イリノイ遠景近景

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104014019

感想・レビュー・書評

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  • 『もう日差しはかなり強く、アスファルトの駐車場で車をおりると、白い光線が目につき刺さった。とりわけ醜いわけではないが、しかしちっとも美しくもない建物にL字形に囲まれている駐車場は、荒涼としていた。わたしは実際、その言葉を心の中で思ったのだ。荒涼としてるね。東京からまたここへ戻ってきたんだね。ここ、ここ。ここはどこだい? 真夏ではないので積乱雲はまだ出ていなかった。けれども青い空にはきれいな雲がうかんでいた。ふん、大きな空じゃないか、とわたしは思った。それにこの青い色も、そう悪いとはいえまい』-『平原の暮らし/トウモロコシのお酒』


    岸本佐知子が敬愛するという翻訳家の随筆集を読む。初めて読む文章であるのにどこか聞き慣れた口調の声が聞こえてくる。岸本佐知子のエッセイを読んでいるような錯覚、既視感に襲われる。しかしその軽妙な語り口は徐々に芯の通った声音を帯び始める。そして文章が日々の暮らしを写し取ったエッセイから丁寧に仕上げられたルポルタージュへ変化するのと同時に、その声は語り部のような声音で後世に残しておかなければならない事柄を語り始める。その声音は、インタビュアーの役割を逸脱し熱く語り始める対話者のそれから、恐山のイタコの語りのそれへと変化する。その様子はまるで、自分という言語変換装置を通して日本語話者へ伝えたいこと、それを語りたいという気持ちに溢れているよう。


    「イリノイ」という座標の一点は、時に著者の精神的な不動の原点として機能しているようでもあるし、一時的な通過点に過ぎないようでもある。ただ、小庵を結んで方丈記を記した鴨長明のように、藤本和子がイリノイ州シャンペーンで徒然に思案したことを書き連ねているという意味がタイトルにはあるようにも感じる。それはあとがきに記された「住む」という言葉に対する考えにも表れていて、著者にとって住むということは一つ所に「定住」するという意味合いを強く持つものではなく、偶々通りがかりに立ち寄った場所に居ること以上の意味を持たないことのようにも聞こえる。けれど離れてみて初めて元居た場所の良さが解ることがあるように、著者がフットワーク良くあちらこちらへ飛び回るのは案外シャンペーンの良さを無意識のうちに再確認したい為であるのかも知れない。その証拠と言えるかどうか解らないが、本が出版された30年ほど前に、住処とはある場所に限定されるものだけではなく、自分は動きと時間を住処にしている、と言っていた著者は80歳を過ぎても未だにイリノイに住んでいる。


    さて、陳腐な言い方をすれば「好奇心旺盛」な翻訳家が、一歩踏み込んだ他人との関係を基に広げた見聞をまた聞きのように聴くというのが本書の様式。だが、著者の目線が、小さいもの、弱いもの、差別されたものへ常に向いていることは指摘しておくべきだろう。90年代前半といえば日本では「101回目のプロポーズ」や「東京ラブストーリー」が流行った頃で、ステレオタイプな女性像からの変化はありつつも多様性を認めるような社会的コンセンサスが形成される状況にはなかったし、せいぜい「家なき子」で子役が「同情するなら金をくれ」と叫ぶのが社会的弱者のイメージだった。米国にしても、ヒッピー、ベトナム反戦、ウーマンリブを経験していた後なのに、相変わらず「ロッキー」「ダイハード」「ターミネーター」の続編が制作されていてジョン・ウェイン的男性像を引きずった作品が流行り、「ゴースト」や「プリティウーマン」で表象されるような女性像が受けていた。少し異色だったのは「ホームアローン」で独り家に残された少年が悪党をやっつけるという映画くらいか。そんな時代にあって、いわゆる社会的弱者に寄り添うように接し、それを日本語の活字にして紹介していることは、この女性の凛としたところがよく表れているところなのだろう。


    それを高潔とか倫理観の高さとか言ってしまうと何かがねじ曲がってしまうようにも感じる。きっとそう感じるということはこの人の個性に既に惹かれているということの表われなのだろう。絶版となった本書がちくま文庫で再版されるというのは世の中がようやくこの翻訳家に追いついて来た、ということを表していることなのかも知れない。

  • 翻訳家である藤本和子さんのエッセイ。あらすじに惹かれて図書館で探し、読み終わった後に気付いたがブローティガン作品の訳者さんであった。偶然の繋がりを見つける事が時々ある

    イリノイでの生活について、愉快な人達の話(博愛的で心配性な「世界の母」こと義母=姑、法定速度を守る中高年のヘルズ・エンジェルス、ファッションモデルのアイダもしくはイザベル(名前が確定しない)…)、ホームレス女性の為のシェルターの仕事で出会った人々のエピソードはドライで中立的な視点を持ちつつもユーモアがあり面白い。

    一方、登場する人物やインタビュー相手には被差別的背景を持つ人も多い。黒人、中国人、ユダヤ人、先住系アメリカ人…本人は語らないが、日本人もそうだろう。
    執筆年はもう30年近く前で、変化した部分もあるだろうが「自由の国アメリカ」で生活する人々の良きも悪きも含んだ体臭が匂い立つエッセイ


  • ブローティガンの翻訳者として名をなした藤本さんの旧作エッセイ。1992年から1年半にわたって、「小説新潮」に「三界に住処あり」と題して連載されたエッセイをまとめたもの。最近、藤本さんの名前を翻訳関係者の著書でよく目にするようになったので手に取った。あとがきに、藤本さん自身が記しているように、これは「住処」というテーマを含んだエッセイ集となっているようだ。藤本さんにとっての「住処」は、具体的な場所をさしているものでもあり、場所に限定されないものでもあるようだ。すなわち、人々との出会いもひとつの「住処」であるいう概念なのかもしれない。さすがに15年以上も前の著書なので、深い感想は差し控えます。

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著者プロフィール

1939年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。1967年渡米、ニューヨークの日本領事館に勤務した後、イェール大学のドラマ・スクールで学ぶ。その後、リチャード・ブローティガンの作品をはじめ、多くの翻訳を手がける。本書の他の著書に『ブルースだってただの唄』(ちくま文庫)、『塩を食う女たち』(岩波現代文庫)、『リチャード・ブローティガン』(新潮社)、『砂漠の教室』(河出書房新社)など、訳書にブローティガン『アメリカの鱒釣り』『芝生の復讐』(新潮文庫)、キングストン『チャイナ・メン』(新潮文庫)などがある。

「2022年 『イリノイ遠景近景』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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