名残の花

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103528319

作品紹介・あらすじ

江戸から明治へ。変わりゆく世に取り残されようとも、変わらない生き方がある。かつて蘭学や歌舞音曲を弾圧して「妖怪」と嫌われた奉行・鳥居胖庵。幽閉二十三年の末に彼が目にした江戸は「東京」へと変貌していた。西洋文化を拒む胖庵は若い能役者と出会う。能楽もまた明治に没落の道を歩んでいた――おかしな二人が遭遇するささやかな事件と謎。世に翻弄されても懸命に生きる人々を哀歓込めて描く正統派時代小説。

感想・レビュー・書評

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  • 「妖怪」鳥居耀蔵が明治5年の東京に舞い戻った。当年77歳。かつて天保の改革の急先鋒として剛腕を振るい、歌舞伎役者や為永春水などを取り締まり、洋学を敵視して蛮社の獄を演出した男である。今や、鳥居胖庵として30年弱にわたる座敷牢を解かれ、新都の小役人となった孫の所へ居候している。そんな彼が、かっては奢侈の象徴として取り締まった能役者の、若手見習い・豊太郎と知り合う。共に帝都を歩いて小さな人助けをしていく小説である。

    胖庵はしかし、まるでタイムマシンで30年後に移動したかの如く天保時代と何も変わらない。変わり果てた江戸を嘆き、古きものを旧弊として壊してゆく社会を批判する。古きものの中には、かつては自分が攻撃した能の世界や、歌舞伎小屋がたち並ぶ浅草なども含まれている。胖庵は古きものの良さは、下手な町人よりはよく知っているのである。ただ、彼の中では「贅沢禁止」の政策は間違っていなかったと、なんら反省する所が無い。思想統制についても、元部下が出世して自分を真似て世論操作した事はチクリと批判するくせに、まるきり自分を反省する事はなかった。

    確かに現代でも、元大会社会長とか政権幹部を務めた老人は、東京を歩いているだろう。新自由主義に舵を切った彼らを個人で責めても仕方ない。私は胖庵が小さな善行を積んだとしても、胖庵を良い爺さんなどというつもりは、この小説を読んでも1ミリも感じなかった。

    私は大学2年とき、初めてゼミ形式で1冊の書物だけ読み込んだ。『崋山・長英論集(岩波文庫)』である(とは言え、現代語訳・ポイント抽出しか出来ず、恥ずかしい思い出しかない)。渡辺崋山・高野長英は、間違いなく当時の洋学に関してはTOPの頭脳だった。彼らの生命を絶つことで、江戸時代の西欧化は10数年は遅れた(と思う)。それよりももっと最悪の影響は、思想統制が当たり前という風潮が、明治になっても拡大再生産されて続いたことである。その元凶のひとつが鳥居耀蔵だった。

    だからこの小説が面白くなかった、と言っているわけではない。鳥居耀蔵は鳥居耀蔵だった。彼が矍鑠(かくしゃく)として帝都を歩いている。それはとっても面白い。

    私ならば、胖庵に出会わせたい人物が居る。勝海舟である。勝は、明治5年当時赤坂に住み海軍大輔に任じられていた。2人に面識は無いはずだが、どちらも幕府を残すことに意を尽くし、どちらも既に引退気分にいる。2人を語らせたい。そこで、鳥居耀蔵の罪と罰もハッキリするだろうし、実は勝海舟は明治政府の政策を根本的に批判していた。実は、誰も小説化していないが、フランスから帰ってきたばかりの中江兆民にクーデター案を作らせていた気配がある(明治9年「策論」)。その元の着想を、鳥居耀蔵との会話で得ていたとしたら、面白いかもしれない。鳥居耀蔵は明治6年10月に死去した。

  • かつて『妖怪』と呼ばれその苛烈な政治で嫌われ失脚した鳥居耀蔵が明治の世に変わった江戸へ二十数年振りに帰ってきた。
    今は胖庵(はんあん)と名を変えた彼が、若い能役者・豊太郎と出会う。奉行時代に奢侈紊乱の対象として徹底的に締め付けてきた能役者である豊太郎と次第に交流が深まっていくという設定が面白い。

    胖庵がいわゆる頑固ジジイキャラなのが良い。かつての苛烈な性格を彷彿とさせ、すっかり変わってしまった明治の世を苦々しく思い毒づくところは外国嫌いだったという実際の彼を反映している。
    この頃には江戸は東京と名を変えているだろうに、作中は東京という言葉が出てこない(読み落としが無ければ)のも作家さんの敢えての仕掛けだろうか。

    二十数年の監禁生活から解放され江戸に戻ってきても家族は冷たい。しかし胖庵のキャラからそんなことでへこたれる姿は微塵も見せず、あちこちの親類を回った結果、一番冷たくあしらわれない孫の家に落ち着いているようだ。
    生活は困窮はしていないものの決して楽ではない。その辺りは豊太郎と同じ。

    この胖庵が豊太郎や彼を取り巻く人々、または役者たちに絡んだ様々な難題に取り組んでいくという連作短編集の形をとっている。
    頑固ジジイスタイルを崩さず、かつての仇敵である役者たちの衰退と逞しさとを見つめ、時に手を貸し時に一緒に考えている。

    作中、四肢を病気で失いつつも舞台に立ち続けた女形・澤村田之助が名前だけ出てくる。
    以前読んだ彼を主人公にした小説でも描いてあったが、明治になって歌舞伎はガラッとそのスタイルを変えた。落語もまた同様に変えられたというのを別の小説で読んだ。
    能や能役者たちを取り巻く環境もまた明治になってすっかり変わってしまう。かつては士分扱いで立派な家まで充てがわれていたのが明治になると一斉解雇、自分で稼がなくてはならなくなる。
    当然能の世界から離れ新たな道に行くものが多数出る。それでも内職や副業をしながらほそぼそと芸をつないでいく豊太郎のような者もいる。一方で絶望して自ら命を絶つ者もいる。

    劇的に変化する世の波を上手く捉えて先へ先へ漕ぎ出す者もいれば、溺れてしまう者もいる。だた必死にバタバタと藻掻き泳いでいる者もいる。
    上手に世を渡っているもの渡れないものという二者だけではない、その合間にいる者たちの苦悩や逡巡や足掻きも描いてあった。

    『鳥居さま、お教えください。私ども役者は、この明治の世に滅び去るしか出来ぬのですか。ただ、能を極めたいと思っているだけにもかかわらず、そんな些細な願いすら、私たちには許されぬのですか』

    追い詰められた仲間の果てを見た豊太郎の叫びが切ない。それに対する胖庵の、上手く世を渡った側に対するちょっとした反抗が嬉しい。

    『大樹公の御世とて、元は豊太閤の世の後に打ち立った新しき世であった。ならば今の明治の世とて、いずれは古び、綻びが生じて参る。国の栄えのみを目指していた志が行く先を失い、どのような隘路に踏み込むか、それは誰にも分からぬぞ』

    『何が古く、何が新しいかなぞ、考えるな。ただ己の道だけを見つめ、そのために精進すればよい。それが新しき世を器用に渡れぬ者の定めじゃ』

    最初は過去の遺物のような頑固ジジイでしかなかった胖庵の、そのブレない姿勢とブレないからこそかつて毛嫌いしていた役者たちと交流を深めていく姿がなんとも嬉しく、格好良く見えてくる。
    似たような話が続くので途中中だるみしてしまうところもあったが、全体的には楽しく読めた。
    様々な価値観や思想や考え方生き方が氾濫する今の世の中、自分というものを常にしっかり持っておくことが如何に大切で如何に難しいことかということも考えさせられた。

    • fuku ※たまにレビューします さん
      kuma0504さん
      コメントありがとうございます。
      伝えらている鳥居像を崩さず、でも変わりゆく世の中で気持ちの変化も見せていくところ、...
      kuma0504さん
      コメントありがとうございます。
      伝えらている鳥居像を崩さず、でも変わりゆく世の中で気持ちの変化も見せていくところ、なかなか面白かったです。
      2020/12/25
    • kuma0504さん
      図書館に予約しました(^^)
      でも既に誰か借りていた(泣)
      図書館に予約しました(^^)
      でも既に誰か借りていた(泣)
      2020/12/25
    • fuku ※たまにレビューします さん
      kuma0504さんの感想楽しみにしてます
      kuma0504さんの感想楽しみにしてます
      2020/12/25
  • 小説新潮2015年10月号、2016年4、7月号、2017年4月号、2018 年9、10月号に掲載のものに加筆修正を行い2019年9月新潮社刊。幕末、維新の時代を晩年の鳥居耀蔵と能を絡めて描く。晩年の鳥居を配したところが、とてもユニークで、いくつかのちょっとした事件解決を楽しく読みました。

  • 元南町奉行で改易され23年後に東京に戻った鳥居胖庵が、新しい時代の中で江戸時代の威厳を持ってことに対処する物語が6編.修行中の能役者 滝井豊太郎とのコンビが何とも面白い.維新後能役者は幕府からの金が途絶えて苦しい生活を強いられている.一方、旗本らも屋敷を追われて狭い場所に引っ越している.新政府のやり方に文句をつけながら、それぞれが生きている様子が詳細に描写されている.「しゃが父に似ず」が良かった.孫の敏之氶の足を治すのに西洋医学を検討する胖庵が外国人医師のことを聞くくだりで、澤村田之助が出てくる.今の田之助と面識があるので驚いた.胖庵の難題の解決方法の運びが良い.筋道をつけて最後は当事者自身にことを運ばせ、本人は傍観する.カッコイイやり方だと思った.

  • 時代小説を読んでいると、南町奉行大岡忠相と北町奉行の鳥居耀蔵とが出て来て、鳥居は悪者の妖怪とされてきた。

    天保の改革後、鳥居耀蔵が、任を解かれ、そして、家禄も没収、改易の上、人吉藩へ・・・・そして、秋田藩・・・・丸亀藩・・・・四国へと、、、、幽閉された本人も又江戸へ戻って来るとは、考えていなかった。

    そして、77歳の鳥居は、江戸ヘ戻って来たのだが、江戸は無くなっていた。
    江戸の時代から明治への移り変わりは、今までの武士の時代を一掃するものであった。

    鳥居を憎んでいた女掏摸、、、、そして見習いの能役者とひょんな出来事で、知り合いになる。

    立場、年齢も共通点のない2人なのだが、、、どちらも、江戸から明治への変革に戸惑いながら、市井を生き抜いていく。

    今まで、悪役のように思っていた鳥居耀蔵だが、25歳から養子に行き、苦労もして来た人生。
    ただ年を重ねただけでなく、思考が、凜としていて、見習いの豊太郎と関わりもいい。

    予後は、平安に過ごしたのだろうか?と、思いながら、本を閉じた。

  • めずらしい江戸期の小説。
    妖怪とあだ名され、嫌われた鳥居耀蔵(胖庵)と
    御一新後に没落の道を歩んでいた能楽の若手役者。
    澤田瞳子特有の流麗な文が、謡の詞章と巧みに重なる。
    余韻は残るが、
    胖庵の人物像に、やや物足らなさを感じるかな。
    澤田さんの作品は、近代より古代のほうがやっぱり好き。

  • 初出 2015〜18年「小説新潮」の連続6話

    妖怪(耀甲斐)と江戸の人々から恐れられ唾棄された南町奉行鳥居甲斐守耀蔵が、失脚後20年丸亀城に幽閉されていたが、明治になって江戸でなくなった東京に戻ってきた。
    胖庵と名乗る77才の彼は、後ろ盾の将軍や旗本を失って零落する能楽界の若い見習豊太郎と縁ができて、「御一新」の世で、古いが良いものを守ろうとする姿を、渋面を作りながらそっと後押しする。

    弟子がほとんどいなくなっても毅然と稽古をつけるが現状に怒りを吐く老師匠、能で生計が立てられなくなって子供まで働きに出る能役者の家、新政府によって屋敷が上地(収公)になり狭い家に移る旗本の家、そういった背景のなかで、胖庵は次々と事件というほどでもないが激動の時代のひずみにひそむ謎をと解いていく。ーー鳥居を恨む女掏り、能の公演中に投げ込まれたという犬の死骸、演目を新政府に禁じられた歌舞伎の狂言方(台本作家)の屈託、形見の鴛鴦の香炉を処分する旗本の妻、狐狸妖怪までもが西洋のラッパを吹くという噂、武士の世を恨んで古い価値に生きようとする青年の邪魔をする質屋。

    いい着眼だと思うし、私の江戸時代観とも通じるので、面白く読めた。

  • 天保の改革、贅沢を取り締まっていた鳥居。長年の幽閉の後戻ると江戸はなく東京に。
    贅沢と取り締まっていた能の世界。明治の世で古き悪として統率され、職替えするものも多い世に、能役者の見習いの豊太郎との出会いを通じて、時代の波をさまよう人々の葛藤、情景が鮮やかにうかぶ。文化がはたす生きる力みたいなものを、今コロナ感禍の中にあって感じる部分もありました。

  • 結局、時代は回るんだな。

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著者プロフィール

1977年京都府生まれ。2011年デビュー作『孤鷹の天』で中山義秀文学賞、’13年『満つる月の如し 仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞、’16年『若冲』で親鸞賞、歴史時代作家クラブ賞作品賞、’20年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞、’21年『星落ちて、なお』で直木賞を受賞。近著に『漆花ひとつ』『恋ふらむ鳥は』『吼えろ道真 大宰府の詩』がある。

澤田瞳子の作品

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