- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104393091
作品紹介・あらすじ
戦後の房総半島からヨーロッパ、アジア、そして日本で。そこでは灰色の人生も輝き、沸々と命が燃えていた。あのとき、自分を生きる日々がはじまった――。縁あって若い者と語らううち、作家高橋光洋の古い記憶のフィルムがまわり始める。戦後、父と母を失い、家庭は崩壊、就職先で垣間見た社会の表裏、未だ見ぬものに憧れて漂泊したパリ、コスタ・デル・ソル、フィリピンの日々と異国で生きる人々、40歳の死線を越えてからのデビュー、生みの苦しみ。著者の原点と歳月を刻む書下ろし長篇。
感想・レビュー・書評
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小説家が自らの人生を振り返る、という形での小説。人生のそれぞれの場面が、各章を構成している。その構成が飽きさせずにサクサクと読ませる。
出生と労働争議の章については、自分が生まれる遥か前の時代について、まるでその空気感が伝わってくるようだった。
海外を放浪する期間については、ある種の紀行小説のようでもあり、旅情を強く誘われた。
後半の作家としての章は、静かながらも滾るような情熱を感じた。文字通り命を削って執筆にあたる主人公に、晩年のロールモデルを見た思いだった。
とにかく文章が美しいと感じた。なんて円熟味のある文章。そして初見の単語が多くて、何度もオンライン辞書のお世話になった。
正直なところ、タイトルだけで購入を決めたのだけど笑、他の著作も読みたいと思わされた。
本当に贅沢な読書体験だった。 -
まだ未読なら、対となる形で同時刊行された『二十五年後の読書』を読めば、本書の書評が小説の中で読める。
どういうことかというと、著者(乙川優三郎)が創造した小説家(谷郷敬、筆名:三枝昂星)と書評家(中川響子)が登場する作品が『二十五年〜』で、本書はその作中にも登場する三枝の最後の作品ということになるからだ。
面白いのは、『二十五年』が雑誌連載の作品だけど、『この地上〜』が書き下ろし作品である点。
実際、作中にも『この地上』が谷郷の書き下ろし作品で、中川が脱稿を危ぶむほどもがき苦しんだ苦闘の産物として描かれている。
小説家が自身の作品に小説家を登場させることは珍しくないだろうが、その作品を小説として発表するのは稀ではないか。
ましてやその作品を小説上で書評までしてしまうというのは、過去に例があるのだろうか。
中川がカクテルを片手に『この地上』をどう書評しているか。
題名は長く意外に感じ、冒頭は「上質な言葉が誘う美しい序奏」と評し、思わず余白に「絶妙」と書き込むほど。
簡潔で、選び抜かれた文章に感じ入り、イタリアで客死した無名の画家を自身の病妻と結びつけ、長い題名の意味を知ったあとで、作家の復活は疑いようがないと結論づける。
自分で自分の採点を出しているわけだから、よっぽど作品に自信がないと、こうは書けないだろうと思いつつ、自分の感想を加えると、確かに冒頭の一文は美しい。
「南側の窓辺に立つと、庭木が風を教え、道の枯葉が消えている。朝から草は忙しく萌え、木々はのんびりと芽吹きはじめる。隣家の生垣をすり抜けて小鳥たちが呼び合い、芝の朝露を吸う。疎水のない土地で生きる彼らは賢く、人間の暮らしを見つめて水を撒く家を覚える」
ただ難点を言えば、『この地上』は谷郷敬というより乙川優三郎の作品。
当たり前と言えば当たり前の話なのだが、乙川優三郎とは違うテイストを期待したが、見事に裏切られた。
「カメラのレンズを通して対象の美点を捉える」と評された谷郷のキャラクター造形は、乙川とどこに違いがあるのが区別がつかない。
唯一、主人公と兄との関係性が、他の乙川の作品にないものを感じさせて期待したが、尻窄みに終わってしまった印象。
ただ乙川優三郎の作品と考えれば、他の作品と甲乙付け難いわけで、なんで独立して発表しなかったのかなと恨めしい気持も。 -
著者の自伝的内容なのか、外資系ホテル業より40代で執筆を開始した経歴と似た内容。
疎開して農家になるも母は自由を求めて逃亡。
兄は絵画の夢諦め農業を継ぎ、主人公は工場へ逃亡。
紆余曲折あり諸外国での経験も礎に小説家に。
晩年の執筆活動時に美しい作品に拘り寡作。
そんなこんなの人生を送る。
満足が主題かと思い読みすすめるも、価値観の話にも見える。
確かに綺麗な文章ではあった。
心乱され落ち着かされる内容。 -
美しい文章、そして硬質な世界。
戦後から現代まで続く物語は、その時代背景もあってか渦巻いている。でも冷徹。そこがいい。
作家自身を彷彿とさせる主人公に想像を膨らませる。
作家を生み出す人生経験、作家の抱える感情や業を垣間見るようで、興味深かった。
しかし、この彼は『二十五年目の読書』の谷郷が創作した人物なのだということに思い至り、絡まる構造が醸すぐるぐるとした不思議な感覚に囚われる。
これは、響子と谷郷の、そして彼の妻とのことが書かれている部分なのだろうかとか、二冊を並べて読み比べたくなってしまう。そして、ラスト。
彼は、この地上において満足したのだろうか。
この読後感。響子もこれを味わったのだろう。
これが、自分と浅からぬ関係のある男が到達した作品なのだとしたら・・・そんなことを考えてしまう。 -
書き下ろし
乙川優三郎の時代小説ファンとしては、書かなくなったわけ、その後のフィリピンものへの移行の背景を推測できる作品で、納得がいった。
乙川文体が好きなファンには、『二十五年後の読書』とともに、取れだけ呻吟して生み出されていたのかを思わされる。
自伝的な作家の歩みがどこまで私小説的なのかわからない。疎開して住み着いた千葉でのくらし、工場勤務、パリで出会った女性画家の芸術への姿勢と死、フィリピンでの生活、居候した一家との交流、帰国してからの著作活動、伴侶となった優秀な編集者との生活と死別、フィリピンから来た友人の孫娘を養女にした老後。持病の心臓病での死は理想なのかもしれない。 -
最後まで読んでしまった
残念