- Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105090074
感想・レビュー・書評
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再読。砂の上に動物が残した辛く苦しい足跡の中に、作者が硬い筆で書く一語一語の滴下がいっぱいに溜まっている。
舞台はカリブ海に面したカルタヘーナの町。物語は、女中と一緒に市場へ行った少女が犬に噛まれる場面から動き出す。二つの対立する力が邂逅し、熱が散らばり裏返っていく糸模様。突発的な感情で後先を考えずに行動に移すものを「愛」とは呼ばないこと。悪趣味と悪運は連動していること。作者の考える悪運をもたらす迷信、こだわり、嗜好が交錯する酷烈な写実小説として、切れ味を持つ言葉と反省的に向かい合い、鋭く反応しようとした。 -
壮絶な小説だ。一貫して追求されされているのは愛なのだが、それはついに双方向性を持ちえなかったし、不可能性においてしか描くことができなかった。小説世界は18世紀半ばのラテンアメリカを舞台に展開するが、この地を植民支配していたのがアングロアメリカのようにプロテスタントであったなら、こうはならなかったのではないかと思う。しかも未だ異端審問の跳梁跋扈するスペインの、しかもブルゴスでありアビラなのだ。物語は世俗支配と宗教支配を否応なく受け入れざるを得なかった、この地に生きた人々の錯綜した情念を掘り起こしてゆく。
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本書はバカバカしい迷信や誤解が いかにして無実の人を悪霊憑きにおとしめて破滅させてしまうかを読者に見せたいのだと感じた。
周囲のシエルバ・マリアへの誤解が重なって日に日に彼女が悪霊憑きにされていく様子が怖い。中世のキリスト教って俺からすると妄信の世界だから、このストーリーを展開するには絶好のシチュエーション。
自分は誰もが求めることは自分が理解されることであり、 「愛」=「理解すること」という信念を持ってるので、迷信、誤解を超えて、人を真に理解し救いを与えるものが 「愛」なんだとマルケスは伝えたいのだと思った。
デラウラ神父のメランコリックな恋が辛い。父親の公爵の孤独は100年の…に通じるものがある。容易に救いを与えないのがガルシアの本の特徴かも。
「わが悲しき娼婦たちの思い出」にある"この世界を動かしてきた抗いがたい力が幸せな恋ではなく、報われなかった恋だということに気づいた"が、この本でもテーマの一つかもしれない。しかも報われない理由は、ささいな誤解であったり、単に真実を知らなかったこと。それを知らなかっただけで、まったく不幸のままに死ぬ人がいる。 -
愛を知ったお父さんが悲しすぎる。
読み終えてから、タイトルの意味がじわじわと来て考えさせられる。
マルケスの本は読み終えてからもずっと考えてしまう。 -
古本で見つけて読んでみた。さすがガルシアマルケス。読ませるよね。ラテンアメリカの暑苦しさ、閉塞感、百年の孤独ほどのスケール感はないにせよ、引っ張られる。
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【読了メモ】(141217 20:03) G・ガルシア=マルケス、訳: 旦敬介『愛その他の悪霊について』/新潮社/1996. May 30th/狂犬病、22m11cmの赤銅色の髪の侯爵令嬢シエルバ・マリア、彼女の父母、司教、修道院長、デラウラの愛。とにかくヘビー。/DEL AMOR Y OTROS DEMONIOS by Gabriel Garcia Marpuez
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凡百の作家とはわけが違う。
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新潮社が2006年から刊行している「ガルシア=マルケス全小説」の7作目。
作品が発表されたのは、1994年で、『わが悲しき娼婦たちの思い出』の10年前である。
小説の冒頭にガルシア=マルケスの書いたはしがきがある。
1949年、彼が駆け出しの記者だったときに、クララ修道院の地下納骨堂で遺骨撤去が行われるというので取材に行った。
そこで見た遺体の少女の伸び続けていた髪や幼い頃祖母から聞かされていた民間伝承の話が本書の源になったという。
そんな前書きを読まされてからはじまる小説の冒頭には、すでに不穏な気配がたちこめている。
市場に迷い込むように現れた、額に白い斑点のある犬が、四人の通行人に噛み付くが、この犬が狂犬病であったのだ。
シエルバ・マリアという12歳の公爵の一人娘もこの犬に足を噛まれた。
そのうち、少女は狂犬病を発病したが、人間の狂犬病は、悪魔の策略であることが多いと司祭は述べ、父親は娘をクララ修道院に預ける。
悪霊に憑依されたことにされたシエルバ・マリアと悪魔祓いを命じられたカエターノ・デラウラの儚い愛。
さすが、ガルシア=マルケス 読まされてしまう。
少女は誕生日会のお祝いのための鈴の飾りを買いに、女中と市場に出かけ、狂犬病の犬に噛まれたのだが、このシエルバ・マリアという少女は貴族の一人娘にもかかわらず、母親には毛嫌いされ、父親には関心をもたれず、屋敷から追い出されて、女中たちの住まいで育てられていた。
この母親たるや、策略を持って公爵に近づき、平民の身分で公爵夫人に納まったものの、娘への愛情のかけらもなく、男狂いのこれほどの愚母はしらないというほどの人物として描かれている。
父親の公爵も歪んでいて、娘が狂犬病になるまでは、娘のことなど一切顧みず、最初の恋は隣の精神病院にいる女だったが、いつまでもこの女は公爵のまわりをうろうろしてる。
母親は娘に全く愛情を持っていないので、自分たちの娘が狂った犬ころにうつされた病気で死ぬのには我慢できなかったが、娘が死ぬのはどうもないようで、この家族は、信じられないほど家族ではない。
狂犬病は、発病すると死亡率は約100%で、精神症状も現れるので、その病態を悪魔憑きと結びつけた事例や歴史はあるのかもしれない。
それらの歴史的素地のことは知らないが、この小説の極めて不幸な少女は、短い命を終える前に、生まれてはじめて、心を許せる好きな相手にめぐりあう。
小説の最後はふたりの運命の末路は描かれているが、とにかくこの小説の登場人物たちは心を合わせることが出来ない。
そして、それが唯一できた若い二人にガルシア=マルケスが割いた頁はあまりにも少ない。
額に白い斑点のある犬は、不幸を運んできたのだろうか。
吊るされた犬も人間もなにもかわりはしない。孤独なのだ。