睨まれたのか。なぜ茶碗を回さなくてはいけないのか。死屍累々の歴史、作法のロジック、道具の愉しみ-利休の末裔、武者小路千家の若き異才の茶人が語る。新しい茶の湯論がここに。
感想・レビュー・書評
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非常に基本的なことをわかりやすく伝えてくれる。結びの、伝統ってのは明治にできた言葉で、そもそもは仏教用語だったんだという話は家元とという立場では言い難い言葉なのかもしれない。伝統にがんじがらめになりそうな立場にありつつもクリアな認識を持っていて、偉ぶる所なく茶の魅力について伝えるところがとても素晴しい。大変勉強になりました。
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難しいがわかりやすい、古くて新しい、やりそうでやらない等の気づきを与えてくれる本。
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文章構成がとても上手。
もう一度茶道をやりたいと思える、気持ちのいい本だった -
”今”に分かりやすく、様々な視点、捕らえ方、面白く楽しく読めました。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/731320 -
圧倒される情報量。茶家に生を受けたでけではなく、物凄い量の情熱を感じます。茶器、軸、歴史、漢文など、膨大な知識と審美眼。30代半ばでの書とはとても思えません。一期一会のために設えを変え、禅問答のような軸を用意する。所作をきわめるだけではなく、歴史のある貴重な茶道具にこだわるとなると、普通の人には到底困難な世界。後輩が大学卒業の折に祖母と両親を招いた茶会と息子を亡くした三渓が催した茶会の話にはグッと来ました。奥が深すぎる!それにしても三渓、持っているお宝にもぶっ飛びました。
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茶の湯は絵画や彫刻ではくくれないインスタレーションであり、パフォーミングアート
墨蹟は本来、印可状や遺偈であって、人に見せるものではなく、墨蹟を通して師と対話し、内省するためのものだった
そういう性格の掛物を茶室にかけたということは、非常にプライベートな性質を帯びている。自分の書斎、ホビールーム、寝室に客を招き入れ、胸襟を開いてつきあうとわけです
→袈の場をそのまま晴れ化した
墨蹟をかける場はプライベートな領域だった
場を主宰する力。私の身体のテンションの変化に合わせなさい、体温の変化、呼吸の変化、細胞の動きのすべてにという指南力
共同体の再構築の基礎となるような、人間の身体を作り出さなければ。そこに茶の湯が出てきた。
呼吸が同期し、脈拍が同期し、身体感覚が同期するというのがどんなに気分のいいことか、人間が共同体を作ったときの原点にもう一度戻る
非常に指南力の強いリーダーが自分の身体感覚をザーッと伝えていって、共同体の全員があたかも一個の身体であるかのような幻想を共有した。
自分を大切に扱うというところに、自分自身の身体感覚がある
自分が楽しむことによって客にも楽しんでもらう、同期とか同調ってそういうこと
自分の愉悦とか、自分の身体の緊張感とか、開放感とか、達成感とかが感染する -
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「茶道」に興味ある方は必読です!武者小路千家次期家元が語る「茶の湯」の本質!端的にまとまっているのではじめての方で「なるほど!」と思って読める一冊です。