人間にとって科学とは何か (新潮選書)

著者 :
  • 新潮社
3.81
  • (8)
  • (16)
  • (11)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 232
感想 : 24
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106036620

作品紹介・あらすじ

純粋な知的探究から発して二百余年、近代科学は社会を根底から変え、科学もまた権力や利潤の原理に歪められた。人類史の転換点に立つ私たちのとるべき道とは?地球環境、エネルギー問題、生命倫理-専門家だけに委ねず、「生活者」の立場で参加し、考え、意志決定することが必要だ。科学と社会の新たな関係が拓く可能性を示す。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 図書館でみつけて、即座に借りました。なにしろ、村上陽一郎さんには、進路に悩んでいた若い頃に「科学者とは何か」でずいぶんと助けていただきましたので。

    結論は常識的で、「科学イコール役に立つ、という軸だけで科学を考えるのはやめよう。もっと根源的な意味がある筈だから。そしてみんなで科学リテラシーを身につけよう」というものでした。

    この本で感心したのは、第3章「医療における新たな制度」のところです。
    村上さんは、医師-患者関係について、「患者」が「医者」と対等になるような関係を理想としているようですが、その論拠が秀逸なのです。

    まず、「社会においては文明の進捗具合によって疾病構造が変化する」という考え方を紹介します。

    それは、「文明の第一段階」では主たる死因は「消化器系の感染症」、「第二段階」では「呼吸器系感染症」、「第三段階」では「生活習慣病」、そして最終段階で「社会的不適合」になる、というものです。

    これは説得力があります。
    未開な社会ではコレラとか腸チフスとかで亡くなる人が多くって、少し進むと肺炎とか結核とかになって、さらに進むとメタボ系=動脈硬化系(脳卒中、心筋梗塞)とがんになって、その先にはおそらく「自殺」がくる。

    第一、第二段階の「感染症」が主体で会った頃の医療関係は、医療の力が非常に強かったから、関係も医療者側が強かった。しかし、第三段階になってくると、「患者」の力がないと、たとえば糖尿病を落ち着けるのには本人の努力による運動とダイエットが不可欠であるように、病気をコントロールすることができない。

    こういう時代では、「患者学」というのも必要だ。

    という訳です。

    生活習慣病を見る医者と、感染症をみる医者とでは、医者のできることに差があるという着眼点に感心しました。

    ただ、村上さんは「がん」も「生活習慣病」と同列に論じようとしていたけど、「がん」はどっちかというと「感染症」に近いんじゃないかな、とは思いました。だから「がん」の治療方法についての自己学習を推奨する考え方については、ちょっと違うと思いました。

    あと、最後の方にでてくる「現場荒らし」の科学者(自分に都合の良い研究結果がでるまで「現場」にいて、結果がでたらオサラバしてしまう研究者)の問題提起にもフックしました。研究者を「ビジター型」と「レジデント型」に分けて考えようという向きもあるそうです。

    この考え方って、そのまま医者の世界にあてはまりますよね。開業医や、その病院に長く勤める勤務医は「レジデント型」、数年でどんどん移っていく医者たち(研修医や、ローテーションが決まっている大学系の医者とか)が「ビジター型」。

    自分が、「レジデント型」から「ビジター型」になってしまうことに関して、屈託があるってこともすごく自覚しました。まあ、どっちがいいということではなくて、それぞれに得意分野を開拓していこうよということになるんだと(アタマでは)思うんだけど、僕の「中の人」は結構頑固で、なかなかその考えを「うん」と言ってくれず苦労しました。

    長くなってしまいましたが、結論は、「村上さんは今回も僕を助けてくれた」ということでした。

  • p.118-119 "Act of God"であったようなものがリスクに変わる、つまり科学技術が進歩すればするほどリスクは増大します。(略)社会学者ニコラス・ルーマンの「リスク社会論」はまさしくそのことを明示しています。

  • なぜ読んだ?:
    高校の現代文の教科書に載っていた文章の中で最も興味があったものの底本を読むことにした。
    科学論・科学技術論・科学哲学といったテーマの本を読みたかったのでちょうど良いかなとも思った。


    内容をざっくり:
    科学の成立、西洋と日本
    社会の変化をもたらすネオタイプの科学
    医療、生命倫理、安全・リスク
    科学の合理性と社会の合理性の違い、社会における意思決定と科学の関係
    私たちにとって科学とは何か。結局、科学者も社会も、相手を尊重することが大事。そのためにも、科学リテラシーの向上が重要。
    知識のための知識も大事にしよう。人間にとって科学は必要だ。


    感想総論:
    科学史や、科学哲学の話はほんの少しだけ。
    科学と社会の関わりについて、近年の事例をあげつつ説明されていた。
    科学は価値観に立ち入らない話や、専門家の意見とと社会の「常識」の兼ね合いによる意志決定の話は近年の新型コロナのニュースに通ずるものがある。
    「常識」概念は、『教養としてのテクノロジー』での「センシティビティ(肌感覚)」概念や『バカの壁』での「常識」概念に近そう。
    科学コミュニケーションモチベが上がった。


    今後の展望:
    科学と社会について1つ読めたので、科学哲学・科学史の本を読んで、科学とは?ということについて考えたい。
    科学という枠組み、科学研究の構造について興味がある。クーンのパラダイム論など。
    『科学哲学への招待』『科学革命の構造』あたり。

  • サイエンス

  • ところどころ微妙な引っかかりはあるものの、全体としては科学と社会の関わりについて平易に述べられており読みやすい。

  • 語りかけるような形式で、科学とはなにか、社会とどう関わってきたか、そしてこれからの社会との関わり方はどのようにあるべきかといったことをわかりやすく説いている。いまの科学あり方を考えるときにはやっぱり成立から現在に至るまでの歴史を追うのは大事なんだなぁと再認識した。技術との違いとかね。たいへん読みやすいので科学論、科学技術社会論的な領域への入り口としてはよいと思う。もうちょいヘビーなのを読んでいい段階かなと思えた。

  • 2017.05.19読了

     科学は自然界の真理を発見するためにあるのか、それとも、人間の役に立つためにあるのか。
     科学哲学の根本的なテーマである。専門的で高度な内容であったが、よく理解できた。

     生命倫理との関係では、「遺伝子操作ができるようになって、同性カップルが自分たちの遺伝子を組み合わせた【子供】をほしがるようになった話」が印象に残った。なるほど、科学が発達することで、「ありえない」欲望や欲求も出てきてしまう。「発展させればいい」という性質のものでもなさそうだ。

    リスクと科学の話では、「制御できないものはリスクと呼ばない」話。小惑星が地球に衝突する(これは天災)のは、場所を予測して疎開するくらいしか方法がなかったが、科学が発達してその小惑星の軌道を変えることができるようになるととたんにリスクと認識されるようになる。

    「パブリックとは何か」とか、「科学者として法廷に立つ」とか、社会科学に関係のあることも書かれていた。法廷は傭兵をやとって勝ち負けを競う場であり、真理発見の場ではない。真理を探究する科学者が辟易するのはその通りだ。
     様々な方向性から「科学」の本質を明らかにする本書は、科学の世界においてこそ、倫理的・哲学的な考え方が大事であることを再確認させてくれる。

     プロの科学者が読むと、たぶん「それは違う」と思うことも多々あるのだろうけれど。

  • 無意識にたくさん読んでいた村上陽一郎先生の本。
    この本は2010年発行、すなわち震災以前の本ですが、今の科学が抱える問題を満遍なく書いた本だと思います。

  • ひとが何を「安全」と思い、「安心」と感じるのかということは、必ずしも合理的な基準があるわけではなく、相対的なものです。(p.114)

    「衆愚」にならないたえに、意思決定に参加する人に、そしてそうでない生活者の方々にも、科学技術に対するリテラシーをもっと理解してほしいと思います。理解とは専門知識ではありません。物理学の難しい方程式などは知らなくてもいいけれど、自然探求の面白さを知り、それを土台に科学・技術を理解し、考え、責任を分担できるように「成熟」していくことなのです。(p.156)

    科学の側から科学者のすべきこと、科学者がこうあるべきだ、と考えるのはある意味、単純なのですが、それが「私」対「公共」となると、何をすべきか、何ができるのか。私はほんとうに、日本にパブリックを確立できたら、と考えているのです。(p.160-161)

  • リテラシーの大切さと、文化上意識しなければならない科学の在り方についての初心者本。
    リスクについての、解説が分かりやすい。
    良書ではあるが、好みは分かれると思う。

全24件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1936年東京生まれ。科学史家、科学哲学者。東京大学教養学部卒業、同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学教養学部教授、同先端科学技術研究センター長、国際基督教大学教養学部教授、東洋英和女学院大学学長などを歴任。東京大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授。『ペスト大流行』『コロナ後の世界を生きる』(ともに岩波新書)、『科学の現代を問う』(講談社現代新書)、『あらためて教養とは』(新潮文庫)、『人間にとって科学とは何か』(新潮選書)、『死ねない時代の哲学』(文春新書)など著書多数。

「2022年 『「専門家」とは誰か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

村上陽一郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×