- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101308425
作品紹介・あらすじ
ハプスブルク家の心臓ばかりが埋葬された礼拝堂をウィーンに訪ね、ボヘミアでは骸骨装飾で名高い納骨堂に足を運ぶ。プラハのユダヤ人墓地やカタコンベ、フランクル、マーラー、エゴン・シーレなど歴史的有名人の墓参りで浮かび上がってきた文化と埋葬、生者と死者との関係はなにか? 長年、人間の身体を切り分け、観察しつつ思考してきた解剖学者が明かす、ヨーロッパ独特の死生観。
感想・レビュー・書評
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欧州の場合には、都市住民の文化と、森の住民の文化は、ほとんど決定的に断絶している。都会人は森の人を人と見なさなかったのであろう。それは欧州の被差別問題によく示されている。その境界がどこに位置するかというなら、自然の力を借りて生業を営むのは、都市に住んでいても、むしろ被差別民に属した。だから「美しき水車小屋の娘」なのである。身体もまた自然だから、身体を直接に扱う生業は、全て賤業に属した。医者と言えば内科医だった。外科医は理髪師で、産婆やペディキュア師と並んでいたのである。
2019/10/6読了
――へぇ~、今では考えられん価値観である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
どうしたら、こんな発想が浮かぶのかというと、虫好きで解剖学を勉強すれば、できるというものでもない。
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思いつくまま書きたいことを書き連ねたというような印象の文章なので本筋が見えにくいところがあったが、興味深い考えとか気になる情報がところどころちりばめられていて、読んでいておもしろかった。
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再読(一度目に読んだ時は何も書けなかった←書かなかった、じゃない。)
養老さんのいう「死」について「二人称」でとらえるか、「三人称」でとらえるか(「三人称」でとらえるから「死体」)という観点はとてもおもしろかった。
「ハプスブルグ家の埋葬方法」や「骸骨の意匠」は文化が違うとこんなこともあるのか、とりあえず自分の慣習と違いすぎて興味深かった。「骸骨」のところにあった「九相観」そして、小町や一休+骸骨の話にはなるほど、と思った。そこで頭の中に浮かんだのは「風葬」。(古典の世界だけでなく、例えば、琉球では「洗骨」という風習があったというし。)
「内なるユダヤ人」のところあった「他者」として認識するというあたりもふむふむ、だったし、「ハプスブルグ家」も「ユダヤ人」も「共同体」という表象をもっていること、というところもなるほど、だった。
現物を見て、近きことも遠きことも縦横無尽に考える。養老さんは「脳」という自分の揺るがない立ち位置があることが前提だけれど。「具体」と「抽象」を往還しているわけだ。
おなかいっぱいなのだが、細部はわかったつもりになっているだけでわからない、だからまた読みたくなる。 -
2年ほど前にこの著者による『遺言』を読んで、何とも面白い語り口をする人だと感じた覚えがありまして。この本も、そうした著述の妙というか、死や死者といった社会がタブー視している内容を、かなり高度なことを述べているんじゃないか、ということをハードルを下げて、まるで居酒屋で酩酊しながら隣のおっちゃんがわかりやすく話してくれるような、そんな雰囲気で述べてくれる。
内容としては、欧州への旅を通しながら、そうした死や死者についての考察を、ヨーロッパでの心臓信仰や骸骨の扱い方や墓の在り方等を通して、深めていってくれる。「墓ぐらい、役に立たないものはない。(中略)そういうところ(=街の中央にある鎮座する墓場)を訪問すると、経済も効率もない私の人生にすら、なにか意味があるような気がして、気持ちが和む。いくら合理性を追求したって、いずれはお墓だよ」、なんて、ふわっとした感触で深いことを言えるのは、養老さんくらいじゃないかな。 -
ヨーロッパ三ヶ国の礼拝堂、納骨堂、墓地を巡り、ヨーロッパ独特の身体性と死生観を追究する旅。日本とは異なる感覚に興味深く知り得た。
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関連する書籍が気になって仕方ない。。
知識欲に火をつける一冊になった。
養老先生の本を読んだのははじめて!