騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(上) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001715

作品紹介・あらすじ

私は時間を味方につけなくてはならない──妻と別離して彷徨い、海をのぞむ小田原の小暗い森の山荘で、深い孤独の中に暮らす三十六歳の肖像画家。やがて屋根裏のみみずくと夜中に鳴る鈴に導かれ、謎めいた出来事が次々と起こり始める。緑濃い谷の向こう側からあらわれる不思議な白髪の隣人、雑木林の祠と石室、古いレコード、そして「騎士団長」……。物語が豊かに連環する村上文学の結晶!

感想・レビュー・書評

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  • 絵画が出てくるお話に惹かれる傾向があるのですが、例に洩れずこちらも面白かったです。
    ゆったりと流れるような空気感とは裏腹に、絵画や鈴、肖像画などこの先の展開が気になる謎がどんどん積み重なっていきます。
    次が楽しみ。
    あと、屋根裏に住み着いたミミズクに手を振ったり、ベランダのカラスの羽根を艷やかと表現したりする主人公絶対いいやつ。(鳥好きの偏見)

  • 文庫4冊分のうちの1冊目。(春樹作品おなじみ)ちょっとした謎がいくつか出てきて、なんだろうで終わる序盤。好き。
    妻のこと、免色という人物の謎、謎の鈴、そしてタイトルにある騎士団長殺しという絵画の謎。あとは雨田具彦が西洋画から日本画へ転身した真相が知りたい。
    続きを読みたくなる面白い話だった。

  • かなりの大風呂敷を広げた気がしてしまう文庫版1冊目。

  • 妹は夭逝し、妻は離婚を告げる。「私」は大切なものの「不在」を二度も経験する。

    しかし、それらの「不在」は、果たして魂にとって「存在しない」ということになるのだろうか。

    「不在」を「存在」にかえる、それこそが芸術の役割である。

    そのような訴えを感じながら読んだ。


    絵画や死者や意識下の記憶が、静かに口を開くような物語だ。

    各章のタイトルはその章の中の一文となっていて、それがどこに書いてあるのかを楽しみに読み進められる。
    これがなんともまぁキャッチーだ。

    思えば、書き連ねている文章で、人の記憶に残るのはたった一文である場合も多い。

    第2部へ誘われる。

  • 作者特有の時間論、比喩的表現は本作でも健在。4部作の第1部ということもあり、これからのストーリー展開が気になります。

  • 川上未映子との対談本を読み終えて、無性に再読したくなったので、今度は文庫版で。
    以下、軽くネタバレ含みます。



    村上春樹自身がキーワードとして出していた、上田秋成『春雨物語』内の「二世の縁」を、こういう風に組み込んでいたんだなぁということを、思い出しながら読み進んだ第1部上巻。

    夜な夜な鳴り響く鈴の音も随分奇妙ではあるけれど、初読した時にも感じていた『騎士団長殺し』の絵の方が自分的にはうわあ、となるかな。

    日本画って、どこかのっぺりしていて、写実的とは言い難いのに、なんであんな怖いんだろう。
    そして、古代中世の辺りの絵巻物って、血を流しているものがないような気がする。
    物語でも、忌避されるシーンなのですよね。

    それがまざまざと描かれた絵って、どんなんだろう、と思いながら、直視は出来ないように思うビビりな私でした。

    近代に至って「日本」画という名称が、西洋との区別のために生まれたという流れは面白い。
    非西洋的なるもの。勿論、それが日本的とは一概に言えないにしろ、比較の中で発見されてきたものがあるんだろう。
    でも、発見されたことで失われた自然さもあるんだろう。

  • なぜ、村上春樹氏の男性主人公は料理上手でしかも後片付けをさっさとするのだろう?w

  • 『騎士団長殺し』は村上春樹のベストアルバム的な内容だ。今までの作品に使われていたモチーフが総結集している。妻の失踪、異世界への入口、謎の美少女、と盛りだくさんだ。また村上春樹が愛読する『グレート・ギャツビー』のモチーフも使われていた。最近の長編作品の中では久しぶりに一人称(私)が使われていて、雰囲気は最近の『海辺のカフカ』『1Q84』ではなく『ねじまき鳥クロニクル』や初期三部作に近い。僕は初期の方の作品が好きなので、最近の村上春樹作品の中では結構楽しめた。謎解き要素もあるけれど、『1Q84』ほど結末が投げっぱなしという訳ではない。第三部も出るのかなと思っていたけれど、なくてもある程度の幕引きはなされている。『騎士団長殺し』は、「とっつきやすい」という点で村上春樹初心者向けなのかもしれない。けれど、『騎士団長殺し』は村上春樹の総集編の意味合いが強いので、これまでの小説(特に『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』、初期三部作と『ダンス・ダンス・ダンス』)と村上春樹が翻訳した小説(『グレート・ギャツビー』)を読んでいるともっと楽しめる。『騎士団長殺し』から読み始めてもいいし、他の作品を復習してから読んでもいい。つまりはそういうことだ。

  • 肖像画家である36歳の「私」は、突然妻ユズに一方的な離婚を告げられ、衝動的に車で北へ向かう旅に出る。彷徨の末、東京に戻り、美大時代の友人・雨田政彦の父で著名な日本画家・雨田具彦のアトリエだった小田原の山荘に一人暮らすことになる。駅前の絵画教室の講師などして、生徒の人妻とよろしくやったりしつつ過ごしていたある日、天井裏で、今は認知症で介護施設にいる雨田具彦が残したと思しき『騎士団長殺し』なる絵を発見する。数日後、免色という謎めいた白髪の紳士から肖像画の依頼を受け・・・。

    村上春樹はもう読まなくていいかなと思いつつ、なんとなく一応目を通すくらいはしとかなきゃいけないような気もして、結局文庫で読むことに。相変わらずの村上春樹節で、読みながらたまに笑ってしまう。主人公が「自分は要約せずにはいられない性分」で「それを嫌う人もいることもわかっている」と前置き=言い訳した上で「つまり、君は~」と例によって始めるくだりなど、ほとんど自虐ギャグかと思った。妻との離婚のやりとりも、ここまでいくともはや「ショートコント『離婚』村上春樹風」みたいな感じだ。

    今のところまだ序盤で、これから何が起こるのかしらという段階なので、なんともいえない。騎士団長は、そうか『ドン・ジョバンニ』か。上田秋成の『春雨物語』「二世の縁」など、引用される小説などはいつもわりと好み。

    しかし苦手な部分も相変わらずで、人妻との情事くらいは大目にみたけど、12歳で死んだ妹の膨らみかけた胸の話はほんとムナクソで、主人公が貧乳好きなのはその妹の思い出のせいかもしれないだのというくだりにいたっては電車の中で思わず「どうでもええわ!」と危うく声に出して言いそうになった。ほんとこういうとこだよ春樹。

    とかいいつつ、今のところは面白く読んでいます。とりあえず上巻は謎の鈴の音に導かれて石塚を掘り返したところまで。

  • 村上春樹氏の作品が大好きで全て網羅している。
    今作品は、一人称回帰。
    村上春樹氏の一人称と言えば「僕」だけど、初めて「私」という一人称。
    それだけをとっても、時は着実に流れており、村上春樹氏は70歳になり、私は42歳になり、お互いに生きて成長しているのだという実感が湧いた。

    10代、20代はリアルタイムで「僕」で読めたこと、40代になった今「私」で読めること。
    今の私には「僕」より「私」のほうがしっくりくる。
    出版順とともに成長するように、リアルタイムで読めることが本当に嬉しい。
    年齢は違えど、同じ時代を生きて、同じ母国語で訳を介さず村上作品を読めることは、私の人生にとって、とても貴重である。(「顕れる」「遷る」など漢字に意味を持つ日本語で読めること)

    年齢を重ねたからなのか、今作品は独特の言い回しやクセのようなものが、削ぎ落とされた気がする。
    私も歳を取ったからなのか、以前のように、心打たれるような文章や、書き留めておきたいような文言は見当たらない。
    でも、文章を読んでいるだけで、一瞬でどこか別の場所に連れてってくれる特別な力を持つのは変わらない。
    文章がメロディーになり映像になる。

    村上作品に共通して言えるのは、人間の形成に大きく影響するであろう幼少の家庭環境や実の両親の存在がほとんど登場しないことであった。
    だから、ある意味自分の忘れたいリアルな現実から遠ざかり、安心して読めた。
    今回は、生き別れた妹が出てきたことに少しびっくりした。

    そして今までは、あらすじのない物語で、地図もなく、どこに辿り着いてしまうのかわからないまま進んでいく、まるで夢の中のようなストーリーだったけれど、今回はあらかじめ設定されているようなストーリーの枠みたいなものが感じられて、それも新鮮だった。

    そもそも、村上作品に映画やドラマのようなストーリー的起承転結を求めていない。
    どちらかというと音楽を聴くのに似ている。
    村上春樹氏の描く文章によって、一時的に現実から離れ、彩のある鮮明な夢を見させてくれる。
    他の作家の小説は、何かしらのストーリーが始まり終わる。読者の私は夢中になったり感動したとしても、ただ通り過ぎるだけで、いつしか内容も結末も忘れてしまう。
    村上作品は、私に吸収されて含まれていく。まるで実際に体感したかのように。
    今までたくさんの作品を読んできたけれど、ありありと「心の情景(自分だけの映像)」として記憶が残っているのは、村上作品だけである。

    ある物事や感情を音楽として残したり、絵画として残したり、文章として残したり、「人に伝えること」は、誰にでも成せることではない。
    才能を持った限られた人にしかできない技。
    今回、いつもの風景描写や時間描写だけでなく、絵画描写を文章として残したり、性的描写もいかに文章だけで生々しく映像化し正確に真髄を伝えられるかに力を注いでて、ただただすごいなと。
    誰にでも成せる技ではない。

    冒頭の舞台は「グレート・キャッツビー」、リアルと非現実の感覚的な感じが「不思議の国のアリス」を想起させられた。

    物語とは直接関係ないが、平成最後の夜に第一部が読み終わり、令和初日に第二部が始まるという、村上春樹氏で時代を跨いだことが、私的に妙に気持ちよかった。
    私にとって村上春樹氏と共に同じ時代を生きていることは、とても重要なことである。
    (第二部に続く)

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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