- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103508229
作品紹介・あらすじ
共に生き、死ねる場所があるとすればここしかない――。唯一無二の世界文学と高く評価される『苦海浄土』をはじめ、詩歌、物語、歴史小説、随筆、新作能とおびただしい作品を書き続けた作家、石牟礼道子。地方の文芸誌編集者として出会い、道子の執筆を支えながら水俣闘争に身を投じた渡辺京二。その半世紀に亘る共闘と愛を、秘められた日記や書簡、発言から跡づける。
感想・レビュー・書評
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お目にかかった石牟礼さんと渡辺さんを思い出しながら読む。若いころの写真が、とても、とても眩しい。ほんとに、怖かったあの時代の水俣のことを思い出しながら。
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著者は石牟礼さんと渡辺さんを近くで見ていた人だけれど、その関係性は当事者同士ししか知り得ないものだと思う。その関係性は特殊だからこそ、他人には定義できない。著者もそのことを感じながらも本書を書いたのではないか。
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石牟礼道子さんと、その半生を編集者として伴走しながら水俣病患者の闘争を中心で闘った渡辺京二さんとのつながりを描いた本。
しかし、その関係性は、作家と編集者という関係性にも、スポークスパーソンと活動家という関係性にも収まらないものだということが、この本を読んでよく分かった。
ひとりの人間とひとりの人間、ひとりの女性とひとりの男性としての心の繋がりが深いところに流れていて、そのことがそれぞれが活動に踏み込んでいくきっかけとなり、原動力にもなり、安心感と支えにもなっていたということが、大きいと思う。
「苦海浄土」をはじめとする石牟礼さんの著作を読むと、記録作品や物語のような構築された著作からは出てこない、滲み出し沸き上がるような声を感じる。
また、渡辺さんたちの水俣病患者たちの活動も、社会正義といった理屈を超えた世界にどんどん入っていく。
このような領域の活動に踏み込んでいくことは、ある意味で多くの仲間の理解を超え、また同志を振り切っていくようなことだったと思う。
しかし、水俣病患者の鎮魂のためにこの道を突き進まざるを得なかった想いというのも、確かに存在したのだろうと思う。
石牟礼さんも渡辺さんも、理屈ではなく魂の揺れのようなものでこのことを感じていたのだろうと思う。それだけに、そのような心の中から出てくるものを共感を持って受け止めてくれる他者がいるということが、最後の拠り所になっているように感じた。
水俣病のような深い悲しみをもたらした出来事には、どうしても元には戻せない、解決ができない不条理がつきまとうと思う。石牟礼さんと渡辺さんの物語は、そのような事に向き合うということの一つのありようなのではないかと感じた。
ふたりのこのような魂の邂逅を、間近で見てきた人が書き残してくれたことは、とても意義が深いことだと思う。 -
渡辺さんの評伝も書かれて欲しい。
かつてはあった、ぶつかり合うような関係。今は、どうだ。 -
最晩年の石牟礼さんを身近で見続けてきた著者にはその記録をしっかり残しておいて欲しいと思うが、石牟礼さんと渡辺京ニさんの関係を書くにはまだ早すぎたのではないか。そして、わずか二百数ページで書ける内容ではなかったと思う。最初から「魂の邂逅」ありきで簡単にまとめられてしまったのが残念。とはいえ、石牟礼さんの葬儀の際、渡辺さんが「わが嫁の追悼文を書いたらヘンでしょう」「夫ですから」と発言されていたとは初めて知ったので驚いた。