- Amazon.co.jp ・本 (584ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094068511
作品紹介・あらすじ
330万部のヒット作、大学病院編スタート
栗原一止は、夏目漱石を敬愛する内科医だ。信州・松本平で「24時間、365日対応」を掲げる本庄病院から信濃大学医学部に入局し、早二年が過ぎた。消火器内科医として勤務する傍ら、大学院生としての研究も進めなければならない。そして「引きの栗原」は健在で、患者より医者の数が多いはずの大学病院で相変わらず多忙な日々を送っている。第四内科第三班の実質的な班長を務めている一止は、正義感に燃える研修医たちに共感しながらもいさめ、矛盾だらけの大学病院という組織にもそれなりに順応しているつもりであった。しかし、治療行為も万策尽き、最後のひと時を夫と子供とともに自宅で過ごすことを希望する29才の末期膵癌患者をめぐり、局内の実権を握る准教授と衝突してしまう。
内科医・栗原一止を待ち受ける、新たな試練!
シリーズ330万部のベストセラー、大学病院編スタート!
本編に合わせ、特別編「Birthday」も収録。
【編集担当からのおすすめ情報】
福士蒼汰さん主演で
超大型スペシャルドラマ化!
(2時間×4話=8時間!)
テレビ東京系列にて
2021年1月クール放送予定!
「青年内科医・栗原一止が、巨大な組織の中で描きだす、
ささやかな“希望”を、多くの人に届けたいと思う」
--夏川草介
感想・レビュー・書評
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「3」の続編である。栗原一止が信濃大学病院に移って2年が経っている。その間、娘の小春も生まれ、病院のチーム医療のリーダーらしくにもなっている。それは慣れたということではない。娘の股関節に異常が見つかる。患者が居るのに大学病院のベッド使用を上司が許可してくれない‥‥。
特に、第四内科の御家老、宇佐美准教授はパン屋と呼ばれ、「一個のパンがあり、10人の飢えた子どもがいる。さて君はどうするか」という譬え話が十八番である。第一話は大した問題にはならなかった。でも、これはその後キツイ選択を一止に求めるだろう。小説内の話ではない、これは優れてコロナ禍のもと現代の問題でもある。つまり「トリアージ」の話であり、この1月日本の何処かでも行われたかも知れず、昨年の欧米では頻繁に実施されただろう。
その予測は、変化球ながら当たらずと言えども遠からず、一止はパン屋と正面衝突する。あの有名な台詞の変化球が生まれる。
「私はパンの話をしているのではないのです。私は患者の話をしているのです」
さて、結果はどうなったか?黙してご覧じろ。
それはともかく、15年前、私は10時間もかけた膵癌手術に立ち会ったあとに、麻酔の副作用でたくさんの幽霊が見える父親に付き添い、大学病院の病室に1週間泊まったことがある。
その難しい手術を担当した若い医師は、今考えると栗原一止と同じ大学院生だったかもしれない。夜の8時に回診に来て、次の日の朝にちょっと見に来たこともある。ボサボサの髪をしていた。「いつ寝ているんだろか」と不思議に思ったことがある。こんな長時間のブラック労働、大変だけど高給取りなんだろうな、と思ったことがある。まさか、大学院生の給与が手取り16万円とは想像だにしていなかった。さらに言えば、病状が少し安定すると、30キロ離れた実家近くの病院に転院せよと言われた。救急車を使ってくれるかと思いきや、自分で行けという。その非常さに当時は恨みを感じたが、本書を読んでこれも大学病院の「ルール」だと悟った。せめて一止のような「患者に寄り添う丁寧な説明をしてくれる医師」だったらよかったのだが、一止がかなり「特別」或いは「変人」なのである。
膵癌は絶望的な癌である。本書の二木さんのように、ステージ4ともなれば尚更である。それなのに、ステージ4の前半だった我が父親は、その後3年も生きた。北条先生は言う。「言ったろ。大学ってのはすごい場所なんだって」今ではあの医師に感謝している。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今の所、この作品が「神様のカルテ」シリーズの最後となっている。
シリーズを通じて、もうすっかり物語の中に入り浸っており、登場人物達と共に歩みを進めるのはとても心地が良かった。本作で、舞台が市中の基幹病院から大学病院へ変わっても、登場人物達の性格が変わるわけではない。やはりいい人しか出てこない。
大学病院を舞台とした医療小説は数あれど、その特殊性の核心を突きながらも爽やかなストーリーで描いている小説は少ないのではないだろうか。
まあ、大学病院に行ったことすらなく、他の医療小説やドラマから伺い知っているだけなので極めて私的な感想にすぎないけれど。
シリーズを通して、信州の大自然の清涼な空気と人間を見る目の温かさを常に感じさせてくれました。そして、人の生死を扱うストーリーなのに清々しい。
そういえば、表紙のイラストもとても良い雰囲気を醸し出していました。「カスヤナガト」さんというイラストレーターの作品。これも良かった。主人公達のイメージにピッタリ。
「神カル」のストーリーがこの作品で途切れてしまう?のはとても寂しい。登場人物達が周りの環境に左右されず、ブレずに清々しいストーリーを紡いでくれていた。この「神カル」の世界から離れるのはとても寂しいが、、、
続編が出て欲しいような、今の読後感をズーッと引きずっていたいような、複雑な感覚です。 -
大学病院に移った一止。
大学のルールや規律その他しがらみに翻弄される中、自分が通すべき信念を、ここぞという時にはしっかり主張する一止に、ヒヤヒヤしながらも年甲斐もなく熱く応援してしまう。
読み始めはなんとなく荒んで毒舌度合いが増した一止に見えたが、後半以降はそれに自分が慣れたのか一止が戻ったのか、いつもどおりに戻って良かった。
最後は本庄病院では大蔵省の位置に当たるキャラの准教授(通称パン屋)相手にまたも大喧嘩するがやはりそうなるよねという患者本位の一止らしさ。
それを乗り越えた一止もすっかり大学病院の最大戦力の一員かぁと思うと感慨深く思う。
最終巻である今作品を読み終えて、続きがないのがとてもさみしい。
続編でたらいいのになぁと淡い期待をしています。
ロスを補うためとりあえず、スピノザの診察室を買おうと思う。 -
シリーズ最終巻まで一気に読みました。
民間病院をはなれて大学病院となりましたが、身分が普通の医師ではないことにびっくり。あれだけ本荘病院で経験があり、新天地の大学病院でも寝食を忘れるほど働いてもアルバイト並みの給料とは。
大学では見習い医師含め御礼奉公のように働いて病院が成り立つと聞きますが、本当だったようだ。若くして膵臓癌になった女性が最期まで面倒を見てもらえるのは、大学病院では超珍しいこと。自分の身内が治りかけた時に、追い出されて自分で次の病院を探したのが思い出される。イチは周りと揉めながら最後まで自分を貫き通し、結果として報われたことに感動する。 -
「24時間、365日対応」の本庄病院を辞め、大学病院に移ってからの一止の活躍が描かれる新章。
本庄病院の話で、このシリーズは終わりかと勝手に思っていて、単行本が出た時も番外編だと思って、スルーしていたが、ドラマが始まることを受け、内容をよく確認したら、新しい物語と言うことで、発売から随分経ってから読むことに。
大学病院を舞台に、「引きの栗原」の存在は継続しつつも、大学病院でありがちな縦割り制度や、理不尽な取り決めにも、真っ向から立ち向かう一止の姿が描かれる。
いろいろな患者さんとの交流が描かれるが、ベースにあるのは、29歳の膵癌の女性患者さんの話。
彼女の病気の進行の速さに、医療の限界を感じつつも、最期まで患者さんの想いに寄り添おうとする一止を始め、四内のメンバーの熱く、優しい思いにとめどなく涙が溢れる。
実際に身近な人を膵癌で亡くしているから、その病気の進行の速さは手に取るように分かるし、まだ幼い子供を残して、死にゆく運命を必死に受け止めようとする患者の二木さんの姿にも、ただただ涙するのみ。
しばらく離れていたので、一止のキャラクターがこんなに面倒臭かっただろうか?と疑問に思いつつも、ラストの人事の内定シーンでも、さらに涙。
もともと一止以外も魅力的なキャラクターが多い、今作。舞台が大学に変わって、さらに興味深いキャラクターも増え、今後も楽しみ。
ドラマの第1話には間に合わなかったけど、ドラマも見てみたくなる。 -
最先端の医療を扱う信濃大学病院に移った栗原一止。
一止を頼る29歳の膵癌患者の美桜の退院をめぐる処遇で、院内、准教授と対立してしまう…
末期癌患者が、『家で最期を迎えたい』と言っているにも拘らず、病院側が退院はさせれないなんて⁇
本当にバカやろうだ。
ただ自分たちが不安なだけで。
ただ自分たちがリスクから逃げているだけで。
何が退院ガイドラインなのか?
患者や家族が不安なのは当然だろう。
なぜ患者を見ないのか⁇
最期は患者の想いを叶えてあげるべきだろう。
一止や利休でなくても、『バカやろう』って、言いたくなる。
教授が『患者の話をする医者でいなさい』と、一止を受け入れたことに救われる。
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本庄病院で医療の限界を見た栗原一止が、先端医療を学ぼうと信濃大学に移った新章編。
患者よりも医師の数の方が多い大学病院という巨大組織。
その大学病院について、一止が語る。
「実に複雑な構造の組織だ。正しく見えたことが、間違いであることがあり、理不尽に思われたことに、もっともらしい理屈がついてくる。しまいに何が正しくて何が間違っているのかわからなくなってくる」
複雑怪奇な医療現場で、漱石の言葉「真面目とはね、真剣勝負の意味だよ」を信条とする一止は、様々なところで組織優先の硬直性とぶつかり続ける。
組織そのものであるかのような、医局のご家老といわれる宇佐美准教授と対立する一止の言葉「私は患者の話をしているのです」には、カタルシスが。
一止の診療の大半を占めるのが、29歳の進行膵臓癌の患者。末期癌患者本人の、自宅で家族とともに過ごしたいとの望みが許されない組織の在り方に、一止は疑問を持ち、何とか解決の方法を探し出そうとする。
様々な軋轢と戦い、決定的な対立の末、左遷を覚悟する一止の前に提示されたのは・・・・・・
本書は、大学病院へ移って2年が経った設定であり、一止にはなんと愛娘が誕生している。
病院での出来事に反し、家族と過ごす場面の描写は、読者をほのぼのとさせてくれる。
細君ハルの「大丈夫でないことも、全部含めてきっと大丈夫です」という言葉には、一止に対する信頼と愛情が込められていて、なんとも微笑ましい。
今作でもたびたび珈琲の場面と、日本酒の銘柄が登場する。
『豊賀』『七水』『田光』『信濃鶴』『泉川』『飛露喜』『呉春』『鍋島』『善哉』等々。
著者の好みの発露か(笑)。
著者は -
とても良い作品です
ー『医師』は神ではないー
ー患者のはなしをしているのだー
栗原先生の人柄や言葉が心に刺さりました。
現在の社会に欠けてきている大切なことが考えさせられます。
私は砂山先生が好きです -
文庫版に収録の特別編狙い。
新たな登場人物もあり、今後の物語の展開が楽しくなりそうなエピソードです。
単行本を読んだ人もぜひ。 -
やはり「神カル」はいい。
生命の明滅と自然の描写が鮮やかだ。
生死、医療問題など重いテーマを扱いつつ、登場人物たちの軽妙なやりとりは明るさにみちている。物思いに沈む際の情景描写がじんとくる。
悪戦苦闘を経ながらも、さわやかな読後感を与えてくれる。
いつか長野にいってその風景をみてみたい。そんな思いがますます強くなった。