モンスターマザー: ―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い― (新潮文庫)
- 新潮社 (2019年1月27日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101311838
作品紹介・あらすじ
不登校の男子高校生が久々の登校を目前にして自殺する事件が発生した。かねてから学校の責任を異常ともいえる執念で追及していた母親は、校長を殺人罪で刑事告訴する。弁護士、県会議員、マスコミも加わっての執拗な攻勢を前に、崩壊寸前まで追い込まれる高校側。だが教師たちは真実を求め、反撃に転じる。そして裁判で次々明らかになる驚愕の事実。恐怖の隣人を描いた戦慄のノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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学校現場で働く身として、「いじめは絶対に許さない」ということは基本方針であるし、いかなる例外もあってはなりません。
しかし、生徒間のトラブルはどのような学校でも起こりえますし、教師も人間である以上、相性の合う・合わないということも皆無ではありません。
人間関係のトラブルは「ありうる」という想定の下で、わずかなきっかけを見逃さずに初動を行い、真摯に対応を重ねてゆくことこそが解決への唯一の道筋なのだと改めて感じます。
しかしながら、いじめをはじめとする人間関係のトラブルから自死する生徒がいることも事実ですし、そのなかで学校としての対応に失敗したことが最悪の結果を招いてしまった事例があることもまた事実です。
一方、学校としての対応に落ち度がなかったとしても、生徒が自死したことの責任を追及されるケースもあります(もちろん、学校に全くの責任がなかった(なんらかの手段を講じることで生徒の死を避けられた可能性は否定できない)といいたいわけではありません)。
本書で取り上げられている長野県の丸子実業での生徒自死に端を発した、校長を殺人罪で起訴するという衝撃的な展開を迎えた事件もまた、真摯に対応していていた学校が不当にバッシングを受けた事例です。
学校を訴えた親が「異常だったから」と片付けてしまうのではなく、加熱する報道合戦への冷静な視線や、学校を過剰に敵視して事故を正当化しようとする保護者もいるのだ(学校に対して要望をもつ保護者を否定するものではありません)という認識を、多くの方々に持ってもらいたいと思いましたし、この本がそのきっかけになればいいとも思います。
「誰が悪いのか」という責任追及に終始するのではなく、家庭・学校・関連機関(児相や警察など)を含めてそれぞれのケースに合わせた対応を協力しながら作り上げてゆくことの重要性と、そのために必要な当事者間相互の信頼関係、またその信頼関係構築の基盤となる周囲の理解の貴重さをあらためて考えさせられました。
学校をはじめ、病院や官公庁(役所)といった、人々が「意見」を主張しやすい分野に対して、「自身の意見は正当な主張なのだろうか(社会通念に照らした整合性や、証拠に基づく主張かどうか)」とひといきいれて考える精神的な余裕をもって過ごすことができればいいな、と感じます。
また、この事件で自死を選ばざるをえなかった生徒の冥福をお祈りします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても 他人ごとではありません
ここにレポートされたような「事実」は
私たちの すぐそばにでも
起きてしまうこと
なにか(目新しい)ニュースが
報道されたその時には世間の耳目が集まる
そして、自分に直接かかわらない限り
それぞれが身勝手な俄か評論家になってしまう
そして、また次のニュースが…
の繰り返し
それだけに
一つの事例をとらまえて
それまでのこと それからのことを
ちゃんと辿ったルポルタージュは
大きな意味がでてくる
湯水のごとく
玉石混交の情報があふれ出てくる
「今」だからこそ
じっくり受け止めたい一冊です -
2005年長野県の丸子実業高校バレーボール部に所属する高校生が自殺する事件がありました。その原因をめぐり、生徒の母親と学校側(校長、担任、部顧問他)、教育委員会、バレーボール部員の保護者間で訴訟が繰り広げられたのですが、その経緯を追ったノンフィクションです。
本書によれば、自殺に先立つ生徒の不登校に対しては学校側、教育委員会ともに懸命にこの生徒が登校できるように配慮していますし、バレーボール部の部員達も生徒の登校をずっと待ち望んでいたのです。生徒の母親は「いじめが原因だ」と一貫して主張していますが、学校関係者や部関係者の誰にヒアリンをしても「いじめ」と判断されるような事実はなく、自殺した生徒自身は一貫して学校に行きたがっていたというのが実情で、学校と生徒との間に強大な壁として母親が君臨していたというのが真実でした。
生徒の母親の異常とも思える言動に翻弄される関係者の様子。校長は母親からの殺人罪の刑事告訴の事実を知った時、「一体どうして、こうなるんだ…」と茫然自失となり、いじめの加害者として名前を挙げられた生徒は「えっ?俺?何で…」と信じられない気持ちになったと描写されています。生徒を救おうと親身になって懸命になった人ほど、理不尽な避難を母親から浴びせられるという状況になっていました。
この事件は母親側と学校側やバレーボール部の保護者間で複数の訴訟が入り乱れ、最終的に母親側の全面敗訴が決定しました。
しかし、「いじめ→学校側が悪い」との思い込みから、マスコミには相当偏った報道をされ、それに乗じて多数の抗議電話が殺到した結果、学校関係者が精神的にかなり追い詰められたり、何よりも何の罪もないバレーボール部の部員達が目標としていた大会に出場できなかったりと、深い傷を残す結果となりました。
本書前半は母親が学校関係者に理不尽な言いがかりをつけて事態が混乱する様子が、後半は訴訟の進展に伴う状況が詳細に描写されています。自分がもしもこの母親の攻撃の対象となる立場だったらと思いつつ読んでいると、本当に恐ろしいというか、薄気味悪い気がしました。
真摯に対応しようとする学校関係者の労力が、この様な人物への対応に浪費される状況がないように祈るばかりです。 -
不登校の男子高校生が久々の登校を目前にして自殺する事件が発生した。かねてから学校の責任を異常ともいえる執念で追及していた母親は、校長を殺人罪で刑事告訴する。弁護士、県会議員、マスコミも加わっての執拗な攻勢を前に、崩壊寸前まで追い込まれる高校側。だが教師たちは真実を求め、反撃に転じる。そして裁判で次々明らかになる驚愕の事実。恐怖の隣人を描いた戦慄のノンフィクション。
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このお母さんがいまだ普通に暮らしていることが理解出来ない。「子供を持つべきではない親って、いる」…そう言いたくはないのだけど、読後に唸った。
一番の被害者は、この母親の息子さん。
こんな事件だとは知らなかった。
丸子実業の名前と、イジメという言葉ばかりがクローズアップされた記憶。
読んで良かったけれど…。
やっぱり唸る。
この母親は、母親でいるべきではない…。けれど… -
『でっちあげ』同様、面白くスイスイ読みすすめられるが後半息切れ…