愛その他の悪霊について (新潮・現代世界の文学)

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  • Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105090074

感想・レビュー・書評

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  • 18世紀コロンビアの白人社会。カリブ海から奴隷を乗せた船がカタルヘナの港へ辿り着く。その奴隷の多くは長くは生き延びられなかった混沌の時代、高く売られるために蜜を塗られた美しい乙女が登場するシーンが物語の幕開けにふさわしい。
    親にかわまれずに育った公爵の娘が、誕生日会の直前に狂犬病の犬に噛まれてしまう。それがいつ発症するのか、体の中に爆弾をかかえながら、公爵によって悪霊を追っ払うために娘は修道院送りになってしまう。
    高貴な生まれながらも幼い頃から黒人の召使たちと共に育った娘は修道院の奴隷たちの言葉を理解している。娘の奇異な行為に修道女たちから興味を持たれながらも悪魔憑きとして娘は牢に入れられる。
    このあたりで読者はだんだん分からなくなる、彼女が抱えているものがなんなのか。もはや狂犬病でも悪霊でもどっちでもよくなる、彼らが生きる世界、狂女が歌ってるのが聞こえる環境、日常的に周囲に狂ってる人間がもはや多すぎてこの社会では「くるう」というのはそんなに大したことじゃないのかもしれない。
    果たして、この物語の主役は誰なのか? 狂犬に噛まれたシエルバ・マリアなのか、しかし彼女が何を考えているのかは全く言及されないまま、娘を取り巻く登場人物たちのそれぞれの人生が描かれるばかり。惚れた男が牢に囚われる女に通って関係を持つというのは物語の王道を行く。スペインからの迫害を逃れてきたラテン語を話す知的なユダヤ人の医者と、神の道に疑問を持つ神父のふたりが蔵書によって心が通いあうところは本好き読者へのサービスシーン。
    悪霊は人間に取り付くものではなく、環境の影響から人間の内部に沸き立つものであることに、読者は徐々に気付かされていくだろう。
    公爵の女性関係がまた別の物語を紡ぐ、最初は狂女、雷に撃たれて死ぬ女、ハンモックの寝込みへ襲撃する色情狂、老いた公爵に最後まで面倒みる最初の狂女との罵り合う関係が明らかになる。さらに蜂蜜酒とカカオ、さらに若い男にハマる妻も人間としてユーモラスに描かれていて、娘を修道院送りにしたひどい親たちも実はずいぶん人間臭く、なんだか憎めなくなってくるのである。
    愛は成就されず、成就されるのは愛でないものばかり? いやいや、愛なんてどこにあるのか。人間の欲と人生だけじゃないか、しかしこのタイトルは「愛その他の悪霊について」。あえてそこをガルシア=マルケスは愛として描いたのか。そしてマルケスも逝ってしまった。Rest In Peace.

  • 再読。砂の上に動物が残した辛く苦しい足跡の中に、作者が硬い筆で書く一語一語の滴下がいっぱいに溜まっている。
    舞台はカリブ海に面したカルタヘーナの町。物語は、女中と一緒に市場へ行った少女が犬に噛まれる場面から動き出す。二つの対立する力が邂逅し、熱が散らばり裏返っていく糸模様。突発的な感情で後先を考えずに行動に移すものを「愛」とは呼ばないこと。悪趣味と悪運は連動していること。作者の考える悪運をもたらす迷信、こだわり、嗜好が交錯する酷烈な写実小説として、切れ味を持つ言葉と反省的に向かい合い、鋭く反応しようとした。

  • 壮絶な小説だ。一貫して追求されされているのは愛なのだが、それはついに双方向性を持ちえなかったし、不可能性においてしか描くことができなかった。小説世界は18世紀半ばのラテンアメリカを舞台に展開するが、この地を植民支配していたのがアングロアメリカのようにプロテスタントであったなら、こうはならなかったのではないかと思う。しかも未だ異端審問の跳梁跋扈するスペインの、しかもブルゴスでありアビラなのだ。物語は世俗支配と宗教支配を否応なく受け入れざるを得なかった、この地に生きた人々の錯綜した情念を掘り起こしてゆく。

  • 一般的には尊重され、時には神聖なものとまで思われている「愛」だけれど、マルケスに係ると、その他の訳の分からないものと一括りにして「悪霊」扱いされてしまうらしい。もっとも、この小説に関する限り、愛さえなければ、こんな悲惨な結末にはならなかったと言えるのだが。

    小説の主題は「狂犬病」だ。時は18世紀半ば、本国では文中にも出てくるヴォルテールの活躍 する啓蒙時代であるが、植民地では絶対的権力を持つ教会による異端審問が大手を振って歩いていた。狂犬病患者の異常な振舞いを悪霊の所為と決めつけ、拷問 にも似た悪魔払いのせいで命を落とす者が後を絶たなかった。

    侯爵令嬢マリアは両親に疎んじられ、屋敷のアフリカ人奴隷たちに混じって育つ。十二歳の誕生会を前にした日、買い物に出かけた市場で狂犬に 足を咬まれてしまう。かすり傷程度と思われたが、ある日発病する。侯爵に呼ばれた医師のアブレヌンシオは狂犬病に打つ手はないと告げる。まじないも民間療 法も効き目はなく、娘の衰弱はいや増すばかり。

    教区の司教は噂に心を痛め、侯爵を説得し娘を修道院に預けさせた。悪魔払いを命じられたのは若き神学者デラウラ。修道院に出向いた彼は一目 で恋に墜ちる。少女が狂犬病でないのを見抜いた男は少女を救い出そうと、アブレヌンシオの家を訪れる。彼がそこに見つけたのはペトラルカの蔵書室を上回る 本の山だった。互いの裡によき話し相手を見出した二人だったが、異端の疑いのかかる自由思想家と協議した罪でデラウラは司教館から放逐される。古い地下道 を使って夜毎逢瀬を交わすデラウラとマリア。しかし、ついに発見され、二人は引き離される。

    話の主筋を追えばこうなるが、『百年の孤独』で、その手法をマジック・リアリズムと賞賛されたマルケスである。さすがにケレン味は失せたも のの、その旺盛な筆力は衰えるどころか、ますます重厚さを増し、カリブ海に面した暑熱の町の夢幻的な事件と人々を原色の絵の具に浸した太い筆でたっぷりと 描きあげる。

    まず何より人々の相貌、輪郭がくっきりと浮かび上がる。体を何重にも巻く長い赤毛を三つ編みにしたマリアは、十二歳ながら平気で嘘をつき、 頑ななまでに自分の意志を曲げない。奴隷たちの間にいるときの奔放な彼女とドレスを着たときの優雅なマリアの対比は目に鮮やかだ。侯爵の女たちもそれぞれ に強者揃いだが、特にマリアの生みの母ベルナルダは、男狂いの果てに身を持ち崩し、カカオ粒と蜂蜜酒に耽溺し裸で部屋を歩き回り放屁やら排便やらのし放題 という女怪である。政略結婚に踊らされたこの女の人生だけでも一つの小説になるところだが、作者はその浮沈をあっさりと一筆で描いてみせる。

    意志と感情の激しい女たちに比べると、男たちは憂愁が濃い。万巻の書を読み、優れた知性を誇るアブレヌンシオもデラウラも少女一人を助けら れない。頼みの綱かと思われた貧しい者たちの聖者アキーノ師も、後一歩のところまで来ていながら潰える。ダメ男ぶりを遺憾なく発揮していながら妙に気にな るのが、侯爵家の嫡男に生まれながら意気地も能力もないマリアの父。ハンモックで寝ているところをベルナルダに犯されてマリアが生まれたというのだから情 けない。屋敷中を奴隷の好きなようにされ、寝首をかかれるのを恐れて戦々恐々としているが、マリアが狂犬病に罹ってからというもの、娘への愛に目覚め人が 変わったようになるところが一抹の救いか。しかし、結局それが破滅への道の始まりであるあたり、「愛」が悪霊であることの証だろうか。

    「幻覚のような黄昏、悪霊のごとき鳥たち、マングローブの林の微妙な腐敗臭」の充満する植民地時代ラテンアメリカの空気をたっぷり堪能でき るガルシア=マルケスの小説世界。司教館の図書室、鍵が掛かった禁書の並ぶ棚、結末を封印された一冊の書物、と本好きにはたまらない意匠も用意されてい る。小説好きなら手にとったが最後、読み切らずにはいられない一冊である。

  • 本書はバカバカしい迷信や誤解が いかにして無実の人を悪霊憑きにおとしめて破滅させてしまうかを読者に見せたいのだと感じた。

    周囲のシエルバ・マリアへの誤解が重なって日に日に彼女が悪霊憑きにされていく様子が怖い。中世のキリスト教って俺からすると妄信の世界だから、このストーリーを展開するには絶好のシチュエーション。

    自分は誰もが求めることは自分が理解されることであり、 「愛」=「理解すること」という信念を持ってるので、迷信、誤解を超えて、人を真に理解し救いを与えるものが 「愛」なんだとマルケスは伝えたいのだと思った。

    デラウラ神父のメランコリックな恋が辛い。父親の公爵の孤独は100年の…に通じるものがある。容易に救いを与えないのがガルシアの本の特徴かも。

    「わが悲しき娼婦たちの思い出」にある"この世界を動かしてきた抗いがたい力が幸せな恋ではなく、報われなかった恋だということに気づいた"が、この本でもテーマの一つかもしれない。しかも報われない理由は、ささいな誤解であったり、単に真実を知らなかったこと。それを知らなかっただけで、まったく不幸のままに死ぬ人がいる。

  • 愛を知ったお父さんが悲しすぎる。
    読み終えてから、タイトルの意味がじわじわと来て考えさせられる。
    マルケスの本は読み終えてからもずっと考えてしまう。

  • 古本で見つけて読んでみた。さすがガルシアマルケス。読ませるよね。ラテンアメリカの暑苦しさ、閉塞感、百年の孤独ほどのスケール感はないにせよ、引っ張られる。

  • 【読了メモ】(141217 20:03) G・ガルシア=マルケス、訳: 旦敬介『愛その他の悪霊について』/新潮社/1996. May 30th/狂犬病、22m11cmの赤銅色の髪の侯爵令嬢シエルバ・マリア、彼女の父母、司教、修道院長、デラウラの愛。とにかくヘビー。/DEL AMOR Y OTROS DEMONIOS by Gabriel Garcia Marpuez

  • 凡百の作家とはわけが違う。

  • 新潮社が2006年から刊行している「ガルシア=マルケス全小説」の7作目。
    作品が発表されたのは、1994年で、『わが悲しき娼婦たちの思い出』の10年前である。

    小説の冒頭にガルシア=マルケスの書いたはしがきがある。
    1949年、彼が駆け出しの記者だったときに、クララ修道院の地下納骨堂で遺骨撤去が行われるというので取材に行った。
    そこで見た遺体の少女の伸び続けていた髪や幼い頃祖母から聞かされていた民間伝承の話が本書の源になったという。

    そんな前書きを読まされてからはじまる小説の冒頭には、すでに不穏な気配がたちこめている。
    市場に迷い込むように現れた、額に白い斑点のある犬が、四人の通行人に噛み付くが、この犬が狂犬病であったのだ。

    シエルバ・マリアという12歳の公爵の一人娘もこの犬に足を噛まれた。

    そのうち、少女は狂犬病を発病したが、人間の狂犬病は、悪魔の策略であることが多いと司祭は述べ、父親は娘をクララ修道院に預ける。

    悪霊に憑依されたことにされたシエルバ・マリアと悪魔祓いを命じられたカエターノ・デラウラの儚い愛。

    さすが、ガルシア=マルケス  読まされてしまう。

    少女は誕生日会のお祝いのための鈴の飾りを買いに、女中と市場に出かけ、狂犬病の犬に噛まれたのだが、このシエルバ・マリアという少女は貴族の一人娘にもかかわらず、母親には毛嫌いされ、父親には関心をもたれず、屋敷から追い出されて、女中たちの住まいで育てられていた。

    この母親たるや、策略を持って公爵に近づき、平民の身分で公爵夫人に納まったものの、娘への愛情のかけらもなく、男狂いのこれほどの愚母はしらないというほどの人物として描かれている。

    父親の公爵も歪んでいて、娘が狂犬病になるまでは、娘のことなど一切顧みず、最初の恋は隣の精神病院にいる女だったが、いつまでもこの女は公爵のまわりをうろうろしてる。

    母親は娘に全く愛情を持っていないので、自分たちの娘が狂った犬ころにうつされた病気で死ぬのには我慢できなかったが、娘が死ぬのはどうもないようで、この家族は、信じられないほど家族ではない。

    狂犬病は、発病すると死亡率は約100%で、精神症状も現れるので、その病態を悪魔憑きと結びつけた事例や歴史はあるのかもしれない。

    それらの歴史的素地のことは知らないが、この小説の極めて不幸な少女は、短い命を終える前に、生まれてはじめて、心を許せる好きな相手にめぐりあう。

    小説の最後はふたりの運命の末路は描かれているが、とにかくこの小説の登場人物たちは心を合わせることが出来ない。
    そして、それが唯一できた若い二人にガルシア=マルケスが割いた頁はあまりにも少ない。

    額に白い斑点のある犬は、不幸を運んできたのだろうか。
    吊るされた犬も人間もなにもかわりはしない。孤独なのだ。

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G.ガルシア・マルケスの作品

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