なぜ君は絶望と闘えたのか

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  • 新潮社
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  • / ISBN・EAN: 9784104605026

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  • なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日。門田隆将先生の著書。光市母子殺害事件で奥様とお子様を奪われた本村洋さんの心情は察するに余りあります。普通の人間なら、容疑者への怨恨を抑えられず、逆上して罵詈雑言を浴びせたり報復措置を考えてしまったりしてもおかしくありません。それなのに常に冷静で真摯な対応を取り続ける本村さんのお人柄にはただただ尊敬するばかり。このような残忍な事件が二度と起こらない社会であってほしい。

  • 1999年山口県光市母子殺人事件、一人残された夫であり父親の本村洋氏。少年法に守られる年齢であった犯人に対し、死刑廃止論の弁護集団と画策して弁じたドラえもんやらレイプによる復活の話を思い出す。そんな作り話が許されてたまるか。そして当時、完全にただの視聴者であった私は、これ程の被害や愚弄に遭いながら、司法を相手取り、法治国家の在り方まで見直させた本村氏の弁論、精神力に憧れた記憶がある。なんて、強い人だと。

    相場主義、殺した人数や年齢などの数字の理屈で判決が出された初審判決に対し、しかし、犯人以外知り得ぬ真相や心理状況は扱いが厄介であり、検察側が決め付け過ぎるリスクもあり、手紙の内容は偽悪的振る舞いの可能性もあり、参考にしてはならない。結局は、裁判の中で、最も合理的かつ納得性、意味のある判断をしなければならない。その一つは、本村氏が求めた被害者側感情であるはずだ。

    そうした意味で争点になる一つには、謝罪の本気度があるだろう。頭の中にあるはずの誠意をどのように測るのか。人間は不思議なもので、言葉の本気度を、態度や文章、声量や抑揚、表情から直感的に見抜く事ができる。ただ、演技のレベルにより、時に騙される事もあるだろう。結論は分からない。しかし、論理的雄弁さは、説得欲を現し、それ自体が感情的素直さよりも論理で共感を促す目的の比重が高いため、それが自己弁護ならば尚、欺きである可能性が高い。被告の最後の発言には、まだ匂いがしている気がした。

  • 光市母子殺害事件裁判の記録 今は裁判員制度が施行されたが、裁判制度、弁護士、そして犯人と信じられない、いや信じたくないことばかり。読んでもなぜ闘えたのかわからない。 きっと同じ立場にならないとわかる訳もない。

  • 光市母子殺害事件の被害者遺族のルポ。
    会見でいつも見せていた冷静対応、強い言葉。そこに至るまでの苦悩の日々と使命。
    なんで彼はあれほどに強く冷静なのだろう、とテレビを通して思っていたけれど、その強さは半端ではない。
    涙をこらえきれない、心して読む重い真実の一冊でした。

  • <span style="color:#000000"><span style="font-size:medium;"> 美しい言葉はいつも抽象的であり、一般的である。しかし、その言葉の裏には、常に、具体的個別的な事象がある。明らかに存在している。

     「あの会社はいい会社ですね」という際は、その人の脳裏には、その会社の特定の社員が浮かんでいる。その社員の具体的な行為を念頭に置いている。だからこそ、冒頭の言葉が出てくる。

     私たちの仕事でいえば、「皆さんのおかげで当選できました」とお礼の言葉を述べているときは、本当に「皆さん」を思い浮かべているのではなく、自分を応援してくれた支援者の方たちの顔が明確に浮かんでいる。もちろん、その議員さんを応援してくれている一度もお会いしたことのない方を含めての具体的な方たち。つまり、直接お会いしていなくても、広い意味で、その議員さんを支援していただいた方たちにお礼を言っている。

     山口県光市母子殺人事件。

     山口県光市において、当時18歳の少年が強姦目的で社宅用アパートに押し入る。女性を殺害した後、強姦。傍らで泣き止まない生後11ヶ月の女の子を床に叩きつけるなどして殺害した。

     一審は死刑を求刑されるも、少年法に守られ、犯人は無期懲役。ちなみに、被告人(加害者、犯人)側の弁護士は、検察側の死刑求刑が退けられ無期懲役の判決が下されると、法廷内の裁判中であるにもかかわらず、思わずガッツポーズ。傍聴席で無念の思いをこらえて座っている被害者遺族の目の前でである。

     私が、この事件の被害者の夫であり父である本村洋氏を、初めてテレビで見たのは何年前だろうか。ちょうど、その判決が出たころであろう。激しい怒りを目にたたえながら、冷静に言葉を選びながらもしっかりとした口調で話している様子を見て、私は、こんなに若いのに、こんなに苦しい思いをしているのに、こんなにしっかりと話をできる青年に心から驚きをもって見ていた。この段階で、強い同情心があったことも白状しておく。

     それから9年、その青年は、何度も司法の厚い壁に跳ね返され、自殺直前までにも追い込まれながらも、犯人に対して死刑の判決を勝ち取った。

     この日まで、本村青年は、多くの方たちに助けられてきた。検察官、警察官、会社の上司、一部マスコミ、親族、なんと言っても、亡くなった妻と娘。さらには、報道を通して、私のような無責任な一般市民までもが、ささやかながら本村氏の気持ちを忖度しようとしてきた。

     こちらも一般論としては、そんなことは十分想像できるであろう。

     しかしながら、本村氏が闘えることができた、その支えてきた方たちの存在を、具体的に個別的に、圧倒的な取材力で詳らかにしたものが、この「なぜ君は絶望と闘えたのか」である。

    <img src="http://yamano4455.img.jugem.jp/20080902_508634.jpg" width="160" height="160" alt="なぜ君は絶望と闘えたのか" style="float:left;" class="pict" /> 「なぜ君は絶望と闘えたのか」<br style="clear:both" />

     この悲惨な事件の第一発見者である、夫 本村洋氏は、事件直後、山口県警から容疑者の一人として聴取をされた。その後、事件の概要が明らかになるにつれ、警察も犯人逮捕に向け全力を尽くしていくことになる。

     担当の山口県警奥村刑事。

    「言いづらいことがあるかもしれん。でも君の家庭のことを調書に残させて欲しい。どういう生活をして、どういう奥さんで、どういう娘さんやったか、そういうことを全て教えて欲しい。罪の大きさを立証するために、これがどうしても必要なんだ」

     亡くなった妻は、夫に内緒で、いくつもの通帳を作って少しずつ貯金を始めていた。子供の学資のため、家族旅行のため、クルマの買い替えのため、それぞれの通帳に目的を記したシールを貼り、つつましやかに内助の功に尽くしていた。

    「君はいい奥さんをもったなぁ・・・」

     また、残業で帰りが遅い夫とコミュニケーションをとるべく、妻は夫宛に毎日のように手紙を書いていた。夫は、忙しさにかまけて返事も書いていない。

    「君はなんできちんと奥さんに返事を書いてやらなかったんだ!」

     奥村刑事は涙をためてこの健気な妻の死を惜しんでくれた。

     また、だんだんと、当時18歳の犯人には、少年法という壁で近づくことができないことが分かってきた。

     奥村刑事は、1997年に起こった神戸の酒鬼薔薇事件の被害者土師淳君の父親土師守氏が書いた著書「淳」を手渡した。「私も少年法のことはよく分からない。一冊は君、一冊は僕の分だ。この本を読んで、一緒に少年事件や少年法のことを勉強しよう」

     奥村刑事は、本村氏の精神状態は極限状態にあると察知した。

     奥村刑事は兵庫県警に電話をし、一度もあったこともない酒鬼薔薇事件の担当警官にお願いをした。

    「土師さんに、一度、(本村氏に)電話をしてもらえないだろうか」

     それを聞いた、土師氏は「たしかに、危ない」と直感し、その申し出を受け入れた。なんといっても、わざわざ兵庫県警にまで連絡してきて、この青年を助けようとする警察官がいることに土師氏は感激した。そして、その熱意に応えなければと思った。

     本村氏の身近な周囲の人たちも彼を力強く支えてくれた。

     気力も失い、また会社にもこれ以上迷惑をかけられないと思った本村氏は、上司の日高良一氏に辞表を提出する。

    「君は、この職場にいる限り私の部下だ。その間は私は君を守ることができる。(中略)君がやめた瞬間から、私は君を守れなくなる。」

     一息置いて、こうも付け加えた。

    「君は特別な体験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は、社会人たりなさい」

     「社会人たれ」という言葉は、重たい。発言する権利は、社会人としての義務を果たした上で初めて生まれてくるものだ。

     上司だけではない。

     山口地裁の一審判決を前にして、本村氏は意を決していた。少年法なる法律のため、犯人は極刑を免れることになろう。それならば、自分も死のう。

     「自分が死ねば、事件に関連して死んだ人間は『三人』になる。そうすれば社会も声を上げてくれるかもしれない。そうだ、社会に訴える手段として、自分が命を絶とう」

     本村氏の言動に不安を感じた職場の同僚は、上司に伝え、本村氏のパソコンに遺書があるのを発見。自殺を思いとどまらせる。

     いよいよ一審判決。残念ながら、本村氏が予期したように、その判決は無期懲役。判決後、本村青年は、会見の席で言った。

     「司法には絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」

     私が、初めてこの事件を明確に意識し、本村氏に強いシンパシーを感じたのはこの会見からだったかもしれない。

     その判決直後、遺族がどうにもならない重い気持ちでいる時に、担当の吉池検事は声を絞り出した。

     「僕にも小さな娘がいます。母親のもとに必死で這っていく赤ん坊を床に叩きつけて殺すような人間を司法が罰せられないなら、司法は要らない。こんな判決は認めるわけにはいきません」

     「例え上司が反対しても私は控訴する。百回負けても百一回目をやります。これはやらなければならない。本村さん、司法を変えるために一緒に闘ってくれませんか」

     涙を浮かべた吉池検事に遺族の方が圧倒された・・・・。

     そんな人たちとは別に、「死刑廃止」を錦の御旗に、被害者遺族、ひいては社会を嘲笑するような出来事や登場人物も出てくる。詳細はここでは書きたくない。

     差し戻し控訴審で死刑判決が出された被告人に、この著者は、判決が出た翌日、面会に行った。

     被告人は、開口一番こう言った。

     「胸のつかえが下りました・・・」

     あの差し戻し控訴審での弁護団の戦術は一体なんだったのか。いや、あのような荒唐無稽な言動を繰り返したがために、被告人の「胸につかえ」がたまり、死刑判決を受け、それらが、憑き物が落ちたような感じになったのだろうか。

     本村氏の思いなのか、著者の意図したところなのか、この本の最後は、本村氏のこういう言葉で締めくくられている。

     「死刑がなければ、これほど皆さんがこの裁判の行方に注目してくれたでしょうか。死刑があるからこそ、F(被告人)は罪と向き合うことができるのです」

     感情移入せずに、読みきることはできない。
    </span></span>

  • 山口県光市で起きた母子殺人事件。当時18歳の犯人は私からしても極悪で死刑に適切と考える。亡くなった母子がとてもかわいそうで、生きて味合うことができた人生を考えると胸が苦しくなる。残虐な犯行にも関わらず、日本の法制度は少年法により18歳の少年の名前を公表できず、当時は死刑にすら出来なかった。システムと現実の隔たりをもっと改善すべきだと思う。夫の本村洋さんやその関係者の方々がものすごい努力をして法制度を変えて死刑にすることができたけれど、きっと今も既存のシステムによって罪がきちんと裁かれないことが多々あるのだと思う。私を含めて今を生きる人たちはもっと現実にシステムを合わせるよう改善していく必要がある。

  • 2009/11/11

  • Revolution For Change

  • 山口県光市での母子殺人事件。被害者の夫であり父親は、本村洋氏、といえば、多くの方の記憶にあるのではないだろうか。この事件は1999年に起こった。犯人は18才の少年F。 Fは、本村氏の最愛の妻娘を殺害したのみにとどまらず、死後の妻を犯した。ここまでの犯罪は、そうざらにはない、当然死刑になるものだと思ったのだが、当時の裁判判決の相場では、無期懲役が相当とされた。しかも18才の無期懲役は、通常7年の監獄生活で釈放される。これが当時の法曹界での常識とされた。 本村氏は、この常識に敢然と立ち向かう。23才の若者は、そのエネルギーのすべてを「Fを死刑にすること」に振り向け、その鬼気迫る真摯なエネルギーは世論を味方につけ、小渕、小泉両首相を揺さぶり、ついには最高裁での逆転差し戻し判決を得ることになる。その間9年。当時若々しかった、一方では未熟さを感じさせた本村氏は、この間素晴らしい成長をされたように感じる。死刑論に対する成熟した思想と落ち着いた語り口は、とても30歳の若者とは思えない。「人は、死刑になることを運命づけられた時に初めて人を殺した罪を反省できる」や、「反省しても許されざる罪がある」などの言葉は、エセ・ヒューマニストや死刑反対論者たちの額に刻印したいとどの説得力がある。 妻や娘を殺されたことに端を発した彼の功績は、個人的闘争を超え、今後の日本法曹界に非常に重要な足跡を残した。本当にありがたいことである。 2008年4月差し戻し審でFに死刑が宣告された。これにより本村氏の目標は達成された。この闘争を生きる糧としてこの9年間を過ごしたはずの彼は、今後どのような人生を歩むのか。できることならば、社会活動家として、活躍を期待したい。

  • あの有名な事件の遺族である本村氏は司法の壁に立ち向かうことを決意し最終的に死刑判決を実現したことは周知の事実。その過程で弁護団の取った戦法のひどさもまだ記憶に新しい。正直その経過については新たな発見はなかったのたが、そんな本書で最も印象に残ったのは、事件後仕事への意義を見いだせなくなり上司に辞表を出したその時の上司の言葉。一言で人生を左右することがあるのである。
    「この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。君は特別な経験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は、社会人たりなさい。」

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著者プロフィール

作家、ジャーナリスト。1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社入社。『週刊新潮』編集部記者、デスク、次長、副部長を経て2008年独立。『この命、義に捧ぐ─台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、後に角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)、『日本、遥かなり─エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』(PHP研究所)、『なぜ君は絶望と闘えたのか─本村洋の3300日』(新潮文庫)、『甲子園への遺言』(講談社文庫)、『汝、ふたつの故国に殉ず』(KADOKAWA)、『疫病2020』『新聞という病』(ともに産経新聞出版)、『新・階級闘争論』(ワック)など。

「2022年 『“安倍後”を襲う日本という病 マスコミと警察の劣化、極まれり!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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