- Amazon.co.jp ・本 (393ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101214467
作品紹介・あらすじ
ここは沼津市のデイサービス施設「すまいるほーむ」。デイルームや入浴介助の場で、ふと語られる記憶の数々。意外な戦争体験、昭和の恋バナ、心に沁みるエピソード。多彩な物語が笑いと涙を呼び、豊かな時間が流れる。聞き書きや思い出の味の再現、人生すごろくなどユニークな取り組みが問いかける、老いることの価値とは。深い気づきと新鮮な感動に満ちた一冊。『介護民俗学へようこそ!』改題。
感想・レビュー・書評
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「介護民俗学」を提唱する六車さんのことは何となくそういうものがあることくらいしか知らなかったので、実際のところどんなものだろうと一冊読んでみた。
この本ではデイサービス施設での利用者の高齢者たちとのエピソードが紹介されている。高齢者の話すことを聞き書きしているということだけど、聞き書き自体の効用というより聞き書きできるゆとりをつくることとか、高齢者の話をきちんと聴くスタンスで向き合うことが大事なのだと思った。
紹介されているエピソードがしみる。戦時中に娘時代を送った人々の話からは、けっして暗く悲惨なばかりの青春時代でなく、当時は当時なりに日々を楽しんでいたことがわかる。教科書とかでは伝わらないことだと思う。また、家族やケアマネとかの話で急に施設を移ることになった紀子さんのエピソードは胸が痛い。昨年、子ども自身にかかわることは子ども自身に話して意思を確認すべきという「子どもアドボカシー」をかじったけれど、高齢者に対しても、「自分のことを自分で決める」ことが蔑ろにされている事象が多くあるのだろうと憂う気持ちになった。
こうした事象に対し、六車さんは無力感を綴っている。無力感に落ち着かせてしまうのはいかがなものかと思ったけど、どっぷり介護職でない六車さんだからこそ、こういう青いことを書けるのかもしれない。そんなこと言ってもしょうがないからと表に出さないと、それは結局残ることなく消えてしまう。青いけど大切なこと、隙のようなものを当たり前にせず表に出しておくことが、何とかよりよい次を導く糧になるかもしれないと思った。介護どっぷりでない視点で、書く能力をもつ人が介護現場に飛び込んで、疑問や違和感を伝えてくれるというのもこの本の価値の一つだと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
夜の外出が楽しい。全くなくなるので。
社会的入院はかつて介護制度がないとか、デイサービスなどは低所得者のみの利用だったので、ケアが必要な人は病院への入院となったから。
老い、成熟、経験が意味を失っている。
自立支援は自分で生活をできることだけでなく、地域の中でその人が活きること。
高齢者ケアは生前供養の側面を持つ。
聞き書きによりケアする側が教えてもらう側になる。一緒に作り上げる関係になる。 -
父親が入院して10ヶ月。3ヶ月目からは要介護4の認定が下りたので老人専門のフロアに移った。ほぼ寝たきりの状態。それでも、食事はまだ自力でできている。排便もベッド横の簡易トイレを利用している。ときどき転んで頭をけがしたりしているようだ。会話はほとんどない。何かがしたいとか、何かを食べたいとか、そういう欲求というものがまったくなくなってしまったようだ。それでも、会えば会話は成り立つ。できるだけ会いに行こうとは思うが、だんだんと足が遠のいている。本書を読んで、自分にも「聞き書き」ができるのではないかと希望がわいてきた。父の生涯をインタビューでまとめあげることができるのではないか。他人でないと話しにくいものだろうか。話をしているうちに、また少しでも生きがいができてくればよいのだが。こんなことを考えている折、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀でかこさとしさんを拝見した。職人魂というのか、しばらく気力がなく足が遠のいていたアトリエの机に、死ぬ直前になってまた向かい始める。頭には書きたいものがまだまだある。しかし身体がいうことをきかない。そのもどかしさ。ここで、娘の真理さんの存在が大きかった。自分もそのようになれるだろうか。本書を読みながら、ずっと父のことを考えていた。
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ずっと興味を持っていたので、文庫化としり即入手。
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大家族の逸話の共有とも言える話が介護の現場でおこなわれ、一方通行にできないような仕組みが築かれている点にただただ驚く。
個人的には、時代が近いだけに民俗学というよりは、ノンフィクションという感じではある。