- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103934028
作品紹介・あらすじ
何かが失われている。世界から? お前自身から? 5年ぶり待望の長篇小説! この女優に付いていってはいけない──制御しがたい抑うつや不眠に悩んでいた小説家は、混乱と不安しかない世界に迷い込み、母の声に導かれて迷宮を彷徨い続ける。『限りなく透明に近いブルー』から44年。ひと筋に続く創造の軌跡の集大成にして重要な新境地作。「こんな小説を書いたのは初めてで、もう二度と書けないだろう」。
感想・レビュー・書評
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久々の村上龍さん。
作品を読むのは20年ぶりくらいか?と読書メモを調べたら2015年に「イビザ」を読んでいたから、それ以来だ。
僕は元々、春樹さんより龍さんで読書に嵌った方。初めて「コインロッカー・ベイビーズ」を読んだ時の衝撃はいまだに忘れることができない。僕にとって極めて重要な作家さんと言える。
最近はあまりお付き合いがなかったけど…
入り込んでしまった不思議な世界の中で、「失われているもの(現在進行形。「失ってしまったもの」ではない)」を取り戻そうとする姿を描く。
非常に観念的で何が書いてあるか理解しにくい。
読んでいると頭もボンヤリしてくる。集中力が途切れると、文章がバラバラにほどけていく。
挫折しかけたけどなんとか読了。
「老いの受容」がテーマだと解釈した。
W村上と呼ばれていた春樹さんと龍さん。春樹さんは「猫を棄てる」や「一人称単数」で、龍さんはこの小説で、それぞれ「老い」について書いている。
これらの本がコロナで世界の価値観が大きく変わろうとしている2020年に発行されたことがなんとも感慨深い。
なお、この小説で、猫は棄てられてないが、犬が棄てられている…
昔の人は簡単に動物を捨てたのね…詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
村上さんはもしかしたらこの本に描かれているような世界を体験しているのかも、というくらい凡人の私とは比較にならないぶっ飛んだ世界観の本でした。
主人公はどうみても村上さん本人にしか思えない。
心の葛藤を描いた小説なのだろうが、時間軸や場所がころころ入れ替わる。夢、それも悪夢に近い夢を書き起こすとこんな感じになるのかもしれない。
読んだ後は、自分が気が付いてないだけなのかもしれないという意味で、少し心がザワザワしました。
万人向けとは言えないと思いますが、疲れた心には効く小説かもしれません。 -
覚醒と睡眠の境界が曖昧になった著者は、自分の行動を覚えておくために頻繁にメモを残す。そのメモが羅列される場面は、精神崩壊の過程を見るようで怖かった。
これはもう一線を越えているように思えるのだが、外出時の著者の風貌はいつもと変わらず整えられていて、飼っている犬や猫の世話もしている。案外ちゃんとしている。これが作家の精神力なのか。
ぎりぎりまで自らを追い詰め修羅場をくぐり抜けなければ、無から何かを生み出せないのだと思った。
※昔話
読書好きの母への誕生日プレゼントに、『限りなく透明に近いブルー』の文庫本を贈った。
芥川賞を受賞した話題作だったので誰が読んでも面白いのだろうと、内容を確認しなかった。後日、母に本を読んだかと聞かれた。最初の方だけ拾い読みしたと答えて会話はそれで終わったので、そのまま本の事は忘れてしまった。
数ヶ月後、家の本棚にあったその本が目にとまり何気に読んで、絶句…したとさ。 -
簡単に分からない物はある。よくよく目を見張り耳を澄ませなければ届いてこないものがある。
この作品もそうしたものだ。ぼーと読んだだけでは訳が分からず終わるだろう。私もぼーと読んだから一読ではよく分からなかった。ただ、第9章の真理子の友人が言ったこの言葉がヒントになる、と考える。
『本当は、人はみな、複数の部屋が組み合わさった場所にいるんです。気がついていないだけです』
複数の部屋。これを複数の世界としたら、主人公は、少なくとも3つの世界を体験していると考える。
一つ目が、過剰な想像力が現実を覆う世界。二つ目が、睡眠と覚醒の境界が曖昧な世界。三つ目が、あの世とこの世が重なり合う世界。
この三つの世界があることを念頭に置くと、主人公の立ち位置が分かる。その立ち位置が分かれば、そこから聞こえる声の正体が分かるのではないだろうか。記憶か想像か死者の声か。
村上龍氏が挑戦しようとしているのは、無意識の世界を言葉にしようとしていることだ。捉えどころのない、捕まえようとすればするりと逃げてしまう、漠然し混沌としたドロドロを文字として形のあるものにしようと挑んでいる。その行為に報いるためには、もっと目を見張り耳を澄ませて読まなければいけない。 -
村上龍は大好きな作家だった。16歳のとき『コインロッカー・ベイビーズ』を読んでハマり、20代前半までほとんどの作品を発売と同時に購入して読んだ。しかしなぜかある時を境に読まなくなり、本書は実に30年振りくらいの再会となる。……うーん、難解な小説だった。言葉は明瞭だし、書かれている内容もわかるのだが、全体を見たときに「なにこれ?」となってしまう。私小説のようでも、幻想小説のようでもあるが、多分そのどちらでもないのだろう。
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無意識を言語化した小説
クラシックでは
4分33秒という無音の楽曲があるけど
それと同じように感じました
途中でやめると現実に戻りそうで
章が終わるごとに呼吸を整えながら
一気に没入して読み切りました
読み終えた時
意識はしばらくぼんやりしたままでした
スゴイ小説ですね -
読んでいて話が進まない。どうなるのかと思っていたら終わってた。
回想のような空想のような、理解できるし読んでいて頭の中に景色が浮かんでくるもののそれが本当なのかわからない。
さみしさとはどういうものか?すべてのものは変化していて、今がもう2度とこないもの、ということかな。 -
書評はブログに書きました。
https://dark-pla.net/?p=3021 -
たいてい、「現実」はいつでもそこにあるものだと疑わない。でもこの小説の中ではそれが揺らぐ。目で見たり触れたりしたものでしか想像は成り立たない。「げんじつ」と言う言葉を知らなかった頃、目で見て触れられるものを現実とすればよかった。つまり、「げんじつ」とは証明できないものなのだと言っているのだと思う。大人になった主人公は多くのことを経験したきた。だから、入り込んだ世界にあるものが記憶にあるかないか、記憶が膨大だから判別ができない。現実と空想の区別がつかない。
P167「自ら安堵を拒否し、放棄しているんです。〜〜安堵がない状態はとても苦しいので、あなたは、表層で、安堵が欲しいと思っています。でも、心の深い部分で安堵する自分を許せないと決めています。」
こんなに正しい表現を今まで見たことがない。安堵を拒否しているくせに、安堵したい自分がいて、安堵が足りていない状況で安堵を羨ましがることが心地よいということだと思う。
P208 「『刃物が怖い』〜〜正確には、刃物が怖いのではなく、自分は刃物で人を刺すかもしれない、きっと刺すだろう、と想像してしまうという恐怖だった。」
「お母様さまは、刃物が怖いわけでもないですし弟さんが亡くなったことも、まったく関係ありません。これからは怒鳴ったりしないし、優しくなるからと、お父さまがそう言った、今回の不安の源は、そのお父さまの言葉です。」
P217「ここがわたしの家だ、わたしの家はここだと、そう思えるようになったとき、わたしはわたしではなくなる」
いくら怯えていた対象だとしても、今までずっと一緒にいた相手がこれから先、別人になってしまったら、その人を失うのと同じ。死ぬのと同じ。