オープン・シティ (Shinchosha CREST BOOKS)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901387

感想・レビュー・書評

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  • 人がある街を住処とするとはどういうことだろうか。
    特に当てがあるでもなく街をそぞろ歩くにつれ、徐々にわいてくる愛着というものがある。
    同じ道を歩いていても、どこかに発見があるものだ。なめるように歩くうち、馴染んだはずの街角に、ふと新しい顔が覗く。昨日は咲いていなかった花の香りがするかもしれない。新しく引っ越してきた人の気配がするかもしれない。
    旅先で歩くのも物珍しくて楽しいけれど、住み慣れた街の散歩には、独特の魅力がある。
    日常としての散歩のリズムは、思考を遊ばせるのにも最適だ。集中して、論理立てて考えるのではなく、ふと思い浮かぶ、忘れかけていた事柄に再会するのもまた、散歩の楽しみともいえるだろう。

    主人公はニューヨークに住む精神科医である。
    ふとしたきっかけで、彼は黄昏時の散歩を日課とするようになる。
    逍遥しながらあれやこれやと思いを馳せる。
    故郷のこと、家族のこと、友人のこと、過去の恋人のこと。
    それらがニューヨークの景色と混ざり合い、心象風景を描き出す。
    ここに描かれる詳細なニューヨークは、街をよく知る人にはおそらくその通りの姿なのだろう。一方で、どこの街であってもよいような無国籍な雰囲気も漂う。
    それは主人公、ひいては著者自身がナイジェリア出身であることにもよるのかもしれない。
    彼がもしも東京を選び、東京に住んでいたならば、やはり同じようにそぞろ歩き、あれこれと想起していたのではないだろうか。

    表題の「オープン・シティ」には2つの意味があるという。
    1つは、「開かれている」「オープン・マインド」といった意味合い。
    もう1つは、「無防備都市」「非武装都市」といった意味合い。非武装宣言することで侵略軍に降伏して破壊を免れた都市を指す。
    舞台となっているニューヨークは9.11を経験した後である。その街に対して「無防備都市」というのはいささか皮肉なようにも思うのだが、このタイトルが読者に思い浮かべさせることも含めて、著者の思惑なのかもしれない。

    主な舞台はニューヨークではあるが、そこにはとどまらない。ブリュッセルやナイジェリアもまた描かれる。
    主人公はただ歩いているばかりではなく、さまざまな人々とも出会い、交流する。
    国をまたいで移動する彼の姿はコスモポリタン的でもある。彼が交わる人の中には、人種差別的な経験をした人もある。
    人々は移動し、世界は揺れ動く。多民族都市に住む、多くの孤独な人々。伝統もしがらみも彼らを縛らない。けれども彼らが得る自由は、彼らが夢見た自由とはどこか異なる、ざらつきを伴うものであるようだ。

    読み進めながら、主人公がニューヨークに住むナイジェリア人ということで、彼が「虐げられる側」の人であると知らず知らずのうちに思い込んでいた。
    けれどもことはそう単純ではない。
    もちろん、彼は医師でありエリートであるのだが、それだけではない。終盤で、彼は昔の悪事について糾弾される。そして物語は不穏な幕切れを迎える。
    ラストの解釈はなかなか難しいが、彼が過去に犯した悪事は、MeToo運動を思い起こさせるものであり、現代社会の歪みを映しているようでもある。

    巻末の解説によれば、著者は写真家でもあるそうで、そういわれると全体に映像的な印象も受ける。ニューヨークの街角の風景もそのまま映画になりそうである。

  • 主人公のいけ好かなさにうんざりしながら、第二部の「私は私自身を探った」というエピグラフを頼みに読み進んだけれど、彼は最後までいけ好かなかったしそのまま生きていくようだった。どうぞそのまま自分の縄張りの中で教養と知性に満ちた暮らしを続けてくださいという気持ちになった。

    なにがいけ好かないかというと、いい年をして謎の万能感に基づいて他者をジャッジするところ。自省のなさも気味が悪いが、彼が明らかに間抜けに見える描写は数か所あるので、彼が自分自身を覗き込む要素は意図的に作品から除外されているのかもしれない、とも思う。でもそれって作者はどういう効果を狙っているんだろうか?そこを描かないのって怠慢なのでは?特段に魅力的でないキャラについていろいろ考察する義理は自分にはないので、もう考えないけれど。

    土地の歴史や悲しみについて、排除される人たちの言葉について、21世紀の狭くて混乱した世界について美しい文章で書いてある。でもわれわれに不足しているものがさらにごっそり抜けていそうな語り手のすてきな言葉をどう受け止めたらいいんだろう。「せめて自分のお尻を拭こうと試みてから言ってくんないか」とは思った。反対に「中途半端な自分語りは抜きでお願いします」でもいいかもわからない。

    リセ=アンが彼女になった研究者の人、「友人」とだけ呼ばれるのって何か意味があったのかな?これから感想書く人だれかお願いします。

  • ニューヨークで暮らすナイジェリア系ドイツ人移民で精神科医のジュリアスの目を通して、風景と移民の記憶が重なり合い、都市に生きる人々の営みが立体的に描かれる。そこには隠しきれない支配や暴力の歴史、見解の相違も見え隠れする。

    内省的で静謐な眼差しは「知的」なようで、私には傲慢に感じられ、鼻につくような不愉快さがあった。過去に関わった少女たちへの眼差しは特に。

    人間の内面は複雑だ。なにかに出会い、別れ、常に揺れ動く。
    複雑なものを複雑なままに受け入れる。

  • ふむ

  • 街を遊歩しながら、そこに積もる歴史に思いを馳せ、マイノリティの声を傾聴する語り手。しかし「かつての同級生の姉」との再会により、自己を通じてしか世界を認識できない事を思い知る(という事だと私は思いました)。

  • 勾留施設にいた若者のアメリカに来た経緯の話が壮絶だった。自分にとって現実的ではないけれど、彼にとっては現実だ。世界は広い。
    出てくる人物の思慮深さに自分はあまりに幼稚だと思った。

  • この本を読んで思うのは、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』にも共通する、2001年の同時多発テロの余波についてだ。正直言うと、時代の影響や空気を強く受けすぎているためか、評判は良いようだが、私個人としては面白い話ではない。むしろこうした小説は日本の私小説に近いような気がする。文学的な価値よりも史籍的な価値の方が高い印象が強く、その時代の空気を知りたい人向けの書籍ではある。もちろん、技法に拘泥せずストイックに体験を書き連ねることはとても良いのだが。ゼーバルトに近いのは非常によくわかる。

  • 表題はアメリカ合衆国のことだと思う。表紙に描かれている鳥のように様々な地域から人間がこの地にやってくる。主人公は夕暮れを好んで散策する。偶然に出会った、同じ肌の色のアフリカ系の他人に「今私がここにいる理由」を告白される。実にうまい構成だと思う。その国に産まれたというだけで、理由なく迫害されたり内戦で住む場所を失ったり。読んでいて結構しんどい内容だ。これを前面に押し出した書き方の場合、自分は手に取りたくないと思うが、そこはうまいことケンタッキーのチキンポットパイのように加工して作ってある。

  • 主人公がグダグダと精神的マスターベーションをしながら散歩するところに共感した。自分もそれをよくやるので。自分に対して自分をよく見せようとする語りがいけすかなくて心地よい。

    主人公にまつわるある事実が明らかになってからが、ますますおもしろく、それもう少し早い段階で明かしてもらえたらもっとおもしろく読めたのにと思った。
    自分の過去をいいように改ざんしながら生きている人間の哀れさや惨めさに、同様に生きる人間として救われる思いがした。

  • ニューヨークの徒然草もしくは枕草子。社会問題や文化的要素などニューヨークを散歩しながら、色々と言及。

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