養老孟司特別講義 手入れという思想 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101308371

作品紹介・あらすじ

人間が手入れした自然にこそ豊かな生命が宿る。お化粧も子育ても同じで毎日毎日手入れをする。どういうつもりでどこにもっていくのかはわからなくても、そうやってきたのが私たち日本人の生き方の特徴だ――。我が国独自の思想をはじめ、子育てや教育、都市化の未来、死ぬということ、心とからだについてなど、現代日本社会を説いた八つの名講演を収録。 『手入れ文化と日本』改題。

感想・レビュー・書評

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  • 98-99年あたりに行われた養老先生の講演会をまとめたもの。先日読んだ小島慶子さんとの対談本で、小島さんが推していたので読んでみた。

    根本にあるのは、そもそも日本の近代化とは都市化であって、人間がコントロールできない自然を排除する傾向にあるとの論。ウィルスとの関連では、交通事故死の数とウィルスによる死亡者数が同じであっても、コントロールできないウィルスの方を異常に脅威と感じるというところが、昨今の流れに合致していてしっくり来た。言われてみれば、自分で発明した自動車に殺されることの方がキミが悪いのに、対処法がわかっていれば安心してしまう不思議な人間心理を指摘されたよう。

    小島さんが感銘を受けたと言う子育てについては、子供=自然である、という発想(思うままにならない子供を育てる人が減る→少子化)。言い換えればマニュアル化なのかもしれないが、「これを入力すればこういう結果が出る」ということを求めてしまう現代人の性を指摘されて、なるほどと思ってしまった。子育ても月齢別マニュアルから、「自分の子供が育てにくいと思ったら読む本」云々まで実にさまざまあり、無意識のうちに「子供は親の力で抑制できる/正しい方向に育てられる」と思い込んでいることが育児ストレスを生み出しているのかもと思った。

    知識と自分との乖離。当時はサリン事件が騒がれていたこともあり、どうしてそういう若者が生まれたのかと、若者に接する教授としての養老先生の思考が垣間見れて面白かった。

  • 養老さんの講演を収めたもの。全部で八つの講演が収録されていて、都市と自然について触れている部分がとても多いです。
    この本でとりあげられている都市の象徴は天王洲とみなとみらい。とことん人工的で、地べたからすべて人間が設計して作りあげた、養老さん式に言うと「ああすれば、こうなる」が形になったところ。その対極にある自然の象徴は屋久島と白神山地。ここを養老さんは「人間とできるだけかかわりのないところ」で「使いようがありません」と言います。
    そしてその中間にあるのが里山。これは自分が作ったものではない、自分の思いどおりにならない自然を素直に認め、「それをできるだけ自分の意に沿うように動かしていこうと」する人々の働きかけによってできたものです。そしてその働きかけこそが「手入れ」なのです。
    里山風景というのは、決してそれを作ろうという意識が作り出したものではなくて、こうやったら農作業がしやすいとか作物がうまく作れるとか、そういうことを考えて人々が努力して工夫してきた結果できたもの。そしてそれは人にとって使い勝手がよく、目で見ても美しい。
    これを養老さんは子育てやお化粧に例えます。子育てには「こうやれば大丈夫」ということは一つもない。こうやれば永遠に美しく若くいられる、という魔法もない。到達点は見えないけれど、それでもよりよくしようと日々努力してきちんと整えていこうとする、それが「手入れ」で、それをやっていれば出来上がりが大きく間違うことはないだろうと。とても共感できました。生きていると思いどおりにならないことばかりありますが、結局は日々よくなろうと努力するしかないのだから。
    死んだ時に心がなくなるとしたら、人が死ぬ時に体重を計ったら心の重さが分かるだろうと、それをやってみた人がいる、という話。死は具体的なある瞬間ではなくて、人はそれぞれの器官がバラバラに死んでいくのだという話。言葉と音楽と絵は人間の「表現」の典型で、本来これらは同じものであり、それを別物と区別しているのは人間の意識であるという話。とても挙げきれないくらい面白い話がたくさん出てきます。
    養老さんのお父さんの死について語られる部分では、きっと彼らしく飄々と話されたのでしょうが(実際彼の講演に行ったことがあるので、声が聞こえる気がしました)涙が出ました。
    養老さんはブレなくて、どの講演でも基本的に同じことを繰り返し言っています。でも、講演をする場所、語る相手によって切り口が違う。それが面白いと思います。

  • 虫取りが好きな死を、自然なことを見つめる解剖医である著者が語る都市論。死生観。自然なことについて都会人が自然に思い込んでいることを浮き立たせる。幾つかの講演が収録されていて多少の重複があるのが、そこが本人の言いたいことと分かるのでありだと思った。読んでとても面白かった。

  • むずかしい養老孟司。

  • 講演録なのでどんどん面白く読める。内容はいつも通りに「唯脳論」の敷衍。

  •  

  • 大学などの講義録
    いささか内容等古い( 当然だが…)
    ただし、昔からこの人の発言にはブレがないことがよくわかる

  • 養老孟司先生の講義録。
    日本人特有の「手入れ」という思想から、
    「言葉」というものの再定義、人類が行ってきた「都市化」という行動がもたらすもの、「死」というものについて…
    意表をついた切り口が鮮やかで、霧がぱっと晴れたようにものごとが分かった気がします。で、IQが10くらいは上がったような気になりますが、後で人に説明しようとしてもうまく伝えられない。とても難解なことを語っていたのだなと、後で気がつくのです。これは読み返してしまいますね。

  • 講演録なので読みやすい。なるほど、と思う発想がいろいろ開陳されていておもしろく読めた。

  • 講演集のため、内容は多岐にわたり、収められた講演のテーマも、
    子どもの教育からことば、脳科学、そして死の意味まで、雑多です。

    ただ、一見雑多なのですが、読み進むうちに、一貫して流れている
    テーマがあることに気付かされます。それは「自然と人間」とでも
    言えばよいでしょうか。ここで言う「自然」とは、いわゆる自然環
    境だけでなく、身体や死や病気や災害という自然現象を含めてのこ
    とですが、それら自然と人間はどのように向き合ってきたのか、向
    き合うべきなのか、切り口を変えながら語られてゆくのです。

    根底にある問題意識は、人間は自然を切り捨てては生きていけない
    ということです。なのに、人間の「進化」や「都市化」は、自然を
    排除する方向に行ってしまう。子どもや奇形や死や土は、都市にと
    っては余計なものとして、隔離され、見えないものにされていく。

    でも、本来は、人間は、自然と折り合いをつけながら生きてきたの
    です。特に、植物の繁殖力が旺盛で、地震や噴火や台風など、自然
    災害が頻発する日本列島に生きてきた人々は、自然と向き合い、折
    り合いをつける生き方をせざるを得なかった。

    そこで無意識に培われてきた考え方や態度を象徴する言葉が「手入
    れ」です。自然を自然のままに放っておいては人間らしい生活はで
    きなくなる。だから何とか人間の意に沿うようとする。でも、自然
    は思うようにはいかないものです。コントロールしきれない。では
    どうするか。ちょっと手を入れてみて、反応を見て、それに対して
    また手を入れて、ということを弛まずにやるしかない。相手と向き
    合い続けるしかないのです。

    そうやって一所懸命やっていても、死は来るし、災害は来る。それ
    は「仕方がない」ことです。誰の責任でもない。自然とはそういう
    ものなのです。そうやって日本人は生きてきた。

    これは、子育てや教育にも通じる考え方ですね。人間を管理しよう
    と思うから間違えるのであって、相手はナマモノなのだから、手入
    れの態度で臨むしかない。子どもも部下も思うようにはいきません。
    でも、だからこそ面白いのです。そのことを忘れたらどうなるか。

    そういうことを本書からは考えさせられます。

    著者がこういう本質的なことを考えるようになった背景には、解剖
    学者として死体と向き合い続けてきた経験があるようです。死体は
    動きません。動かないから、こちらが何かしない限り、何も始まら
    ない。だから、嫌でも考えざるを得ない。そうやって考える癖がつ
    いたと言います。

    動かない現実を前にした時に人は考える。これは目からウロコでし
    た。確かに、自分から事を起こさないと動かないような環境に身を
    置いた時、嫌でも考えさせられますよね。逆に、周囲の状況に流さ
    れて忙しく生きている時は、色々考えているようで、実は何も考え
    ていない。それを著者は、「世間の人は案外なまけている」と言い
    ます。「日常起こっていることに対応するのに精一杯」で、何も考
    えていないからです。ああ、そうだよなあ、と反省させられました。

    そんなふうに、思わずハッとさせられることの多い一冊です。是非、
    読んでみてください。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    人間や世界は止まったものではなくて、生きたものだということを、
    教育でどうやって教えるのか。

    なぜ自然は消えていくのか。それは人の意識が作り出したものでは
    ないからです。人間はそういった異質なものを排除することによっ
    て、いわゆる進化というものを得ました。

    あと半年ということを宣告されてそれを納得した瞬間から、自分が
    変わります。ですから、知ることというのは、実は自分が変わるこ
    とだと私は思うわけです。
    しかし現在では、知ることは自分とはまったく無関係のできごとに
    なったのではないかと思うのです。

    まさしく知は技法に変わったんです。技法ということはノウハウで
    す。どういうふうに知識を手に入れるか、どうそれを利用するかと
    いう、そういうものに知識が変わってきたんだなということです。

    「仕方がない」という言葉は戦後ずっと使われなくなっていきまし
    た。(…)都市化が進んできますと、「仕方がない」という言葉は
    どんどん時代遅れになってきます。なぜなら都市の中では、すべて
    が人工物、ありとあらゆるものが人間によって意図的に作られたも
    のですから、そこでは仕方がないというセリフは成り立ちません。

    テレビは反応しません。これが生身の親と一番違うところだと思い
    ます。

    生老病死というものが都会から排除されていきます。その排除され
    る中に子どもも含まれています。(…)
    子どもがなぜ排除されるのか。それは子どもは自然であるからです。
    都会は原則的に自然を排除するところですから、子どもは邪魔にな
    ってしまう。子どもは日常生活を妨害するものと、皆さんは何とな
    く考えてないでしょうか。

    日本人本来の自然に対する感覚の根本にあるもは「自然との折り合
    い」です。それは自然を相手として認めているということでもあり
    ます。

    手入れというのは実は自然を相手にするものなのです。まず自分が
    作ったものではない自然というものを素直に認めます。それをでき
    るだけ自分の意に沿うように動かしていこうとする。それが手入れ
    です。

    戦後の日本人の態度の変化でいちばん目立つのは、何事も人のせい
    にする人が出てきたということです。なぜかというと、人間の作っ
    たもので世界を埋め尽くしていけば、それだけが現実になっていく
    からです。その「現実」にないはずの不都合は、すべて人のせいに
    する。

    自然の中に暮らしているときに不幸な出来事が起こりますと「それ
    は仕方がない」となるということです。一方、都会の中で不幸な出
    来事が起こりますと「誰のせいだ」ということになります。

    教育勅語の中に入れなかったことが二つあると言いました。それは
    宗教と哲学です。宗教と哲学を除いて作られた勅語とは何かという
    と「マニュアル」であります。まさに人生のマニュアルです。それ
    は、自分で自分の生き方を考えるなということです。そのかわりこ
    のとおりやれということです。
    教育勅語の中身そのもの、字面をきれいに消しました。辞書を引い
    ても出ていません。しかし、教育勅語の精神は戦後脈々と生きてい
    ます。

    大事なことは、お化粧にしても子育てにしても、結局毎日毎日手入
    れをするということになります。どういうつもりでどこにもってい
    くのかはわからないのだけれども、それが見えなくてもともかくそ
    れをやるのだということです。そうやってきたのが私たち日本人の
    生き方で、それはある意味で自然が非常に強いところの特徴です。

    日本は非常に外形を気にする国です。儀礼というのも、型とか形と
    かに強くこだわりますが、それはそのまま人間の形にも応用されま
    す。したがって、平成の世の中になるまで、「らい予防法」があっ
    た。「らい予防法」は、ご存知のように顔の形、手の形が変わる、
    こういう人は外に出るなという法律です。こういう特定の病気の患
    者さんを収容所に閉じ込めるという形の法律をついこの間まで持っ
    ていた国は、恐らく世界で日本だけだろうと思います。

    日常に死が失われたということは、ある意味ではとても良い社会だ
    と思います。しかし裏返すと、これは、その社会を作っている人間
    の理解力が減ってくるということも意味します。つまり子どもの死
    がいかなるものか、ということを理解する人が減ってしまった社会
    が現代社会、ということになります。すると皮肉なことに、世の中
    が進歩すればするほど人間は愚かになっていく、ということになり、
    我々は、それを何となく今、感じているのではないでしょうか。

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    ●[2]編集後記

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    明日は1月17日。阪神淡路大震災からもう19年ですね。

    敗戦から19年目というと、1964年ですから、東京オリンピックが
    あった年です。敗戦から19年目にしてオリンピックを開催すること
    ができるまでに復興した日本人はさぞかし誇らしかったことでしょ
    う。一方で、今の神戸がそうであるように、敗戦の傷跡というのも
    まだ残っていたはずです。輝かしい復興が語られる陰には、忘れて
    はいけない現実があったはずです。

    自然災害は誰のせいでもない、仕方がないことです。災害が起きた
    ことを忘れるのも仕方がない。「忘れてはいけない」と言いますが、
    忘れるのも、それこれそ「仕方がない」ことだと思います。

    でも、人災は、忘れてはいけないですよね。人が起こしたことは、
    二度と同じ過ちを繰り返さないように語り継がなければいけない。

    なのに、戦争中に起きたことや敗戦の記憶は語られません。だから、
    戦争を体験していない世代に戦争の醜さ、怖さはわからない。

    明日は恐らく、「神戸を忘れない」ということが語られるのでしょ
    う。そして、東北の震災のことにもまた言及されるのでしょう。し
    かし、本当に語られなければならないことは、自然災害のことでし
    ょうか。語られるべきは、人災のことではないでしょうか。

    戦争のこと。原発のこと。語られるべきことが語られないままに、
    また同じ過ちを繰り返す。そんな愚行だけは避けたいものです。

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著者プロフィール

養老 孟司(ようろう・たけし):1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士(解剖学)。『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。『バカの壁』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。同書は450万部を超えるベストセラー。対談、共著、講演録を含め、著書は200冊近い。近著に『養老先生、病院へ行く』『養老先生、再び病院へ行く』(中川恵一共著、エクスナレッジ)『〈自分〉を知りたい君たちへ 読書の壁』(毎日新聞出版)、『ものがわかるということ』(祥伝社)など。

「2023年 『ヒトの幸福とはなにか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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