- Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104299072
作品紹介・あらすじ
首都タリンから、古都タルトゥ、オテパー郊外の森、バルト海に囲まれた島々へ-旧市街の地下通路の歴史に耳を傾け、三十万人が集い「我が祖国は我が愛」を歌った「歌の原」に佇む。電柱につくられたコウノトリの巣は重さ五百キロ。キヒヌ島八十一歳の歌姫の明るさ。森の気配に満たされ、海岸にどこまでも続く葦原の運河でカヌーに乗る。人と自然の深奥へと向かう旅。
感想・レビュー・書評
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梨木香歩さんがエストニア各地の旅について記した紀行文。
梨木さんの著作は何冊か読んだことがあって、自然と、自然の中にある理屈ではとらえきれない不思議、という共通するテーマを感じていた。
そんな彼女にとって、人間の生活が自然と近しく、不思議なことも含めておおらかに受け止めるエストニアはまさに感性にぴったりくる地だったのだろうと思う。
エストニアはロシアの西側、バルト海に面した九州ほどの面積の国である。梨木さんの旅はヨーロッパきってのIT都市、首都タリンから始まり、国土を南下、バルト海に浮かぶ島にも渡って、エストニアの自然、文化を堪能する。
途中で挟まれるエストニアの風景写真の素朴で美しいこと。そこで暮らす人々(特に年配の女性)の生き生きとして愛らしいこと。81歳ながらマウンテンバイクに乗って去っていくおばあさんの連続写真は、眺めていると思わず頬が緩んでしまう。
もちろん、エストニアで実際に暮らしている人たちの生活は、外から来た観光客の想像する牧歌的なものとは程遠いのかもしれない。観光客のために暮らしぶりを紹介しながら「自給自足はできても、お金持ちにはなれない。」とつぶやくおばあさん。それでも、リーマンショックでぼろぼろになった日本人の顔をニュースで見た梨木さんは、おばあさんの言葉を「金持ちにはなれないけれど、自給自足はできる。」と読み解く。
ロシアと国境を接するエストニアは、第二次世界大戦中にドイツの爆撃に遭い、大戦後はソ連軍によって強制連行が行われた。そのような苦難の歴史を持つエストニアの人々にとって、生まれた場所で不都合も受け入れながら生活し死んでいく、という人生は、現代社会への「静かな『プロテスト』」ではないかと梨木さんは考える。
エストニアの不思議な魅力を紹介しながら、自然と人間との共生について考えさせてくれる、物語のように美しい紀行文。これまでほとんど知らなかったエストニアについてもっと知りたい、そしていつかは訪れたい。そんな気持ちにさせてくれた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
エストニアの位置を地図で確認してみた。
バルト海をはさんで、フィンランドの首都ヘルシンキの南対岸にあるのが、エストニアの首都のタリン。タリンから北にではなく、西にバルト海を進むと、スウェーデン・ストックホルムに到達する。隣国はロシアで、ロシアの古都のサンクトペテルブルクまで、さほど遠くない。バルト三国と呼ばれる地域の、あと2か国であるラトビアとリトアニアの向こうには、ポーランドが位置する。小国であるエストニアがこれらの国のはざまで、これらの国の事情に大きく左右されながら歴史を形作ってきたことは容易に想像できるし、本書の中の記述からもうかがえる。
エストニアで出会う人たち、エストニアの自然、書中に収められている写真の美しさ、梨木さんの文章のうまさ、等、本の一つ一つの要素は楽しめた。でも、一方で、ほとんど全てが前もってアレンジされている移動を旅と呼ぶのだろうか、とも思った。美しい本だとは思ったが、私は中身に入り込めなかった。 -
「祖国は地球。」
私もなのだ。
そして梨木さんの書かれている通り、渡り途中の鳥たちも、地球に暮らす全ての命がそうなのだ。
「ヒトはここまで嫌われているのだ。」
例えば、家庭内暴力に耐えながら生き続けるような状況に身をおくことを、ヒトは強いているのかもしれない。
そんなつもりはありませんでした。これはただの言い訳。
自分が言われる側であったなら、そんな言葉は無視するだろう。
1番の問題は、ではどうしたらいいのか?が分からないこと。
そこで思考停止してしまうことだ。
分からなくても、何も出来ないような気がしても、せめて自分の目と手が届く範囲のことはちゃんとしなきゃいけない。
仕事を始めた時に「周りの人に迷惑をかけないようにする」と決めたのと同じように、何が迷惑なのか?どうすれば良好な関係が築けるのか?自問自答しながらやっていくしかないんじゃないか。
この本を読んでそう思った。-
人の思考が停止する線…確かにありますよね。
話は逸れちゃうかもしれないけれど、将来の事を考え続けていると『老後』と、引かれた線の前でも、思...人の思考が停止する線…確かにありますよね。
話は逸れちゃうかもしれないけれど、将来の事を考え続けていると『老後』と、引かれた線の前でも、思考が止まってしまいます…。
本当に
どうすればいいかわからないし、
まだまだ先の事だと言い訳して、先延ばしにばかりいる様な…。
でも、考え続ける事、打開策を見い出す事、自分で出来る事は何か?を見極めて、行動に移す事って大事ですよね。
本はそういう事考えるきっかけになるから、ありがたいです。
て…
話が変わってしまったかな?ごめんなさい~2013/01/24 -
MOTOさん、こんにちは。
「話が変わってしまったかな?ごめんなさい~ 」
いえいえ、私もそう思います!
難しいな、分からないやと投げ...MOTOさん、こんにちは。
「話が変わってしまったかな?ごめんなさい~ 」
いえいえ、私もそう思います!
難しいな、分からないやと投げてしまっている問題って実は多いですよね。
MOTOさんの書かれていることもそうだと思います。
私も今の仕事をいつまでも続けられないんじゃないかと思いながらもずるずると辞められずに続けていて、それで勉強しているかと言えばしていなくて…。
思考停止の最たるものです。
「本はそういう事考えるきっかけになるから、ありがたいです。」
はい。本当に。
今までと違う視点で見えるようになるのが大きいなと思います。
それがちゃんと身になっているといいのですが…。
2013/01/24
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エストニアという国に
小さな雫となってぽつん、と降りた著者は、
やがて
静かに波紋を広げ始めた。
旅の同行者と育まれて行く友情、
この国のひんやりとした空気、
森の静けさ、
温かい土地の人との出会い、
ムースの美しさと猛々しさ…
揺蕩う波間を見つめていると
エストニアという国の
感慨深い歴史についても
一考させられるが、
まだ豊かな自然も残っているこの地で
野山を遊びまわる少女の様な
著者の一面を垣間見ることができたのは
なんだか楽しかった。 -
コロナ騒動に疲れて厚い本に手が伸びず、エストニアを巡る小さな旅の記録を読む。小説家らしい旨味を含んだ言葉の流れに気持ちが安らぐ。葦の海岸線、幽霊ホテル、バルト海、茸採り名人のおばあさん、森、サウナ、ソビエト連邦、コウノトリ。ひとつなぎに綴った旅の最後に見せてくれた景色に息を呑む。良い本。
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おばはんエッセイを想像していた私は、冒頭一文がすんなり頭に入って来ず、二度目を通した。胸の高鳴りを抑えきれなかったそれは、たっぷり3行に渡っていた。
“それまで人工的な夜に入っていた機内は、再び調整され始めた照明で徐々に明るくなり、到着地が近くなったことを感じた乗客たちは、まどろんでいた意識を入国準備へ向けて覚醒させようと、もしくは最後の一眠りへ戻ろうと身じろぎをした。”
終始このノリである。小説の一端のような書きっぷり。
個人的なこだわりや自然との向き合い方もたっぷり語られていて、冒頭期待したおばはん基、女流エッセイ・旅行記の面白みもある。
ドイツ・ロシア・スウェーデンと代わる代わる支配されながらもアイデンティティを保ってきた歌や父祖の思い。
古きをところどころ残す都市と、森の匂いに充ちた郊外。
装丁の葦原がいつも頭の片隅に浮かんでいて、ブルーグレーの空とセピア色の大地がその控えめな色味と裏腹に、この旅行を強烈に印象づける。
全く知らなかったエストニアの歴史と暮らしに触れ、飛ぶように過ぎる風景を何となく想像しながら共に旅行した気分で、満足感があった。
最初にその後、今も交流が続くほど仲が深まったことを明かしておきながら、作中ではあっさりめに描かれる同行者との人間模様にも好感。そう、読みたいのはそこではない。
エッセイは肌感が合わないとどうしても読み進めるのがきついが、本作はかなり読みやすかった。
以前酷評してしまったアイスランド紀行は全く肌に合わず、
フィジー・サモア・トンガひとり歩きは、このエストニア紀行とは全くノリは違うが、憎めない著者の生き方に苦笑しながら楽しく読めた記憶。
こうして比較してみると、読書は紙と文字を通した人間の触れ合いであるのだなとひしひし感じる。エッセイ・紀行は特にそうだ。 -
風変わりな旅だ。梨木香歩は、なぜエストニアを目的地に選んだのか。〝理由〟はけっきょく明かされないまま。にもかかわらず、その旅はこってり濃厚だ。旅をつづけるうち、どんどんエストニアの波長に同期してゆく著者は〝魔法使い〟のようなふしぎな力を備えた者にみえる。そのなかで発せられることばもまた、魔法のことばのオンパレード。
「人が森に在るときは、森もまた人に在る」
「性にまつわるものでも、そうでないものでも、野卑や下品は、世界ぜんたいの豊さを深める陰影のようなもの。そこだけ取り去ることはできない」
「人が自分の生理的な『これ以上はできない』の線引きをする場所は、それぞれ違っていて、その線引きの場所がその人の個性そのものの発露のように思われ、愛おしく感じられる。」
フィンランドと同じフィン・ウゴル語系に属するエストニア人。登場する単語もフィンランド語の響きに近いし、サウナを愛し、森を愛し、孤独を好むというエストニアの人びとの気質は、またフィンランドの人びとのそれに重なる。けれども、その「血」はエストニアの人びとにあってより純度が高く思われる。
彼らにとっての祖国愛とは「おそらく国家へのものというよりも、父祖から伝わる命の流れが連綿と息づいてきた大地へのもの」のように思われる、と梨木はいう。たしかにそうにちがいない。700年あまりの長きにわたって他国の支配を受け続けてきたという過酷な歴史が、彼らエストニアの人びとに「国家」という存在の空しさを教えるとともにそこから引きはがし、結果、コウノトリとおなじようなまなざし〜祖国は大地〜をもたらしたからなのだろう。
もう一度、たっぷりとエストニアを旅してみたいとこの本を読んで思った。 -
ロシアに隣接しバルト三国のひとつである、エストニアの旅行記。
2012年の作品だが、少し前のロシアのグルジア侵攻などを受けて、ロシアの影に怯えながらも民族の誇りを持ち続けている現地の人々の生活、歴史などを掬い取るように描いている。言葉のチョイスがとても美しくて読んでいても映像が浮かんでくるようだった。(アレクサンドル・ネフスキー聖堂の感想は大いに笑ったが)
旅に出かけたい、切実に思う作品だった。 -
紀行文は数あれど、梨木さんのは上手すぎる。エストニアは訪ねたことがあるのでもっかい旅する気持ちで読んでみたのであった。歴史、自然、人、全部を堪能できる旅って最高ではないですか。
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2014/03/03
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