日本列島回復論 : この国で生き続けるために (新潮選書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106038471

作品紹介・あらすじ

国も会社もアテにならないけれど、僕らには「列島」という希望がある! 日本列島を根本から理解すると見えてくる、その凄まじいまでのポテンシャル。驚異の近代化、数々の復興の原動力となった「国土」と「地方」は、いま再び、未来に不安を抱きつつある私たちを救ってくれるのか。自然、歴史、コミュニティ、テクノロジーを総動員して構築する、全く新しいSDGs、イノベーションの思想。

感想・レビュー・書評

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  • 「縄文時代は世界で最も長く続いた狩猟採集社会だった」というのは寡聞にして知らなかった。日本列島の自然(著者は「山水郷」と総称)はそれほどのポテンシャルを持っている等、有益な知見は多々あったが、著者の筆致は全体に理想論的。フワフワと「山水郷」を称揚するばかりで、「人口減少社会のデザイン」(広井良典)の地に足ついた冷静な分析とは雲泥の差だった。
    日本列島にポテンシャルがあることはわかったが、そこを舞台に展開されてきたのは、男尊女卑のクソ社会。少なからぬ痛みを伴ってまで、それを永遠無窮に維持する必要はあるんだろうか…というのが正直な感想だった。
    「活気のある田舎では女性が元気」と言うけれど、それは「終戦や震災などで従来の男社会が壊滅的な打撃を受けた後、茫然とするばかりの男どもを後目に、それまで虐げられてきた女性や若者たちが『このままでは私たちのまちが消滅してしまう! なんとかしないと!』と立ち上がったから」だという。それすら「嫁どもが生意気になった」と暴言を吐き、胡乱な目で見ていた男どもだが、女性たちの取り組みが実を結んで実利を生むに及んで見かたを変えるようになり…などというプロセスを著者は手放しで称賛するが、それって結局手前勝手に振る舞ったあげく失敗し、自力再生の努力すら放棄した男どもを女性たちが「よちよち」してやったという、相も変わらずの無償ケア労働の一変奏にすぎないのではないか? それで男どもが反省して女性差別をやめた(具体的には家事育児を50%引き受け、顕職を50%明け渡し、これまでの非礼愚行暴言を謝罪した)などということがない限り、「地方の再生」とは単なる、これまで脈々と続いてきた「男社会の再生」にすぎないのではないか。そこに女性の力がどれほど寄与しようと、ただこれまでと同様に、都合よく利用・搾取されているというだけではないのか。
    などと思いながら読み進め、そもそもこの著者自身、東大出て官僚→からの転職、毎週東北地方に通いつめてのフィールドワークなんかやってるけど独身なのか? そうでないなら、そもそもこいつの家族は大迷惑をこうむっているのでは…と考えていたら、あとがきに至ってびっくり仰天。
    案の定妻子があり、それを完全放置しての執筆活動のあげく息子との仲は深刻にこじれ、ただでさえワンオペを強制された妻にはさらなる負担が。おまけに地方に実家があり、父親からはそこに戻らないことに対する批判が矢のごとく…と、ある程度自覚はあるようだが「おまゆう」な背景が恥ずかしげもなく開陳されていた。
    要するにこれは、「なぜ大国は衰退するのか」(グレン・ハバード)と同工異曲。男尊女卑社会・日本の男の、男による、男のための「従来の日本」再生の処方箋でしかないのだ。
    あいにく女性にとっては、豊かな日本の自然とやらの上に再生された、(女性にとって)とてつもなく貧しい社会などに住み続ける意味はまったくない。「それなら、ちょっとくらい自然が不毛でも、豊かな権利と自由が保障された場所へ移る」となり、かくて緑したたる豊かな自然の上に築かれた社会はあえなく終焉を迎えることだろう。
    入れ物もさりながら、肝心なのは中身である。そこに気づかず、まるで言及がないのが、いかにもその中身の不自由さを考えることなく生きることを許されてきた特権階級・男様だなという印象だった。

    2020/1/18〜1/19読了

  • 著者を直接知っているだけに、他人風に感想を書くのにも抵抗があり、まずは本人に直接申し上げたが、山水郷のみだと片手落ちだろう。と。日本列島を語るのであれば海も含めより詳細に海の経済活動も含め論じた方が良いだろう!と。だが、後書きにも書いてあったが執筆四年。海も含めるとまとめきれない。と言う本人談もを含めると、海は別立てかなぁ。と思えば非常に良い示唆に富んだ内容だった。時の総理も直接著者よりレクチャーを受けたそうだから活かされることを望みたい◎コロナ禍以降の本国の予言的書籍(^^)

  • 筆者の熱い思いが詰まった本。
    学会誌に寄せられたY氏の書評が秀悦だった。

  • あとがきで著者の個人的体験が綴られているのが、とても印象的でした。それが本書への原点だったのかと。あとがき→最終章を先に読んで、それから1章に戻って読むと良いかもしれません。

  • 今日本のサーキュラーエコノミーやローカルエコノミー、サステナビリティに関わる人たちの背景をうまく整理してある一冊。主に50代以上の世代の方の地方への見方を変えるために、高校や大学の若者たちにおすすめしたい。

    特に歴史は教師がこういう風に解説できたらいいのだが…偏見を恐れずにいうと、日本史教員は史学科の人や政治学の人がやらない方がいい。

    経済学か民俗学的な人の暮らしを軸に、これから生きていくのに必要な知恵として学ぶべきだろう。そういう意味でわかりやすくまとめてくださっていておすすめ。

    ただ、この本になんらかソリューションがあるわけではない。それはこれから作られていくということ。

  • この列島の至るところで、人々はそうやって先人達から受け継いだものを引き受けて生きてきたのでしょう。その営みが郷土の風景を守り、恵み豊かな山水をつくりあげてきたのです。無数の無名の人々の引き受ける覚悟と努力がこの列島を支えてきたと言っても過言ではありません。
    (引用)日本列島回復論ーこの国で生き続けるために、著者:井上岳一、発行:2019年10月25日、発行者:佐藤隆信、発行所:株式会社新潮社、263

    山水郷。何と美しい日本語の響きなのだろう。この言葉は、日本列島回復論を著された井上岳一氏の造語である。我が国の7割が山に囲まれているため、都市部や平地農村を除けば、ほとんどが山水郷と呼ぶべき場所であると井上氏は言われる(同書、101)。大学で林業を学ばれた井上氏は、我が国の抱える社会的課題について、その解を”山水の恵み”と”人の恵み”に求めた。近年、その山水郷の多くが限界集落に近くなってきたと耳にする。では、なぜいま山水郷なのだろうか。昨年出版された本書を、改めて拝読させていただくこととした。

    我が国では、人口減少、高齢化、グローバル化が進む。特に井上氏は、人口減少、高齢化が経済を直撃しているとし、生活保護受給者のデータなどを用い、日本は隠れた貧困大国であると指摘する。これらの課題は、社会構造的なものとも相まって、人間関係の希薄化や若者の低所得者の増加等が根底にあることがわかってくる。なぜ人々は、都市部を中心として働く場を得ているにも関わらず、幸せを感じられなくなったのだろうか。戦後、人々は、高度成長期において、こぞって都市を目指した。用地が限られた都市空間では、建物が大型化・高層化し、人々がひしめき合って暮らしている。確かに私も昭和、平成、そして令和と生きているが、子供のころ(昭和の50年代)は、地方都市に住んでいるせいか「向こう三件両隣」の世界があった。今でこそ、防災のキーワードで「自助・共助・公助」と言われているが、子供のころには、隣に誰が住んでいるのかを勿論知っていたし、冠婚葬祭等があればムラをあげての行事となった。無論、人とのコミュニケーション不足のみが「隠れた貧困大国」の要因にはならない。しかし、都会には、人としての温かさを喪失してしまった感があることは、誰も否めないことだろう。

    井上氏は、山水郷を”天賦のベーシックインカム”としている。ベーシックインカムとは、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を定期的に支給するという政策である。確かに、山水郷がマイナーな存在になったのは、ここ60~70年である。本書を読み進めていくうちに、私は母の実家を思い出した。母の実家は豊かな自然が残るところで、祖父は農協(現JA)に務めながら、兼業で農業を営んでいた。うちの母は、早くから運転免許を取得していたので、実家に帰ると、まだ保育園児だった私をスーパーカブの後ろに乗せて、色々と連れ回してくれた。カブで牛舎の近くを通ると、田舎臭いというか、独特の匂いがしたことを覚えている。また、実家には、隣のお兄ちゃんらと三輪車や自転車に乗って走り回った。さらに夜には、現代人の殆どが知らないであろう”五右衛門風呂”に祖父と入るのが楽しみだった。そこには、複数の収入源を持って、自給自足に近い生活をしながらも、笑いに囲まれた幸せな空間があった。人と触れ合い、山水による恵みを享受し、精神的な豊かさがあったように思う。井上氏は、古来から人々が生活を営み、この日本の原風景とも言うべき山水郷こそが、我が国を”回復”させる特効薬であると見出した。私も母の実家を思い出し、井上氏の主張に賛成するところだ。

    本書では、AIやIoTに象徴される情報科学技術の進展により、その始まりの場所としても山水郷を推奨している。その後、この井上氏に著された本が出版された後に、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、テレワークの普及などで地方移住者が増加することとなった。内閣府による「新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査(令和2年6月21日)」によれば、年代別では20歳代、地域別では東京都23区に住む者の地方移住への関心は高まっているとある。アフターコロナの時代について、建築家の隈研吾氏が「20世紀型『大箱都市』の終焉」1)と言われているとおり、人々は、再び、地方都市や山水郷に向かいつつある。本を出版した時点で井上氏が想像していた以上に、人々が再び山水郷に移動するスピードが速まっているのではないかと思う。

    事実、株式会社パソナグループは、働く人々の「真に豊かな生き方・働き方」の実現と、グループ全体のBCP対策の一環として、主に東京・千代田区の本部で行ってきた人事・財務経理・経営企画・新規事業開発・グローバル・IT/DX等の本社機能業務を、兵庫県淡路島の拠点に分散し、この9月から段階的に移転を開始していくという。その数は、グループ全体の本社機能社員約1,800名のうち、約1,200名が今後淡路島で活躍するという。2)このように、”地方への回帰”は、新型コロナや情報科学技術の進展を契機として、様々なリスク分散を鑑み、個人のみならず、大規模な事業所単位のシフトさえも加速している。

    「空き家は劣化が早い」とよく言われる。それと同じように、先人たちが築き上げてきた山水郷も同様のことが言えるのではないだろうか。人工林などの手入れも含め、豊かな自然を守っていくため、人々が住み続ける必要がある。私の住む都市にも、市街地から車で1時間ほど走れば、山水郷と呼ぶべきところが残っている。私の知り合いは、その地区で空き家になりそうな一軒家を借りて、週末に暮らしている。年に数度、私もお誘いを受けて行くのだが、同じ市に暮らしているとは思えないほど、空気も気温も違ってくる。美味しい空気を吸いながら、ホタルが飛び交う季節には、その淡い光を楽しむ。そこを訪れるたびに思うことは、山々で囲まれ、田園風景が広がり、ゆっくりとした人間らしい暮らし方が実現できているということだ。かと言って、スマホも圏外にもならず、ネット環境も整備されていて、快適で不自由がない。不自由がないどころか、山水郷では、贅沢な、ゆっくりとした時間が流れている。

    行政による山水郷対策も進む。本書にも登場する愛知県豊田市は、「山村地域在住職員」を採用している。職員として採用されれば、豊田市が平成17年度に合併した町村のうち、旭、足助、稲武、小原、下山に在住し、主に地域の観光イベントの調整やツキノワグマの生息状況の把握と被害防止対策などの任務に当たるという。3)そのほか、井上氏は、本書の中で行政の役割についても複数提案している。

    20世紀は、人間と自然が共生できなかったのかもしれない。しかし、21世紀は、再び、人間と自然が共生し、古より大切にしてきた貴重な資源の享受を受けるながれになる。本書を読み、自分たちの故郷が持続可能な社会となること、そして日本列島が回復するためには、再び”自然回帰”がキーワードになるのだと認識するに至った。

    (資料)

    1)アフターコロナ 20世紀型「大箱都市」の終焉、建築家・隈研吾氏が語る都市の再編成、坂本曜平、日経クロステック/日経アーキテクチュア、2020.05.27配信

    2)株式会社パソナグループホームページ 2020.09.01配信 ニュースリリース

    3)豊田市ホームページ 山村地域在住職員採用(2021年4月採用) 募集要項

  • 資本主義で失われた日本の良さである山水郷のポテンシャルを再認識しました。

  • 山水郷に帰ろう、山水郷を生かそう。
    (方向性は分かりますが、おじさんの作文です)

    山水と共同体のつながり、そして山水を生かす知恵と業がある地域で、人はポスト資本主義でも豊かになれる。

    ■現状分析、問題指摘が鋭い(しかし冗長)
    筆者はネオリベに警鐘を鳴らすポジションを取っており、小泉・竹中平蔵改革以降の分断社会を是としていない。
    それだけでなく、本書のネタとなった(対極の概念の)日本列島改造論にある国土強靭化計画、土建国家のモデルの限界も指摘している。道を作り、ミニ東京を地域が目指しても、若者は皮肉にも故郷から出ていくだけだったと。この指摘は示唆に富んでおり、本書のタイトルの付け方もcool &smartに見えた。

    ■対応仮説、筆者のビジョン(あるべき) 
    精神論。具体性に乏しく根拠もない。
    ・山水郷を生かす。
    ・農山村のアイデンティティを観光資源に。
    ・風の谷構想。

    ⇒結局は意識改革も必要だが、意識とは"無意識に"醸成されてきたものなので、そう簡単には変わらない。アーリーアダプターのような活動家を増やし、地方でも(むしろ地方の方が)QOLも経済的にも合理的だと、感覚的に伝わるようにしていくことが大切なのではないだろうか。

    ●全体の評価
    長い。要点をまとめて構造的に書いてほしい。おじさんの作文だ。せっかく良いこと書いてある所と埋もれてしまう。

    〜また事実誤認とまでは言わないが、感想と事実を分けて書けてないのが致命的に残念。〜
    大手シンクタンクの幹部でありながら、筆者の主観をあたかも事実のようにして論理展開を進めるので、賛同できる部分でもかえって気持ち悪い。ホリエモンも村上ファンドも、当時は拝金主義のように報道されたが、よく考えを聞けば、そうとは言い切れない。にもかかわらず、当時の報道ベースのまま筆者の主観を引っ張ってくるのは、理解に苦しむ。

  • 昔から、洪水が起こりやすい平野部ではなく、山の麓「山水郷」がもっとも住みやすい場所であり、それは今でも豊富な資源な源であると。それが明治維新以降、唱歌「ふるさと」や学問のすすめなどに表れているように、地方から都会に出てくることが美徳とされ、山水郷は「想うもの」となってしまった。しかし高度経済成長が終わり、人口減少社会となった今、山水郷にまた回帰しよう。そういうことかな。
    山水郷に限定するつもりもないが、最先端技術こそ地方部で始めるべきというのは賛成するところで、人口減少や高齢化など課題が先進的であるためその解決法となる技術の実験に適していること、人がすくないため規制緩和しても問題が大きくならないことなど、society5.0を実証するのに適していると思う。地方は積極的にそうした動きをフォローし、手を上げていくべきだろう。

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著者プロフィール

日本総合研究所 創発戦略センター シニアスペシャリスト1994年、東京大学農学部卒業。農林水産省林野庁、Cassina IXCを経て、2003年に日本総合研究所に入社。Yale大学修士(経済学)。南相馬市復興アドバイザー。森のように多様で持続可能な社会システムのデザインを目指し、インキュベーション活動に従事。現在の注力テーマは、地域を持続可能にする「ローカルMaaS」のエコシステム構築。著書に『日本列島回復論』(新潮選書)、共著書に『AI自治体』(学陽書房)、『公共IoT』(日刊工業新聞社)などがある

「2020年 『Beyond MaaS』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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