五月の雪 (Shinchosha CREST BOOKS)

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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901370

作品紹介・あらすじ

目を細めると、今も白い雪山が見える――。米国注目のロシア系移民作家が描く、切なくも美しい9篇の物語。同じ飛行機に乗りあわせたサッカー選手からのデートの誘い。幼少期の親友からの二十年ぶりの連絡。最愛の相手と死別した祖父の思い出話。かつて強制収容所が置かれたロシア北東部の町マガダンで、長くこの土地に暮らす一族と、流れ着いた芸術家や元囚人たちの人生が交差する。米国で脚光を浴びる女性作家による、鮮烈なデビュー短篇集。

感想・レビュー・書評

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  • 短編集。ロシアの極東の町マガダンを中心に、緩やかに繋がる9篇。
    前から気になっていた、僻地と言えるほどモスクワから遠い東の地域の暮らし。物語の舞台が1958年から2012年ということで、その地にあったシベリア強制収容所は過去のことだ。
    様々な世代の生活ぶりや考え方から、時代が透けて見えた。

    「イタリアの恋愛、バナナの行列」
    もともとソ連に行列のイメージは強かったけれど、あんな風に複数の行列を同時に梯子していたとは。結構親切というか、お互い様精神なんだなと感じた。

    「皮下の骨折」
    アメリカで暮らすロシア人が、友人からの電話をきっかけに自身の若い頃を振り返る。
    今いる場所に満足しているとしても、郷愁を感じるのはまた別の話で、寒さの厳しいその町を、その過去を、愛しく思う。

    「イチゴ色の口紅」
    物語の中で一番古い、1958年の話。軍人の夫について極東にやって来た新妻の奮闘。
    印象的なのは、「この家族はソビエト経済の一つの細胞をなしている。」という考え。
    私が思い描くソ連の精神そのもので、本当にそういう意識が浸透していたんだなと思った。

    「上階の住人」
    家族のことや同じ学校の男の子への恋心に悩む少女に、有名歌手との思い出を語る祖父。
    締め付けの厳しかった時代でも人々を夢中にさせた歌手に思いを馳せると同時に、少女の揺らぐ気持ちが鮮やかに感じられて、ある夜のひとときの話なのにこれだけで映画を一本観たような充実感だ。

  • スターリンの強制労働収容所の囚人たちの玄関口であった
    オホーツク海北部の町マガダンを故郷に持つ人々、マガダンを離れてもっと幸せな生活を得たいという願いと、離れた後の現実の生活との隔たりに悩みながら生きて行く九つの物語。
    「クルチナ」では、フェアバンクスに嫁いだ娘スヴェータの許を訪れたマーシャが娘の演じる可愛い妻の役割を不憫に思いグリーンカード取得を祝うパーティーで孫娘のカーチャとクルチナを歌う。
    「クルチナというのは「悲しみ」を表す古語だが、日常の悩みにありがちな、いわば普通の悲哀や落胆を意味するのではなく、むしろ実存的なとでも言おうか、 女の運命として消えることのない悲しみだ。たとえ幸福の絶頂にあっても、クルチナが去ることはない。」この言葉が「五月の雪」の物語の背景曲として流れているように感じられた。

  • 表紙と装丁に一目惚れして買ったクセニヤ・メルニク『五月の雪』読了。かつて多くの強制収容所が置かれたシベリアの町マガダン。その役割を終えた後も人々は残り住み、家族という絆を連綿と紡いだ。時に一員が去り、時に死に、時に入れ替わりが生じてもー。戦後からソ連崩壊前後までを描いたゆるい連作短編集。

    一編一編は正直に言うと、かなり苦手だった。日常に不満を感じているのに、少しでも夢想しようものなら現実に引き摺り戻される登場人物が居た堪れない、と思いきや、彼ら自身も(全員ではないが)結局デモデモダッテで何も行動を起こそうとしない。

    何も起きないロシアの町の喜怒哀楽を描いている、と言えば聞こえはいいけど、とにかくそれが苦しくて仕方がなかった。せめて一度は選択して欲しかった。足掻いて欲しかった。結局作者が皿に乗せた「これぞロシア」を口にできる訳でもなく、ボーッと傍観させられているような。各キャラの心の中の結晶が欠けたり、組み替えられたり、細かな変化はしているのは分かったけれども、全く感情移入ができなかった。

    ただ、最後に各編が緩く繋がっている事に気付くと、印象はガラリと変わる。描かれているのは個人の話のように思えて、壮大な一家の歴史だった。点と点が繋がり、曖昧ながらも美しい像を描く。その中でもがく祖母が、母が、子が、愛しく思える、そんな不思議な一冊だった。

    「イタリアの恋愛、バナナの行列」ーまだ西欧の物が手に入り辛かった時代。イタリアのサッカー選手に口説かれた私は、恋と家族を天秤にかけー。「皮下の骨折」ー順風満帆なアメリカでの生活を得た私と、全く同じ町で生まれ育ちながらも、不遇に見舞われてしまう友人と。「魔女」ー偏頭痛に悩まされる少女は魔女の下へと向かう。「イチゴ色の口紅」ー早く結婚してイチゴ色の口紅を気兼ねなくつけたかった私はー。「絶対つかまらない復讐団」ー少年はマガダンの復讐団結成に思いを馳せる。気が散ってしまう、こんな簡単な行進曲も弾けないなんて。「ルンバ」数十年に一度の逸材を見つけたダンスコーチは少女にだけ甘い。終いにはー。「夏の医学」ーどうしても医者になりたかった少女は仮病を使い祖母の病院に入院するもー。「クルチナ」ーアメリカ人の男の下に嫁いだ娘が気がかりで、ついには渡米したおばあちゃん。「上階の住人」ーマガダンが誇るかつての大歌手の人生。

  • 小川高義さんが訳したあたらしいロシア系米国作家の物語、読まないわけにはいかない。
    ロシアの、その名を聞く人が聞けば「ああ…」と思い当たるいわくのある小さな町。そこに暮らし、かつて暮らしていた人たちの物語の連作集である。
    一篇、二篇、と読み進めていくにつれ、さっき読んだ物語の登場人物が顔を出す。さっきはさらりと出ていたその人の若いときであったり、すっかり年を取ったときであったり。そうして幾人もの人々それぞれに物語があったのだと気づく。
    著者はラヒリの作品に出逢い、「カレーとボルシチという違いはあっても」深く共鳴し、本作を書きはじめたという。なるほどと思わせる味わい。
    まだ若い作家だが10年をかけて本作を完成したという。これからどんな作品を生み出していくのか、楽しみにしたい。

  • 作者の生まれたマガダンという町。ロシア北東部といっても、広大なロシア連邦のことだ。どこだろうと思って地図を開くと、意外に日本に近い。オホーツク海に面した港湾都市。カムチャッカやアラスカという地名がよく出てくるはずだ。マガダンにはソ連時代に収容所があった。流されてきた文化人や芸術家が釈放後もそのまま居つくことがあって、地方都市ながら、極北の地ではあっても、文化的には恵まれていたのだろう。

    医師となった祖母オルガ、父を捨てて地方の文化人であった男と出て行った母マリーナ、航空関係の仕事に就き、まずはアラスカへ移動、今はロサンジェルスで引退生活を送る父トーリク、有名なテノール歌手の支援者でもあった祖父、といった家族の一人一人を視点人物にして、作家自身と思しいソーニャの家族とそれを取り巻く友人、知人を含む一種のファミリー・ヒストリーを、短編連作小説風に仕立て上げたのが、『五月の雪』だ。

    連作と書いたが、人物も時間も直接的につながっているわけではない。しかし、よく読んでゆくと、ああ、これはあの作品に出てきた彼女のことだな、と分かるように書かれていて、再読時には、あれやこれやがつながって完全なジグソー・パズルの絵柄が浮かび上がってくる仕掛けだ。

    例えば、スキーの事故で骨折したトーリクが黒海沿岸の保養所に出かけたとき、出会ったのがマリーナ。回想視点で書かれた、この時の話が「皮下の骨折」(2012)にある。現時点で父と母は別居はしているがよりは戻っている。一方、上階に住むテノールの歌手のことを祖父が回想する「上階の住人」(1997)では、母は家を出、映画監督に部屋で同居中だ。父が何かとそれについて愚痴るのだが、相手の男は腐しても、母のことはまだ恋しいらしく、何やらおかしい。

    時間の順序が前後しているので、初読時は人物相互の関係がよく分かっていない。全く関係のない別の短編のつもりで読んでいる。むしろ、そう読んでもらいたくて、この並び方にしたように思われる。というのも、作家の分身であるソーニャはまだ若く、物心ついた時にはアメリカに移住している。語るべき素材は、家族から伝え聞くロシア時代の暮らしがほとんどである。しかも、母方の祖母には祖母の、父方の祖父には祖父の別の暮らしがあり、語るべき事柄は無数にある。

    外国文学を読む面白さの一つに、自分の国とは異なる自然や食物、料理といった日常生活の細かなあれやこれやにふれる喜びがある。近くて遠い国という言葉があるが、ロシアもその一つだろう。しかも、社会主義時代のソヴィエト連邦は「鉄のカーテン」が敷かれていて、暮らしはおろか、何も知ることができなかった。同じように中国からアメリカに渡ったイーユン・リー、あるいは、著者が影響を受けたジュンパ・ラヒリら移民としてアメリカに渡った作家の作品には、故国に対する割り切れない感情が滲む。

    クセニヤ・メルニクには、リーに見られるほど政治的な問題意識は感じられない。収容所の存在も、どちらかといえば懐古的に語られる。それよりも問題は物不足の方だ。「イタリアの恋愛、バナナの行列」(1975)は、そのものずばり。モスクワの叔母を訪ねたターニャが、飛行機で乗り合わせたイタリアのサッカー選手に誘われたデートに出かける途中、見つけたバナナの行列に並び、時間に遅れてしまう。そのバナナも空港で見失うという、花より団子、虻蜂取らずの両主題をそつなくまとめた一篇。

    一線を退いたダンス教師が、一人の若い生徒に才能を見出し、夢中になることで、失いかけていた若さや情熱を再び手にする姿を描く「ルンバ」(1996)も、ファミリー・ヒストリーの周縁に位置する物語。若い才能に入れあげた教師の思いが、思春期の娘の反抗心や好奇心に翻弄される滑稽さを描く、古典的といってもいいストーリーだが、ルンバのラテン的な情熱が、どちらかといえば沈滞し、陰鬱なロシアの極東地帯の田舎教師を一時的にせよ、奔騰させる。その娘アーシャの母が、ソーニャの父トーリクの親友トーリャンの初恋の人、というから、スピン・オフを見ているような気分だ。

    ソーニャが主人公として活躍する唯一の作品が「夏の医学」(1993)。おばあちゃんのような医師になりたいという夢を持つソーニャは、ある夏のこと仮病を使って祖母のいる大病院に入院する。好奇心剥き出しの少女が、仮病のばれていることも知らずに、医師や看護師との間で繰り広げるやり取りが、何とも狂騒的で、なるほど作家になるような少女というのはこんなことを考えているものなのだな、と納得させられた。

    余談だが、ロシア人は本当にボルシチが大好きなのだな、と改めて思った。何かというとボルシチが出てくるからだ。やはり、寒さゆえだろう。アメリカに来てもパーティとなると大鍋でボルシチを作る。まあ、アメリカといってもアラスカのフェアバンクスだから、ロシアと緯度は何ほども変わらないのだが。結婚してアメリカに移住した娘の家を訪れた母が娘夫婦に感じる違和感を描いた「クルチナ」(1998)は、移民として母国以外の国に暮らす娘を思う親心を描いて胸に迫るものがある。

    親の願いでピアノの前に縛りつけられている少年の胸中を描く「絶対つかまらない復讐団」、医者でも直せない偏頭痛を直してもらうために魔女に家を訪ねる少女の思いをつづった「魔女」と、子どもの気持ちを描かせると俄然文章に生き生きしたものが宿るのは、著者が1983年生まれ、とまだ若いせいか。しかしながら、祖父母の世代、父母の世代の考え方や感情の揺れなど、巧みな筆使いで描き分ける力量も備えている。将来が楽しみな書き手の登場である。

  • ぼんやりと照らされるように赤い記憶が漂う

  • ロシアの極東の町マガダンにおける時代と歴史、人間模様。

    素敵だった。

    連作になっているものもあり、時計の針がグルグル回るように様々な時へ運ばれる。

    人々の生活と心の陰りが染み出してくる。

    その中で瞬くもののひとつひとつが哀しげで、でも優しく力強くキラキラしている。

  • ロシアの現実と幻想がいい感じに混じっている。

  • 二編目の冒頭でロシア時代の親友が20年ぶり位に電話してきて、その人とわかっていて出ない。

    わかりすぎる。


    この本が私にとってそうなんだ。

    雪深い場所で生まれ、人々は生活にいっぱいいっぱいで余裕がなく、自分を好きになれはしないし他人に優しくなんかできない。ほっこりなんて言葉は存在しない。わかりすぎる。

    そしてもう蓋を開けたくないんだ。
    四編め、些細なことでもう全て終わりにしたい、でもやっぱり、と思い返す。あかべこのように連打でうなずく。
    そういう雰囲気じゃない明るいユーモアある作品は楽しく読めた。

  • 文学

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