- Amazon.co.jp ・本 (388ページ)
- / ISBN・EAN: 9784093873932
作品紹介・あらすじ
一級の昭和史新資料55年経て初公開。「戦中派虫けら日記」「戦中派不戦日記」に続く、作家デビュー前夜の日記-。戦後最大の物語作家・山田風太郎は敗戦の翌年、24歳の医学生であった。激動する日本、占領下での生活、戦争、天皇、変節する人々、青春を透徹した目で克明に綴る。
感想・レビュー・書評
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小説ではない、個人的ドキュメンタリー日記がなかなか興深くてやめられない
というか、知らなくて知らなくてごめんなさいと思いながら読む
昭和21年(1946年)風太郎氏24歳、東京は三軒茶屋に下宿しての医学生
配給も滞り、闇物資は高騰し、ものすごい食糧難
その描写がなまなましい、青春まっただ中なのに
日記には毎日、毎日どのように食物を手に入れただか、が克明だ
例えば
十月八日
「...バラックの食物屋を覗いて歩く。茄子十円求む、十二、三個。」
十月十一日
「...新宿にて南瓜一貫目と少々、十八円にて買いて帰る。
米も粉も麦も芋も尽きたり、今夕より南瓜を煮て飢えをしのがんとす。
ヘルマン・ヘッセ『秋の徒歩旅行』読。」
空腹を抱えているのに、医学勉学に励みながら映画もよく見に行くし
停電もありながら、毎日のようにたくさんの本を読書する青年の風太郎なのだ
その頃とは、わたしが4歳の時にあたる
わたしの親たちは大変だったのだろうが
もう生まれながらに食への関心がなくて、苦痛の経験がないから
「そうだったのか!」と身に染みて追体験しているように思う
それなのに、それだからこそか
食物の苦労話の間に挟み込まれた、思索や青春の悩みが
さながらひかり輝いているような風である
雨や風、日の光、蒼穹
ちょっとした路傍の忘れがたき風景の描写もすばらしい
なるほど将来の物語作家の下地ありありなので...詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
19、20年の日記には劣るが興味深い
50年でも100年でも1000年でも2000年でもひとは変わらず -
敗戦後の日本は、米の配給が滞り芋ばかり食べていたことがうかがえる。そのような生活のなか、山田氏がしばしば酒を痛飲していたことと、しっかり読書していたことが印象的でした。
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この本は昭和21年、1946年、当時24歳の山田青年の日記だ。
今現在の私よりも年下なのだが、
いやはやどうして賢い人だ。
1946年といえば本当に終戦直後。
渋谷は焼け野原。
東京ではこじきが沢山いて、追いはぎも出たそうだ。
資料として、戦後間もない頃のものは、
GHQのことや、政策、高度経済成長のことばかりで
本書のようにそこに生きていた人間の想いをそのまま映し出すものは少ない。
山田は天皇制を支持している。
といっても、それは決して右派とか、そういったことではない。
当時の日本人の素直な考えなのだ。
町中の話題はA級戦犯についてで、
新聞もそういった軍人たちを非難するものだった。
それでも山田が天皇制を支持するのは、
世の中を理解していたといえるだろう。
日本人の心の中にある長い長い天皇を中心とした歴史。
アメリカもそれは理解していた。
だからこそ、天皇制は廃止ではなく、
天皇の象徴化ということになったのだ。
天皇を象徴として残し、人々に崇拝対象を残した。
当時の日本人の心がわかる。 -
読書中