遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 (とんぼの本)

著者 :
制作 : 芸術新潮編集部 
  • 新潮社
4.03
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本棚登録 : 163
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  • Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106021497

作品紹介・あらすじ

奉行所跡でロドリゴ神父の踏絵シーンに泣き、大浦天主堂でキクの哀しい最期に泣き、浦上村でサチ子の被爆悲話に泣く…。作家は雨の街角で、狭い路地で、何を考え、何を見出したか?「沈黙」、「女の一生」の足跡を辿る-。

感想・レビュー・書評

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  •  初めて“悪事”を働いたとき、私は幼稚園児だった。

     日曜礼拝の終りに列になって献金するとき、私は1枚の十円玉を盗んだ。
     初めのうちは十円を五円玉2枚にしてもらって1枚だけ入れて五円玉1枚を自分のものにした。次は入れるフリだけして、十円をまる丸自分のものにするようにエスカレートした。ここまでなら、まだいい。だが最後には、入れるフリをしながら、献金用の黒いシルクハットの中に既入っていた1枚を握って手の中に隠してポケットに入れた。このスリリングな悪事でもって十円玉を2枚せしめた。どうしても二十円必要なワケがあった。公立の保育園に通う近所の子たちは、日曜といえば早朝からはザリガニ釣りに興じている。その流儀は、割りばしと糸を釣竿と釣り糸にしてイカのゲソ(足)を餌にするというもの。そのイカゲソを駄菓子屋で買うのに十円が必要だった。もうひとつ、「どんどん焼き」と称する屋台で焼いて売っているおやつもやはり十円であった。このクレープのような薄いお好み焼きを割りばしに巻いた食べ物は、今思い出しても青海苔とソースの焦げた香りがして来そうな美味この上ないおやつであった。お小遣いが一日十円だったからどんどん焼きを買って食うか、それとも食うのを我慢して餌のゲソを買うかは毎回深刻な問題であった。
     日曜にはいつも出遅れていた私だったが、悪事を覚えてからは状況が逆転した。池に着くとまずどんどん焼きを十円で買って食った。満腹になってから悠然とゲソをもう1枚の十円玉で買い、1本だけ残してコレも食い。余裕でどんどん焼きの割り箸と食べ残しのゲソを1本使って釣りの仕掛けを拵えた。保育園派の奴らは、捨てられた箸を拾って使ったり、釣ったザリガニの殻を裂いて出したハラワタを餌に使ったりしている。私は、貧民が大富豪を羨望の眼差しで見るような、真ん丸い目の視線を浴びながら、悠々と食い、釣りをした。貧乏人どもの何倍もよく釣れた。
     「神様はみてらっしゃいますよっ!」
     気づいていながら、遠まわしにたしなめた園長先生のお説教も、「へっ」としか思わなかった。私は生まれながらにして“ワル”なのだった。

     話は本題に移る。
     「そうだ、長崎に行こう」と急に思い立った。同時にこの一冊を持っていこうと迷わず思った。
     狐狸庵を自称する著者を、おとぼけが本性のおっさんだとつい最近まで思い込んでいた。『沈黙』も『海と毒薬』も読んだことがなかった。だから、狐狸庵先生がどういう経緯で大真面目に『沈黙』を書くに至ったのか、一番知りたかったのはそのことだ。
     先生自身の言葉と、長崎の各地に残るキリシタン関連の遺構、史跡の数々の写真を元に、遠藤文学が『沈黙』に至った軌跡を誠に丁寧に跡付けたのがこの一冊だ。私などが薄っぺらな言葉で評しても、遠藤文学の計り知れない深さを伝えられはしないでしょう。むしろこうとだけ教えてあげましょう。
     遠藤文学をより深く理解するには、長崎のみならず日本とキリスト教の歴史を真に捉えるには、そして自分自身の弱さに真に向き合い、他者の弱さにも慈しみの心を持てるようになるには、この一冊を手に長崎を巡りなさい。遠藤周作文学館を訪ねなさい。そして自分で考えなさい。それだけだ。

     私の巡礼の第一歩は、平戸のフランシスコ・ザビエル記念聖堂から始まった。そこで、参道といい公衆トイレといい、見事に掃き清められた様子を見た。どこの宗教施設でも見たことない、軽やかで明るい清々しさであった。
     伝来以来400年の時の長さと、その後250年の長きにわたる弾圧の歴史はもちろん承知している。だが、私が最も衝撃を受けたのは、「今ここを、心をこめて丁寧に掃いた人が確かにいる」という実感であった。
     その実感は、翌日探し当てて訪ねた枯松神社でも同じであった。隠れキリシタンの伝説の指導者を祀ったとされる異例の“神社”は、人里離れた山の奥に隠れて建っていた。そこも、やはり誰かの手で掃き清められ、人の姿は見えなかったが、「ミヤモト」と名の入った箒が石灯籠に立てかけたままになっていた。

     ザビエル聖堂で、入り口の扉を開けると、中は無人でしんと静まっていた。目に入ったのは木でできた献金箱がひとつ。反射的に私は、ポケット中の硬貨を全部握りしめている。大小十何枚かをザラリと入れた。ざらざらザラと余韻が響く。
     そんなことをしたからといって私は信者なワケじゃない。それに弱い心の持ち主だし、たぶん今でも悪い奴のまんまだ。

     けれども、「神様はみていらっしゃいますよ!」という半世紀近く前の声が、そのときの私には、聞こえた気がした。

  •  「沈黙」、「女の一生〈1部〉」、「女の一生〈2部〉」を読んでこの本の存在を知った。

     長崎には以前行ったことがあり、遠藤周作さんの本を読んでから行けば有り難みも違ったなと思ったけど、全く行ったことがない場所よりは興味を持ったり想像したりしやすくて、ところどころGoogleマップで大まかな場所を確認しながら読んだ。

    P102『いいえ。あなたは少しも汚れていません。なぜならあなたが他の男たちに体を与えたとしても…それは一人の人のためだったのですもの。その時のあなたの悲しみと、辛さとが…すべてを清らかにしたのです。あなたは少しも汚れていません。あなたはわたくしの子と同じように愛のためにこの世に生まれてきたのですもの』

    ↑ 1回読んだ文章だけど、病院の待合室で読みながらまた泣きそうになった。

  • キリシタンの歴史と信仰には以前から興味があった。遠藤周作の『沈黙』も印象深く心に残っている。しかしまだ長崎を訪れたことはなかった。この夏、2,3日滞在できる予定で、その予習のために読んだのが本書。

    多くのガイドブックにも世界遺産候補の教会群などは紹介されている。しかし本書には、地味ながら、遠藤が心に留め、作品に留めたスポットが紹介されている。ぜひ、いくつか作品を読んで(読み直して)長崎に向かいたいと思う。

  • これはガイドブックではありません。遠藤周作の著作である「沈黙」「女の一生」「切支丹の里」に出てくる土地や建物を巡礼地として巡り、作品の抜粋を載せています。ハウステンボス⇨ランタン祭⇨軍艦島という観光はしましたが、殉教地としての長崎もあったのですね。今一度、長崎を訪ねたくさせる一冊です。五島列島の巡礼地が少ないのは残念でした。

  • 長崎を訪れる予定があることと、最近、遠藤周作の「沈黙」を読んだこともあって手に取った一冊。
    遠藤周作の著作の一部分の引用と、その舞台となった場所の写真が並べられているだけで、全体的に遠藤作品を切り張りをしただけ、という印象を受けた。
    これだったら小説やエッセイの著作を丹念に読んで、現地の地図やガイドブックと照らし合わせたほうが気持ちがふくらんでよかったかなぁと思う。
    遠藤周作の小説の舞台となった場所を効率的に観光したい人にはちょうどいい一冊かもしれない。

  • 長崎三部作「沈黙」「女の一生1,2」をまだ読んでいないながらも、わかりやすい手引書でした。遠藤周作記念館も行ってみたいなぁ・・・。

  • 長崎が好きな私はこの本を持って2週間くらい長崎を訪れたい。それがひとつの夢。

  • もう一度長崎に行きたくなりました

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著者プロフィール

1923年東京に生まれる。母・郁は音楽家。12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。50~53年戦後最初のフランスへの留学生となる。55年「白い人」で芥川賞を、58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞を、66年『沈黙』で谷崎潤一郎賞受賞。『沈黙』は、海外翻訳も多数。79年『キリストの誕生』で読売文学賞を、80年『侍』で野間文芸賞を受賞。著書多数。


「2016年 『『沈黙』をめぐる短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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