墜落の夏―日航123便事故全記録 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (342ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101163116

作品紹介・あらすじ

1985年8月12日、日航123便ジャンボ機が32分間の迷走の果てに墜落し、急峻な山中に520名の生命が失われた。いったい何が、なぜ、と問う暇もなく、遺族をはじめとする人々は空前のできごとに否応無く翻弄されていく…。国内最大の航空機事故を細密に追い、ジャンボに象徴される現代の巨大システムの本質にまで迫る、渾身のノンフィクション。講談社ノンフィクション賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 1985年8月12日月曜日、定刻18時羽田発大阪行きのJAL123便ジャンボジェット機は12分遅れで羽田空港を離陸したが、18時56分に長野県と群馬県の県境でレーダーから機影が消えてしまう。18時56分に群馬県御巣鷹山中に墜落していたのだ。JAL123便は、乗客・乗員524名を乗せていたが、生存者は4名。520名が犠牲になる、日本の航空機事故史上空前絶後の事故となってしまった。
    本書は、この航空機事故を色々な側面から描いたもので、当時、月刊誌「新潮45」に連載されていたものを書籍化したものだ。単行本の初版発行が1986年8月5日のことなので、事故からちょうど約1年後に発行されたものである。
    取り上げられているのは、以下の内容だ。
    ■事故の時系列的な記録
    ■生存者の1人であるキャビンアテンダントの落合由美さんへのインタビューと飛行記録による、詳細な時系列的検証
    ■どのような人たちが乗客だったか
    ■遺体はどのような状態だったか、どのように検視が行われたか
    ■事故にかかる保険、遺族への補償に関して
    ■事故原因調査

    事故が起こった時、私は若手のサラリーマンであったが、事故を会社で他の人から聞き、その後、会社にあったテレビで報道を観ていた記憶がある。機影が消えたのが18時56分のことなので、残業していたのだろう。当時は、まだ19時頃を過ぎると社内のエアコンは落ちてしまっていたと思う。夏の暑い中、残業していた皆でテレビを観ながら、大変なことが起こってしまったのだな、と思っていたはずだ。
    本書の発行は、事故から1年後のことであり、事故の最終報告書は発表されていない段階であった。ただ、最終章には、1986年4月に開催された「報告書の案」についての公聴会の模様が描かれている。ネットで調べてみると、最終報告書は、1987年6月15日、事故から2年弱後に発表されている。
    墜落した飛行機は事故の7年前に、伊丹空港でしりもち事故を起こしており、その事故後の修理を行ったボーイング社の修理にミスがあり、機内の気圧を保つ働きをする圧力隔壁が長期間のフライトの繰り返しにより金属疲労を起こし、壊れ、それが、飛行機の尾翼の破壊をもたらした。これにより、同機は操縦不能の状態に陥り、墜落に至ったというのが、事故原因とされた。
    これには、「圧力隔壁の破損は、ただちに尾翼の破損につながるものではない」「尾翼の破損は、他の原因により起こったものであるはずだ」といったような、最終報告書に疑問を呈する意見がある。

    40年近く前に起こった大きな悲劇であり、今でも毎年、8月12日前後には、本件の報道がなされるし、その都度、私は会社で事故を報じるテレビを暑い中、観ていたことを思い出す。
    本書は1年間という期間を考慮すれば、かなり驚異的な取材量に基づいた、優れたノンフィクション作品だと思う。

  • ものすごく濃密なノンフィクション。
    詳細な情報を事実に則して拾いながら無機質になることなく、関係者・遺族の様子をリアルに伝えています。
    事故原因究明だけでなく、事故に巻き込まれた方々や遺族の心理・反応、事故後の対応、補償など、多面的な取材も圧巻で、様々考えさせられます。
    自分でもケース教材を書いたりしているため、あらためて読みたい本です。

  • 1985年8月12日に起こった日航機墜落事故を扱ったノンフィクション。
    日航機の事故に関する書籍はいくつか読んだが、本書は最初に読むべきだったのかもしれないと思った。
    本書は1989年に文庫化されたものだが、元々の刊行は1986年。つまり事故から1年しか経っていない。また、収録されている各篇は『新潮45』に掲載されていたものであるから、かなり短期間に濃密な取材をされたのだろうと感じる。

    構成は以下の通り。
    1. 真夏のダッチロール
    2. 三十二分間の真実
    3. ビジネス・シャトルの影
    4. 遺体
    5. 命の値段
    6. 巨大システムの遺言

    本書には、事故発生から墜落までの機内の様子や、日航の動き、乗客の家族の動きなど様々な面について、それぞれ記してある。また、事故後最も辛い場面であろう4章の「遺体」については、飯塚訓『墜落遺体』にも詳しいが、加害者となる日航社員と被害者遺族との関係について、飯塚氏の著作には本書から引用したのかと思われるような描写が多くみられる。参考文献に本書は挙げられていないが、飯塚氏も本書を読んで思い出したのかもしれない。

    他の事故関連本では扱われておらず、興味深かったのは5章の「命の値段」。事故が発生し、自衛隊も警察も捜索や収容、確認と大変であったことは他の書にも記されているし、事故原因についても同様である。しかし、遺された遺族には、心情的なものだけではなく、現実的かつ金銭的な「補償(というか慰謝料か)」問題がある。その一方で日航自体ももしもの時のために保険をかけているわけで、そういった際の金の流れという観点は、管見の限り本書でしか扱われていないように思われる。
    慰謝料算出の方法などは、読んでいて遺族の悲しみが増すような気がしたが、結局それらは金額的には保険会社で負担できてしまうというのも驚きだ。となると、日航は事故を起こしてしまった企業としてどのような「反省」を求められるのだろうか。

    筆者は6章において、旅客機における整備の変遷を述べ、ジャンボ機は、よりシステム化されている点を指摘する。その一方でどれだけシステム化が進んでも、それを扱う人が均質化できないのだから、ヒューマン・エラーという形で問題は残ると述べる。「人間の均質化に向かって、私たちは歩いてきたし、これからもその軌道をはずれることはないに違いない(331頁)」という。本書が出版された時代に鑑みる時、そう考えるのも分かる気がした。戦後の高度経済成長を経て、「一億総中流」という言葉が生まれた時代。労働者は歯車の一つになっていただろう。現代でもあまり変わりはないか。

    最後に本書の難点を挙げるとすれば、所々難解な文章や語彙が見られることである。特に3章。読んでいると、やたらと意味ありげな文章を作ろうとしているように思えてしまうし、事故に対し何らかの意味を無理やりにでも持たせようとしているように見えてしまう。穿ちすぎかもしれないが。
    サンフランシスコ空港ならば、難民の子供の排泄物があれば奇妙に感じるかもしれない。先進国ならば「過去と現実からの飛躍が、空港と航空機の魅力」と言えるのかもしれない。しかし、後発国・途上国の空港ならどうだろうか。また少し異なったイメージになりはしないか。
    また、機長の家庭事情について結構深く記述しているが、その一方で遺書を残した乗客の名前がイニシャルなのはどういうわけだろうか。遺書の内容から名前が判明している方もいるのだが。このあたりの判断がよくわからない。

  • 本書は、1985年8月12日に起きた日航機墜落事故の発生、及び、それに翻弄された家族やJALの現場スタッフ、消防・警察や医療関係者の状況を、克明に記したノンフィクション小説である。

    とりわけ注目されるのは生存者のうちの1人・・・落合由美さんの証言だ。著者吉岡忍氏は事故発生から4ヶ月後、彼女に総計7時間のインタビューを敢行し、墜落までの32分間を明らかにした。落合さんの証言が描かれている第二章「32分間の真実」を読んだときには、自分自身があたかもその場にいたかのような錯覚に陥るほどで・・・心底・・・時を超えて心が凍りついた。

    『そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。怖いです。怖かったです。思い出させないでください、もう。思い出したくない恐怖です・・・』(本書第二章より)

    本を読み終えて最初に頭に浮かんだ一言は「矛盾」という言葉だけだ。絶対に生きてやる、という人の意志の強さとは無関係に一瞬で命が奪われる矛盾、有機物なのに無機物のように扱われる・・・いや扱わざるをえない矛盾、家族のために身を粉にして働くことこそが自分の使命・意思と思って生きてきたはずの多くの男性陣にこそ多くの未練が残ってしまった(であろう)という矛盾、その悲しみの大きさを到底受け入れられないとわかっているにも関わらず人は飛行機に乗り続けてしまうという矛盾、家族やJALの現場など一部の人にのみ苦しみが偏るという矛盾、技術革新は人にすら均質化を求める一方で均質でないことが人の救いになりうるという矛盾・・・。

    この本を読む意義はどこにあるのだろうか? 悲劇を繰り返さないようにするために?・・・そうかもしれない。でも人は飛行機に乗り続ける。自分もそう。ある意味、原発問題に通ずるところがある。私自身がかろうじて絞り出した答えは「たとえ明日死ぬことになったとしても後悔しないように、一瞬一瞬を精一杯生きるんだ!」ということだ。でも、それは他の人には当てはまらないことかもしれない。

    答えは読む人、一人ひとりが見いだす・・・きっと、そういうことなのだろう。

    (書評全文はこちら→ http://ryosuke-katsumata.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html

  • これぞ正規のレポートといった構成で書かれた
    日航事件のノンフィクション。
    よーく調査されてるのがわかる。

    でも家族構成のあたりはいらないんじゃないの。

  • 1985年8月12日、日航123便ジャンボ機が32分間の迷走の果てに墜落し、急峻な山中に520名の生命が失われた。いったい何が、なぜ、と問う暇もなく、遺族をはじめとする人々は空前のできごとに否応無く翻弄されていく…。国内最大の航空機事故を細密に追い、ジャンボに象徴される現代の巨大システムの本質にまで迫る、渾身のノンフィクション。講談社ノンフィクション賞受賞。
    — 目次 —
    1 真夏のダッチロール
    2 32分間の真実
    3 ビジネス・シャトルの影
    4 遺体
    5 命の値段
    6 巨大システムの遺言

  •  私たちはテレビを観、インターネットを閲覧し、携帯電話でメールをやりとりし、電子マネーで買い物をしている。それらの道具は使用法さえ覚えればだれでも使うことができる。しかしその仕組みを本当に理解しているユーザーはほとんどいない。そもそもユーザーは自分が使っている道具の仕組みを理解しようとはしない。理解する必要がないからだ。仕組みを分かっていなくても道具は充分に使うことができる。必要なのは道具に対する信頼だけだ。それはほとんど宗教に近いものではないだろうか。
     ある本によれば、飛行機が飛ぶ原理は実は厳密には分かっていないのだという。それでも私たちは飛行機に乗る。理屈は分からなくても飛行機は現に飛んでいるのだから問題はない。みんなそれに乗っている。高いお金を払って。だから落ちるわけがない。
     1985年8月12日に羽田空港発伊丹空港行きのJAL123便に乗った524名の乗員乗客たちも、おそらくはそのように確信していたに違いない。というよりも落ちる可能性を全く想定していなかったことだろう。「起きてはならない」からといって「起こらない」ことにはならないのに、だれもが両者を混同してしまう。そしてそれは起こった。
     飛行機には他の乗り物にはない独特の怖さがある。落ちたらまず全員助からないということはもちろんだが、陸の車や海の船とは違う根本的な危うさが飛行機にはある。車が動かなくなっても地上に停まっていればいい。船が動かなくなっても海に浮かんでいればいい。しかし飛行機はそうはいかない。空中で動かなくなったら落ちるしかない。前進か、さもなくば死というALL or NOTHINGの世界。飛行機とは実は命がけの乗り物なのだ。
     そもそもあんなに巨大で重い物体が空を飛ぶということ自体が、本来あるはずのないことなのだ。あるはずのないことを、人類は科学技術によって実現させた。そうすることが必要だったとは思えない。科学技術とは実は不可能への挑戦であり、その行く先は人類の幸不幸とは関係がない。飛行機が落ちたときにだれもが感じるあの罪悪感、「だから言わんこっちゃない」という言葉でしか表現できないあの後ろめたさは、空を飛ぶということが実は余計なことであり一種の冒涜であることに、だれもが薄々気づいていることの証拠ではないだろうか。
     本書が事故発生後わずか一年で書かれたことには驚きすら覚える。その後新たに判明した事実は少なからずあるものの、今読んでも全く古さを感じさせない。単なる技術論や感情論に走ることなく、達観した見地から事故を冷静に分析している。それを物足りないと評する向きもあるかも知れないが、数ある類書の中で名著と呼ぶにふさわしい一冊だと思う。

  • この本は1985年(昭和60年)8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故を題材にしたノンフィクション作品である。
    本作品は、講談社ノンフィクション賞を受賞したらしいが、内容ははっきり言ってイマイチである。
    刊行が事故から1年後ということで話題性がある時だったので受賞したのではないかと思うほどである。
    内容としても、たった1年という短期間で取材し書き上げたという程度にあった残念な内容であった。

    ただ、話題性というか鮮度という点でこういう作品もありだとは思う。
    しかし、著者紹介に「現代日本の桎梏を冷静に見据えた、緻密かつ骨太のルポタージュを発表」している旨の説明から期待していた骨太感がなかったのは残念。

    そもそも
    ・事故の具体的内容
    ・生存者のインタビュー
    ・貧困問題(?)
    ・検視体制
    ・補償問題
    ・システム批判
    など多岐にわたる問題提起と著者の考える陰謀説、社会不全問題等が、たかだか350ページに述べられていて、どれも中途半端が感じがする。

    特に、羽田空港の華やかさとその下町での自殺問題を取り上げて、日本社会の歪みについて断罪する(今で言うと反戦反原発等を主張するような)いわゆる日本の各種システムに対する批判というつなげ方が鼻につく。
    こういういかにも「自分は社会のことを考えています」「自分は頭いいんです」主張は好きではない。

    また、補償問題について陰謀説をぶちまけているが、、、こんな噂ですらない著者の想像をなんら取材等せずに書くあたりどこが緻密なルポタージュなんだろうと思う。

    事故から1年という時期にこういった鮮度の良いノンフィクションを書き上げたことは評価に値すると思うし、だからこそ書けたという部分もあるのだろうが、30年を経過してしまった今現在読むにはあまりに物足りなさ過ぎた。

  • 日航機墜落事故から30年以上、そして、この本が発行されてから25年以上が経った今でも、書店には本書が並んでいます。
    つまり、本書はそれだけ多くの方に読まれ、内容もしっかりしている証だと思います。

  • なるほど、御巣鷹山事故の基本書籍。

    インターネットで見た情報の多くがこの本に端を著するものだったとは!

    落合証言を上書きするロング・インタビュー。それだけでも読む価値のある本。

    それ以外にも、今まで読んできたこの事件に関する書籍の情報が、バランスよく配されている。

    元フライトエンジニアによる本では物理的な話が多く、そこまで頭にすっと入らなかったのだけど、
    墜落の夏は飛行機のことを知らなかったノンフィクション作家が調べて勉強したものなので、説明や解説が、見た物を伝える、という感じで不勉強な者にもわかりやすかった。

    他にも遺体周りの話、保険の話、遺族のその後の話、それに空港の近くの中学校での自殺話、と多岐に渡る。たしかに私も空港というものが気になった挙句、穴守稲荷に下車して散歩してみたこともあったが、この本ではなぜ、こんな遠回りをするのか。

    それが最後、飛行機の墜落から、機械と人間というものへの考察へと結ばれていく。

    冒頭、

    そして、JA8119号機は、油圧装置が完全にきかなくなったときから、機械と人間との一体感を失い、むきだしの巨大機械としての姿を現わしたのだ。それは巨大技術が想定していない事態であり、致命的な欠如であった。機械はもはや、それを操作し、制御するために位置している人間の手足と感覚を離れ、暴走をはじめる。機械と人間との敵対的な関係こそが、以後のJA8119号機を支配する。
    P97

    という記述でぐっと心を掴まれたのだが、それも伏線として有効に機能する。

    これは読まなきゃだめな本。そして、読んだら未来の航空機事故が怖くなった。

    この本を読んだら、いよいよ、沈まぬ太陽にチャレンジかしら。

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著者プロフィール

1948 年長野県生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学時代にベトナム反戦運動「ベ平連」に参加。1985 年の日本航空123 便墜落事故を取材した『墜落の夏 日航123 便事故全記録-』(新潮社)で第9 回講談社ノンフィクション賞を受賞。2017 ~ 2021 年まで日本ペンクラブ会長を務める。主な著書に『M/ 世界の、憂鬱な先端』( 文藝春秋) 、『奇跡を起こした村のはなし』( ちくま書房)、『散るアメリカ』( 中央公論社) ほか多数。

「2022年 『手塚マンガで学ぶ 憲法・環境・共生 全3巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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