トランクの中の日本:米従軍カメラマンの非公式記録

  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (116ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784095630137

作品紹介・あらすじ

1990年からアメリカで、ついで1992年から日本各地で彼の写真展は開催され、話題を集める。しかし、この夏に予定されていたワシントンのスミソニアン博物館での原爆写真展は、すでに報道されたように在郷軍人の圧力でキャンセルされた。ここにおさめられた57点の写真は、スミソニアンではついに展示されなかった真実の記録である。

感想・レビュー・書評

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  • 原題 Japan 1945、 Images from the trunk
    by Joe O'Donnell
    narrated by Jennifer Alldredge

    Half century later, i finally unlocked the old trunk packed with haunting recollections.

    23歳のジョー・オダネルはアメリカ海兵隊のカメラマンで、彼が写した写真集

    1945年の初夏にサイパンで乗船、
    そこで広島原、長崎爆投下のニュースを聞く

    その後、終戦後の日本の様子を撮影する

    P38 靴
    アメリカ人のブーツと日本人のぞうりがきれいに整然とならんでいる教会の入り口

    P44「私はアメリカを許しますが、忘れてくれと言われてもそれは無理です」

  • やっと図書館で見つけたときは、すでに絶版のときだった。
    当時はまだオダネル氏は生きていて、原爆の恐ろしさを伝えることに人生を掛けているようであった。
    あれから数年が経過し、奇跡的にこの本が復刊。
    そして、それと前後してオダネル氏はまるで任務を全うしたかのように永遠の旅に出た。

    この写真集が出版されてから10年後にアメリカでも出版されたが、内容は日本版にかなわない。
    大切なオダネル氏の思い出の言葉がごっそり削られていて、そして重要な写真が小さくなっていた。
    そして、日本版では最初のページに見開きで掲載されていた、当時オダネル氏が使っていたトランクの写真がどこにもなかった。

    だからこそ、この日本版の写真集は大切にしなくてはいけないな、と思った。
    もう絶対に絶版になりませんように。

  • 終戦後、占領軍が駐留することが決まって、戦争を生き延びた人たちはどんな酷いことをされるだろうと、もう誰も助けてはくれない恐怖に慄きながら、その日を待っていたのだろう。

    ほんの数ヶ月前に戦争で家族や友人を失った日本人が、少し前まで敵国だったアメリカ人を笑顔でもてなす写真があったが、笑顔の裏にはどれほど複雑な気持ちを抱えていたことか。

    当初、写真を撮られることに抵抗を感じていた日本人が、タバコやチョコレートを渡すと一転して態度を変え、快く撮らせてくれたという記述が多々あった。それらを与えればチョロいと言われたようにも受け取れて、ちょっとザラっとした。被写体となった、当時の日本人の心境の実際のところはわからないけれど。

    きっともっと凄惨な様子を記録した写真が多数あったのだろう。

  • 23歳の海兵隊員が、任務とは別に自分のカメラで記録した終戦直後の日本の写真集です。「敵」であったアメリカ兵が見た、たった1発の爆弾で瓦礫になった街やそこに生きる人々の表情を、あなたも見ることができます。

  •  今回,久しぶりに,写真を見ながら,添えられている解説もじっくり読んでみた。
     終戦後,すぐに日本に入った従軍写真家ジョー・オダネル氏が撮った当時の日本の写真。風景写真というよりも人物に焦点を当てて撮影している。解説には,「どのようにして写真を撮らせてもらったのか」ということも書かれていた。チョコレートやタバコと引き替えに撮影をさせてもらった…など。
     私がこの写真集を手に入れたのはずいぶん前だったと思う。原爆で被爆し,背中にやけどを負った人のこと(谷口さん)について,なんらかの情報を得たいが為に購入したのだったかな。あと,赤ちゃんを背負った少年の写真。これも一度見たら忘れられない。わたしにとっては「白旗の少女」の次に印象的な子どもを写した写真だ。「焼き場の少年」と題されたこの写真には,次のような解説が書かれている。

    「…前略。
    10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
    おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
    弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。
    しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
    重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
    しかも裸足です。
    少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

    背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
    少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。

    白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
    この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。
    男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
    まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
    それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。

    真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。

    その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。
    少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
    夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。」

    オダネル氏は声をかけることはできなかったらしいです。

  • 直立不動の 少年の姿に 戦後 すぐの 日本の社会も 象徴されている気がした

  • 死んだ弟をおんぶして焼き場に立つ少年。悲しくなるほどの戦争の影が写真に写っている。1945年。終戦直後に米従軍カメラマンとして来日した著者は、佐世保、長崎、広島、神戸を歩き回り、目にした無残な光景を私用カメラでも撮影したが、それらは全て忌まわしい記憶となった。翌年帰国した彼は悪夢をトランクに封じ込め蓋を閉じた。それから45年。自分の気持ちに正直になろうと思い、トランクの鍵を開けた。米国そして日本で写真展を開始した。

  • <目次>
    戦争は終わった!そして日本へ。
    「君の任務は上陸の模様をカメラにおさめることだ」
    水平線に蟻のような黒い点々が現れ始めた。
    あたりの空気はこげ臭く、空は淡い灰色にもやっていた。
    その晩、招待を受けて市長宅を訪れた。
    おもしろそうなものを見つけてはシャッターを切った。
    「墜落した飛行士も気の毒な死者のひとりですよ」
    福岡に海兵隊の新しい司令部ができることになった。
    奇妙な老人の言葉を忘れずに。
    なんとか現像してみよう。
    雨の夜の惨事。
    海岸線にはまだかなりの数の砲台が。
    死の町広島を歩く。
    ジープを捨てボーイにまたがる。
    長崎の爆心地に立つ。
    瓦礫の中に人骨が。
    仮設病院の祈り。
    彼らはリンゴの芯まで食べつくした。
    子供たちの幸せな日。
    少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。
    廃墟と化したカテドラル。
    帰国命令。
    あとがき

    ***

    私はあの体験を語り伝えなければならない……。
    1990年からアメリカで、ついで1992年から日本各地で彼の写真展は開催され、話題を集める。しかし、95年夏に予定されていたワシントンのスミソニアン博物館での原爆写真展は、アメリカ国内の在郷軍人の圧力でキャンセルされた。ここにおさめられた57点の写真は、スミソニアンではついに展示されなかった真実の記録である。
    (本書帯より)

    ***

    8月に入って流れてくる戦争記事をいくつか見ているときに目に入ったジョー・オダネル氏の「焼き場に立つ少年」。
    この写真を知らなかったので興味を持ち、新刊と迷いましたが、古いほうの本書を購入してみました。

    終戦直後、従軍カメラマンとして長崎、広島へ上陸したオダネル氏は、しかし1946年に帰国後、この写真のネガを自宅のトランクにおさめ、長い間開くことができませんでした。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    二度と再び開くことはないだろうと思いながら蓋を閉じた。生きていくためにすべてを忘れてしまいたかったのだ。
    (本書巻頭 読者の方々へ)
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    この想いを抱くに至った氏の心境は、本書の写真に添えられた、日記のような彼の回顧を見ていけば伝わってきます。
    そこには、戦勝国の軍曹というより、痛みや貧困のなかにいる生身の人や死者、残された街を実際に歩いた「一人のアメリカ人」の、人間らしい葛藤が読み取れました。

    広島や長崎の資料館のほうが写真の内容的にはショッキングで、あれをご覧になった方であれば特に気分を悪くしたりということは無いかと思います。

    このお話しが残って良かった、と思ったのは、44-45ページに登場する、アメリカに住んでいたという老人の語った言葉です。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    息子のような君に言っておきたいのだが、今の日本のありさまをしっかりと見ておくのです。国に戻ったら爆弾がどんな惨状を引き起こしたか、アメリカの人々に語りつがなくてはいけません。写真も見せなさい。あの爆弾で私の家族も友人も死んでしまったのです。あなたや私のように罪のない人々だったのに。死ななければならない理由なんて何もなかったのに。私はアメリカを許しますが、忘れてくれと言われてもそれは無理です。

    p44
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    この老人が英語を話し、オダネル氏と直接会話ができたことも勿論あるでしょうが、「彼の言葉を聞いて私は動揺した。彼の言葉はその後何カ月もの間私の胸に残った。」(p44)と、重く響いたようです。

    個人的にはこの老人の言葉は簡潔ながら非常に<この結果、どうしていけば良いのか>ということを言い表わしていて、名前も分からない一人の人の、この言葉が今に残って本当に奇跡じゃないかと。

    <許す>と<忘れる>(なかったことにする)は別物で、これは近代史を見ていくととても大切な考え方なのではないかと思います。

    世界情勢が緊張していますが、過去を振り返って、少しでも良いのでよりよい明日を築いていきたいものだと改めて思いました。

  • 本書の写真を撮ったジョー・オダネルは、アメリカ海兵隊のカメラマンとして空襲による被害状況を記録する命令を受け、1945年9月に上陸し日本各地を歩くことになりました。翌1946年3月、本国に帰還した彼は、私用カメラで撮影したネガをトランクに納め、二度と開けまいと蓋を閉じます。心に焼きついた悪夢は彼を苦しめ、被爆地を歩いたときに浴びた放射能は彼の体を蝕みました。生きていくためにすべてを忘れてしまいたかったのです。その45年後。もう逃げるのはよそう、あの体験を語り伝えなければならないと考えた彼は封印していたトランクの鍵を開けます。
    瓦礫と化した街、その中で生き抜く人々。写真に添えられた文章が更にその時代を浮き彫りにしています。

  • その一枚の写真から、多くの悲惨な事実が実際に起こった事だと気付かせてくれる。
    忘れないで、語り継いでいかないといけない。
    多くの人々に見てほしい本です。

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