謝るなら、いつでもおいで: 佐世保小六女児同級生殺害事件 (新潮文庫)
- 新潮社 (2018年5月29日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (359ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101214610
作品紹介・あらすじ
「私がカッターで切りました」。幼さを残す少女は動揺する大人を前に淡々と告げた。2004年長崎県佐世保市。小六の女児が白昼の校舎内で同級生の御手洗怜美さんを刺殺した。11歳――少年法すら適用されず人殺しの罪に問うことはできない。だが愛する者を奪われた事実は消えない。苦悩する被害者家族、償いきれない業火を背負った加害者家族……それぞれの心のひだを見つめたノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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佐世保小6同級生殺人事件にまつわるルポタージュ。
【刑法第41条】
「14歳に満たない者の行為は、罰しない」と規定し、刑事未成年者である触法少年を処罰対象から除外している。
児童福祉法による処置が原則として行われるが、都道府県知事または児童相談所長から送致を受けた場合に限って、家庭裁判所の審判の対象となる(少年法3条2項)
家裁での審判の結果、児童自立支援施設に収容される事になったとしても、ここでは少年の改善更生を目的とされ、加害者であっても被害者という立場におかれ、刑罰の対象にはならない。
感受性豊かで、まだ何にも染まっていない幼い少女が目の当たりにした「歪な世界」は、時に大人でさえも取り込まれてしまう程、刺激が強すぎた。
他者と関わる事が希薄である故に、あまりにも簡単に傾倒していく。
善悪は関係なしに、指先ひとつで欲しい情報は簡単に手に入ってしまう。
便利ではあるが、あまりにも諸刃の剣だからこそ、ある程度の年齢までは大人が管理してあげなければいけないと思う。
反省をして心からの謝罪があったとしても、重い罰を受けようとも、後悔から自死を選んだとしても、望む事はただひとつ。
「あの子を返して」
憎んでも恨んでも復讐しても、願いは叶わない。
その無念さを、絶望を、どうかせめて受け止めてあげてほしい。
自分はそれだけの事をしてしまったのだと、逃げる事など許されないのだと、その為に生きるのだと、心に刻んでほしい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
最初は直近の佐世保同級生殺害事件と間違えて本を購入した。2014年に起きた佐世保高1同級生殺害事件よりも、10年前に起きた11歳女児のこれは、まだわかっていない事があるのかもしれないが、高1女学生のそれよりも遥かに単純な事件だった。この本は、事件の本質を解明するよりも、事件を起こした周りの人間(被害者父親、加害者父親、被害者兄、被害者部下で新聞記者の著者)の心の襞を記録したノンフィクションである。
油断していた。昼下がりのファミレス、被害者父親の記者会見の代わりの手記を読んでいる途中、涙を堪えるあまり「うっ、うっ」とかなり大きな声を出してしまった。毎日新聞佐世保支局長だった御手洗氏は、事件当日の夜、異例の被害者父親本人の記者会見を行う。「自分も逆の立場ならば会見をお願いするだろう」と考えて応えたものだ。八尋弁護士はこの淡々と答える会見を見て「これはもう壊れちゃっている。誰かが止めないと」と思ったそうだ。医師の診断書を得て、2回目の会見ストップの本人と報道陣の納得を勝ち取ったのだ。会見の数十分前に勧められて書いた、被害者娘に呼びかける形の手記が、ものすごいものだった。「さっちゃん。今どこにいるんだ。母さんには、もう会えたかい。どこで遊んでいるんだい。」そう始まる手記は、あくまでも12歳娘のために書いたものだが、充分報道陣をも満足させる被害者の心情と家庭環境を説明する所もあった。数分で書いたとは思えないほど、文章が練られていた。私は泣きながら、「これが新聞記者なのか」と思った。
この作品には、普通の殺人事件ノンフィクションとは違い、著者が直接の部下というだけでなく、日頃から社屋の3階に住んでいた御手洗さん家族とは親しかったという事情がある。著者自身も事件によって大きな傷を負い、それでも事件報道をしないといけない新聞記者の描写が多くを占める。よって、入社4年目の駆け出し記者の「重大事件報道とは何か」を描くものになっている。横山秀一の小説(「クライマーズ・ハイ」等)を思い出した。
また、第二部の三つのインタビューがすごかった。3人とも、被害者と近かった著者だから聴くことの出来たのだと思う。御手洗氏の判決数年後の気持ち、加害者父親の気持ち、そして10年後、妹と加害者の「ケンカ」を承知しながら何も出来なかった事を抱え込んで中学、高校、大学を過ごした被害者兄の気持ち。兄の「あいてが近づいて、一度きちんと謝る。謝ってもらった後は、お互い自分の生活にもどる。」という一見加害者を赦しているかのような微妙な気持ちは興味深いものだった。三者三様、同じものを見ていても見事に見えている景色が違うと思った。直前まで、何一つ前兆を捕まえることは出来なかった二人の男親よりも、歳が三つしか離れていないお兄さんの思う犯人像の方が、1番現実に近くリアルなのだと思う。この景色の見え方、様々な人気作家の小説に似ているが、私は宮部みゆきの小説をずっと思い出していた。
そして、1番重要なことがある。犯人の「声」が著者の取材の中に一切入っていないどころか、この本を書いた当時は20歳になっていたはずの、「女性」の近況、心情を伝える一切の情報を全て、わざと書いていなかったのである。一つは、この本の書きたいものは著者の周りの人物像だったからだ。もう一つは、この本の全てが、今は自由に本を買うことのできるその女性に向けて書かれたものだからだろう。
2018年7月読了 -
川名壮志『謝るなら、いつでもおいで 佐世保小六女児同級生殺害事件』新潮文庫。
2004年に長崎県佐世保市で起きた小六女児同級生殺人事件を毎日新聞社の若手記者が被害者側と加害者側の双方の立場から見つめたノンフィクション。
被害者、加害者双方の中立的な、客観的な立場から極めて冷静な取材を行った上でまとめられたノンフィクションだと思う。著者の上司が被害女児の父親という残酷な状況で著者は戸惑いとやりきれない思いの中、非常に苦労しながら取材を進めているのだが……
加害者の女児は11歳と少年法すら適用されぬ年齢から被害者と加害者の双方の家族は苦悩と悲しみの業火を背負う。何故、人を殺すということが、こんなにも簡単に行われる世の中になったのだろうという怒りのような思いとやりきれない悲しみを感じながら読み進んだが、最後の最後に微かな光が感じられた秀作であった。
最後に。こうした事件が起こるとマスコミや精神科医や児童心理学者は加害者を型にはめたり、レッテルを貼りたがる。我々はそうした誤った情報により事件の真相とは全く違うイメージを抱いてしまっているのではなかろうか。 -
誰の言葉なのか気になって読み始めた。
この言葉が優しさなのかもわからない。
死刑なんかで終わらせてなんかやらない。
そんなことでは終わらない。
いつかの法律の授業を思い出した。
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本屋でふと目に入り、その日のうちに一気読み。
しんどい。
最後まで「なぜ一線を越えたのか」が分からないまま。
加害者少女の痛々しさに昔の自分を重ねてしまう所もありなんだかゾッとした。私も小6のときにホラー小説やスプラッタ小説に手を伸ばして拗らせていたなぁなんて、、。ウィキペディアに『呪怨』にも興味を持ってたとあり更に共通点を感じた。
こんなトラブル誰にでもある。
でも自分だって何か精神が揺らいだときにこういう行動を取ってたかもしれない。そういう世界線がふと想像できてしまって恐ろしい。
うまく説明できないけど一線をぴょんと飛び越えてしまうときがある。
自分が絶対そうならなかったとは言い切れない。
他人事じゃないと思った。
お父さんとお兄ちゃん、加害者のお父さん、
皆さんギリギリのところで食いしばって耐えていてすごい。
彼女はいま何を考えてるんだろう。 -
書名は被害者怜美さんのすぐ上の兄の言葉。寛容さが窺えるが、その兄も高校を中退するほどの喪失感を味わっていた。
加害女児についても知り、妹からの相談も受けており、事件に最も身近な存在の一人であった。
思い返すことは、いろいろあったであろう。
怜美さんの父は新聞社の支局長。一般の人よりは事件や事故といったものに接する機会は多い。
3年前に妻を亡くし、何とか立ち直りかけたところでの事件。ショックは大きかっただろう。
マスメディアに勤める責任感から事件直後に記者会見をしたが、2回目はドクターストップがかかった。
加害者家族の立場も慮り、怒りのぶつけどころもなく、やるせなさを感じる。
加害女児の父は娘が生まれた直後に脳梗塞で倒れている。不自由ながらもつましい生活を営み子育てをしてきた。
事件の責任を重く受け止め、読まれていない被害者父への手紙を書き続ける。
2人の父の話は読んでいてつらい。我が身に起きたらと考えるとやり切れなくない。
インタビューした著者もきつかっただろう。
解説はスタイリスト伊賀大介という人物。上の方々を賞賛する言葉を書いているが何か評論しているような印象を受ける。
読書をするのは何故か。たいていの人は趣味である。であれば、楽しみということである。
でも、読者は事件や当事者たちを楽しんでいるのであろうか。
そんなことはないと否定してみる。では、何故読むのか。それは知ることによる満足感。
もっといえば、知ることによって書のテーマに参加し、何某か社会に還元できるという期待を得ること。
よいことをしているという自己満足。
しかし、本当によいことか。
本書は新聞記者により書かれたものであり、テーマは事件報道にもある。
大衆の満足感を満たすために憶測で先走る報道。構図を単純化する解説。
それらがどれほど当事者たちを傷つけるか。
「毒を食らわば皿まで」ではないが、知ろうとしたなればとことん知らなければいけない。
当事者と同様に悩み、苦しみ、深みにはまり、解のない答えをいつまでも探し続ける。
少しでも長い時間その世界に居続ける。
それは一旦知ろうとした人の義務でもある。
読書は楽しみだけに行うのではない。
そこにわからなければいけないことがあるから、読むのである。 -
『謝るなら、いつでもおいで』佐世保小6同級生殺害事件から10年… - HONZ
https://honz.jp/articles/-/40510
川名壮志 『謝るなら、いつでもおいで―佐世保小六女児同級生殺害事件―』 | 新潮社
https://www.shinchosha.co.jp/book/121461/ -
2004年に佐世保市で起きた、小学6年生女児による殺人事件。
被害者遺族の少女の父の、当時の部下が書いたルポタージュ。
事件のことは覚えていましたが、報道で見ていただけなので、改めてネットで調べてからこちらを手に取りました。
嫌だなと思う相手に対して、いなくなればいいと思ってしまうことは、少なくないと思います。
でもそこから、相手を殺める行為につながってしまい、それがたった11歳の少女の行為だったという衝撃。
少年法でも裁けなかったこの事件の真実を複雑な気持ちで読み進めました。
残された人達が、それぞれの立場で苦しんでいる様子に胸が痛みます。
また、被害者遺族の懐の深さには頭が下がりました。
その中でも、今回まで知らなかったお兄ちゃんの存在。
そしてタイトルの言葉。
そのお兄ちゃんを中心とした作品もあると知り、読んでみようと思っています。