狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

著者 :
  • 新潮社
4.10
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本棚登録 : 536
感想 : 47
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  • Amazon.co.jp ・本 (672ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104774029

作品紹介・あらすじ

戦後文学史に残る伝説的夫婦の真実に迫り、『死の棘』の謎を解く衝撃大作。島尾敏雄の『死の棘』に登場する愛人「あいつ」の正体とは。日記の残骸に読み取れた言葉とは。ミホの「『死の棘』の妻の場合」が未完成の理由は。そして本当に狂っていたのは妻か夫か――。未発表原稿や日記等の新資料によって不朽の名作の隠された事実を掘り起こし、妻・ミホの切実で痛みに満ちた生涯を辿る、渾身の決定版評伝。

感想・レビュー・書評

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  • あまりのぶ厚さに手を出しかねていたが、読み出したらやめられなかった。これは労作にして傑作。「死の棘」の妻島尾ミホの人物像に迫ることで、従来の作品観に敢然と異議を申し立てている。筆者の論は、長期にわたる地道で粘り強い取材に裏打ちされていて、圧倒的な説得力がある。

    「死の棘」が他の私小説から抜きんでた評価をされてきたのは、その前日譚があったからこそではないだろうか。特攻隊長として南の島にやってきた男と、村長の娘である美しい少女との恋。それは予想されていた「死」では終わらず、二人は結婚し、やがて修羅の日々を迎える。

    著者は、そのほとんど神話となった二人の出会いから、事実はどうであったのか、島尾敏雄やミホ、そして周囲の人々が何を思い、どう行動したのかを丁寧に検証していく。まずここが非常に刺激的だ。このときミホは二十五才、東京の女学校を出た後島の代用教員をしていて、決して「南の島の素朴な少女」などではなかった。

    ここを皮切りに、従来定説となってきた解釈に疑問が呈され、語られることのなかった時期の実像が掘り起こされていく。島尾敏雄の愛人のこと、ミホの実父のこと(ミホは実は養女でそのことを語ろうとはしなかった)、養父母への愛着、中断されてしまった長編小説…。次第に浮かび上がってくる姿は、「求道的な私小説作家と、そのミューズ」というイメージからはかなり隔たっている。

    感嘆するのは、そうして二人の実際のありようを(特にミホは書かれたくなかったであろうことを)明らかにしながら、筆致がまったく暴露的ではないことだ。雑誌での著者インタビューなどを読むと、これを書くことにかなりためらいがあり、出版後もなお葛藤があるそうだが、これはやはり「書かれるべき物語」だと思う。本書ではしばしば、「書くこと」「書かれること」についての言及があり、書いたり書かれたりすることで人生が変わっていくことへの、懼れに似た気持ちが述べられている。私はここに「書く人」としての著者の覚悟と誠実さを強く感じた。

    「死の棘」とこれに関連する小説のほとんどすべての内容は実際の出来事であり、島尾敏雄がずっとつけていた日記が「ネタ」だったそうだ。それを知ると、考えずにはいられないのが、当時六歳と三歳だったという二人の子どものことである。「死の棘」に書かれた地獄のような狂態は、幼い二人の目の前でのことであった。小学生のときしゃべることができなくなったというマヤさんは、若くしてガンで亡くなったそうだ。胸が詰まる。
    (私は「私小説」が好きではないが、その理由の一つは、私小説にはしばしばこういう、「自分」だけにかまけて庇護すべき弱いものに無頓着だったり、むしろ進んで害を与えたりする人が描かれるからだ。それが人間の「業」だとは思えない)

    長男の伸三さんは、この本のために取材を申し出た著者に対し、「書いてください。ただ、きれいごとにはしないでくださいね」と言ったそうだ。どうしたらこういう言葉の出る人になれるのか。頭を垂れるしかない。

  • 併読している本が多いことを差し置いても、読了まで一年半もかかった本はこれが初めてかもしれない。
    読み進めていると、みぞおちが痛むような暗い気持ちになって、なかなか進まなかった。島尾敏雄の「死の棘」を読んでいるときもそうだったが、「目の前を過ぎて行くものを目のまえでとらえて記録する」接写的世界観の島尾の文体は、目眩や吐き気を覚える感覚がある。
    物事を仔細に捉える「目」を持つ二人の、「知力も体力もある者同士の総力戦」(長男、島尾信三氏の言葉)を徹底的に掘り下げて、今まで言説されてこなかった真相。読む方も何かを差し出さなければならない気持ちになるような、身を削って書かれた名作「死の棘」と、その主軸となった妻、島尾ミホを巡るノンフィクション。

    誰も検証すらしてこなかったミホを巡る巫女的な見方や夫婦愛の描かれ方に疑念を抱いて、丹念に取材を重ねて得られた新しい見方。そのプロセスをまた詳細に記録していく様。
    「狂っていたのは妻か夫か」
    帯に踊る見出しが、著者の梯氏にものりうつったかのような熱量の文章だった。
    創作の犠牲になって狂っていった小説家の妻を描いた作品といえば、「HEROINES」(ケイト・ザンブレノ)を思い出すが、島尾敏雄とミホは、互いの血肉を貪り合ってるような凄まじい生き様を私達に見せつける。
    作中、ミホの著作にも触れられていたが、断片的に引用されたそれを読むだけで、ミホもまた天才的な書く人でありまた見る人であったことがわかる。
    「小舟に乗った漂流者」、そのようにしか生きられなかった二人。そう思われていた「死の棘」の世界だが、書くこと、書かれることを互いに繰り返しながら生き切った、凄まじい2人の生命の記録だったのだとも思えた。

    • SHE, her.さん
      他の本に手を出しつつだったのもありますが、なかなかしんどい読書時間でした!でも読んで本当に良かったと言える作品です。
      他の本に手を出しつつだったのもありますが、なかなかしんどい読書時間でした!でも読んで本当に良かったと言える作品です。
      2021/11/18
    • workmaさん
      ほ~。
      なるほど。
      いつか、精神的余裕があるときに じっくり取り組んでみたいです。
      ほ~。
      なるほど。
      いつか、精神的余裕があるときに じっくり取り組んでみたいです。
      2021/11/18
    • SHE, her.さん
      是非!コメントありがとうございました。ブクログでコメント頂いたの初めてで嬉しかったです。
      是非!コメントありがとうございました。ブクログでコメント頂いたの初めてで嬉しかったです。
      2021/11/18
  •  「死の棘」本体を読んだとき、「おぞましい自己愛」「夫婦のプレイ」「共依存」などと感想を書いたが、その印象が決して外れていないことを本書で確信した。他者の吐しゃ物をひろげて見せつけられているような嫌悪感には根拠があったのだ。こうした私小説を愛だの宿命だのと賛美する神経が知れないが、梯さんはさすがに冷静だと思う。     
     トシオがかつての教え子(遠藤さん)に吐露したという、「夫婦だからってここまで束縛していいものか」という心情がすべてを物語っている。そうした事態をみずから仕掛けなければ小説を書けなかった人間の性があまりに哀しい。

  • 死の棘を読んでなんの感動も共感もなくて、この本を読めばもっと理解できるのでは?と思ったけど、全然だった。なぜこの死の棘が有名になったのかも理解できない。

  • 序章 「死の棘」の妻の場合
    「戦時下の恋」「二人の父」「終戦まで」「結婚」「夫の愛人」「審判の日」「対決」「精神病棟にて」「奄美へ」「書く女」「死別」「最期」
    島尾敏雄とミホ夫婦についてなんの予備知識なしに読み始めたせいか、最初からふたりの生い立ち、ドラマチックな出会い、結婚生活、その成り行きにいちいち驚いてしまう。「死の棘」って実話?それとも小説?
    敏雄の日記、関係者の証言、ミホ本人からの聞き取り‥今回初出の資料もたくさんあり、「死の棘」未読(!)の私でもこの本の凄さや面白さが分かる。順序が逆になったが「死の棘」を読まなければ。

  • 私は島尾ミホさんの「海辺の生と死」を先に読んでおり、美しい加計呂麻島の自然の中で育ち、終戦間近に島尾敏雄と出会って恋に落ちるミホさんの半生が豊かな感性で描かれる本作に感銘を受けましたもので、
    じゃあ、まあひとつ、「死の棘」も読んでみるか…という感じで「死の棘」を読んだのですが…

    夫婦の正視できないような凄惨な家庭崩壊の図、その昏さに「あー読まなきゃ良かった」と心底後悔したものです。

    加計呂麻島の美しい自然のなかで心が洗われるような清らかな恋…からの目を背けたくなるような地獄絵図…。

    「死の棘」は自分にとっては「イヤミス」ならぬ、「イヤ私小説」でした。

    しかしながら、自分の不貞によって精神を病んだ妻に寄り添い、時には一緒に入院するなど献身が美談とされた「死の棘」。

    でもこれが本当に美談なのか?

    敏雄氏が震災も体験せず、特攻も出撃を翌日に控えて終戦し、小説のネタになるような事が身の回りにないのをコンプレックスに思っていた事や、

    気に入った女がいる時に、わざと日記を読ませるように仕向けて間接的に口説くのが敏雄氏の常套手段だった事などから


    「死の棘」に書かれた家庭崩壊の発端となる日記…これが敏雄氏の企てではないか?
    との推論を掲げて、敏雄氏の生い立ちや交友関係などを緻密に積み上げて論証していったり、ミホさんの方ももちろん、生い立ちや彼女の発言や作品などからパーソナリティを読み解き、「死の棘」を読んだだけでは想像もできない作品の裏の顔を炙り出していくルポルタージュはお見事!

    内容も重厚でしたが、本も重厚で、持って歩くのに苦労しました。
    でも大変興味深い内容で読み応えがありました。



  •  現実がある。小説を書く。現実をなぞって書くのが「私小説」の方法。作家が現実を小説のように生きるとしたら、それは倒錯だろうか。小説に描かれる妻が、作品の主人公として現実を生きるとしたら、それは狂気だろうか。
     戦後文学の、私小説の、ビッグ・ネーム島尾敏雄とその妻の本当の生活はどこにあったのか。
     よくぞここまで踏み込んだものだ。梯久美子の力技に拍手。

  • 梯さんによる終始冷静な視点がいい。ミホさんに実際にお会いして、その独特に存在感を認識しながら決して流されることなく、「事実」を見つけようと考察している。死の棘で言われた「究極の夫婦愛」という理想化された視点ではなくて、なぜそう解釈されたのか、では実際は、と順序だって探っていく姿勢がすごい。ミホさんが生きていた当時に評伝を書かれていたら、きっとここまでの客観性は保てなかったのではないかな

  • 「図書」2019年6月号で梯久美子さんの対談を読んで興味を持った。今自分のテーマになっている「聞き書き」の流れで。
    しかし怖かった…。

  • 渾身の労作であり、評伝として傑作の部類であることは間違いない。
    しかし。。。

    20歳前後の頃に「死の棘」を読み、なんて嫌な話だろうと思い、大嫌いだった。こんな恋愛もこんな結婚も絶対にしない、こんな男に当たったら全力で逃げる!と心に堅く誓って、その通りにした。「死の棘」も二度と読むことはなかった。
    たぶん今読んでも、やっぱり嫌いだと思う。

    ただ、夫婦の共有する時間や事柄は、夫サイド妻サイドでそれぞれに見ているもの、見えるものが違うものだなと思う。最近も『運命と復讐』を読んでその意を強くした。
    それで、ミホ側からはどう見えるのだろうと思ったのだった。

    しかし読めば読むほどやっぱり「嫌な話」で、読むのがしんどかった。やっぱり『死の棘』には共感出来そうもないし、島尾敏雄が作家としてとった立場も創作の方法も、嫌悪ばかりを感じる。
    そして、それを祭り上げた批評家たちはなんなんだ。
    都会からやって来たインテリ隊長と、土着で神秘的でピュアで美しい少女との恋? 
    批評家たちは、なぜそんな図式にあてはめて賛辞を送ったのか。男性批評家たちの勘違い願望としか思えない。やっぱり嫌だ。

    評伝としてはとてもよく出来ている。
    1人の男を(それがどんな男であれ)愛し抜いたミホはすごいな、と思う。それは鬼気迫るまでで、確かに尋常ならざるまでの希有な愛だ。それは賞賛に値するかもしれない。
    しかし、人を愛するとはかくも恐ろしい。

    もう1人の当事者である川瀬さんサイドからも見てみたかった。

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著者プロフィール

ノンフィクション作家。1961(昭和36)年、熊本市生まれ。北海道大学文学部卒業後、編集者を経て文筆業に。2005年のデビュー作『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。同書は米、英、仏、伊など世界8か国で翻訳出版されている。著書に『昭和二十年夏、僕は兵士だった』、『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞、講談社ノンフィクション賞受賞)、『原民喜 死と愛と孤独の肖像』、『この父ありて 娘たちの歳月』などがある。

「2023年 『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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