文字渦

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103311621

作品紹介・あらすじ

昔、文字は本当に生きていたのだと思わないかい? 秦の始皇帝の陵墓から発掘された三万の漢字。希少言語学者が遭遇した未知なる言語遊戯「闘字」。膨大なプログラミング言語の海に光る文字列の島。フレキシブル・ディスプレイの絵巻に人工知能が源氏物語を自動筆記し続け、統合漢字の分離独立運動の果て、ルビが自由に語りだす。文字の起源から未来までを幻視する全12篇。

感想・レビュー・書評

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  • 中島敦に『文字禍』という短篇がある。よくもまあ同名の小説を出すものだ、とあきれていたが、よく見てみると偏が違っていた。『文字禍』は紀元前七世紀アッシリアのニネヴェで文字の霊の有無を研究する老博士ナブ・アヘ・エリバの話だ。同じ名の博士が本作にも登場するところから見て、連作短編集『文字渦』は中島の短篇にインスパイアされたものと考えられる。

    『文字渦』の舞台は主に日本と唐土。時代は秦の時代から近未来にまで及ぶ。ブッキッシュな作風で、渉猟した資料から得た知識を披瀝する衒学趣味は嫌いではないが、近頃これだけ読めない字の並んだ本に出会ったことがない。康煕字典でも手もとに置いていちいち繙くのが本当だろうが、それも大変だ。とはいえ、文字が主題なので、それがなくては話にならない。一冊の本にするには、関係者の苦労は並大抵のことではなかったと推察される。ただし、外国語にはほとんど翻訳不可能だろう。

    始皇帝の兵馬俑発掘の際、同時に発見された竹簡に記された文字の謎解きを描いたのが表題作の「文字渦」。粘土で人形を作ることしかできない男が、俑造りのために召しだされる。腕を見込まれて始皇帝その人をモデルに俑を作ることになるが、その印象が日によって変わるのでなかなか捗らない。兵馬俑の成立過程とその狙いを語りつつ、物と直接結びついていた字が、符牒としての働きを持つ実用的な文字へと変化してゆく過程を描き出す。

    阿語という稀少言語を探しながら各地を歩いていた「わたし」はあるところで「闘蟋」ならぬ「闘字」というものに出会う。「闘蟋」とは映画『ラスト・エンペラー』で幼い溥儀が籠の中に飼っていたあの蟋蟀を戦わせる遊びである。「闘字」は、それに倣い、向い合った二人が互いに硯に字を書いて、その優劣を競う。ヘブライ文字で書かれたゴーレムの呪文を漢字に書き換える論理のアクロバットが痛快無比の一篇「闘字」。

    個人的には、「梅枝」に出てくる自動書記の「みのり」ちゃんがお気に入り。いくつものプーリーやらベルトで出来たガントリー・クレーンを小さくしたような形の機械ながら、『源氏物語』の紫の上の死を書き写す際、のめり込み過ぎて他の書体では書けなくなってしまうほど神経の細やかなオートマタなのだ。ニューラル・ネットワークによって学習する「みのり」は話者である「わたし」の一つ先輩である境部さんの自作。境部さんはアーサー・ウェイリー訳『源氏物語』を自分で訳し直したものを「みのり」を使って絵巻に仕立てている。本は自分で作るものだというのだ。

    この時代、紙は「帋」と呼ばれるフレキシブルディスプレイと化している。境部さんは言う。「表示される文字をいくらリアルタイムに変化させても、レイアウトを動的に生成しても、ここにある文字は死体みたいなものだ。せいぜいゾンビ文字ってところにすぎない。魂なしに動く物。文字のふりをした文字。文字の抜け殻だ」「昔、文字は本当に生きていたのじゃないかと思わないかい」と。

    この境部さんのいう文字に魂があった時代、もう一人の境部が遣唐使として、唐の国に渡っている。白村江の戦いに敗れ、唐の侵攻を食い止めるための外交交渉の副使としての任務がある。高宗の封禅の儀式に立ち会い、皇后武則天の威光を知った境部石積は、一計を案じる。外交の窓口となる役人に二つの願いを出す。ひとつは函谷関を越え西域に旅をする許可。もう一つは、武則天の徳を讃えるために新しい文字を作ること、である。前者は日本がカリフの国と手を組んで唐を挟み撃ちにすることを意味している。

    そんなことが許されるはずがないので、これは単なる脅しにすぎない。ではもう一つの方にはどんな意味があるのか。「石積は思う。もしもこの十二年、自分の考え続けてきた文字の力が本当に存在するのなら、皇后の名の下に勝手な文字をつけ加えられた既存の漢字たちは、秩序を乱されたことを怒り、反乱を企てるだろう。楷書によって完成に近づいた文字の帝国に小さな穴が空くだろう」と。

    中島敦の『文字禍』に登場するナブ・アヘ・エリバの名が出てくるのが、この「新字」。老博士は文字の霊の怒りにふれ、石板に下敷きになって死ぬが、石積はその文字の力を信じ、一大帝国に揺さぶりをかけようとしているのだ。もし西域への旅が許されたら、同盟国を探すつもりだが、その頃日本は唐に攻め滅ぼされているかもしれない。それなら、新しい土地で新しい言葉で日本の歴史を記せばいい。それも「国を永らえる一つの道なのではないか。文字を書くとは、国を建てることである」と石積は考えている。

    収められた十二篇の短篇の中には、横溝正史の『犬神家の一族』をパロディ仕立てにした「幻字」もあり、SF、ミステリ、歴史小説、王朝物語とジャンルの枠を軽々と越えて見せる変幻自在ぶりに圧倒されて、ついつい見逃しがちになるのだが、全篇を貫くのは「文字の力」という主題である。公文書の改竄や、首相、副首相の無残な識字力が世界中に知れ渡ってしまった今のこの国において、文字の魂、文字の力を標榜することは大いに意義深いものがあるといえるのではないだろうか。

  • 偶然、この一ヶ月以内のことで、中島敦の「文字禍」が話題に上ったのでした。
    人が記述する文字に、人が操られているのかもしれない、という皮肉を含みながら、「文字禍」の碩学は悲惨な末路を辿りますね。

    でも、本当に文字が生きていたとしたら?
    というテーマは思いつくとしても、円城塔が描く世界はその予想を遥かに飛躍してくれます(笑)
    しかし、頭が疲れる!!
    すらーっと読んでしまうと、まるで何のことかさっぱり分からず、再読しました……。
    以下、引用多目なので、ご注意ください。

    私たちが手書きの文字には何か力が籠もると思っているように、一つの国の歴史が文字として残り、またその存在が許されなかった文字は、時空を超えて無と帰すように。
    性別や立場で用いる文字に区別があること。
    紙がデータに扮した時に、文字もまた書く対象ではなくその文字を表すコードと化したこと。
    無限大と無限小の世界にいながら、文字は人間規格のツールだと思い込んでいること。
    などなど、思いつくだけでも、面白い欠片がたくさん潜んでいることが分かります。

    「『俑を管理するのも文字を管理するのも同じことだ』と嬴は何かを払うように手を振る。『ただの符丁にすぎずとも、秩序に従うことが重要で、従うことではじめて意味が与えられることになる』」

    表題作「文字渦」は兵馬俑の作り手を軸として、中国という国の推移、そして文字が存在することの意味が上手くストーリーに織り込まれていきます。

    「一般に、固有名詞は微弱な光を放つといわれ、これは文字自体が光を放つ証拠とされると同時に、光は認知的なものであるという証拠ともされる。文章をざっと眺めて、固有名詞をみつける速度は、普通名詞をみつけるのに比べて有意に速い。」

    かなだけで書かれた文章であっても、そうと読めることが多いですが(複数の可能性を示すことももちろんですが)、これってアルファベットでも同じなのでしょうか。thisisapen.

    「一見、無特徴ともいえる楷書はしかし、それゆえに人間の秩序とは関係のない文字そのものの生々しさとでもいうものを感じさせる。人間のものではない秩序がそこに現れているようにも見えるのである。それは不思議と、十二年前、阿羅本に見せられた『ウトナピシュティムの書』を思い出させた。字形は全く異なるのに、みつめるうちに自分が何をみているのか、その背後にいるはずの書き手の筆の動きをこえて、文字がただの線の集まりでしかなくなってくるところが似ている。」

    感動して筆先の震える自動筆記機「御法」ちゃんのくだりも、なかなか素敵です。
    併せて、中島敦の「文字禍」にもお戻りくださいませ。なぜか、敬体でのレビューでした。

  • 筆者が文字をとにかく捏ねくり回す作品。
    文字をこれでもかと弄り倒す、それが一番この作品を表すのにちょうどいいかな、と思います。
    文字を1つ書く、それだけで考えられることはたくさんある。
    例えば「の」という字があったとして、誰が書いた?とかどんな意味が?というのはもちろん何故「の」を選んだのかというのは「の」のつく言葉を書こうとした以外にも、もしかしたら「の」の丸みを注目したのか記号としての「の」なのか「もしかしたら、のが家出してきたのかも」などなど色んな考察ができる。
    このように、一般的な考え方の文字の使い方とは限らないところに作品の面白さがある。
    小説ではなく、学術書のような話、SFに寄った宇宙と文字の話、まるでムシキングやポケモンカードのような対戦型の文字、ずっと夢の中にいるときのようなファンタジー、真面目に一字一句読むのは正直疲れました。

  • まさか文字にこんな解釈があったとは!面食らいながら読み進めましたが、読み終わった瞬間感じたのは爽やかで明るい希望。きっと媒体が紙から電子になっても、文字は生き残って本という存在も続いて行くでしょうね。これからも、いえこれまで以上に文字たちと仲良くしたいです。

  • 終始ニヤニヤしながら読んだし、こんなに笑った円城塔は初めてだった。

    「昔、文字は本当に生きていたのだと思わないかい?」というウリ文句からしてなかなかの悪ふざけではあるが、よもやここまで悪ふざけが過ぎるとは思わなかった。出だしの『文字渦』はまだ舌を巻きながら読めるところはあるが、後半に行くに従って徐々にエスカレートしていき、しかめつらしく読むべき文学なのか、抱腹絶倒のギャグなのか、そもそも自分は何を読んでいるのかよくわからなくなっていく。

    しかし、よくもまぁここまで様々なネタを繋げながら文字で遊びきれるものだなぁと感心する。文字コード問題に端を発する戦争なんて上手い発想だし、どうなっているのだろう、この人の頭の中は。

    それにしても校正泣かせであったろうことは想像に難くない。南無。

  • ご多分にもれず、というかSNSに本書の一部の校閲原稿がアップされていて、「これは完成品を一度見てみなくては」という感じで手に取った。

    最初の「文字渦」で、「文字と歴史上の人物をからめた連作か」と思ったが、そのようでそうでもない。かといって、文字の持つ呪術的な部分を称揚したエモーショナルな作品でもないし…

    とはいえ、巻末に記載された資料のパワーのみで押してくるアカデミックにめんどくさい作品ではなく、すっとぼけた物語をベースに、ふわふわと進むのが愉しい。森林さんのプリンタはどんだけすごいスペックなんだ!とか、境部さん、モリミー作品のクールビューティーお姉さまっぽいよね!とか。

    つまるところ、「文字」自身というか、文字が情報を運ぶコンテナとなって、あちらこちらに顔を出し、過去から未来へ旅をしていき、人間がその人の生きた時代のそれぞれのインターフェースを使ってそれを追っかけていく、といった風情の作品で編まれた短編集ということができると思う。個人的には、そうした時間の流れを追っていくのがとても楽しかった。

    見た目は実験小説のカテゴリーに入ると思うので、物語重視のかたはちょっと読みにくいかもしれないけれど、ストーリーだけではなく、字面の技巧という面も楽しめるので、そういう面がお好きな方にはぜひ。

  • こないだ某作家さんと飲んでた時に「時代小説書いてると編集者から「そんなに調べたこと全部書いたら読者がついてこないからほどほどに」って言われて「書きたい」って思ったけど、小学生からじいちゃんばあちゃんまで幅広くファンレターもらっちゃうと分かりやすさ第一にせざるを得ない」って言ってはって「大変やなぁ」と思ってたんやけど、たまにはこういう「作家がやりたいことを全力で振り切って書いてる」本もええよね、ファンレターは少ないかもしれんけどオイラは好きよ。

  • 難しい。言いたいことはわかる。だけど読んでも意味がふわふわ滑ってしまい、戻って読むという作業が必要だった。
    特に二番目の緑字。
    えーん、なにー?と何度も読んでいて迷子になったし。
    速読するタイプの私には特にこの作業はしんどかったけど、それ以上に面白いのだ。
    ちくちょーと言いたくなる気持ちを抑えながら(面白いから難しいのに読んじゃうだろう、のちくしょー)なんとか読みました。

    面白い。というか、絶対に私には書けない(他のものなら書けるという意味ではなく)
    なんか、すごかったです。

  • 文字をテーマにした、異色作品です。時にSF小説であり、時に推理小説。そしてある時には、コンピュータの文字コードの歴史のパロディだったりして笑えました。
    表題作を含む、12作が収録されていますが、一番笑ったのは「天書」に登場する凸や門がスペース・インベーダーを彷彿させるお話でした。(^^;
    本分とルビが異なることを語る、「誤字」も読みにくかったけれど笑えました。

  • 一瞬「文字禍」と空目して「中島敦への挑戦状か!?」と思ってしまいましたが、こちらは「文字の『渦』」ですね。
    日本SF大賞・川端康成文学賞受賞作。日本SF大賞はともかく、川端康成文学賞の方は、かなりの英断ではないかと(笑)まさに「奇書」です。

    あらすじを紹介するとネタバレになる類の作品については、レビュー投稿のときに注意を払うようにしていますが、この作品に限っては何をどう書けばネタバレになるのか、そもそも「あらすじ」とは(定義に悩む)といった、鴨ごときの浅薄な理解力では全く太刀打ちできない、まるで「手玉に取られた」かのような読後感です。でも、「あーよくわからん、ツマラナイ」という印象はなく、むしろ心地よい酩酊感が味わえますね(まあ、世の中ではそれを「手玉に取られた」というわけですがヽ( ´ー`)ノ)。

    テーマは文字、主人公も文字、それを描いていくのも文字です。これまで見たこともないような文字がそれぞれに意味を持ちつつ大挙して登場し、組版にも工夫と意匠と暗喩が込められていて、これは出版社泣かせの作品だなぁ、と思ったのが第一印象(笑)
    主要な登場人物(文字じゃなくて人間)も数名出てきますが、彼ら/彼女らはあくまでも文字の語り部であり観察者であって、結局は文字の、文字による、文字のための世界。人を食ったようなユーモラスな筆致で描かれる、文字をめぐるアイディアの奔流を楽しむことができれば、それに尽きるのでは、と思います。

    同じように、文字を駆使して世界を描き出す作家として、鴨は真っ先に酉島伝法氏の作品を想起します。
    が、酉島作品は文字によって異質な世界を、そこに暮らす動植物や無生物も含めて分厚く描き出し、知的大伽藍のような圧倒的世界観を広げていく「構築的」な作風であるのに対し、円城作品は文字というものを徹底的に掘り下げて、様々な角度・観点・価値観からしつこくしつこく文字の本質を突き詰めて、掴み取ったレイヤーを重ねていく、「重層的」な作風だと感じました。言い方を変えれば、酉島伝法は作品を「展開」し、円城塔は作品を「演算」しているイメージ。
    共通して言えるのは、どちらも日本語を母語とする者こそが味わうことのできる、稀有な作品だということです。日本でSF者として生まれてきて、本当によかったなー。
    しかし、酉島作品はギリギリ翻訳可能ですが、この「文字渦」は無理ですよね・・・^_^;

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著者プロフィール

1972年北海道生まれ。東京大学大学院博士課程修了。2007年「オブ・ザ・ベー
スボール」で文學界新人賞受賞。『道化師の蝶』で芥川賞、『屍者の帝国』(伊
藤計劃との共著)で日本SF大賞特別賞

「2023年 『ねこがたいやきたべちゃった』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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