- Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
- / ISBN・EAN: 9784093881180
作品紹介・あらすじ
極限までドラマチックな半生を、とぼけた味わいで語る決定版。コミック+文章の名作エッセイ、新装版で登場。
感想・レビュー・書評
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水木しげる大先生の少年時代〜ほぼ現在に至るまでを漫画とエッセイで綴った本。
本当ならもっと悲惨もしくは辛かったであろう戦時中の体験を(おそらく敢えて)ユーモラスに描いてあるのは水木しげる大先生だからこそ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
去年は戦後70年の節目の年だったので、テレビや新聞・雑誌で、関連のドキュメンタリーや映画、特集記事などをかなりたくさん見ました。
「当時の記憶は辛くて、今までどうしても話す気になれなかった」と言っている人が日米ともにものすごく多いことに今更ながら驚きました。子供のころから「はだしのゲン」など、いくつかの戦争体験記を目にしてきましたが、それは勇気ある貴重な証言であり、実際は多くの人が語ることすらできずにいたことに今まで気づいていませんでした。
今回、この「カランコロン漂泊記」を読み、特に戦争中のことを書いたページに非常に感銘を受けました。
当時の名もなき兵士や名もなき犠牲者たちがどんな風に感じていたのかリアルに知ることができます。時間に制限のあるドキュメンタリーなどではカットされてしまうような、あるいは、単純に記録としては残っていないような市井の人たちの日々の様子がすごく伝わってきました。漫画だから拾えるエピソードがありのままの形で描かれているように思います。
南方に送られることが決まった時点で多くの人が「生きて帰れるわけがない」と思っていたこと、慰安婦の姿、「まじめに働いたら死ぬぞ」と言い合っていたこと、兵士たちが患ったさまざまな病気など、実際に体験した人にしか分からない小さなエピソードの数々こそが戦争の悲惨さをリアルに伝える貴重な資料となっていると思います。
「戦争論」については、正面から反論するのではなく、「当時の空気が思い出されてなつかしい」という一見肯定的な言葉でケムに巻きながらも、その思想の危うさを鋭く批判しているところはびっくりしました。
「この人、ただトボけているだけの人じゃないんだ!」と。
世の中には信望している主義主張を真っ向から批判したら、唾を飛び散らせて反撃してくる人もいますからね。
平和を訴える内容だけでなく、方法としても非常に考えさせられました。 -
ゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげる氏のエ漫画とエッセイ。淡々と語る死生観を読んでいると、激動の時代を生き抜いたからこそ悲観的にならないのかもしれないと考えさせられた。太平洋戦争で最前線に送られ、仲間がどんどん死んでいく。現代の我々にとっては異常な非日常空間にしか見えないのだが、水木氏の視点は「非日常の中の日常生活」に注がれている。
食べる、寝る、暮らす。戦死や慰安婦、軍隊での暴力など一般的な戦争の本では悲壮感が漂う表現になる題材だが、水木氏の語り口においては善悪とは異なるレイヤーに存在しているように感じる。
平和な時の命も、戦時下の命も、同じように一つの命なのだ。
漫画の中で水木氏の飼い猫が語る
「この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要はないよ」
という言葉が沁みる。
<アンダーライン>
★★「あの世」いいということが分かったりすると、人はすぐ自殺したりするだろう
★★★★人間なんていうつ死ぬか分らんもんだ。そう思うと、毎日の「小さな幸福」といったようなものは、案外大切なものなんだ。
★★幸福観察学
★★★★★「この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要はないよ」 -
常に死と隣り合わせで、悲しんでる余裕なんかないくらい次々と人が死んでいく。想像がつかないほど激動の時代を生きてきた人だったのだと。それでも不思議と悲壮感よりもユーモアが勝るような文章、悲しみに浸る暇もなくサクサクと描かれていくエピソードの数々。水木先生の人となりや魅力が伝わってきた。個人的に”カランコロン的幸福論”でも特に「睡眠力」「猫」「死神教」は刺さる。
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猫と死神教が特に素晴らしい。
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エッセイと漫画で綴られた水木しげるの半生。軍隊ではひたすら理不尽にビンタされ、片腕を失いながらも生還した水木さん。水木さんが畏敬の念をこめて「土人」と呼ぶ人たちとの交流も楽しい。単なる反戦でなく氏の描く戦争体験がリアルで、また切なくて、それがとても面白い。全体にまとまりには欠けるが、どの章も引き付けられる。
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H29/10/13
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戦争の悲惨な思い出も、貧乏な時代の思い出も、今はもう飄々と語ることができる遠い記憶の中。水木先生はとにかくよく食べる人だったらしい。だから、片腕は失っても、長生きされたのでしょう。人は人、自分は自分、で、ゆったり生きる、そういう生き方も大事かも知れない、と思った。