- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101156620
感想・レビュー・書評
-
筆者の死の3年前(1987年)に刊行された作品。
『鬼平犯科帳』がヒットして以降、非常に珍しい現代を舞台にした作品。
主人公はほぼ本人そのままの初老の男性。
しかし家庭環境は池波正太郎本人と違い、妻とは死別していて舞台女優の娘とその息子(孫)がいる。
乾いた文体で変わりゆく(バブル景気の時代)東京に憂いつつも同時期のエッセイほどではない。
それはおそらく、筆者が夢見た理想の家庭=孫の存在があるからだろう。娘とは度々喧嘩しつつも、孫に対してはまさに「目に入れても痛くない」ほど可愛がっている。
終盤、この孫は主人公(=池波正太郎)が書いた劇に大きな感銘を受ける。それによって将来劇の世界へ進むであろうこと、そしてそのことを深く喜ぶ主人公が描かれる。
孫が自分の作った作品に感銘を受け、かつ自分の進んできた道を志す。
これこそ、作者の理想の人生終盤だったに違いない。
孫という未来への希望のお陰で、乾いていながらも明るく前向きで余韻のあるラストに仕上がっている。
池波正太郎の著作の中でも、ぜひ万人におすすめしたい作品である。
なお、余談だが本作は『ファミコン』という単語を池波正太郎の作品で目にすることができる唯一の作品であると思われる。笑詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
時代小説ではない池波正太郎を読んだのは初めてだったが、やはり池波正太郎の世界だな、という感想。
-
江戸ではなく東京の姿が変わって行く、滅び行く東京の街並み等への惜別の情を描いた池波さんには珍しい現代小説。この中で描かれている主人公の牧野は池波さんの分身。氏は自分の姿を牧野に重ね、姿を変え消えてゆく良き姿の東京を語る、古き良き江戸の風景を残す町はこのころから無くなりつつあったのだ。
-
わずかの間に浅草のまちは変わってしまった。地上げ屋が入り、なじみのすし屋や銭湯は廃業し、空き地もなくなってしまった。東京はすっかり変わってしまった、「東京はないも同然」という作者。そのことを劇作家の一年の物語を描く中で伝えている、味わい深い一冊だった。
-
既に引退した劇作家の毎日を描いている。章毎にオチはついているが基本のストーリーはつながっている。とくにストーリーに盛り上がりがあるわけではないが気になって読んでしまう。
-
変に気を回すことなく、シンプルに自然に相手を思う気持ち。
そんなことに気づかせてくれる物語。 -
池波正太郎といえば、すぐに思い浮かべるのが『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代劇ドラマ。
なので池波正太郎は「読む」よりは「見る」という印象が強かった。
いずれのドラマも大好きで、特に土曜日の午後とか、深夜遅く再放送されているのを見るのが好きだった。
あえてそうしてあるのか、画面の作り方が一昔前のフィルムという感じがして、それがまた郷愁を誘ったものだ。
いや、テレビの時代劇の話ではなく、これは池波作品では珍しい現代小説。
浅草に生まれ育った池波本人のおそらく自伝的小説ではないかしらと思いながら読んだが、開発という名の下に次第に消えつつある下町の情景を、一線を退いた主人公の劇作家の心理描写とともに、細やかに描いてある。
確かに私たちが子どもの頃にはあちこちに原っぱがあった。
そこは天下の遊び場だった。
私たちには原っぱの思い出がある。
でも、今の子どもたちには「原っぱ」の意味さえもわからないかもしれない。
昨今話題になっている昭和ノスタルジーの映画に通じるものがあるように思えた。 -
解説の「何かをするのではなく、何かをしないと心に決める美学」という言葉がぴったりです。劇作家の牧野も、俳優の市川も、自分の希望やその後起こるであろう後悔よりも、自分は一歩ひいて相手への気遣いを大事にする。迷っても一度決めたらきっぱりとそれを通す。とくに市川が萩原千恵子の舞台への出演について牧野に電話したシーンの台詞が印象的でした。変に気を回すことなく、シンプルに自然に相手を思う気持ち。大事にしたいと思います。