経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く (新潮選書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106038280

作品紹介・あらすじ

新資料が明かす「痛恨の逆説」。有沢広巳ら一流経済学者を擁する陸軍の頭脳集団「秋丸機関」が、日米の経済抗戦力の巨大な格差を分析した報告書を作成していたにもかかわらず、なぜ対米開戦を防げなかったのか。「正確な情報」が「無謀な意思決定」につながっていく歴史の逆説を、焼却されたはずの秘密報告書から克明に解き明かす。瞠目の開戦秘史。

感想・レビュー・書評

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  • <要旨>
    一般には日米開戦の戦略差を直視せずに、軍首脳部が暴走したというのが通説的な理解だが、本書ではその通説を真っ向から否定している。
    むしろ、経済学者も陸海軍首脳部も日米の絶望的な戦力差を分かった上で、一か八かの勝負をおこなったものであり、行動経済学的ではある意味合理的な行動を取ったともいえる。

  • 秋丸機関なんて聞いたこともなかった。
    先の大戦で、経済面の国力分析を、日本と他国においても行なっており、それはかなり正確だった。
    その報告書が、開戦の障害になるから全て廃棄されたと言われていたが、実のところ、世間一般で言われているような内容と大差なく、そんな気密でもなく。

    日米の国力差、1:20。
    故に、資源確保も狙って乾坤一擲、あらゆる条件を好意的に見積もって開戦するしかなかったという判断。
    そこは、行動経済学とか、社会心理学の分野であって。

    結果論だが、あまりに稚拙。結果はね。

    もうちょっと、現状維持でジリ貧にはならないかも、という報告書もできたんじゃないかと投げかける。

  • 戦はしない方がいい。今度の戦争は、国体変革までくることを覚悟している。然しそれではこのシャッポを脱いでアメリカに降参するか。凡そ民族の勃興するのと滅びるのとは、仮令噛みついて戦に敗けても、こういう境地に追い込まれて戦う民族は、再び伸びる時期が必ずある。こういう境地に追い込まれてシャッポを脱ぐ民族は、永久にシャッポを脱ぐ民族だ

  • 秋丸機関と成立経緯と報告書を読み解くところから始まっているが、躓きながらも読み通してみると、第5章の開戦決定について行動経済学や社会心理学から分析した部分と、その上で経済学者として避戦のためにどういうアプローチが取れたのかという第6章が一番の珠玉であったと思う。

    そこは良かったのだが、秋丸機関の経緯等を述べる1-3章、報告書の内容に漸く入る第4章までが長く退屈で、読むのを放棄しようかと思った。

    しかし、第5章で俄然面白くなる。前提として秋丸機関の報告にあるような、経済面では英米にとても太刀打ちできませんよというのは公刊情報からも分かる話で、当時の政策決定者間の常識であった。したがって、「昭和16年夏の敗戦」で若手が指摘したような日米必敗の内容は刮目して視るような新事実では無かったということ。

    その上で、行動経済学の観点から、A戦わなければジリ貧で負ける、B戦えばかなりの確率でドカ貧になるが、ドイツが英国・ソ連を圧倒し、米国が英支援を諦めれば有利な講和の可能性は万が一にもあり得る、という基本的にマイナスの二つの選択肢のうち、プラスの可能性があるBに賭けた(こういう場合、必敗のAよりBがグラマーに見える)ということと、社会心理学からは、意思決定権が分散している場合は、お互いの牽制から強めの意見を出して、結果的に極端な方向へ意見が集約されるという。開戦決定をこれら二つの理論から説得的に説明している。

    また、Bについて3年目以降は分からないのに開戦したとの批判があるが、分からなかったからこそ(リスクを確実に評価できなかったからこそ)開戦に傾いたとも議論している。

    これらを述べた上で、経済学者の立場としては、ある種議論がBだけにフォーカスしている中で、Aをより精緻に分析・予測し、ある程度期待値込みでもグラマーに見せることが避戦のために必要だったのではないかと述べている。

    ここまでは非常に良かったが、また終章で、秋丸機関の主な登場人物のその後について書かれているが、ここはそこまで一々の人物に関心がある訳ではない私としては、また苦痛の一章であった。

    なお、一点付け加えると、上記昭和16年夏の敗戦で語られる総力戦研究所は、実は英米の国防大学的なものを狙いとして設置された軍官民の若手幹部候補を集めた教育機関であり、日米戦争のシミュレーションを行うことを主目的に人を集めたものでは無かったということ、また、その研究以外にも様々な報告書が出ていてこれだけにフォーカスするのは片手落ちとの指摘も面白かった。猪瀬直樹氏が筆致良く書いたがために???、総力戦研究所の研究生の成果の一部が着目され、あたかも政権幹部が不都合な真実に目を瞑って開戦決定を行ったかのような印象を持っていたが、そうでは無いと、そんなことは東條陸相以下、よく分かっていた話だったと。ここは目から鱗だった。今仮に、自衛隊の幹部学校?の学生などがシミュレーションで日中必敗を予測し、それを防衛大臣に報告したにも関わらず日中戦争になって負けた、ということが起きたとしても、その政府の決定における当該予測の影響はゼロに等しいだろう。それを100年後に、良い報告を無視して戦争に入ったと言われても目が点ということだと思う。この点も、自分としては大きな発見だった。

    構成の問題だが、この長い前置き・終章を削って、報告書内容・昭和16年夏の敗戦的な話が何ら新規なものではないこと、理論の説明と分析、という面白い部分に力点を置いてもらえれば、非常に良かったと思う。

  • アメリカとの戦争を決定した理由はどこにあるのかを、ある隠蔽された報告書から読み解こうとした本。

    経済学者たちのと銘打っているけれど、話の中心は経済学者ではなく秋丸機関。かかわった人物がどういう人か、どういう内容が書かれていたか、為政者側がそれをどう捉えてたかといったことから、状況をどう捉えてあのような判断を下すに至ったのかを求めていく内容。

    陸軍の要望で機関が立ち上がり、どちらかというと反政府的思想と周囲から見られてた人が中心人物として動き、国力の差がありすぎて短期的にはともかく長期戦になったら勝てるはずがないですと明確に分析されていたこと、そしてそれは隠すことでもなく世間一般でもなかば常識であったことなどが明かされていき、これでなぜアメリカと戦争しようとなったんやろとなる展開が面白い。
    何もわかってなくてああなったのではなく何もかも分かった上でそれでも開戦の選択をしてしまった理由の分析は教訓として現代に生かさないとなと思う話でした。

  • 太平洋戦争開戦の可否を、経済・国力の観点から調査した秋丸機関を主人公として書かれている。報告書の内容が曖昧な表現であったため、開戦しても勝てる一縷の望みがあるとすがってしまったようだ。翻って見れば、世界における日本の地位が脅かされていた時期で、最高に切羽詰まって開戦せざるを得なかったと考えるのが妥当であろう。

    報告書の有無を問わず、日米開戦は不可避であったのだろう。なぜなら今日における対北朝鮮、対北ベトナム、対イラク戦争を見ても、アメリカの謀略・戦略は明確で、どの国相手でも良いが戦争をしたかったのは明らかである。その相手が、その時はちょうど日本だったと言うだけだ。第二次大戦の一部分ではあるが、ただ単純に前述の戦争と同様、対日戦争と言ったほうがしっくりくる。

    そしてまた日本も、誰が決めたのかはっきりしない解散を決断し、その結果敗戦し、真に誰が責任を取るべきなのかはっきりしないままの幕切れとなった。現在の日本の政治家及び一般市民と大差ない。

    好き勝手なことを言うが、誰も責任を取らない。

  • 良書。行動経済学の知見で開戦を回避するにはどうすれば良かったのか、について仮説が提示されている。その妥当性はともかく、その発想は今まで聞いたことがなかった。知見を新たにしてくれる一冊。

    とある投資ブロガーさんが紹介していたことから読んでみた。行動経済学により、何故勝てないと分かっていながら開戦したのか、開戦を避けるにはどうしたらよかったのか、などについて著者なりの考えが示されている。経済学の知見で可能性を論じているところが、興味深い。

  • 結論部分は面白いがそれ以外の部分が少し多く読みにくい。

  • 非合理と思える日米開戦に踏み切ったのはなぜか。
    これまで、科学的な分析を無視して精神論で突入した、総力戦研究所で敗戦必至との結論が出たが、無きものにされた、などが巷間言われてきたこと。
    本書は日米の圧倒的な経済力格差は秘密でも何でもなく当時の常識であったという。それでも開戦に踏み切ったのは、100%の負けを座して待つより、低い勝算ながら出でて活路を見出す、という決断に至ったこと。それは行動経済学に裏付けられる意思決定だという。また主導者がないまま、政府・陸海軍で協調と摺り合わせの中で意思決定をすると、得てして強硬論に流れがちであり、これも意思決定でありがちな結論だという。
    非合理で悲しむべき決断だったという思いには変化はないが著者の主張は腑に落ちた。

  • この本は陸軍省戦争経済研究班、通称「秋丸機関」をめぐって、日米開戦にあたって経済学者たちは、開戦の判断にどのように関わったのか、また20対1とも言われた対英米と日本の経済戦力の差にもかかわらずなぜ開戦を阻止できなかったのかについて追求している。秋丸機関の報告書については、「報告書は開戦を決定していた陸軍の意に反するものだったので国策に反するものとして焼却された」というのが従来からの通説であった。しかし筆者が報告書を探し出し(ある資料は古書サイト「日本の古本屋」で見つけた)、改めて内容を確認したところ、「当時の「常識」に沿ったものであり、あまり陸軍内でも大きな問題になるようなものでは」ないことがわかった。問題はむしろ「専門的な分析をするまでもなく正確な情報は誰もが知っていたのに、極めてリスクの高い「開戦」という選択が行われた」のはなぜなのかにあると言っている。
    筆者はまず最近の行動経済学に基づいて分析している。開戦前に案Aと案Bの二つがあった。案Aは座して敗北を待つ、何もしなければ2〜3年後には「ジリ貧」になって戦わずして屈服する。案Bは、アメリカを敵に回して戦えば高い確率で致命的な敗北を招く。しかし、条件1(ドイツが独ソ戦に短期間で勝つ)と、条件2(ドイツが英米間の海上輸送を寸断する)と、条件3(日本が東南アジアを占領して資源を獲得し、国力強化してイギリスを屈服させる)が成立すれば、アメリカの戦争準備が間に合わず交戦意欲を失って講和に応じるかもしれない。この二つの案のどちらを選択するのか。日本は案Bを選択した。案Aを前にしたとき、案Bの可能性への期待が大きくなる。「「長期戦は不可能」の裏返しである「短期戦なら可能かもしれない」という判断が過大に評価される」こととなり案Bが選択されたのである。
    さらに社会心理学的に見れば、「「集団意思決定」の状態では、個人が意思決定を行うよりも結論が極端になることが多い」。集団の中ではより極端な意見の方が魅力的に思えてしまうというのだ。
    日米開戦の意思決定を行動経済学の観点から分析しているところが興味深い。日本の意思決定が通常の経済学が想定する意味で「合理的」に行われていれば、違ったものになっていたはずだ。この教訓は活かされているだろうか。今も日本人は同じような方法で意思決定をしているのではないだろうか。

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著者プロフィール

牧野邦昭

1977年生まれ。東京大学経済学部卒業。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。現在、摂南大学経済学部准教授。専攻は近代日本経済思想史。著書に『柴田敬―資本主義の超克を目指して』(日本経済評論社、2015)、『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書、2018)、共著に『昭和史講義―最新研究で見る戦争への道』(ちくま新書、2015)など。

「2020年 『戦時下の経済学者 経済学と総力戦』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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