ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す (新潮選書)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106038181

作品紹介・あらすじ

基本原理から学び直せる「最強の仏教入門」登場! どのお経が「正典」なのか? 「梵天勧請」はなぜ決定的瞬間なのか? 釈迦が悟ったのは本当に「十二支縁起」なのか? 「無我」と「輪廻」はなぜ両立するのか? 日本仏教にはなぜ「サンガ」がないのか? 日本の仏教理解における数々の盲点を、二人の仏教者が、ブッダの教えに立ち返り、根本から問い直す「最強の仏教入門」。

感想・レビュー・書評

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  • 年始くらいに本屋で見掛けて、前書きを読んでその場はそのまま戻したんだけど、どうにも後を引いたんで5月頃にまた手に取って、読了。面白かった!!!!!!!

    科学の端くれをやっているもの的には、創作やらテレビでの取り上げなんかから漏れ伝えてくるエッセンスだけ推測して勝手に科学に親和性があるのかなぁ、特に量子論は、等と思っていたが、ちゃんとした整理はしたことなかったので、かなりの鱗が目から落ちた。

    実家は浄土真宗のお寺の真横にあり、夏休みのラジオ体操会場になっていたから、その後にお堂で開かれる正信偈の読経とかにも何の違和感もなく参加していて、暗唱くらいできるのだが、浄土真宗どころか、大乗仏教ではなく、釈迦がおこした原初仏教(と推定されるもの)をきちんと、仏教の基本である「仏・法・僧」(仏法僧のちゃんとした意味を初めて知った!!)から仏教を取り巻くキーワード、世界観、信念を丁寧に解説してもらった。たった300ページなのに!!!

    そのうえで、この本で佐々木さんが指摘しているように、仏教は科学とはまた違った世界観だし、「日本の仏教」というのはほぼ原始仏教とはまったく異なるもの、と言うのも整理できた。
    仏法僧のうちの僧をきちんと取り入れられている日本の仏教というのが存在しないし、あやうくオウム真理教(これもタイムリーだった)が一番「仏教らしい日本仏教」になってしまうところだったのか、というか、それが日本での宗教嫌いを加速してしまったのが、何とも皮肉、と言うか、因果なんだろうか。

    僕は仏教者として生きて行く気は無いし、実践できるとまったく思わないが、この「思想」が人を救い、生き方に出来るのは理解出来た、つもり。
    また読もう。

  • 対談形式で初期仏教の基礎を学んだ。
    初期仏教が一番偉いとは限らないかもしれないが、やはり日本の仏教はだいぶ違うのだと思った。

  • 対談本なので話が飛んでごちゃごちゃするかと思いきや、ものすごく構成が明確で、あまり仏教学に縁のなかった身でも良い感じで理解することができた。
    特に「法」に関するテーマの対話が圧巻。
    仏教が、「私」は仮の存在に過ぎないのにそれを実体を伴う本来的に不変で安定したものである錯覚してしまうことからあらゆる苦が生じることを理解し、全てが流転していく世界の縁起をただしく見ることで苦を回避するための教えであることが良くわかったし、長年の疑問であった、それなのになぜ輪廻や霊魂や他力本願が同じ仏教から出てくるのかという問いに対して、大乗仏教がブッダの説いた初期仏教を反転させてむしろキリスト教に近いほどの超越者であり絶対的な実体である存在(阿弥陀如来)を生み出したものであることが明示されていて、非常に勉強になった。

  • 碩学佐々木閑と宮崎哲弥両氏の対談本です。
    仏教学者の佐々木氏はもちろんですが、宮崎氏の知見も、ものすごいです。
    あらゆる文献を縦横無尽に引用しながら、仏教の真実に迫ります。
    どのお経が「正典」なのか、「梵天勧請」はなぜ決定的瞬間なのか、釈迦が悟ったのは本当に「十二支縁起」なのか、日本仏教にはなぜ「サンガ」がないのか、などなど。
    「最強の仏教入門」とありますが、これは入門書以上のものです。
    よりいっそう仏教への理解が深まりました。

    これは仏教に限った話ではありませんが、組織はその維持や発展が自己目的と化したとき、思想を変質させ、人を堕落させます。内部に官僚制度ができあがってしまう。カトリックや共産党なんかが典型的ですが、残念ながら仏教も例外ではない。日本の宗門はいうに及ばず、スリランカやミャンマーのテーラワーダ教団ですら、本来のサンガの形態はフラットなネットワーク型の組織だったはずなのに、いつの間にかヒエラルキーができてしまった。 ー 245ページ

  • 日本に生まれ育ち、葬式仏教を仏教だと思って生きてきた私は、本当にこんなものが宗教として価値があるのか、という疑問を持っていた。というかはっきりいってなんの役にも立たないと思っていた。
    本書は、その私の疑問というか不信感に見事に応えてくれた。

    仏教学者の佐々木閑氏と、評論家の宮崎哲弥氏による対談形式で、仏教の原点からはじまり、仏法僧の3つの仏教の構成要素についての本質とその存在の変遷について語られていく。

    個人的な驚きは、宮崎氏が仏教者だったこと(まったく知らなかった)、そして極めて質と量ともに豊かな仏教についての知を有していることだった。子供の頃にテレビの政治バラエティ番組かなにかで見ていた程度の印象しかなかった私には、かなり大きなインパクトがあった。

    佐々木氏と宮崎氏の対談は、フットワーク軽く、それでいて充分な知識に基づく根本からの問い直しが連なる形で進んでおり、読んでいて飽きない。私自身は正直仏教関連の本を読み始めたばかりで知らない単語や概念もたくさんあるのだが、楽しく読めた。もう少し学びが深まってから再読したいところだ。

    二人の仏教者としての立場が違うのもまた、本書の議論展開の魅力であろう。

    [宮崎]
    龍樹においては、言語こそが苦の淵源であり、無明を構成する重要な要素なのです。人が「ないものをある」と錯視しそれに執着する「増益」の過誤は、言語表現によってもたらされたものだと。
    (P.144)
    [佐々木]
    どこに最初の一撃を加えれば苦しみの連鎖が止められるかという話と、その連鎖はどこに始まりがあるのかという話を混同すべきではないと思います。(中略)私はこの歴史的事実をもって、釈迦の思想と龍樹の言語哲学の無関係を主張するのです。もちろん、この前提の上で龍樹の言語哲学を肯定的に理解しているということは言うまでもありません。
    ここが私と宮崎さんの立場の根本的な相違点ですね。
    (pp.147-148)
    ということで、立場が違っていつつも、前提を共有して、違いを明確化するという生産的な議論が展開されていく。読者にとっても結果的にそのポイントがわかりやすくなっているように思う。

    徹底して「学問として」のスタンスが二人の著者で共有されており、そこからブレることなく話が進んでいくので納得感が高いのが本書の特長と言えそうだ。それでいて難解なわけではなく、初学者でも読みやすい。というか、初学者あるあるで些末のところに入っていく前に学問としての構造をわかりやすく捉えられるという意味で早い段階で本書に触れることは効果が大きそうだ。私も、今時点で読むことができてよかった(これから勉強するかどうかは未定だが)。

  • 仏教といえば葬式仏教とかいうイメージだが、初期仏教のイメージがだいぶん変わった。
    十二支縁起、仏・法・僧を尊敬することなど・・・

    それにしても、仏教で奥が深いし哲学や科学とも共通項があるのは面白い。

  • 冒頭にハリラの仏教についての記述を紹介しているが、的確な指摘の連続で、イスラエルの歴史学者がここまで仏教を理解していることに宮崎は驚いているが、私もハリラの分析力に感心した.本論に入ると、宮崎と佐々木の討論が始まるが、宮崎が次々と繰り出す論点に佐々木は冷静に対応しているが、読者からすると、宮崎の知識の開陳の連続という感じがした.釈迦が実際に述べたことを忠実に伝えているとされる文書はほぼ確定されたようだが、研究は緒に就いたばかりという感じだ.「仏」、「法」まで読んだが、難しい!日本にはびこっている鎌倉仏教との相違点だけを重点的取り上げて欲しい.日本の仏教と釈迦の原点はかなり異なっている感じがする.

  •  守備範囲の広い評論家である宮崎哲弥は「仏教者」でもあって、仏教関係の著作も多い。その分野の最新著作『仏教論争』(ちくま新書)は、私には難解すぎて手に余り、途中まで読んで投げ出した。

     が、昨年出た本書は、対談形式なので読みやすい。
     随所に「(笑)」も飛び出すなごやかな雰囲気の語らいは、ごく一部に解釈の違いが見られるものの、おおむね意気投合した形で進む。

     ただ、読みやすいとはいえ、内容は高度。帯には「最強の仏教入門」とあるが、仏教の知識ゼロの人が読んだらチンプンカンプンに違いない。仏教についての基礎的素養はある人が対象である。

     「仏・法・僧から問い直す」という副題のとおり、仏教における「三宝」たる仏・法・僧(僧侶という意味ではなく、サンスクリットの「サンガ」=出家修行者の集団の意)のそれぞれについて、章を立てて掘り下げていく内容だ。
     
     初期仏教を正統と見なし、大乗仏教は別物と捉える観点から作られているので、大乗仏教徒や日本仏教しか知らない向きには、違和感を覚える箇所も多いだろう。それでも、仏教に関心ある読者にとっては、立場を超えて得るものの多い上質の対談集である。

     一読して驚かされるのは、第一線の仏教学者である佐々木と、宮崎が対等に伍しているところ。宮崎の仏教についての知見は幅広く、かつ深い。

     宮崎哲弥の仏教対談といえば、師匠筋に当たる評論家・呉智英と編んだ『知的唯仏論』がある。
     同書は呉と宮崎の仏教理解に差がありすぎて、呉が聞き役に回った箇所が多く、丁々発止の応酬になりきれないうらみがあった。そのことを宮崎も不満に思い、同書のリベンジマッチ的な意味合いで佐々木と対談したのかもしれない。

     本書は、次のような構成となっている。

    序章 仏教とは何か
    第一章 仏――ブッダとは何者か
    第二章 法――釈迦の真意はどこにあるのか
    第三章 僧――ブッダはいかに教団を運営したか
     
     そのうち、第二章の「法」は、縁起・苦・無我・無常についてそれぞれ深く掘り下げたもので、途中、私には議論が高度になりすぎてついていけなくなった。が、それ以外の章は大変面白い。

     以下、私が付箋を打った箇所のいくつかをメモ代わりに引用する。

    《(釈尊の「四門出遊」は)まさに「仏教はこういう宗教だ」ということを見事に表現しているんですね。老と病と死、この三つは人間にはどうしても避けることのできない苦しみである。もう絶望するしかないと思ったら、最後に修行という道があることが示される。この話は、仏教が何を目指す宗教かということを、人々にきちんと伝える働きがある(佐々木の発言/59ページ)》

    《私はかつて「完全無欠の理想社会が訪れようが、そこでも解消できないような『この私』の苦しみこそが仏教本来の救済対象』と極言したことがあります。まあ原理を明確にするための極端な言い方ですけどね(笑)(宮崎の発言/61ページ)》

    《仏教では、瞑想は悟りにいたるための単なるスキルにすぎないという位置づけです。(佐々木の発言/64ページ)》

    《仏教は初めから都市宗教として出発したのです。人気のない山奥でひっそりと修行に専念する僧侶の姿を私たちはよくイメージしますが、そういうことは実際にはありえないのです。仏教というのは、支えてくれる在家信者たちのそばにいなければ成り立たない宗教なのです(佐々木の発言/81ページ)》

    《私は、もし釈迦が出家してなかったら自殺しているだろうといつも言っているんです。出家によって、はじめて自分で自分を救う道を見つけることができて、釈迦は救われたんです(佐々木の発言/91ページ)》

    《宮崎 私はかねてより、仏教に限らず、多くの宗教がなぜ性行為を禁じたか、という点については持論がありましてね。
     明け透けにいえば、セックスは宗教のライバルだからだ、と思うのです。性行為によって得られるエクスタシーは、宗教的法悦や忘我の状態に非常に近いものがある。逆に密教になると、性的エクスタシーを悟りに利用するようになります(265ページ)》

  • 釈迦の本来の教えである上座部仏教と大乗仏教との違いを三宝(仏・法・僧)の観点で対談形式で説明している。大乗仏教の中でも日本の仏教が特異であることがわかった。

  • それなりに面白かったけど、思ってたのとは違った内容だった。
    もっと基本をまんべんなく図解まじえつつ解説してくれる入門的な内容の本が読みたかったので。
    とはいえ二人の自説が微妙に違って論争みたいになるところとかは面白かったし、自分の信じる宗教を正当なものとして牽強付会する学者の話とかは興味深かった。知らない世界を知れた本ではある。

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著者プロフィール

1956年福井県生まれ。花園大学文学部仏教学科教授。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業。同大学大学院文学研究科博士課程満期退学。カリフォルニア大学バークレー校留学をへて現職。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。著書に『宗教の本性』(NHK出版新書、2021)、『「NHK100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば』(NHK出版、2012)、『科学するブッダ』(角川ソフィア文庫、2013)ほか多数。訳書に鈴木大拙著『大乗仏教概論』(岩波文庫、2016)などがある。

「2021年 『エッセンシャル仏教 教理・歴史・多様化』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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