- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103506812
作品紹介・あらすじ
「春と修羅」「永訣の朝」「銀河鉄道の夜」――数々の名作の奥底に潜む実人生の慟哭。死の床にある最愛の妹。その胸中を知った時、詩人は修羅と化した。妹の人生を大きく狂わせた恋愛事件と、それに気を留めず同性に恋焦がれていた自分。己を「けだもの」と称した詩人の叫びが「永訣の朝」となり、遺作「銀河鉄道の夜」に絶望と希望の全てが注ぎ込まれた。比類なき調査と謎解きの連続で、従来の賢治像を一変させる圧巻の書。
感想・レビュー・書評
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作品のみならず本人もファンタジーの世界の住人に思えてしまう宮沢賢治を1ページごとにリアルの人にしていく執念深い作業でした。遠くの賢治を隣の賢治へ。著者がテレビドキュメンタリーというジャンルを創成した巨匠であることは知っていましたが本書でも徹底的に文献主義、現場主義を貫きつつそこで起こる著者の「閃き」を紡いで「宮沢賢治の真実」を解き明かしていく、これが帯にもあるドキュメンタリストの手法なのか、と感嘆しました。なぜ宮沢賢治はあのような作品群を遺したのか?というテーマはなぜ未だに宮沢賢治の作品群は我々の心の中に染み込むのか?に繋がっていくと思います。恋を引きづり宗教に引っ張られる…青年という時代がいつだって芸術の孵卵器なのかも。
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宮沢賢治の詩(心象スケッチ)の春と修羅や永訣の朝。童話の銀河鉄道の夜について、それらの書かれた背景や真相を
あぶりだすという内容の本。
それぞれ有名な名作なので、いつか読んだことのある詩や
童話です。
ただ、あまりに、捜索の手法が強引というか、著者の思っている方向に結び付けようとする意図が強引すぎるような感じがして、いまいち腹おちしないような気がします。
宮沢賢治の春と修羅や、銀河鉄道の夜や、永訣の朝やそれぞれの詩集については、意味が確実に取れなくても、それはそれで読んでいけるし、それでも美しいものにみえてくるので
それでいいのではないかと思ってしまいます。 -
すごい執念だ…
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宮沢賢治の真実!?
推察 考察くらいにしなさいよ!
傲慢この上ない!
賢治が37歳で亡くならなかったら
根掘り葉掘り 丸裸にされることもなかったのか
賢治の作品は変わらない! -
「あめゆきとてきてじゃ」の句は中学か高校の国語の授業で初めて知って強烈な印象が残ったフレーズだ。その時以来、自分はこの「永訣の朝」は死に瀕する妹とし子への宮沢賢治の兄妹愛の絶唱の歌として理解していた。それはまったく表面的なことで、少なくとも、彼女の花巻高女時代の恋愛事件による傷心が原因の発病・早逝であったことや妹の窮状も知らず賢治が盛岡高等農林で友人との同性愛に苦しんでいたことは想像すらできなかった。賢治は「妙法蓮華経」の法華経を深く信仰し、詩人であり宗教家であり思想家であった。又科学者であり百姓でもあった。作者は彼の詩や俳句・下書きや日記をよく読んで赤裸々な実像に迫る。気になるところは現地に行って、先学の知恵も借りて、図書館で調べる‥‥とことん解明する、凄い執念である。探究は賢治の死の直前の文語詩「猥(な)れて嘲笑(あざ)めるはた寒き」と口語詩の「マサニエロ」という詩句への疑問から始まり、「春と修羅」「永訣の朝」など多くの詩、最終的には「銀河鉄道の夜」の解釈へと続く。その丹念さと深さで新しい宮沢賢治像を浮かび上がらせる。賢治の妹とし子・学友保坂・野宿の旅・花巻電鉄や樺太行き・星座観測そして読書の知識が織りなす詩作を構想し創り上げる過程がなぞられる、この論考の最高潮の場面である。倫理観と人道主義・宇宙観によって珠玉の世界が再現される。
宮沢賢治の心の深さと拡がりを知る出色の一冊である。 -
自分が同性愛者で、相手の保坂さん(もともとは親友)はストレートだったので、彼に拒否されたことが彼の人生と作品に大きな影響を与えていると検証している(「春と修羅」や「銀河鉄道の夜」がその例)。
かなり苦悶していた様子だが、それは自分が同性愛者だからというよりも、恋が成就しないことや、法華経に邁進していたはずの純粋な自分が性欲や執着(確かに、数えきれないほど手紙を送っていたりして、ストーカーみたいだった)を持ってしまうことが苦しかったのだろうと思った。
もしここで保坂さんも応えていたらどうなっていたんだろう?そういえば、大正時代の地方社会の同性愛に対する評価がどうだったのか全く知らない。江戸時代は同性愛について社会は寛容だったイメージがあるけれど、開国して西洋的価値観が一部入ってきた当時は変化があったのだろうか。とにかく、二人がカップルになっていたら「銀河鉄道の夜」は生まれなかったんじゃないかなと思う。
失恋してから作品が固まるまで10年以上も経っているはずなのに、これでもかという位悩み救いを求めて、それを作品に昇華させる彼の迫力がすごい。
あとは、妹のとし子の内省の記録も印象的だった。優等生だった彼女は16歳位で音楽教師に弄ばれるような恋愛をして、それがスキャンダルとして新聞にまで載ってしまい、回復されないくらい傷付いて、逃げるように東京の学校に進学した。この経験を上京中の数年間に2万字くらいの「自省録」としてまとめて、最終的には平穏な心境に至っている印象だった。やり方が兄と似ているなと思った。
教師との関係が深まっていく過程で、「純粋な気持ちだった、といくら自己弁護しても、本心はやはり性的な関わりを求めていた」という感じの自己分析にここまで突き詰めるのかと痛々しいほどだった。誰に促されたわけでもないのに、慣れない土地で大きな課題に一人で真摯に向き合っていたとし子が愛おしい。
筆者の考察で、今も考えていることは、賢治も、多分妹も、理性では宗教に魂の救いを得ているのだけど、心の奥底まではその救いが到達していないのではないか、というものだった。
自分の信仰はどうだろう?根本的な救いについては、心の奥からの確信があるが、日々の生活において、心から神様を感じて天上の良いものを味わいながら過しているかというと、あやしい。平穏な毎日だからかもしれない。何か危機が起きた時に、頭の中にあった信仰が体全体に下りてくると良いなと思う。