- Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106037795
作品紹介・あらすじ
今日の深刻な少子化は、「人口戦」の敗北から始まった――。日本の人口の減少速度はこれからさらに加速し、毎年数十万人単位で減り続けることになるという。戦争でもこれほどまでの急減をもたらすことはないだろう。一体なぜ、ここまでの惨状を招いてしまったのか? ――実は、そこには国家の衰退を根幹から導くよう、他国より仕掛けられた「静かなる有事」が存在した。驚きの裏面史。
感想・レビュー・書評
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とても恐ろしい内容だった。
なぜ戦前の日本が海外膨張策をとらざるをえなかったのか、
はたまた、海外移民なんていうものがあるのか。
それらの疑問をいっぺんに解き明かしてくれる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
江戸時代中期~後期、日本の人口は概ね一定に保たれてきた。
しかし明治維新後、工業や医療が発達し、人々の生活が豊かになって死亡率が下がり、人口増加に転じた。
第1次世界大戦で欧州の産業が停滞し、日本は工業国へ脱皮する。
工業化の波は、農村の若者を都市部へ迎え入れた一方で、農村の生産性は伸び悩み「食糧不足問題」が生じた。
第1次世界大戦後、日本は不況に陥る一方、人口増が続いた。
政府は「海外移住」で失業や食糧難の解決を図るが、現地の生活に馴な染じまない日本人に対し、各国で排斥運動が生じた。
世界中から締め出された日本が、移民の送り出し先に選んだのが満州だった。
そこでは人口過剰問題を平和的な移民政策や農業生産性の向上ではなく、海外への武力進出で解決する路線で、人口政策としては「産めよ殖やせよ」の政策が採られた。
第2次世界大戦後、日本の農業生産は落ち込み、出征兵士の帰国によるベビーブームで、食糧事情は危機に瀕する。
その対処に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が大きく関与した。
└世界が冷戦構造へ進む中、発展途上国の人口急増が共産主義に結びつくと考える米国は、日本の人口抑制を図った。
└米国は、日本人の意思として産児制限を導入したという形にするため、産児調節運動家を後押しして国会に送り込み、人工妊娠中絶を認める優生保護法を作成・可決させた。
優生保護法の改正(経済的理由による人工妊娠中絶を認める)後、人工妊娠中絶件数は激増し、年間出生数は激減した。
これが、その後の長い出生数減少の歴史の始まりとなった。 -
産児制限 第一次ベビーブームが、わずか3年間で突如として終わりを告げた
ベビーブームと交代する形で中絶ブームが到来した
避妊にサンシーゼリー 山之内製薬 -
GHQが関わった人工妊娠中絶を認める産児制限から出生数減少始まってたのか。とはいえ現代はそれ以外の要因も多いだろう。
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今日の深刻な少子化は、「人口戦」の敗北から始まった ―― 。こう述べ、明治時代からの歴史を紐解きながら、日本が少子化に陥った原因を暴く。今年(2018年)に注目されている、優生保護法が成立した歴史的経緯も理解できる。著者は、『未来の年表』の河合雅司氏。
はじめに “絶滅危惧種”としての日本人
第1章 人口過剰論の擡頭
第2章 「産めよ殖やせよ」への転換
第3章 敗戦後も続いていた“日米戦争”
第4章 「家族計画」という少子化推進策
第5章 少子化進めたオウンゴール
第6章 ようやく動き出した人口政策
終章 「静かなる戦争」を顧みる -
日本の出生数の減少に歯止めがかからない。どうして日本はこんな状況に陥ってしまったのか。文明の成熟を理由とするなら、なぜ先進各国の中で日本だけが特異な状況であるのか。これらの疑問を解くヒントが年間出生数の推移表にあった。戦後のベビーブームが産児制限(調節)という国策によって3年で終わらせられていた。そこにはGHQの巧妙な仕掛けがあった。日本が戦争に突入した原因の一つを戦前の人口過剰と考えていた米国は、日本の産児制限を合法化すべく加藤シヅエを利用し優生保護法を成立させたのである。
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一見、GHQが日本民族消滅を企図していたかのような書きぶりだが、読んでみたらアオリほどに挑発的な内容ではなかった。むしろ日本政府の人口政策の迷走ぶりが痛々しいほど。歴史の闇に光を当て新たな真実を炙り出した労作だがそれだけに終わっているので、これ単体で見ると「だから何?」と言えなくもない。ここから力作「未来の年表」に繋がっていったのだと思えば感慨無量。
2017/6/24〜6/25読了 -
人口問題は現在のことではなくかなり先の将来の問題。よってこの問題ほど長期スパン、歴史でみる意義のある分野もない。本書は日本の人口問題が戦前、戦後、現在とどのような変遷を経て、ついには目の前の大問題になってしまったのかを紐解いていく。
時系列で見ていくと、安定的だった江戸時代の日本の人口を"富国強兵"の国策が膨張とも言える人口増加にしていく。日露戦争での勝利をきっかけに欧米列強が日本の国力増加と人口膨張に危機感と警戒感を強め、何かと日本に人口抑制のプレッシャーを与えてくる。そういった圧力や、マルサスの人口論のブーム、また大正デモクラシーなどによる自由な雰囲気を受けて大正から昭和初期にかけては人口抑制政策が取られるが、軍国主義の台頭により戦後直後までまたしても「産めや増やせよ」となっていく。(そして「産めよ増やせよ」政策が軍部のイメージと重なって戦後の政策決定に悪影響を及ぼし続けた)この頃の注目すべきこととしては大正9年に既に日本の人口増加はピークを迎え、昭和16年時点で行われた昭和50年と昭和100年時の予測において人口や高齢化の構成をほぼ正確に予測していることである。
戦後は植民地からの復員や平和によるベビーブームの到来により日本の人口は再び爆発するが、これに対して戦後直後の食糧不足やGHQの巧妙な誘導、あるいは民主主義の浸透などによって日本人自らが人口抑制政策に傾き、現在までに続く"優性保護法政策"が実施され、ベビーブームも数年間で終わりを告げた。その後、日本は人口が抑制された恩恵としての"一人あたり豊かさ"を大いに享受し、さしたる人口増加対策は行わず時が流れ、最後の人口増をやりうる時代であった団塊ジュニア世代の出産時期も政権の混乱や民主党の政策変更などにより時期を逸し、完全に遅きに失した状態の中で近年自民党政権が本腰を入れて人口増加対策を行おうとしているという経緯である。
この本で思うのは、日本の人口政策に欧米列強との暗闘がかなりあったという本題もさることながら、人口は長期の人の価値観の変化にダイレクトに影響されるのでちょっとやそっとの対策ではほどんど効果がないことと、人口をいじるとかなり先の将来に罰が下るということである。無力感にさいなまれているだけでは前進はないが、それにしても難しい問題である。