- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784093965477
作品紹介・あらすじ
母と過ごした最期の日々を綴ったメモワール
『食堂のおばちゃん』や『婚活食堂』などのベストセラーシリーズのほか、テレビやラジオの出演も多い元「食堂のおばちゃん」松本清張賞作家、山口恵以子さんが最愛の母と過ごした最期の日々をあたたかな筆致で克明に綴ったエッセイ集です。
山口さんは2019年1月18日、母・絢子さんを自宅で看取りました(享年91)。本書は絢子さんの病状を克明に綴ったドキュメントであり、絢子さんに認知症の症状が出始めてからの18年間を振り返るメモワールでもあります。
山口さんは母への思いをこう綴ります。
<私と母は六十年も同じ屋根の下で暮らし、二人三脚でやってきた。住む場所があの世とこの世に分かれたとしても、私と母の二人三脚はこれからも続いていく。そう思えてならない>
変わりゆく母の様子に混乱する山口さんはどのように現実を受け容れたのか。その中でも変わらない母娘の穏やかな日常や最初で最後の京都旅行。迫り来る介護の日々と余命宣告――
いつか直面するかもしれない親の介護や大切な人との別れ、さらに葬儀や墓のことまで。本書を読めば、目の前にいる人との時間を改めて大切に思い、突然来る”その時”を受け止められるはずです。
【編集担当からのおすすめ情報】
山口さんがこの本の執筆を始めたのは母・絢子さんが亡くなった翌日のこと。絢子さんの最期、そして葬儀やお墓をどうするかといったことまで、ライブ感覚で臨場感たっぷりに綴っています。その後、思い出を振り返る形で綴られた絢子さんとの最期の日々は、当時の日記が元になっています。ですので、折々に湧き上がった怒りや絶望、混乱、そして事件が、当時の生々しい思いとともに綴られ、類書のない本になっています。
<母には最期まで私がいた。それは本当に僥倖だと思っている。でも、私には誰もいない。寂しい気持ちはあるが、後悔はしていない。これは誰でもない、私自身が選び取った道なのだ>
これは本書にある一節です。本書は、山口さんが母と過ごした日々を綴った本ですが、独身の山口さんが精一杯の気持ちで母を送り、ひとりで生きる未来に向かう本でもあります。昨今、生涯未婚率が急増し、実家で親と暮らす人や、単身で老後を過ごす方も増えています。「母が亡くなった今もまだ一緒にいる気がする」と山口さんが綴るこの本は、そうしたひとりで生きるかたに希望を指し示す本になっていると思います。
また、私が本書を編んでいる間、何度も思ったのは、なんて素敵な母娘関係なんだろうということでした。母が子を思い、子が母を思う心あたたまるエピソードがたくさん載っています。こんなふうに親を送ってあげたいと思いましたし、こんなふうに送られたいとも思いました。
たくさんの方に手に取ってもらいたいと心から思う1冊です。
感想・レビュー・書評
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人気作家が、昨年1月に91歳で亡くなった母・絢子さんとの思い出を綴るメモワール。
還暦を過ぎても独身のまま実家にいる著者が、母親と共に暮らした年月は60年余に及ぶ。
ずっと仲のよい母子だったという。ゆえに、本書も読後感があたたかい。
かわいらしいカバー画は、朝倉世界一の手になるもの(本文の挿絵も)。
母と娘の葛藤のありようを探求した『母が重くてたまらない』(信田さよ子)というベストセラーがあったが、母親との間に軋轢を抱えた人たちにとっては、著者たちの仲のよさはうらやましいかぎりだろう。
著者が喪主として通夜・告別式で述べたあいさつが感動的だ。
そこには次のような一節がある。
《もし、母が私の母親でなかったら、私はもっと不幸だったし、書き続けることができなかったかも知れません。母には感謝しかありません。これまでずっと二人三脚でやってきて、母がいなくなってガックリするかと思ったら、むしろ母は遠くに行ったのではなく、そばに付き添ってくれるのだと思いました。私たちはいつも一緒です。だから私はこれからも、母と二人、二人三脚で生きていきます》38ページ
本書の中心となるのは、年老いた母が認知症になり、やがて介護が始まった晩年の様子である。
最後に著者は自宅での看取りを決意し、それをやり遂げる。
誰にとっても他人事ではない、親の認知症や介護、看取り。それらについての「実用書」的に読んだとしても、参考になる記述が多数ちりばめられている。
著者もそのような読まれ方を想定しているようで、入院・介護・葬儀に至るまで、かかった費用などが細かく記されている。
親の最後の日々に寄り添う際に子どもが持つべき心構えについても、本書は大いに参考になるだろう。
さすがに第一線の作家だけあって、自らの心の揺れ動きをたどる筆は繊細そのものだ。
客観的には、著者は母親にとてもよくしてあげたと思う。それでも、著者は本書でしきりに悔やむのだ。
《私は急激に老い衰えてゆく母の言動に戸惑い、焦り、不安にかられ、翻弄され続けた。その間、考えるのは自分の気持ちばかりで、老衰の当人である母の気持ちを慮ったことは一度もなかった。
その事実に、自分が怪我をするまでまったく思い至らなかったことに、今になって愕然としている。》165~166ページ
そんなに自分を責めなくても……と思うのだが、誰しも親を亡くしたあとは大なり小なり悔やむものなのだ。
私自身、2年前に亡くした母のことでは悔やむことばかりである。 -
親の老い、死
ってものを考えさせられた。
映画や本で死に触れることはあるけど、
生と死の境を考えさせられたのは初めてかもしれない。
私は会社員だし、母親のことをママと呼ばないし、
共依存(作者が書いてた)ではないと思うし、
比較的母親も昭和な考え方ではないので、
生活とか共感できるわけではなかったけど(むしろ、疑問を抱くところもあった)
なんだか親との今後の生き方を考えてしまった。
いつでも母と
というタイトル通り、生きてる時も
お亡くなりになってからも
いつでも母と居るんだな。
家族に会いたい。
みんなそろって、ご飯が食べたいよ。 -
朝倉世界一さんの可愛らしい母娘の表紙イラストに引かれて読んでみた。
結婚していない私は、作者と母娘関係が似ているように感じ、引き込まれた。私の母は田舎で一人暮らしている。私は独り身で東京に住んでいる。この本の内容は、これから私が経験することなのかもしれない。私もこの本の作者のように母を送りたいと思った。とても貴重な体験を形に残していただきありがたい。 -
私の中で、健康・生き方というカテゴリに。
死に方は生き方で、生きていることはいつか死ぬことで、
死は怖いけど、毎日眠りにつくことは怖くない。
きっと、安らかに眠るように家の布団で死ぬことも可能なはず。
そんなふうに思える本だった。
作中に紹介されている「なんとめでたいご臨終」も読んだが、病院ではなく、自然なカタチで旅立ちたいなぁ
まぁ、生まれてくる時と同じで自分にはどうしようもないかもだけど。
山口さん母娘、よいお別れで羨ましい。 -
独身50代の著者が母を在宅看護で看取るドキュメンタリーエッセイ。
共依存だと本人は言っているけれど非常に仲のいい親子。
それでもやはり介護をしていると腹が立ったりするもんなんだなあ。
だもの、仲が良くない親子ならなおさらよのう。
おまる代わりに大きな食品タッパー使ったり、一軒家なのにお母さんの部屋が二階で退院後の帰宅に困ったりと、いろいろツッコミどころも満載。
でも愛と悲しさが詰まった一冊。 -
やっぱり山口先生の本は好きです。
お母様は幸せな最後でしたね。
私は母が大嫌いです。
そんな私にも相性の問題、と言い切ってくれます。
すごく安心できる言葉でした。 -
医学部分館闘病・体験 : 914.6/YAM : https://opac.lib.kagawa-u.ac.jp/opac/search?barcode=3410170258
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恒産なき者は恒心なし(きちんとした仕事と安定した収入のないものは精神の安定を保つのが難しい。)孟子の言葉。
確かに。
介護や見取りの話はとても個人的なもので興味がある。ひっそりと行われるから、中々人の目には触れない。でもいつかは自分にも訪れること。全く同じにはならないが、ふわっと知識で入れておきたかった。
最愛の母と言えど、イライラが募ると些細なことで暴言を吐いてしまうことも。それを後悔したり、昔の姿と比べてイライラしたり、悲しくなったり。余命を宣告されて気持ちがジェットコースターの様に乱高下したり。自分もそうなるだろうと、重ねて読むことができた。
余命を知ってからは排泄さえもありがたく思えるようになるとは。 -
2019年1月18日、享年91歳のお母様を自宅で看取った山口恵以子さんのエッセイ。
ご自身でマザコンを公言されている程、お母さんとは親密なご関係。
ずっと独身で60年間同じ屋根の下で暮らして来た二人の悲喜こもごも、認知症発症から介護、衰えて行く母をそばで見守り続ける娘、全てが事実ゆえ、当然ながら圧倒的なリアルで胸が締め付けられる。
葬儀を終えたばかりの振り込め詐欺事件や家族葬のピンキリなど勉強になる部分も多々ある。
お母様が亡くなる時に発した最後の言葉に、これ以上ない温かさを感じ、幸せな幕切れを思い涙が溢れた。