小泉八雲集 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101094014

感想・レビュー・書評

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  • 背筋がぞっとする作品は勿論、摩訶不思議や儚い美しさ、無情、侘、寂、道徳観まで、余韻を残す色彩豊かな48作。怪談のイメージが強かった作者でしたが良い意味で裏切られました。印象的な作品を簡単に。

    「衝立の乙女」
    一生のあいだ“無情なこと”をしない男など滅多にいない、という皮肉のきいたラスト。

    「破られた約束」
    男を愛しすぎたゆえに歪んだ怒りの矛先。凄惨な描写は恐ろしいの一言。

    「梅津忠兵衛のはなし」
    武士たるもの二言なし。約束を順守した律儀な武士に授けられた世代を越えた不思議な力。

    「常識」
    大切なのは、生きる知恵と確かな常識。IQの高さと信仰心の高さは二の次である。小気味良く効いた毒。

    「雪おんな」
    監視するために近付いたのか、それとも…?

    「心中」
    地獄絵図を横切る白い亡者たち。その表情は絶望だけではない。

    「日本人の微笑」
    謝罪の時、死を前にした時でさえも笑顔を見せる日本人。西洋にはない、と断言した不可解な“微笑”のルーツは何なのか。かつて八雲が来日した際に見た全てを包み込むような柔らかい日本人の微笑を、現代を生きる私たちは残せているのでしょうか…。

  • 怪談だけではなく、外国人から見た日本人についての考察も書かれており興味深かった。〝日本人の微笑〟を読み、現在の日本人を見て彼は何を思うだろうか?と…。

  • 必要あって、購入。
    読みながら、これは時間をかけて味読する本だなーとしみじみ。なるべく時間はかけたけど、まだかけたりないと思う。

    「守られた約束」は、上田秋成の「菊花の契り」を彷彿とさせる話。
    「耳なし芳一」や「弘法大師の書」は有名だけど、残るだけあって、筋書きが非常に面白い。
    「食人鬼」。屍人を食べなければならない、その無間地獄を救ってくれる人さえない。
    そんな鬼と化した僧が「助けてくだされ」と切に願うシーンが辛かった。

    と思うと、「赤い婚礼」のように、近代化された日本に焦点を当て、叶わぬ恋に落ちた二人が鉄道のレールの上で心中を遂げる話も、また切ない。
    エッセイ?評論?としての「日本人の微笑」も一読に値する。

    さて、この本はいわば幾多の目と耳を通過して出で来た不思議な一冊だと思う。
    小泉八雲が、彼の親しい人を通じて得た話であり、その話は古今東西を経て語り継がれてきた不思議な伝説である。
    そして、小泉八雲が認めたものをまた、上田和夫さんが日本語に戻すという作業を行なっている。
    それでも、言葉に違和感がなく(まあ、単位とかで急に英語が入るけど)物語の完成度が高いと思わされるのは、何故なんだろうなぁ。

    現実には起こらない(だろう)と思われる怪談話に、私たちはいつも恐れを感じる。
    でも、そこに単に超越した力や呪いを感じるだけではなくて、人間の執念や怨み、愛憎を感じるからこそ、生きていることのように怖いように思う。
    こういう類の恐怖って、どうして感じるんだろう、と人間の心の不思議さを見た。

  • 作者である小泉八雲先生が残した作品集から選び抜かれた作品がまとめられた今作。日本の19世紀の日常の生活や民族習慣、民話や伝説さらには怪談など様々なものが描かれている。
    怪談話には、聞いたこともある話がたくさんあり、そのモチーフや最初になった作品なのかな、とも思えた。
    また、「日本人の微笑」はとっても興味深い作品であった。これは、小泉八雲が感じた日本の習慣や良いところ、国民性を描いているエッセイみたいなものだった。その中で欧米の価値観である人権の意識や資本主義が導入されると日本人の伝統的な価値観が失われ、貧者への圧倒的な義務を課す社会となるだろう、と予言しており、実際にそのような社会になっている今の日本を鑑みると、ほんとにすごい洞察力をもった作者なのであろう。

  • 今年読んだ本、イサム・ノグチの評伝や、『坊っちゃん』の時代シリーズなどいくつかに、ちらちらとその気配やうしろ姿を垣間見せていた小泉八雲。
    これはどうやら呼ばれているらしいぞということで、この夏の課題図書に個人的に選定し、お盆の時期を狙って読みました。

    小泉八雲には多数の著作がありますが、この本はそれらの中から数点ずつ選んで編集されたもので、前半は怪談話が、後半は日本人論が主となっています。

    怖い話がめっぽう苦手な私ですが、しかも時期が時期でしたが、これはあまり怖くはありませんでした。
    一つ一つの作品が短くて、物語のエッセンスの紹介という体であったというのが1点。
    そして、怪談にいたるまでの悲劇が、日本人の心情として美しく感じられるものであったからというのがもうひとつの理由であるような気がします。

    後半の日本人論などを読んでも、小泉八雲は日本人でも気づいていないような日本人の美点を高く評価しています。
    当時、日本という国の理解が西洋の国々にほとんどなされていなかったことを考えると、大変にありがたいことなのですが、どうも必要以上に日本をかっているのではないか。
    または、西洋文化に対して思うところがあるのではないかと思わされる節があります。

    収録されている「日本人の微笑」の中に、こんな一文があります。
    “つまり、相手の慣習や動機を、つい自分たちのそれらで評価しがちであり、それも、とかく思い違いしがちであるということである。”

    自分の価値観と違う慣習を、低いものと見がちであることを戒めた文章ですが、小泉八雲の場合は、違うからこそ素晴らしいという方向に振れているのではないかと思いました。

    それはラフカディオ・ハーンという人間が、西洋の文化のなかで、常にマイノリティな存在だったこととは無関係ではないはずです。
    アイルランド人の父とギリシャ人の母。
    ケルト神話を背景に持った土地で育った父と、ギリシャ神話の国から来た母の不仲。
    キリスト教では救われなかった幼少期の思いが、日本人の、口に出さない想いであるとか、辛いときこそ笑顔を浮かべようとする心情であるとかに、惹かれたのではないかと思いました。

    とはいえ、嬉しくも楽しくもないのに、顔に笑顔が張り付いている不気味な日本人というものを、相手に不快な思いをさせないように、辛い思いを伝えないように笑顔でいるのは、日本人にとっての礼儀であると、きちんと欧米の人たちに伝えてくれたのは、全くもってありがたいことです。
    日本人が自ら説明することは、まずできなかったでしょうからね。

    日本人の美点はその利他主義にある。
    周囲の人が幸せであってこそ、自分も幸せになれる。

    明治以前の日本人というのは、そういう人たちだったようです。
    他人の幸せのために、自分に厳しい義務を課す。

    それが、西洋の文化を受け入れるにつれて、利己主義へと変わって行き、日本人の美点が失われていくことを危惧しています。
    実際、私が子どものころよりもなお、利己主義は勢力を強めているように思います。

    “イギリス人は生まじめな国民である―それも、表面だけのまじめさではなく、民族性の根底にいたるまで徹頭徹尾、生まじめであることは、だれもが認めるところである。これに対して、日本人は、イギリス人ほどまじめでない民族と比べても、表面はおろか、おお根において、あまり生まじめでないといって、おそらくさしつかえあるまい。そして、少なくとも、まじめさに欠ける分だけ、幸福なのである。たぶん、文明世界の中で、今もなお一番幸福な国民であろう。”

    え!?
    これ、日本人のことですか?
    と、一瞬思いましたが、やはり明治の初めに日本に滞在して、日本の奥地〔東北、北海道〕を旅した女性、イサベラ・バードも日本人は不潔で怠け者と書いていましたから、多分当時の日本人はそうだったのでしょう。

    明治政府が推し進めた、西洋に追い付き追い越せ政策のせいで、あっという間に日本人は利他主義を忘れ、笑顔を忘れ、エコノミック・アニマルになってしまったんですね。
    そして今、私たちは幸福な国民であるのでしょうか。

  • この本を読んで私は、小泉八雲は、日本に来てほっとしたのではないかと思った。
    もちろん、当時の日本が素朴で純粋な人々が住む理想郷のような所ではあるわけなかっただろうし、八雲もそれを痛いほどわかっていただろう。
    むしろ、ことあるごとにこの極東の国に失望しては胸を痛めて、こんなところもう嫌だ、もう嫌だ、と思っていたかもしれない。

    けれど、それでも八雲はやはり、どこかで日本に心安らいでいたのだと思う。でなければ、私は彼がこれほど日本の深いところに共感できたとは思えないのだ。
    彼は日本での生活に「平穏」を見つけたのではないか。
    それは言うなれば、彼の「影」のようなものだったのかもしれない。彼はこの極東の島国でやっと、自分に健気についてくる「影」を見つけたのではないか。

    八雲は日本の霊的なものを愛したという。この本にも、八雲が収集した怪談が収録されている(有名なのはやはり、「耳無し芳一」だろう)。
    霊的なもの、というのは言いえて妙である。自然を超越したものでありながら、もっとも自然的なもの、というかんじだろうか。精神的な意味での風土、というような。
    それは、彼の小さきもの、こまごまとしたもの、幼きものへの愛情がよく表していると思う。

    この本に収録されている中ではやはり、「日本人の微笑」にもっとも感動した。
    日本人の中に息づく精神を、丁寧に細やかに、そして夜明けの光のように優しく描いた、素晴らしい評論である。

  • 日本人に帰化した作者が、英語圏読者に向けて日本のエキゾチズムを紹介した文を、英語を学んだ日本語話者が翻訳したものを、日本語で読む。それも100年越しに。
    この面白さ。
    (円城塔が「ミミ・ナシ・ホーイチ」と訳して、当時の英米人の抱いた感触を再認識させてくれる翻訳をしている、というので……今後手を伸ばしたいところ。)

    さて小泉八雲といえば怪談の人、漱石の前任者。
    熊本や松江といった私の仕事圏に頻発する人で、いずれぜひと思っていた。
    本書は怪談だけではなく、聞き書き、エッセイ、論考、小説っぽいもの、などなどバラエティ豊か。
    来日以後の作品を8割がた網羅している。
    そして編集の妙。時系列順ではない。
    前半に並べているのは、1900年から1905年。
    後半に、1894年以降のものを、と逆転させている。
    そのため一番最後に「焼津にて」が来る。本書全体のエッセンスのような作品だ。
    全体としては怪談の乱れうちのリズムが快かったり、いい話と残虐でエグい話が混ざる割り合いもよい。
    個人的に最高傑作だと感じたのは「草ひばり」。

    1850-1904年。54歳没。

    ■『影』1900(Shadowings)
    和解(The Reconciliation)
    衝立の乙女(The Screen-Maiden)
    死骸にまたがる男(The Corpse-Rider)
    弁天の同情(The Sympathy of Benten)
    鮫人の恩返し(The Gratitude of the Samebito)
    ■『日本雑記』1901(A Japanese Miscellany)
    守られた約束(Of a Promise Kept)
    破られた約束(Of a Promise Broken)
    果心居士のはなし(The Story of Kwashin Koji)
    梅津忠兵衛のはなし(The Story of Umetsu Chubei)
    漂流(Drifting)
    ■『骨董』1902(Kotto)
    幽霊滝の伝説(The Legend of Yurei-Daki)
    茶碗の中(In a Cup of Tea)
    常識(Common Sense)
    生霊(Ikiryo)
    死霊(Shiryo)
    おかめのはなし(The Story of O-kame)
    蠅のはなし(Story of a Fly)
    雉子のはなし(Story of a Pheasant)
    忠五郎のはなし(The Story of Chugoro)
    土地の風習(A Matter of Custom)
    草ひばり(Kusa-Hibari)
    ■『怪談』1904(Kwaidan)
    耳なし芳一のはなし(The Story of Mimi-Nashi-Hoichi)
    おしどり(Oshidori)
    お貞のはなし(The Story of O-Tei)
    乳母ざくら(Ubazakura)
    かけひき(Diplomacy)
    食人鬼(Jikininki)
    むじな(Mujina)
    ろくろ首(Rokuro-Kubi)
    葬られた秘密(A Dead Secret)
    雪おんな(Yuki-Onna)
    青柳のはなし(The Story of Aoyagi)
    十六ざくら(Jiu-Roku-Zakura)
    安芸之助の夢(The Dream of Akinosuke)
    力ばか(Riki-Baka)
    ■『天の川物語その他』1905(The Romance of the Milky Way and Other Studies and Stories)
    鏡の乙女(The Mirror Maiden)

    ■『知られぬ日本の面影』1894(Glimpses of Unfamiliar Japan)
    弘法大師の書(The Writing of Kobodaishi)
    心中(Shinju)
    日本人の微笑(The Japanese Smile)
    ■『東の国より』1895(Out of the East)
    赤い婚礼(The Red Bridal)
    ■『心』1896(Kokoro)
    停車場にて(At a Railway Station)
    門付け(A Street Singer)
    ハル(Haru)
    きみ子(Kimiko)
    ■『仏陀の国の落穂』1997(Gleanings in Buddha-Fields)
    人形の墓(Ningyo-no-Haka)
    ■『霊の日本にて』1899(In Ghostly Japan)
    悪因縁(A Passional Karma)
    因果ばなし(Ingwa-Banashi)
    焼津にて(At Yaidzu)

  • 新潮文庫の分類は、大きく「日本の作品」「海外の作品」に分けられてゐます。かつては「草」「赤」「白」などと、岩波文庫同様に帯の色分けで分類されてゐました。トップナムバアの「草1A」は、長らく『雪国』(川端康成)であつたと記憶してをります。
    同じく「日本の作品」とされてゐる小泉八雲なる御仁は、元元ラフカディオ・ハーンといふギリシャ生まれの英国人でしたが、来日以後、どうやら日本を気に入つたやうで、日本人女性と結婚し、さらに日本国籍を取得、「小泉八雲」と名乗るに至りました。
    しかし彼はその著作を日本語ではなくイギリス語で発表してゐます。その内容も、未知なる日本といふ国を、西洋に紹介せんとする意図のものが大半なので、海外の作品の方がしつくりくるのであります。デビッド・ゾペティさんや楊逸さんのやうに、日本人を対象にして日本語で発表する場合は構はないでせうが。

    まあいい。実はそれほど拘泥してゐる訳ではありませんので。『小泉八雲集』が面白ければ問題ないのであります。
    小泉八雲は来日以来、多くの著作を精力的に発表してきました。それらの美味しい部分を集めたアンソロジイですので、詰まらない訳がございません。即ち『影』『日本雑記』『骨董』などから、日本各地から集めた怪談話が披露されてゐます。
    特に『怪談』は「Kwaidan」として、映画にもなるなど、有名な存在ですな。あの「耳なし芳一のはなし」も収録されてゐます。ああ痛さうだ。ただし、映画版は、『怪談』以外からもエピソオドが選ばれてゐます。

    『知られぬ日本の面影』からは、「日本人の微笑(The Japanese Smile)」が収録されてゐますが、いやまつたく、秀逸な日本人論であります。面白い。当時は英国人の生真面目さに比して、日本人の軽さが外国人を惑わせてゐたらしい。戦後の高度経済成長期の日本人こそ、勤勉で真面目と言はれましたが、明治期の日本人は不気味な笑顔をふりまく得体の知れぬ存在だつたのでせう。小泉八雲は、日本人の微笑を分析するには、上流階級は参考にならない、古来からの民衆の生活を知らないと理解できぬと指摘してゐます。昔から日本人は意味もなく(でもないけど)、へらへらと笑つてゐたのですねえ。

    日本の庶民を愛した小泉八雲ですが、当時の日本は文明開化から間もない、大いなる過渡期でした。西洋に何とか追ひつかうと、庶民の生活や意識も劇的な変化を遂げる、まさに真最中と思はれます。当時の若い層を中心として、西洋に学ぶ一方、古来の日本らしさを軽んずる風潮を、小泉八雲は苦々しく思つてゐたやうです。
    2016年に生きる我々にも、参考になり勉強になる一冊と申せませう。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-627.html

  • 大変楽しく読めた。いずれの話も短編であった。
    中でも著者の考え方がすんなり飲み込めたのは「日本人の微笑」である。これはその通りであろう。
    またその他にも良い話は多々あった。(本書を読み終わったあとでは、良い話と感じる自分もなんだかおかしな人間かと思えてくるが、)日本の心中に関する幾つかの話が自分にはひどく興味深かった。本当に我々は宗教を混ぜくたにしてしまっているのだな、という事を改めて認識せざるを得ない。混ぜくたに、というよりは都合の良い形に変えて取り込んでいるというところであろうか。そういう点では山本七平著の「空気の研究」と少し重なる部分も見受けられる。詰まる所、日本人の特異性はそこに集約されるという事なのか。…それは少し早計かも知れない。
    何れにせよ良い本であった。著者の別の本も読んでみたいと思った。

  • 「日本人の微笑」を読んで、以下の感想。悲しむべき時、など欧州人ならば笑えない時でも日本人は微笑を絶やさない。これは相手を小馬鹿にしているわけではない。笑いは自己を抑える礼節なのである。意味的には「あなたはこれを不幸なことと考えるかもしれませんが、どうかこんなつまらないことでご心配せずに。このようなことを耳にさせて申し訳ありません」。
    つまり、「私」を捨てて「公」の立場に常に立てる。現在でも当時程ではないかもしれないが、この日本人の特性は残っていると思う。普段はあまり気にかけないことをこの本は気づかせてくれた。「明治は美しかった」、本当にそう思えた。

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著者プロフィール

(1850年-1904年)ギリシア生まれ。作家。ラフカディオ=ハーン。1869年アメリカへ渡り、新聞記者に。ハーパー社の通信員として、1890年4月4日来日。島根県松江尋常中学校へ英語教師として赴任。1890年12月、小泉節子と結婚、日本に帰化し、小泉八雲と名をあらためた。節子夫人から聞く日本につたわる話を集め、工夫をこらして物語にし、『Kotto(骨董)』『kwaidan(怪談)』などの本にまとめた。

「2008年 『耳なし芳一・雪女 新装版-八雲 怪談傑作集-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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