親鸞と日本主義 (新潮選書)

著者 :
  • 新潮社
3.67
  • (5)
  • (9)
  • (8)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 193
感想 : 18
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106038143

作品紹介・あらすじ

なぜ“南無阿弥陀仏”は、ファシズムと接続したのか――。大正から昭和初期にかけて起きた親鸞ブーム。その絶対他力や自然法爾の思想は、やがて“国体”を正当化する論理として、右翼や国粋主義者の拠り所となる。ある者は煩悶の末に、ある者は戦争の大義を説くために「弥陀の本願=天皇の大御心」と主張した。「親鸞思想と国体」という近代日本の盲点を衝き、信仰と愛国の危険な関係に迫る。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 本書を読んでいくつも気にかかることがあった。個人的なこともあり、また、もう少し大きな問題もある。

    個人的なことといえば、父のことである。父は10数年前に病没したのだが、入院中にせん妄状態になり、「天皇陛下に申し訳ない」と言い出した。かれは、旧職業軍人で、終戦時には連隊長で、日本に生還したのはかれの部隊の5%ほどであったという。戦後すぐは主だった部下の家族のもとを訪ねてその戦死の様子を伝えていたという。私がそのことを知ったのは、最晩年のことで、かれは戦争体験のことはごくわずかしか語らなかった。

    しかし、そのかれが、死の間際に申し訳ないといったのは、陛下から預かった部下や武器を失ったことであった。せん妄状態とはいえ、晩年でもそのようなことは語ったことがなかったので、ある種のショックを受けた。幸せな戦後を家族とともに送ったはずだったのに、穏やかでない死を迎えたと思えた。もちろん、戦中戦後まもなくであれば、かれの行動や言動は、おそらく共感を持たれたのではないかと想像するのだが。

    本書と関連することで言えば、祖父は本書に登場する近角常観に接し、職業軍人であった父はおそらく時期的には弟の常音の教えを受けたようだ。常音は私が生まれた頃に亡くなったのだが、両親は戦後も、常音の縁者(信者と言ってもいいだろう)会を重ねていたようだ。私自身。子供の頃に何度も、東大谷の親鸞御廟の社務所での会合に参加する両親とともにでかけ、妹とその間境内で遊んでいた記憶がある。また、自宅にも少なくとも私の小学生の頃までは、常音の縁者だった両親の友人たちが訪れていた。

    うる覚えではあるが、父は最後の戦場(終戦を知らずに?1945年9月まで、フィリピンの山中をさまよっていた)に赴くおり、常音を訪ねて心がけを聞いたという。親鸞の教えを近代日本に蘇らせるべく葛藤し宗教改革を目指した、清沢満之や暁烏敏、近角常観の系譜の一端に、父もそして、父と1944年に結婚した母もまた、「近角宗」の教えに感化されていたのである。その後も、両親は浄土真宗大谷派の寺院の檀家の一員として、様々な会合に出向いていた。

    本書は、近代日本の宗教改革を目指した清沢らの背景には親鸞自身の持つ思想があり、くわえてそのかれらの理解が「日本主義」と親和性を持っていたがゆえに、かれらの宗教改革が帝国日本のファシズムに加担することになったとする。本書を読むとたしかに、その流れがよく理解できたのだが、とはいえ、真宗教団自身はどうだったのか、ということが気にかかるところだ。

    むしろ、真宗教団は彼らの解釈を利用して体制迎合して戦場に真宗信徒を送り出すことの加担したと言えるのではないだろうか。戦場に教誨師を部隊とともにおくり、天皇のために死ぬことについての宗教的な心証を信者に与えようとしたようだ。真宗は、少なくとも中世から近世にかけて一向一揆は明らかに反体制的であったはずであったが、しかし、徳川幕藩体制に入ると、体制側に組み込まれる。差別戒名のことや宗門改めの名目をもったキリスト教弾圧に体制側として加担していたことは確かと言えるだろう。

    親鸞は「弟子一人ももたず」と述べていたように、かれは、思想家として「絶対他力」を唱えるものの、かといってそれを他者に教えることはしなかったのではなかったか。教えるという行為は「自力」と親和性があると理解したからだろう。親鸞自身の教えからすると、真宗は教団を作らなかったはずだ。しかし、その後、蓮如以降、一向宗として体制と対立して独自の宗教王国を作ろうとするという思考は、逆に体制への組み込まれやすさを生み出すことになったのではないだろうか。明治維新以降の真宗の宗教改革は畢竟、蓮如の踏襲であって、親鸞へのそれではなかったのではないだろうか、と思えてしまう。

    とすると、本書が今後の課題として抱えるのは、真宗教団というややもすると体制へと迎合しようとするながれが、清沢らの改革派をとりこみ、かれらの「日本主義」的理解を利用しようとした流れを批判的に検討することなのではなかとおもえるのだが、どうだろうか。

  • 宗教

  • 中島岳志さんの本を全部とは言わないまでも読み続けていて、この本はトークイベント&サイン会にも行った。もう1年以上も前になる。
    浄土真宗、親鸞聖人、歎異抄への関心も割とあり、「愛国と信仰の構造」もとても勉強になったので、すぐに読み始めるはずが。
    中島さんの本の出版は続き、図書館で借りた本はさっさと読むのに、自分で買った本は…
    先月買った「保守と大東亜戦争」は読み始める前に行方不明になってしまった。

  • 購入 2018/06/03

  • 戦前の浄土真宗と国体論のつながり等、寡聞にして全く知らなかった。大谷派の論議は読み応えがあり、思想や宗教の危うさを感じさせる。力作だと思う。

  • 著者による「血盟団事件」を読んだ時に、宮沢賢治と5.15事件の青年将校たちに共通に流れる血としての日蓮宗を知った時、宗教が現実と交わる時に発揮する禍々しさにたじろぎました。本書では親鸞の教えの「他力本願」「悪人正機説」がいかに日本が戦争に突入する時のナショナリズムの形成に繋がっていったかを検証していきます。キーワードは「煩悶青年」。理想と現実の狭間に悩む自意識過剰の青年たちが「自力」に傷つき「他力」の赦しを求める青春が親鸞に出逢って救われていく、そんな一個一個の物語が激しく日本を神の国にしていくことが怖くなります。そして青春の悩みは性欲との葛藤。笑っちゃうくらいにこの本には自分の性欲を持て余す青年が登場します。もしかしたら第二次世界戦争に向かう日本も明治時代が赤ん坊時代だとすると青春まっただ中で、有り余る性欲をアジア大陸や太平洋にぶちまけたのかも、ね。そして放出してしまった青年らしく、戦後は何もなかったようにスルーってのも笑えるくらい。翻って、性欲の少ない現代の草食ニッポンが求める宗教はなんなんだろう?もとめるナショナリズムはなんなんだろう?と思いました。

  • 日本主義を信奉した知識人、文化人の中には、深く親鸞の思想を研究したものが散見された。
    親鸞の思想がどのように日本主義に転換していくのか、いくつかの実例を挙げて検証している。

  • 親鸞の説く絶対他力の考え方が非常によく理解できたが後書きにあるように国体主義者が置き去りにした「平凡の非凡」こそがその根本にあるということを忘れずにいることが肝要なのだろうが、今の周囲を見るとき非凡であるが為に平凡を劣位に見、それを切って捨てるかのような利己的な言説が溢れている。親鸞の思想をもっと深く学んでみたい思いにさせてくれる著作でした

  • 終章が結論ということではあるが、倉田百三、吉川英治の右翼思考は知らなかった。

  • 知識が追い付かず斜め読み。
     
    あとがきに著者は真宗大谷派の教学員を務めてらっしゃるとあり、本書の内容からすると良い意味で意外なことに感じられた。

全18件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『思いがけず利他』『パール判事』『朝日平吾の鬱屈』『保守のヒント』『秋葉原事件』『「リベラル保守」宣言』『血盟団事件』『岩波茂雄』『アジア主義』『保守と立憲』『親鸞と日本主義』、共著に『料理と利他』『現代の超克』などがある。

「2022年 『ええかげん論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中島岳志の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村田 沙耶香
デヴィッド・グレ...
トマ・ピケティ
スティーヴン・ワ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×