駅路 最後の自画像

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  • Amazon.co.jp ・本 (158ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103204381

作品紹介・あらすじ

なに不自由のない男が家庭を捨て、失踪した。追う者と残された女たち…。昭和52年、NHKで放送され、平成21年、フジテレビでリメークされた名作ドラマ。不世出の二人の才気と真髄が刻まれた、空前絶後の共著。

感想・レビュー・書評

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  • 石坂浩二さんと深津絵里さんが出演されていたドラマの脚本。ドラマが面白かったので原作を読んだのですが、全く違っていたため探して購入しました。もちろん原作が良いことは大前提ですが、脚本でこんなにも変わるということを実感したドラマです。向田邦子の力をしみじみ感じました。

  •  松本清張(1909~1992)と向田邦子(1929~1981)、この2人が出会い、たった1本だけ手を携えた作品「駅路/最後の自画像」。昭和32「点と線」、昭和33「ゼロの焦点」、昭和35「砂の器」「駅路」。短編「駅路」の向田邦子さんの脚色によるテレビドラマ化「最後の自画像」(昭和52)。脚色を嫌った脚本家、向田邦子が大胆に脚色した作品の背景がここに記されています。なお、松本清張が直木賞の選考委員を辞した次の回に、向田邦子は直木賞を受賞しています。
     昭和35年、サンデー毎日に掲載された松本清張の「駅路」。当時は停年が55歳でした。その「駅路」を昭和52年に向田邦子が脚色した脚本「最後の自画像」。原作も脚本も共に味わい深いです。私は脚本の方が好みですw。
     

  • 松本清張原作の駅路では、男性側の価値観のみで、女は何の感情もない、男側の動機としてだけの役割で添え物。であるのを、向田邦子がドラマとしてシナリオ化する時に、女サイドの感情のうねりを付け足して、女性側に命を吹きかけた。というのが、並べてあるのでよく分かります。
    あと新米刑事も、原作ではベテラン刑事のベテランたるやり手ぷりを際立たせる役割でしかないのを、ドラマではもうちょっとあっけらかんとしていて、妻とか子供とか、まだ誰に対しても責任のない若さを際立たせている。
    今この話をドラマにするなら、男と女の立場が入れ替わってそーだ(≧∇≦)

  • 何より、原作とシナリオの併載という企画自体が斬新かつおもしろい。

    で、おそらく松本清張氏の小説は初めて読んだ。
    「駅路」は短編小説だったからなおさらなのかもしれないが、「非常によくできたプロット」のような小説だと感じた。
    地の文で状況解説する部分と場面として展開する部分の塩梅が絶妙。
    脚本家が腕を活かしたくなる、いい意味での余白に溢れている。
    ひところは、氏の小説が続々と映像化された理由が、わかった気がする。

    向田邦子氏の脚本は、原作を基本的に踏襲しながらも向田節炸裂。
    「男の事件」を「女のドラマ」として生まれ変わらせている。
    原作では単なる捜査でしかない場面も、それぞれの人物像が膨らんで輝いている。
    ゴーギャンの画集、化粧品、アルバムなど、原作にあるものないものひっくるめて、小道具の使い方も巧い。

    現時点ではまだNHKオンデマンドで映像作品を見られるらしい。
    近々のうちにそちらも見てみたい。

    数は限られると思うが、「原作+シナリオ」という書籍企画が、少しでも増えると嬉しい。

  • 短いお話で読みやすかった。シナリオもあって映像でも見てみたいと思った。

  • 原作と脚本の対比が出来る面白い1冊です。

  • 原作と、それをドラマにした脚本が並べてある一冊。
    お二人とも好きな作家なので、とても興味深く読みましたよ。
    脚本というものをこんなに隅々までしっかり読んだのは初めてですけど、
    いや~、なんか、「へぇ~~~、なるほどなぁ」ってほんとに面白い体験だった。
    向田ドラマ常連の俳優さんの声やドラマの雰囲気までもが、頭の中にリアルに再現されましたわ。
    脚色を嫌った向田さんの数少ない脚色本らしく、たしかに原作と違ってるところがあるのですが、作品のテーマを男側から書いたのが清張さんの原作、女側から描いたのが向田さん、って感じですーーごく面白かったです。
    ほんと、なるほどなぁ…♪、って思うところ多々。

  • 松本清張の「駅路」(1960年発表)を向田邦子が脚本し「最後の自画像」(1977年ドラマ化)を製作した。その原作とリメイクが集録されていてNHKプロデューサーや編集者か解説する。そのドラマは当時、人気絶頂期の二人が携わり、しかもNHK土曜ドラマは硬派で社会性をもつということで当時注目を浴びた。

    松本清張という人は自分の作品が映像化されることにこだわりがないようでむしろそれを喜んでいる様子、そして自身がなにかの役で出演を希望するという茶目っ気を持ち合わせている。

    向田邦子は自作で脚本製作を手がけてきた人であり、他の人の作品を脚本化したのは後にも先にもこれ一本であるらしい。「駅路」を「最後の自画像」とタイトルを変更し原作の中味まで変える。でもそれが松本清張本人やドラマ製作側に受け入れられたのは物語の主題「男の心にある一人の人間としての生きる願望と、あくまでも責任ある立場を守る生き方の狭間の苦悩」という根本はくずされていなかったから。

    松本清張と向田邦子は、それぞれの持ち味はまったく違うもののように感じられるが、人の心の中に潜在する人間の深い意識にさりげなく触れ、どこかじんわり心に残るものがある。


    2009年に「最後の自画像」が松本清張生誕100年、向田邦子生誕80年で「駅路」と原作にもどしてリメイクされ放映されたらしい。
    冒頭のナレーションで「人は人と出会う瞬間にそれぞれの人生が交差し、輝きを放つようです。~~略~~
    松本清張はいつも時代に翻弄される人間の、生きるかなしさを描いた~~
    向田邦子作品は日常生活の中にこそきらりと光る珠玉の人生がある、という哲学がこめられたいた。~~略~~」

    人を惹きつけてやまない二人の魅力をみごとに描き、接点を持たせたことが素晴らしい。

  • 2010年11月20日(土)フジテレビで、再放送でしたが向田邦子の脚本で「駅路」を放映していました。
    出演は、役所広司、深津絵里、木村多江、十朱幸代、等でした。
    (2010.05.05読了)(2010.04.29借入)
    松本清張の短編「駅路」(1960年)と「駅路」を原作として執筆された向田邦子のテレビドラマ「最後の自画像」の脚本が収められています。
    松本清張生誕100年、向田邦子生誕80年記念として出版された本なのでしょう。
    松本清張の本は何冊か読んでいるのですが向田邦子さんの本は、読んだことがないので読んでみました。

    ●「駅路」(17頁~49頁)
    某銀行営業部長を定年退職した小塚貞一が行き先を告げずに旅行に出て1カ月たっても帰ってこないので、妻の百合子が所轄署に捜索願を出した。
    銀行に勤めている時も行き先も告げずによく一人で旅行に出かけていたが、大抵二週間ぐらいで帰ってきていた。
    捜索願を受けた所轄署の呼野という古い刑事と北尾という若い刑事が捜査を担当した。
    二人の刑事は、百合子夫人から聞き取り調査を行った。遺書は残さておらず、特に悩んでいる様子もなかったが調べてみると80万円という多額のお金を持って行ったということが分かった。(1977年の「最後の自画像」では、500万円となっています。)
    小塚貞一の略歴を訊くと本店詰になる前、広島支店長と名古屋支店長を勤めていることが分かり、趣味はカメラと旅行、旅行は独り旅。旅行先は、アルバムを見せてもらうと東尋坊、永平寺、下呂温泉、犬山、木曽福島、京都、奈良、串本、蒲郡、等、美しい風景が撮られていた。写真の余白には撮影した年月日がつけてあった。呼野刑事はその日付をかき取った。
    銀行関係者から聞き取りに努めたら大村という女性から数年前から電話があり、その電話があると辺りを気にするような話し方をしていたそうである。小塚宅に伺い百合子夫人に確認すると自宅にも大村さんから電話があったという。旅行に出る前にも電話があったという。ふと応接間の壁を見るとゴーガンの複製画が掲げてあった。小塚貞一が好きで集めたものだった。(ゴーガンに失踪のヒントが隠されていた。)
    呼野は北尾刑事と広島へ向かった。呼野は、旅行先の写真から広島から来る女性と東京から行く小塚貞一がほぼ中間地点で落ち合ったのだと読んだ。
    今回の失踪は、広島の女性とどこかでひっそり暮らすため、であろう。
    広島支店の聞き込みで、小塚貞一が広島支店にいたころから勤めていた女子社員が一年前にやめていることが分かった。古い出勤簿を調べてもらうと、休暇を取得している時期が、小塚貞一の旅行の時期と一致した。女性の名前は、福村慶子。
    銀行で教えてもらった住所を訪ねてみたら、福村慶子は、三か月前に病気で死亡していた。
    福村慶子に両親とか兄弟の身内はなく、葬式は東京から従妹(いとこ)がやってきて、万事後始末をして帰ったという。
    (後はご想像にお任せします。)
    「ゴーガンは、第二の人生を求めて南洋に住んだ人だ。人間だれしも、長い苦労の末、人生の終点に近い駅路に来た時、初めて自分の自由というものを取り戻したいのではないかね。小塚氏のは、家庭への責任を果たして、やれやれ、あとの人生はおれの勝手にさせてくれ、という気持ちだな。」(35頁)
    (「駅路」には、長編推理小説の骨組だけが書かれている。この短篇に肉付けをすると、あっという間に、長編推理小説が出来上がる。推理小説を書くときの原型がここにある。自分でも推理小説を書こうという方には、この短篇は、非常に参考になるのではないでしょうか。)

    ☆松本清張の本(既読)
    「ゼロの焦点」松本清張著、光文社、1959.12.
    「砂の器」松本清張著、光文社、1961.07.
    「徳川家康」松本清張著、角川文庫、1964.01.20
    「点と線」松本清張著、新潮文庫、1971.05.25
    「ペルセポリスから飛鳥へ」松本清張著、日本放送出版協会、1979.05.01
    「岸田劉生晩景」松本清張著、新潮社、1980.10.20

    著者 松本清張(マツモト・セイチョウ)
    1909年、小倉市(現・北九州市小倉北区)生れ
    朝日新聞西部本社に入社
    1953年、『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞
    1958年、『点と線』は推理小説界に“社会派”の新風を生む
    1992年、死去、享年82歳

    ●「最後の自画像」(51頁~138頁)
    題名の「最後の自画像」とは、何でしょうか?(題名にこだわる癖があるらしい。)
    ドラマのタイトルバックにゴーギャンの「黄色いキリストと自画像」が使用されたということですので、ゴーギャンの自画像であるとともに、ゴーギャンと同様、妻や子どものために生きてきた人生、自分のやりたいことを我慢してきた人生の終わりに、妻子のしがらみから逃れて自分やりたかったことをしながら自由に生きたいということを意味しているようです。
    小塚貞一にとっては、定年後を福村慶子と一緒に過ごすことが夢だったのでしょう。
    向田さんは、ドラマ化に当たり原作では、ゴーガンの南洋の女を強い色で描いた三枚の複製画(30頁)としか書いていない絵を「死霊が見ている」「アレアレア(楽しい時)」「呼び声」と具体化しています。
    ドラマは、小塚貞一が旅行に出て行く場面からはじまります。
    そして一ヶ月たって、家出人捜索願を出す。
    警察のえらいさんの親戚の親戚ということで、呼野刑事と北尾刑事が小塚邸に聞き取りにやってくる。(わざわざ家出人の捜索をしないといけない理由が述べられています)
    小塚貞一は、お金は、調べてみたら、520万円持って出たという。
    遺書や書置きはなかった。
    原作では、広島支店に2年、その後、名古屋支店に2年となっていましたが、ドラマでは、名古屋支店に4年、その後広島支店に3年となっています。(順番が変わり、年数が増えています。)
    小塚貞一の趣味は、写真と旅行で、「旅行は広島支店から戻りまして好きになったようで」(61頁)と妻の百合子がいっています。(広島で何かあったというヒントが出ています)
    写真は風景だけで、人物が入っていません。(一人旅なので!)
    原作では、福村慶子は、病気で亡くなっていますが、ドラマでは、生きていて、元の小塚貞一の職場に何度も電話をかけてきています。ただし、山崎と名乗っています。
    小塚貞一が現役のときは、山崎と名乗る男性からよく電話がかかってきていたようです。
    呼野刑事と北尾刑事は広島に出張します。
    最近やめた女子社員として福村慶子があげられます。出勤簿を調べてもらうと、小塚貞一と同じ時期に休暇を取っていることが分かります。
    福村慶子の住所を訪ねてみると一週間前から東京へ行って不在でした。
    雑貨屋の2階に間借りしているのですが、雑貨屋の老主人役が松本清張に割当てられています。(99頁に写真が掲載されています)
    部屋に入れてもらいアルバムを見せてもらうと「福村慶子のさまざまな姿態の写真」が貼られていた。(小塚貞一との旅行の際の写真と思われる)
    福村慶子には、東京のいとこから毎月書留が来ていたという。住所と名前を教えてもらいメモる。
    そのころ東京の小塚邸には、福村慶子が化粧品のセールスマンとして訪れ、百合子にマッサージやパックをし、小塚貞一の情報を聞き出して帰って行った。
    (向田さんは、小塚貞一の妻と愛人を合わせています)

    ●ゴーギャンの夢(81頁)
    ゴーギャンはあらゆる束縛から解き放たれて自由になる日を夢見ていた。恍惚と静けさと愛する芸術に包まれて生き、そして死ぬことができたらと
    ●ゴーギャンの言葉(135頁)
    「人間は絶えず子どもの犠牲になる。それを繰り返してゆく」
    「それでどこに新しい芸術が出来るのか。美しい人生があるのか」

    著者 向田邦子(ムコウダ・クニコ)
    1929年、東京生れ
    実践女子専門学校(現実践女子大学)卒業
    映画雑誌の編集者などを経て脚本化に
    人気TV番組「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」など数多くの脚本を執筆
    1980年、『思い出トランプ』に収録の「花の名前」他2作で直木賞受賞
    1981年8月22日、台湾旅行中、飛行機事故で死去、享年51歳
    (2010年5月7日・記)(5月8日・追記)

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著者プロフィール

1909年、福岡県生まれ。92年没。印刷工を経て朝日新聞九州支社広告部に入社。52年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞。以降、社会派推理、昭和史、古代史など様々な分野で旺盛な作家活動を続ける。代表作に「砂の器」「昭和史発掘」など多数。

「2023年 『内海の輪 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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