プラハの憂鬱

著者 :
  • 新潮社
4.02
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  • Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104752089

作品紹介・あらすじ

私が祖国のためにしたことをマサルに知ってほしい。私はもう故郷に帰れないのだから。1986年ロンドン。外交官研修中の私は、祖国の禁書の救出に生涯を捧げる亡命チェコ人の古書店主と出会った。彼の豊かな知性に衝撃を受け、私はその場で弟子入りを願い出た――神学・社会主義思想からスラブの思考法、国家の存在論、亡命者の心理まで、異能の外交官を育んだ濃密な「知の個人授業」を回想する青春自叙伝。

感想・レビュー・書評

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  • 佐藤優氏の外交官研修時代の1年2か月のイギリスでの日々を綴った自伝。古本屋を営む亡命チェコ人との出会い、そして思想、哲学、歴史、言語等、あらゆる影響を受けて物事の見方を深めていく。この自伝を読み進めるなかで、世界について何も知らない読者である私も、複雑な民族の歴史を垣間見ることになる。知的好奇心を刺激される本書でした。佐藤優氏の知識の豊富さに圧倒されます。別の本も読んでみたいです。

  • 著者の外交官研修時代を追体験するような精密な描写には目が離せない。
    小生は「神学」に全く知見は無いが、佐藤青年が知への探究心に充ち満ちていることは本書でよくわかる。官僚としての人生とさまざまなめぐり合い。本書が示唆する人生の機微は実に興味深い。
    小生も我が人生を振り返って、青年時代に著者のような深い考察をカケラなりとも持っていたのかと気恥ずかしい思いを抱いた。本書の続編も楽しみにしたい。

  • 異能の外交官、佐藤優の出発点。古本屋を営む亡命チェコ人との邂逅。それが「知の個人授業」の始まりだった。―26歳、任官2年目。

    私が祖国のためにしたことをマサルに知ってほしい。私はもう故郷に帰れないのだから。1986年ロンドン。外交官研修中の私は、祖国の禁書の救出に生涯を捧げる亡命チェコ人の古書店主と出会った。彼の豊かな知性に衝撃を受け、私はその場で弟子入りを願い出た――神学・社会主義思想からスラブの思考法、国家の存在論、亡命者の心理まで、異能の外交官を育んだ濃密な「知の個人授業」を回想する青春自叙伝。

  • 元外交官、佐藤優氏の著書。氏は同志社大学神学部に
    進学後、研究を続けるために外交官になる。
    外交官になればチェコ語習得という大義名分で
    チェコスロバキアに行けると考えた結果は
    外交官になったものの希望してたチェコ語ではなく
    ロシア語に回されたものの、研修先のイギリスで
    自身の神学の勉強に非常にプラスになる様々な人と
    の出会いがあった。

    本書はその出会った人々について書かれている。
    特に本書の前半部分を占める亡命者である
    チェコ人の古本店主マストニーク氏との
    やり取りはまるで物語かのように運命的な
    ものを感じた。

  • ★3.8(4.00) 2015年3月発行。著者が外務省に入省して2年目にイギリスベーコンズフィールドの陸軍語学学校でロシア語科に留学し、ロシア大使館に赴任するまでの1年2ヶ月間の出来事を記録した自伝。外務省を退官した今だから書ける内容ですね。チェコのフロマートカに心酔し、フロマートカを研究するために、外交官試験を受験。神学的な内容はかなり難しいが、そ例外の内容ななかなか面白いですね。1986年当時、ソ連や英国、それにチェコはこういう国だったのかと。ここまでの内容を書く著者の記憶力、語学力、行動力には敬服。

  • 佐藤優に関しては、鈴木宗男に絡んで背任容疑で逮捕・拘留した時の体験をつづった『獄中記』を読んでその特筆すべき博学と特異な感受性に衝撃を受けた。その後も、自ら目にしたロシアの崩壊を描いた『自壊する帝国』なども素晴らしい著作が続いた。一時期、あまりに多作になったためご無沙汰していたが、「プラハ」という文字に惹かれて本書を購入した。学生時代にソ連崩壊から間もないプラハに行ったのは1993年のこと。カレル橋やプラハ城、教会前の旧市街広場は中世ヨーロッパのたたずまいを保っていて、とても美しい街であった。もちろん有名なピルツナービアも本当においしい。

    本書はそういうツーリスティックなものとは関係なく、同志社大学神学部の学生時代に研究対象としていたチェコの神学者フロマートカに恋した著者が、外務省のロシア語の教育期間でイギリスに赴任したときに会ったチェコ人たちとのつながりを描いたものである。プラハには実際に行くことすらない。しかし、東欧の書籍を扱う古書店インタープレイスのチェコ人店主マストニーク氏とのやりとりが中心となり人の運命というものを感じさせる展開になっている。その記述が実際に起きたものなのかどうかはわからないのだろうけれども、読ませる本になっている。

    時代は1986年から1987年、ゴルバチョフのペレストロイカが始まっていたとはいえ、その数年後に共産圏が崩壊するとは著者含めて登場人物は想定していなかった。マストーニク氏は自身の立場に対する諦念もあってか、ゴルバチョフはソ連を再強化するだろうとすら言っている。そこから起きる事態を知っているものとして読むのが、スリリングな感覚を生むことになる。やはり、この頃の東欧にはそれぞれに大きなドラマがあるのだと思う。学生のときに他のどこでもなく東欧の旅行を選んだのは自分でもぼんやりとながらそういうことを意識してのことでもあった。ろくに語学もできなかったので、そういった事情を深く知ることもなかったのだけれども、やはり東欧には少しばかりの思い入れがある。

    本書の背景でもある佐藤優の神学への拘りを個人的には共有することができないのではあるが、学問に対するストイックさについては、その機会を得ることもできたはずであったのに、自ら手放したような過ごし方しかできなかったという後悔もあり、レスペクトするところである。イギリスで相対したマストニーク氏も、宗教を信じているというよりも理神論であり、チェコ人がその民族的特性として宗教も共産主義も信じていない懐疑主義者であると言っている。一方の佐藤優は「神学を研究し続ければ、世の中の現実を、より現実的に理解できる」という。そういった中でチェコの文化や歴史を尊重することを通して深い関係性が築かれていくのである。

    しかし、15歳の夏休みに「ソ連・東欧を1人で旅した際に、チェコスロバキア・ポーランド、ルーマニア・ソ連の国境をそれぞれ夜汽車で横断したときのことを思い出した」とさらっと書いているが、どういう行動力なのだろうと思った。語学研修時代にIRAのテロ問題も存在した北アイルランドに4回も行ったというのも含めてやはり違うところあるのだと思う。


    ※ チェコ出身の小説家、ミラン・クンデラの小説にはチェコスロバキアという国名が出てこないそうだ。ヨーロッパ人になろうとしながら、チェコ人であることを捨てきれないと分析されている。興味深い。

    ※ チェコに関しては、米原万里が自身が小中学生時代を過ごしたチェコとその後の友人たちの現在を追いかけた『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』も素晴らしい。

    ---
    『獄中記』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4000228706
    『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4043756011

  • 「スロバキア人やポーランド人は、民族主義に命を差し出すことができる。これに対してチェコ人は、自らの民族感情に対しても懐疑的です。これはチェコ人が何も信じていないことと関係していると思います。チェコスロバキア政府の統計によれば、チェコ人の過半数が無神論者です。」
    「共産党政権の政策に添う回答をしているのではないですか」
    「ちがいます。実際にチェコ人の過半数が何も信じていないのです。神を信じないのと同時に共産主義も信じていない。民族主義には宗教的な要素があります。チェコ人は何も信じていないので、民族主義も信じることができないのです」
    「宗教は信じていなくても、人間性の理念は信じているのではないでしょうか」
    「『信じていた』と過去形で表した方がいい。1918年10月28日にチェコスロバキア共和国が建国されたときは、確かに多くのチェコ人は人間性の理念を信じていました。しかし、1938年9月のミュンヘン協定で、欧州民主主義国はチェコスロバキアをナチス・ドイツに売り渡した。ここで自由主義、民主主義に対するチェコ人の信頼は失われました。西側に対するチェコ人の幻滅が、第二次世界大戦後、チェコスロバキアを社会主義に向かわせた。チェコスロバキアは、中東欧において、自由選挙の結果、共産党政権が成立した唯一の国です。しかし、そこでチェコ人が経験したのは、スターリンによる恐怖政治でした。ここで多くのチェコ人が共産主義に対しても幻滅した。その中で、スターリン主義ではない、本来の社会主義を回復することができると考えた人々がいました。しかし、その希望も1968年8月にソ連軍の戦車が『プラハの春』を叩き潰したことによって潰えた。この三重の挫折が、チェコ人の存在論に影響を与えました」
    「チェコ人の存在論?」
    「そうです。結局、人間性というものを信用することはできないという実感です。」

    北モラビアの人たちは、スリボビッツェ(プラムから作った度数50程のブランデー)を好みます。自家醸造している人も多い。スリボビッツェはモラビア人(東部のチェコ人)が好む飲み物です。ボヘミア人(西部のチェコ人)は、強い酒が苦手でもっぱらビールばかり飲みます。スロバキア人はワインを好みます。チェコスロバキアに行って、酒の好みを見ると、チェコ人、モラビア人、スロバキア人の区別がつきます。

    「あなたは、ミラン・クンデラの小説を読んだことがありますか」とマストニーク氏は尋ねた。
    「あります。『冗談』が日本語に訳されているので読みました」
    「いま話題になっている『存在の耐えられない軽さ』は読みましたか」
    「まだ日本語訳が出ていないので、英訳で読みました」
    「どんな感想をもちましたか」

    「僕は、ソ連に連れ去られた後、ドゥプチェク第一書記がラジオで国民に対して呼びかけたところの描写が印象に残っています」
    「私もあの放送のことはよく覚えています。聴いていたラジオの前で、ドゥプチェクの声が十数秒間出てこない状態が何度も続きました。あの沈黙が何時間のようにも感じられた。チェコ人とスロバキア人は、ロシアに対して異議申し立てをしてはならないのだという現実を、ドゥプチェクの沈黙によって知らされたのです」
    (ドゥプチェクはしばらく第一書記にとどまっていたが、その後トルコ大使になり、1年で本国に呼び戻された。西側に亡命してくれればプラハの春は西側の謀略だったと言えるので、本国はドゥプチェクに亡命を期待していたと思うが、ドゥプチェクは亡命しなかったという話が続く)
    「佐藤さん、チェコ人の亡命者は、亡命後、2つのパターンに別れます。第1は、チェコ人という痕跡を消し去り、亡命先に完全に同化しようとする人です。フランスに亡命したクンデラにはその傾向が強い。クンデラの小説にチェコスロバキアという国名が出てこないことに気づきましたか」
    「あなたに言われて、初めて気づきました」
    「クンデラは、プラハの社会主義体制だけでなく、チェコスロバキアという国家自体を人工国家として拒否しているのです」
    「フランス人になろうとしているのでしょうか」
    「フランス人というよりも、ヨーロッパ人になろうとしているのでしょう。しかし、チェコ人であることをどうしても断ち切ることができない。その思いから『存在の耐えられない軽さ』という小説が生まれたのだと私は考えています」

    「中華民国、台湾ではなく中華民国という名前を、私はあえて用いることにします。中華民国の蒋介石総統は、戦争で日本からあれだけの被害を受けたにもかかわらず、『怨みに対して徳をもって報いる』と言って日本に対する請求権を放棄した。その台湾を日本は、共産中国との外交関係を樹立するために簡単に切り捨ててしまった。これは客観的に見て、長年の友人を政治的駆け引きで捨てたということになりませんか。

    ヒトラーの侵略により、チェコスロバキア共和国が崩壊した後、ロンドンにベネシュ大統領を首班とする亡命政権ができました。チェコ人もスロバキア人も、文字通り、命を賭けて大英帝国を防衛した。あのとき、イギリスとチェコスロバキアは本当の友人でした。しかし、1948年2月にプラハで共産党の無血クーデターが起きた。あのときイギリス政府はゴットワルトのクーデターを口先で非難しただけだった。イギリスが本気で影響力を行使すれば、チェコスロバキアが共産陣営に併合されることを阻止できたかもしれない。事実、イギリスは外交攻勢によってギリシアの共産化を阻止しました。客観的に見れば、大英帝国の国益にとってチェコスロバキアよりもギリシアの方がはるかに重要だったということなのでしょう。それは理屈では分かります。しかし、私はチェコ人なので、感情としては受け入れがたい。チェコスロバキアを台湾、イギリスを日本に置き換えてみると、私がなぜあなたに台湾問題をあえて取り上げたのかが、わかってもらえると思います」

    「外部からいくら圧力をかけてもソ連は結束を強めるだけで、解体しない。ソ連解体は内部から起きる。」
    「内部から?」
    「そうです。ソ連に加入するためには、連邦条約に加盟しなくてはならないと定められている。しかし、連邦条約に加盟しているのは、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、トランスコーカサス(その後アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアに分離)の4共和国だけです。それ以外のソ連邦構成共和国は、いずれも連邦条約を締結せずにソ連に併合されている」
    「知りませんでした」
    「ソ連憲法では、連邦構成共和国の離脱権が保証されている。しかし、エストニア、ラトビア、リトアニアは、そもそもソ連に加盟していない。それならば、どうやって離脱することになると思いますか」
    「…」
    「超法規的な形になるでしょう」

  • 私の頭では内容を説明できないけど理解できた気にさせてくれる文章で面白く読める。全然知らないチェコスロバキアの話や友人関係、宗教幅広い内容で満足でき興味を持たせてくれる一冊。

  •  私にとっては結構面白かった一冊です。

     随分まえに、『存在の耐えられない軽さ』を翻訳で読んでみたんですが。日本の私小説的なだらだらした展開に耐えられなくなって、途中で投げ出してしまいました。
    本作を読んで、あああれはそういう意味だったのか☆ということがわかり、すっきりしました。

     本作の主人公マストニーク氏の考え方が私に近い(と思うのも僭越ですが)のも、理由の一つかも。
    マストニーク氏は、日本のことを「大国」だとおっしゃる。大国の人にはチェコのような小国の国民の気持ちはわからないとおっしゃる。日本が本当に大国かどうかはわかりませんが。まあそういうこともあるのかなと思いました。

     ナバホ族系の女性の話も興味深い。しかし、この方の話はちょっと出木杉で、実在した人物かどうか疑わしくなるくらいです。

  • タイトルにはプラハが付くが、佐藤優の外務省ロンドン留学記であり、当時に一緒にソ連崩壊以前の時代のヨーロッパにタイムスリップする様な感覚を味わる本であった。
    そもそもソ連課ロシア語習得にロンドン留学という組合せがユニークであるが、当時の亡命ロシア人との会話からソ連を垣間見る事が出来るのも興味深い。大国に挟まれる社会主義国チェコスロバキアの歴史と境遇は、今のウクライナ問題と重なる点も多く、また英国と北アイルランド問題から見る帝国主義の陰から翻って日本と沖縄の関係性も考えるきっかけになる。
    各国政治主導者が、どう責任ある対応すべきなのか、という意味で、正に今読むべき本だと思った。


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著者プロフィール

1960年1月18日、東京都生まれ。1985年同志社大学大学院神学研究科修了 (神学修士)。1985年に外務省入省。英国、ロシアなどに勤務。2002年5月に鈴木宗男事件に連座し、2009年6月に執行猶予付き有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』(新潮社)、『自壊する帝国』(新潮社)、『交渉術』(文藝春秋)などの作品がある。

「2023年 『三人の女 二〇世紀の春 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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