- Amazon.co.jp ・本 (375ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101281919
作品紹介・あらすじ
150日間、僕たちは深い森の中で、ひたすら耳を澄ました――。広大なアマゾンで、今なお原初の暮らしを営むヤノマミ族。目が眩むほどの蝶が群れ、毒蛇が潜み、夜は漆黒の闇に包まれる森で、ともに暮らした著者が見たものは……。出産直後、母親たったひとりに委ねられる赤子の生死、死後は虫になるという死生観。人知を超えた精神世界に肉薄した、大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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ヤノマミにとって、産まれたばかりの子どもは人間ではなく精霊なのだという。
精霊として産まれた子どもを人間として迎え入れるのか、それとも、精霊のまま天に返すのか(母親が殺める)。
「命」を巡る決断は女が下し、理由は一切問われない。
我々の善悪は、そこには無い。
あるのは、人知を超えた精神世界。
15年たった今、「文明」がどれだけ浸透しどのような影響を与えているのか気になるところです。
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アフリカを起源とする、現生人類であるホモ・サピエンスは、なぜか、5-7万年前にアフリカからの移動を開始した。それは、「出アフリカ」とか「グレート・ジャーニー」と呼ばれている。ヨーロッパやアジアに散らばっていった人類は、やがて、シベリアから、ベーリング海を越えて、アラスカに渡る。アメリカ大陸に到達したのだ。人類は、アラスカから更に、アメリカ大陸を南下していく。そして、1万年前には、南アメリカの南端に到達したと言われている。
本書の題名になっている「ヤノマミ」は、ブラジルとベネズエラに跨る広大な森に生きる先住民で、推定25,000人から30,000人が200以上の集落に分散して暮らしている。ヤノマミ族は、最近まで外部の人間と接触したことがなく、従って、原初の暮らしを、すなわち、グレート・ジャーニーによって南アメリカ大陸に到達した1万年以上前の暮らしを今でも続けていると考えられている。
2007年11月から2008年12月にかけて、NHKの取材班が、ドキュメンタリー番組を制作するために、4回に分けて、延べ150日間、そのヤノマミ族の集落に同居した。それは、NHKスペシャル等として放送された。本書は、その書籍版である。「ヤノマミ」というのは、彼らの言葉で「人間」という意味である。今に続く、我らの先祖たちが、すなわち、人間はそもそもどのような暮らしをしていたのか、という点で興味深い。
彼らは1万年間、森から与えられるものを食べ、そして自らも亡くなった後、森の栄養分として森に還っていくという循環を繰り返している。その中で、出来るだけ部族が生き延びるチャンスを増やすための様々な仕組み・決まりを設けている。
そのこと自体、および、その内容も興味深かったが、もう一つ興味深かったのが、筆者のような文明の中で暮らす人間が、ヤノマミの暮らしをどう捉えたか、という点である。筆者は、150日間の同居を終え、日本に帰った後、すっかり体調を崩してしまう。その時のことを、筆者は下記のように記している。
【引用】
ヤノマミの世界には、「生も死」も、「聖も俗」も、「暴も愛」も、何もかもが同居していた。剝き出しのまま、ともに同居していた。
だが、僕達の社会はその姿を巧妙に隠す。虚構がまかり通り、剥き出しのものがない。僕はそんな「常識」に慣れ切った人間だ。自分は「何者」でもないのに万能のように錯覚してしまうことや、さも「善人」のように振舞うことや、人間の本質が「善」であるかのように思い込むことに慣れ切った人間だ。
ヤノマミは違う。レヴィ=ストロースが言ったように、彼らは暴力性と無垢性とが矛盾なく同居する人間だ。善悪や規範ではなく、ただ真理だけがある社会に生きる人間だ。そんな人間に直に触れた体験が僕の心をざわつかせ、何かを破壊したのだ。
僕を律していた何かと150日間で見たものは余りにかけ離れていたから、バランスが取れなくなってしまったようだった。
【引用終わり】
本も面白かったが、放送されたNHKスペシャルの番組を見ることが出来ないか調べてみると、NHKオンデマンドというサイトから有料で観られることが分かったので、実際にお金を払って観てみた。番組は、書籍で読むのとはまた異なる迫力を持っていた。もし、本書を手に取ろうと思われた方は、一緒に番組もご覧になることをお薦めしたい。 -
――――森に産まれ、森を食べ、森に食べられる
以前NHKで放送されたドキュメンタリーを今でもよく覚えている。
わたしにはとても衝撃的なもので、正直鑑賞後どのように理解すればいいのか戸惑った。
「ヤノマミ」はブラジルとベネズエラにちょうどまたがる地域に住んでいるそう。食料はほぼ狩猟と採集で調達しており、古くからの生活を今も続けているひとたちだ。ヤノマミとしてひとつのグループとなっているのではなく、小さな集団が100以上もあり内紛状態にあるらしい。
この作品はそのヤノマミのひとつの集団に180日ほど断続的に滞在したドキュメンタリーだ。できるだけ個人的な感情を挟まず、淡々と出来事が書かれている。
この冒頭に書いた「森に産まれ、森を食べ、森に食べられる」というのはNHKのなかで出てきた言葉で、彼らの人生を現している。特に「森に食べられる」というのは穏やかではない。これは出産したときに母親に突きつけられる選択に関わる。出産したとき、へその緒がまだ付いた赤子はまだ人間ではない。母親はこのへその緒の処理をして「人間」にするか、それとも「精霊」として森に返すかを決断しなければならない。母親にしか決定権はない。食料のこと、家族のこと、いろんなことを考えてそれを決める。もし決めたらだれもその意志を覆すことができない。…そしてもし、「精霊」に返すとなったら、彼女はそっと、まだ人間になっていない子供をバナナの葉で包み、シロアリの巣に置く。シロアリが食べつくしたころ、そのシロアリの巣を焼くのだ。衝撃。わたしにはその風習自体を理解できない。でも理解できないといって、否定もできない。ドキュメンタリーで観たとき、悲しくはないのか、と疑問だった。この本のなかにもある。ある日子供を精霊に返した女が(男勝りでめったに泣かないような女性だったのに)泣いていたという。シロアリの巣を焼くときも、涙をこぼしていた。悲しくないわけがないよね…。
感情としては納得できないのだけど、文化というものはそういうものなのだなあと別の意味では納得した。外から見ていくらそれが許せなくても、そのひとたちにとってみればそんなのは「押し付け」だろう。未開の地や野蛮…などという言葉はどうしても陳腐だ。いくら切なくても、納得できなくても、「それが文化だ」という理解はできる。かつて幕末の昔、野蛮だと日本人も思われていた、というのを考えると「野蛮」という言葉は使いたくない。そういう人たちがいる、とそれだけでいい。
ちょっと、正直、本当にショックだったのはもう仕様がない。
ただこの本を読んでいると、圧倒的な生命力にびっくりする。美しいとさえ思う。力強いひとたち。-
こんにちは。
テレビもこの本も未見ですが、渾身の力をこめたブリジットさんのこのレビューは素敵ですね!
森に生きる「ヤノマミ」のあり方...こんにちは。
テレビもこの本も未見ですが、渾身の力をこめたブリジットさんのこのレビューは素敵ですね!
森に生きる「ヤノマミ」のあり方が、切実に伝わってきました。
2013/11/26 -
こんにちは!
完全に夜中の勢いで書いたので、今読むと熱いですね…。笑
色んな文化があるのだとは分かっていても、なかなかに衝撃的でした...こんにちは!
完全に夜中の勢いで書いたので、今読むと熱いですね…。笑
色んな文化があるのだとは分かっていても、なかなかに衝撃的でした。15やそこらで出産し、命を決断するということの厳しさ…。
わたしの衝撃が少しでもお伝えできていたなら、意を決してレビューを書いた甲斐がありました。ありがとうございます。2013/11/26
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アマゾンの奥地で暮らす民族ヤノマミ。1万年前から変わらない生活を続けていると言われている彼らと150日生活を共にして、その生活をテレビカメラに収めた副産物の本です。
強烈な本で、よくあるいい話のような異文化交流ではありません。所謂善悪のような物では仕分けする事が出来ないような事が沢山出てきます。命の在り方が我々とは違う為に、それを受け止めようとした国分氏が、神的に変調を来してしまうような衝撃があります。
どんな事があるのかは是非読んで確かめて頂きたいですが、情愛というものの前に、生きていく為に切り捨てて行かなければならない事。これは日本でも昔似たような事が絶対に有ったと思います。
そして、急速に文明社会に取り込まれて行ってしまう民族たちの中で、彼らは従来の生活を堅持しようとしています。そんな中に入って彼らの事を記録するが故に、彼らを文明に近寄らせてしまうジレンマもあります。
特に若者は便利で享楽的な方を選ぶに決まっているので、早晩彼らの世界観も資本主義に染め上げられていく事でしょう。
もうこの本の中の彼らは存在しないんだろうなと思うと、非常にやりきれない想いで一杯です。
とても素晴らしい本で、人間って何だろうと考えこんでしまいました。 -
今まで読んだノンフィクション本の中でもベスト5には入る良作。読み進めながら、読み終わった後、色々なことを考えさせられた。
我々の現代社会とは、物、生き方、考え方、死生観などありとあらゆるものがあまりにも違いすぎる。母親が堕胎することすら何ら「悪」ではない。
しかし、そもそも今ある善悪とは誰が決めたのか?それは本当に正しいのか?そもそも正しいって何だ?とすべてが分からなくなる。人間の文化、進歩は果たして「良い」ものだったのか?それすらも疑ってしまう。
作者が中立的な書き振りだからこそ、読む人によって感じることも違うと思う。価値観を押し付けない書き振りも非常に好感が持てる。どちらが良い悪いではない。
ただ、「知る」ということは、経験値が増え、夢が広がる「幸せ」のスタートでもあり、同時に「不幸」につながる道なのかもしれない。そんなことを少し考えさせられた。 -
ブラジルとベネズエラ国境周辺の「緑の悪魔」アマゾンの密林に居住する先住民ヤノマミの人びとと約150日間、生活をともにして調査にあたったノンフィクションです。中盤まではヤノマミの特徴的な生活を描き、終盤は文明に触れた彼らがどう変わりつつあるかを伝えてくれます。
ヤノマミたちの生活のなかでもっとも目を見張らされた風習はやはり、「精霊として生まれてきた子供は、母親に抱きあげられることによって初めて人間となる」ところで、善悪ではない彼らの生き方が凝縮されているように見受けられます。
そして筆者が取材して生活をともにした「ワトリキ」の村については、彼らの長であり村の創始者であるシャボリ・バタの存在の大きさが印象的です。シャボリ・バタという一個人があったからこそ文明からも適度な距離を取ることができ、「ワトリキ」という共同体が繁栄したことは間違いなさそうです。彼の半生は筆者が取材中に読む『百年の孤独』の物語をも想起させます。シャボリ・バタなしでは彼らと同居するこのような取材自体がありえなかったのではないでしょうか。
ヤノマミを含めた先住民が文明と出会うことで引き起こされる変貌を通して、豊かさや安全や便利さと引きかえに私たち失くしたものが何だったのかを垣間見せてくれます。ここには漫画家・水木しげるが戦地ニューギニアで出会い、親しみを込めて「土人」と呼んだ人びとの暮らしとも重なるところがあります。水木氏は彼らの生活こそ本来の人間の生き方であると述べていました。
著者自身が語る通り、仮にこれ以降に彼らを再訪しても従来のヤマノミたちの生活が残っているかの保障はなく、この取材は結果として、ヤノマミが文明に取り込まれてしまう直前のわずかな期間に、いろいろな偶然が重なって残すことができた比類ない貴重な記録となるのかもしれません。
本書を読むことで、謙虚に取材にあたった著者の国分氏を通してヤノマミたちの「アハフーアハフー」という朗らかな笑い声が、あたかも自分で聴いたもののように響きます。 -
ブラジル森林地帯の先住民、ヤノマミ。彼らと暮らした150日間。これは心の内奥を抉ってくる良書であり怪書です。2009年にテレビで放送された番組の文庫化とのこと。ノンフィクション、ドキュメンタリー系の本は普段読まないゆえに面食らった感もあります。終わらない思索と焦燥感。
私たちが当然であるとして疑わないもの、常識と呼ばれているものが、常識ではないということを追体験せざるを得ません。科学や経済、法規や倫理、統治や民権といった観念は人工物に他ならないのだと気づかされます。そんなものはなかった。死生観も違う。ものさしも違う。むき出しの生と死があり、善悪という尺度もまた括弧に入れられる。生き物がいて、精霊がいる。
一万年前からほぼ変わらぬ狩猟採集生活を営む彼らと、ほんの数十年前まで「殺し合い」をしていた私たち日本人。文明人とは過度に着飾った非文明人を意味するのでしょう。
特に、新生児を人間にするか「天に返す」かの大決断をその都度迫られているヤノマミの女性の風習は筆舌に尽くし難いものがあった。私たちの度量衡に当てはまらない知がそこにはあるように感じられます。
http://cheapeer.wordpress.com/2013/11/14/131114/