- Amazon.co.jp ・本 (422ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101126234
作品紹介・あらすじ
なぜ大江作品には翻訳詩が重要な役割を果たすのでしょう? 女性が主人公の未発表探偵小説は現存するのですか? ――世紀を越え、つねに時代の先頭に立つ小説家が、創作秘話、東日本大震災と原発事故、同時代作家との友情と確執など、正確な聞き取りに定評のあるジャーナリストに一年をかけ語り尽くした、対話による「自伝」。最新小説『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』を巡るロングインタビューを増補。
感想・レビュー・書評
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各章は時系列に分割した複数の作品をテーマにしている。私は彼の作品を全て読んでいるわけではなく、特に万永元年のフットボール以降の作品はほとんど読んでいないので、読んでいない本がテーマになっている章は読み飛ばした。
尾崎真理子さんという聞き手もとても力を持っている人物である。彼女の質問によって彼が気づくと言うシーンが見られた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大江健三郎氏の創作の秘密、作品に込められたものが解る。
聞き手の尾崎真理子女史の作品への深い読みに舌を巻く。
また、尾崎真理子女史の読みが確かなものであるので、大江健三郎氏の応えと合致し、巧みに大江健三郎さんの応えを引き出している。
この本により、偉大な芸術家の内面を初めて知ったという感慨を持った。
私生活の事は、身近な人間でないので、わからないけれども、大江健三郎氏の芸術家としての人生は幸せであったと思う。
とにかく、大江健三郎ファンにはおすすめです。
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2006年に行われ、テレビ放映もされた連続インタビューを再構成し編集・追補された「推敲された」インタビュー。尾崎氏が大江のことばを引き出す役に徹したことで、細密に描き込まれた作家・大江健三郎の自画像ができあがっている。文庫版には「後期の仕事」三部作を書きおえたあと、2013年の対話も収録されている。
全体を読み終えて、あらためて大江の勤勉な読書家であり勉強家であることが印象に残った。谷崎潤一郎にも似たようなことが言えるが、研究対象が自分よりもどう考えても知識教養に優れている場合、研究者はいったい何をすればよいのだろうか。
強靭な記憶力、とくに自身に対する批判をよく覚えていることにも驚かされた。質問に対する回答の形で提示される穏やかな文体を一皮めくると、じつは底堅く根を張っている男性中心主義的な主体性への願望が滲み出る場面や、苛立ちと怒りと冷笑と絶望が不意に姿を見せるような瞬間があって、実にスリリングな読書体験だった。 -
p.2014/2/18
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この人の書く小説を面白いと思ったことはないのだが、この本はメイキングものとして面白く読める。
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インタビューの内容を、とても分かりやすい文体で書いてあるので、大江健三郎作品自体はとっつきにくいと思っている方にもオススメ。
「この作品はこんな意図だったんだ」だとか、いろいろな発見があると思います。
インタビューを実録したDVDも数年前に発売していますが、インタビュー自体はそのときのもの+直近のもの、です。
DVDでは、独特の話し言葉で、かつ断片的な収録なので話の前後関係が分かりにくかった感がありますが、本当に同じインタビューかと思えるぐらい分かりやすく書籍化がしてあります。
大江文学を読み解く上で、必須の一冊ではないでしょうか? -
夢中になって読んだ。真摯なインタビュアーの問いかけも誠実なレスポンスもとてもよかった。思えばミドルティーンの頃初めて大江作品に出会い、攫みきれない大きな塊を心にズシーンと受けた。この初期衝動を引き摺りながらずっと読み続けてきた。思い込みの大江像を頑なに守りながら、私はたくさんの誤読をしてきたのではなかろうか?このロングインタビューで知り得た作品の背景を吟味しながら再び大江作品を読み返していこう。最初に受けた攫みきれない大きなズシーンの正体を暴いてやろう。自分にとって大事な作家であることを改めて噛み締めた。
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大江健三郎の辞書に、なあなあ、という言葉はない。馴れ合いはない。
彼の敬愛する作家のひとり、安部公房に対してさえ、ひょんなきっかけで絶交を言い渡す。人と作品をきっぱりと分ける。何というか、この誠実さには感服せざるをえない。
日本文学において伝統的な私小説を解体した作家のひとりである氏は、しかし彼の方法においては、決して実人生で誠実である必要はない。だが、フィクション=嘘において誠実であるために、作り話に真実味というオーラを与えるために、彼は実人生において誠実であり続けた。今もあり続けている。こういう書きかた意地悪かもしれないけれど、感服していることには変わりない。
嘘をつくために誠実であり続ける。私は氏の熱心な読者ではないけれど、この態度には頭がさがる。
日本社会において氏はどちらかといえば滑稽な存在として捉えられているのではないか。そんな氏がノーベル賞を受賞した。それをいちばん不思議に思っているのは実は日本人なんじゃないか。