14歳、明日の時間割

著者 :
  • 小学館
4.00
  • (78)
  • (125)
  • (63)
  • (6)
  • (1)
本棚登録 : 958
感想 : 120
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093865241

作品紹介・あらすじ

文学界騒然の中学生作家待望の第2弾小説!

現在、青春時代のまっただ中にいる方はもちろん、学生時代が遠い昔という大人や遥か彼方という熟年世代まで、どんな世代も共感できる、笑える、そしてホロッと泣ける、全方位型エンジョイ小説の誕生です。
短編小説を学校の時間割に見立て、7つの物語が展開されます。

短編小説が入賞。作家となった少女への国語の先生のお願いとは。半分は私小説を思わせる作品。

家庭科を得意とする少年が抱える事情と、見守る少女の想い。思わずキュン涙必至です。

都会への転校を前に、孤独感に苛まれる少年の再生物語。少年の孤独と不安を癒やしたのは……。

ダメな大人たちに囲まれた少年のピュアな成長ダイアリー。中学生目線の鋭い大人描写が胸に迫ります。

孤独な少女の心の葛藤と青春。ヒリヒリした中学生ならではの複雑な感情に、誰もが共感を覚える一編。

体育が大の苦手な少女が決意した大きな挑戦と努力。彼女の周りの人々の生き様と「生きる」ことへの希望。

夢を持ち続ける大人、先生の苦悩とリアルな心情。大人はいつまで夢をみていいのか。
全7編。

【編集担当からのおすすめ情報】
デビュー作にして10万部のベストセラーとなった「さよなら、田中さん」の続編希望の声が多い中、「これだけ、と思われたくないのでまったく違う作品を書きます」と始まった挑戦。何度もハードルの高い宿題、改稿を乗り越えたあげく、彼女でしか書き得ない、珠玉の短編集が誕生しました。
この瑞々しさ!この感性!
いたるところで共感し、爆笑し、懐かしく想い、目からウロコが落ち、ハッとさせられ、そしてホロッと泣いてしまう。全世代が心から愉しめる一冊です。
「私たちが、同時代に鈴木るりかという作家を得たこと。これは事件だし僥倖だし大きな希望です」という俵万智さんのことばを、誰もが実感できる傑作です。
装画は大人気の矢部太郎さん(カラテカ)。小説への描き下ろしイラストは初となります。カバーイラストはもちろん、表紙や扉、各章終わりなど随所で素敵なイラストが愉しめます。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • あなたは、学校が好きだったでしょうか?

    思えば私たちは一生を通じて好きなこと、得意なことだけに時間を費やすことができるわけではありません。大人のあなたの毎日を考えてみても、サラリーマンですという人は毎日の生活のためにやむなく与えられた仕事をこなしていく日々を過ごされていると思います。しかし、そんなあなたはその気にさえなれば転職という別の道が用意されています。しかし、子どもたちはそういうわけにはいきません。決して逃げることなどできずに目の前に提示された時間割を毎日必死にこなしていく他ありません。あなたも過去を思い返してみて、横軸に月曜から土曜まで、縦軸に一時間目から六時間目までのマス目に書かれた時間割の全ての教科が好きだったという方はいないと思います。
    
    『学校の勉強なんか、大人になったらなんの役にも立たない』。

    嫌いな、苦手な教科に苦しめられれば苦しめられるほどにそんな思いに苛まれた方もいらっしゃるかもしれません。そしてそんな思いは、

    『自分はなぜこんなことで苦しめられなきゃいけないんだ』。

    といった切実な思いにも繋がっていきます。そしてそれは、教室の中で行われる教科だけというわけではもちろんありません。

    『みんな、体育の時間、私はなきものと思ってくれ。頭数に入れてくれるな。自分ひとりで醜態を晒し、恥をかいているだけならまだいいが、周囲に迷惑をかけていると思うといたたまれない。申し訳なさで、身が縮まる思いがする』。

    それぞれの能力差が全員の前に隠しようもなく、残酷なまでに晒される体育という教科は特に、それを得意とする生徒の陰でこんな風に辛い思いをしている生徒も多いと思います。こんな風に改めて思うと学校の時間割というものは、十代の子どもたちにとって、なんて残酷な時間を強いているのだろう、といたたまれなくもなります。

    さて、ここにそんな学校の教科の時間割の中でそれぞれの青春を過ごす中学生たちが主人公となる物語があります。『国語』、『家庭科』、『数学』…と過ぎ去ってみれば懐かしいと感じる教科の名前を時間割の中に見るこの作品。それは”学校の教科をテーマにした小説を書きたいと思っていた”と語る中学三年生の鈴木るりかさんが描く現在進行形の時間割の向こうに中学生たちのリアルな今の青春を見る物語です。

    『明日香ちゃん、いいですね、脂が乗ってるって感じです』と『秀文社の片瀬さんから』電話があったことを母親から聞くのは主人公の三木明日香。そんな明日香は『出版社が主催する小説賞で、特別賞を受賞し』『史上最年少だそうで、小さな田舎町ではちょっとした騒ぎにな』りました。『主催した出版社から二作目を書かないか、と言われ』短編を送っていた明日香はそんな電話の内容にほっとします。一方、『私が小説を書いていることは、学校はもちろん、隣近所にも知れ渡っている』という中、『なんとなく風変わりな子と認定され』たと感じている明日香。そして、『受賞から数ヶ月がたった』ある日、明日香は『放課後に担任の矢崎先生から呼び出され』ます。『思い当たることがな』く、『多少訝りながら』向かった教員室で『銀縁眼鏡をかけた』矢崎は、『国語準備室に行こうか』と場所を移しました。そして、『読んだよ、「文苑」』と『受賞作が載った文芸誌』のことを切り出した矢崎は『作品も面白かったし。改めておめでとう』と握手を求めてきました。それに『あ、ありがとうございます』と対応する明日香に『実は僕も十代の頃からずっと小説家志望で、創作活動を続けているんだ』、『本当は作家になりたかったんだ』、『投稿歴も長いよ。学生時代からだからもう二十年になるかな』と続ける矢崎。そんな矢崎は『これは僕が今まで書き溜めてきた自信作が入っているんだけど、出版社の人に渡して欲しいんだ』と紙袋を差し出しました。『新人文学賞は』『下読みって呼ばれてる連中がやる』ため、『ものすごい才能に出合ったら』『嫉妬でわざと落と』すので『編集者には読んでもらえない』、だから明日香から編集者に渡して欲しいと懇願する矢崎。それに、『私だってまだプロの作家というのではないし』と戸惑う明日香は、『編集者さんもすごく忙しいですし、渡したとしても読んでくれるという保証はない』と断りますが、矢崎の熱意の強さに『なんとかしてみます』と紙袋を受け取ってしまいます。『三木さんも読んでみて』と言われ家に帰った明日香は『表紙に、蒼月彗斗』とある作品を読み始めました。『純文学系だろうと想像していたら、意外にも軽いタッチのラブコメだった』というその作品を読んで『どこかで聞いたようなものを、あちこちから切り取って、リミックスしたような話』だと感じ『読み進めるのがものすごく苦しい、キツい』と感じる明日香。『良い、悪いではなく、どうしよう』と思う明日香は、『次の日の昼休み』矢崎先生に呼び止められ感想を聞かれます。『編集者にはいつ頃渡せそう?』とせっつく矢崎に『本当にこれを、片瀬さんに渡していいものだろうか』と戸惑う中、担当編集者の片瀬と打ち合わせをする日がやってきました。そして明日香は…という最初の短編〈一時間目 国語〉。まるで作者の鈴木るりかさん = 主人公の三木明日香?と私小説を思わせるようなその内容に冒頭から一気に作品世界に没入させていただいた好編でした。

    七つの短編が連作短編の形式を取るこの作品。書名にある通り、鈴木さんが14歳、中学三年生の時に書かれた作品です。そんな作品は、これまた書名の通り〈一時間目 国語〉、〈二時間目 家庭科〉…〈五・六時間目 体育〉、〈放課後〉というように、学校の一日の時間割のように短編タイトルが構成されているのが特徴です。鈴木さんといえばデビュー作の「さよなら、田中さん」が有名です。あの作品も連作短編として作られていますがその視点回しは最後の五編目のみそれまでの四編で視点の主を努めていた花実のクラスメイトの信也視点という不思議な構成をとっていました。それに対してこの作品では、連作短編の王道とも言える一短編一主人公という形で視点を移動させていく手法をとっています。では、そんな各短編の内容を視点の主と共に見てみたいと思います。

    ・〈一時間目 国語〉: 『私は出版社が主催する小説賞で、特別賞を受賞し』たという三木明日香が主人公。担任の矢崎から、書いた小説を編集者に取り次いで欲しいと頼まれ困惑する明日香でしたが、迷った挙句編集者の片瀬に手渡します。

    ・〈二時間目 家庭科〉: 家庭科が苦手な母親の願いにより逆に家庭科が得意な子に育った伊藤葵が主人公。そんな葵が所属する『家庭科クラブ』に、『同じクラスの男子、野間克己』が卓球部を突然辞めて入部。そこには隠された理由が…。

    ・〈三時間目 数学〉: 『百点満点の九点』をとってしまって動揺する坪田修也が主人公。『父親の転勤で東京』の高校に進まねばならない中、成績に悩む修也は『同じクラスの中原』からある提案を持ちかけられます。

    ・〈四時間目 道徳〉: 『まず初めに父さんがいなくなった』という松尾圭が主人公。そんな中『母さんが男の人を家に連れてき』て、『「誰?」という疑問』の中、今度はそんな母親がいなくなってしまいます。

    ・〈昼休み〉: 『ひとりぼっちの休み時間を乗り切るために』『いつも本を読んでいる』という山下が主人公。図書委員として『ラベルのチェックしている』と、『同じクラス』の中原に『仕事中ごめんね』と声をかけられます。

    ・〈五・六時間目 体育〉: 『私は体育が苦手だ』という星野茜が主人公。『全てを出し切ってこうなのだ』と周囲が『わかってくれない』ことに苦悩する中、近づいてくる『マラソン大会』に向けて陸上部の中原に声をかけられます。

    ・〈放課後〉: 『本当は小説家になりたかった』、『なれなかったから国語教師をしている』という矢崎が主人公。そんな矢崎はクラスの三木明日香の文学賞受賞に驚く一方で『小説創作教室』で知り合った藤村からある連絡を受けます。

    七つの短編はタイトルに含まれる教科の授業風景が描かれるわけではありません。あくまでその教科から連想される内容を主軸に展開していきます。そんな中で七つの短編全てに登場し、連作短編としての一体感を演出しているのが、中原の存在です。『陸上部の強化選手で勉強もできる中原君』、『中原君は、陸上部で足が速い。特に長距離は得意のようで、去年のマラソン大会で、学年一位だった』、そして『中原君は、上級生の女子にも人気があった』と各短編でそれぞれの視点の主によって語られる中原のイメージはほぼ同じです。運動ができて、勉強もできて、みんなに好かれる優等生、そんな人物を全編で登場させた鈴木るりかさん。そんな鈴木さんはその理由を”それぞれの章の主人公たちに、ささやかな光や癒やしや救いを与える”ためだと説明します。”花瓶には花を、人生には中原くんを!”と中原に大きな存在感を持たせる鈴木さんは”中原くんのような存在を心から欲しているのは、私自身かもしれない”と続けられます。その存在がちょっとスーパーマンすぎる気がしないわけではないですが、最初から最後まで全く嫌味なく登場し続けるその存在は、読者にもその登場を待望する気持ちが自然と生まれる絶対的な存在に感じられます。そして、そのことをもって見事に七つの短編が紡ぎ上がるのを感じるこの作品。二作目でこんな巧みな連作短編を組み立てる鈴木さんの凄さを改めて感じました。

    そんな風に相変わらず巧みに組み立てられたこの作品ですが、デビュー作の「さよなら、田中さん」と比べて重厚感が増しているのがさらなる特徴だと思います。それは、全編の四割近い分量で描かれた〈五・六時間目 体育〉の存在が大きな意味をもって読者に迫ってきます。『私は体育が苦手だ』というこの短編の視点の主である星野茜は『この世に、体育なんてものがなければ、私の心はどんなに穏やかでいられることか』と『体育』の存在を強く意識し、『やりたい人だけやればいい』と感じてもいます。『運動会は地獄の行事だった』と、『市中引き回しの刑』の如く最下位になった者が晒される現状を『こんなことが許されていいのだろうか?どこかに訴えてやろうか?』とも思う茜。そんな風に『体育』に苦悩する茜の物語で鈴木さんは二つの視点を取り上げます。一つは『「運動・スポーツ嫌いの中学生を半減させる」という目標』を打ち出して誕生した『スポーツ庁』の存在です。『運動が好き嫌いの問題ではなく、体がそのように動かないのだ。気合や気持ちでどうにかなるものではない』と、国が掲げる極めて安易な発想、ノリで作ったとしか思えない安易な目標を、『体育』という授業科目の存在に苦悩する側の立場から一刀両断にしていくその切り込み方は、『スポーツ庁』に関係される方には是非読んでいただきたい、その政策のあり方をよくよく考えていただきたい、そんな風に思いました。そして、もう一つが『末期の腎不全で、もう手の施しようがな』く、『静かに最期を受け入れる選択をし』て、自宅で『その日を待つ日々』を送るという祖父と対峙していく茜の姿です。介護の場面が描かれる作品は多々あります。そんな中にあってこの作品では、中学三年生の茜が見る弱った祖父の姿が極めてリアルに描写されていくのに息を呑みます。『部屋に入ると独特の匂いがする。切干大根の煮たのと、柑橘系の芳香剤と、消毒液を薄く混ぜたような匂い』という祖父の部屋の描写。そんな部屋に横たわる祖父は『骨に皮がビロビロと垂れ下がっているだけの状態』に痩せ、『顔も髑髏に皮一枚で、幾重にもシミが浮いた手の甲は、ちょっと力を入れて拭いたら、ズルリと皮がむけそうで怖い』と描写されます。そして、そんな祖父はこんなことを茜に語りかけます。

    『どんな姿になっても、命の砂時計の最後のひと粒が落ちきる瞬間までは生きているんだよ…いろいろなことにだんだん諦めがついて覚悟はできているけど、生きることを捨てたりはしないよ、最後まで』。

    こんなことを祖父の言葉として語らせる鈴木さんは、そんな場面の描写を”今は遙か遠くにある老いや死に思いを馳せ、思春期の中学生が感じる死生観を描いた”とおっしゃいます。今まで見たこともない独特な表現が生むそのリアルさ、現役中学生が見る老いや介護に対峙する視点はこの作品の重厚感を確実に増しています。中学三年生にしてこんな表現を手に入れた鈴木さんの存在を改めて凄い!と思うと共に、今後の活躍がますます楽しみになりました。

    “これからも私を「作家」にしてくれた読者に応えられるような小説を書きたいと思う。中学生が主人公の章がメインですが、是非大人の方にこそ読んでいただきたいです”とおっしゃる鈴木さんの二作目となるこの作品。そこには、一作目に比べてますます表現の幅が広がった鈴木さんが編み上げる巧みな連作短編の姿がありました。面白い!にプラスして、悲しかったり、苦しかったり、さまざまな感情に心が揺さぶられるのを感じるこの作品。このレビューを偶然にも読んで下さったあなたに是非ともおすすめしたい、読み味十分な傑作だと思いました。

  •  “セカンドウィンド”。二番めの風ということではない。持久走をするとき、初めのころに一時的に酸素が不足するために、呼吸が苦しくなって、足が重くなる。でもその“デッドゾーン”を我慢して走り続けると、呼吸(ウィンド)が楽になり、体も楽になって走り続けられるようになる。余談だが、実は私は最近リアルにこの“セカンドウィンド”を週4くらいで体験させてもらっているのだ(ドヤ顔)。今日は雨だから、無理だな。
     星野茜にこの“セカンドウィンド”を教えてくれたのは同級生で、陸上部で活躍する中原君だった。星野茜は“運動神経が悪い”のでなく、そもそも“運動神経がない”くらい、体育が苦手で、毎年の持久走大会の時はさっさと諦めて、堂々と歩いてしまうくらいだったのだ。しかし、今年は、なんと持久走完走のタイムの平均をグループで競うという。今まで、断トツのビリでも誰にも迷惑をかけない個人競技だと思っていたのに!同じグループになる同級生たちが「星野が同じグループかよ」という目で見る。学校は「運動神経がない子もいる」と言うことが分からないのか?運動出来ないってことがそんなに罪なことなのか?と反発を感じながらも、星野茜は、少しは努力したほうがいいかもと思い、家の周りの農道を走り始める。そこで、ばったり会ったのが、陸上部の期待の星、中原君だった。中原君は自主トレ中で、こんな時に会うのはめちゃめちゃ気まずいのだが、「なに?徘徊?」とかギャグを言いながら、爽やかに走り去ってくれた。だけど、走っていて自主トレ中の中原君に出会うことは度々あった。「なに?ストーカー?」とか言われることもあったけど、中原君はそれこそ本当に裸で徘徊している近所の老人を見かけたりすると、自分の上着を掛けてあげて家まで送り届けてあげるという優しい心の持ち主なのだ。
     もう、いっそのこと中原君に走り方を教えてもらおう。と茜は思った。茜には目標があった。同居している大好きなお祖父ちゃんの病状が悪く、もうどれだけ持つか分からない状態だった。「私がデッドゾーンを乗り越えたらお祖父ちゃんもきっと“デッドゾーン”を乗り越えてくれる。今度の持久走大会で、私が一度も歩かなかったら、お祖父ちゃんはあと2ヶ月は生きてくれる。」と願をかけて、頑張った。果たして、茜は中原君との自主トレ中には一度も“デッドゾーン”を乗り切ったことはなかったのに、地道な努力が功を奏して、持久走大会ではデッドゾーンを乗り切り、一度も歩かなかったし、ビリでもなかったのだ。それだけでも凄いことだった。お祖父ちゃんも喜んでくれた。
     思えば、中学2年生なんて、人生のデッドゾーンみたいなものだ。どういうとこが?って。何もかもがだ。自我に目覚め、本当の自分と人から見た自分の狭間でしんどい時に、クラスの中の沢山の同級生と仲良くしなければならないような建前があって、勉強も難しくなるのに、教科も多い。部活だって、活躍出来る人とどんなに頑張っても目が出ずに、自分の居場所を見つけることさえ、難しい子も少なくないだろう。
     この本は、中学校の時間割に見立てて、一時間目から昼休みを挟んで、放課後までと全部で7つの章で構成されている。どの章にもそれぞれ中学2年生の主人公がいて、明るくはしているのだけれど、それぞれ“過酷”な状況は抱えていて、それをそれぞれのやり方で乗り切っている最中なのかな…と鈴木るりかさんが意識していたかどうかは分からないけれど、客観的に思った。紹介した話は「5.6時間目 体育」で、「昼休み」の主人公山下さんも、“友達が出来ない”ことを休み時間は本ばかり読み、“文学少女”の仮面を被って乗り切っていた。
     他に特に印象に残ったのは、「4時間目 道徳」に出てきた、主人公のお母さんの“ヒモ男”の座右の銘、「息が出来るならまだ大丈夫だ」。この主人公、松尾君の両親は駆け落ちで結婚したが、父親が何回も家出したり、会社を辞めたりしているような家庭で、ある日とうとう父親が本気の家出をした。すると今度は母親がヒモ男を家に連れ込んで、その次に母親自身がいなくなり、ヒモ男と中2の松尾君の二人暮らしが始まったという話。ところが、そのヒモ男君、世話を焼いてくれる松尾君のお母さんがいなくなると、意外なことに家事が抜群に上手く、親が今まで見にきてくれなかった陸上大会まで見学に来てくれるなど、“ヒモ男”のプロであり、松尾君の保護者替わりとしても有り難い存在だったのだ。そんな“ヒモ男”に、中学のとき得意だった教科を聞いてみると“道徳”で、中でも印象残った教えが「息が出来るならまだ大丈夫」ということなのだそうだ。もしも、テロなどにあって、埋められたとしても「息が出来るなら大丈夫」、だから、どんな状況でも生きろ、ということ。
     この本に出てくる大人たちは、松尾君の両親のようにある意味どうしようもなかったり、どことなくぬるま湯に浸かっていたり、子供っぽかったり、大人の都合ばかり尊重して子供の都合を考えなかったり、子供を傷つけたりして気づかない大人が多いが、それでも大人たちはみんなそれぞれのやり方で、「デッドゾーン」であった自分たちの思春期を乗り切ってきたのだ。スターのようなドラマチックな乗り切り方ではない。「息が出来るうちは大丈夫」という思いで、星野茜のように地道に走り続け、「持久走を歩かずに完走した」くらいの地味な乗り切り方だっただろう。だから、大人になっても欠陥はいっぱいあるし、ゆるゆるだったり、ちょっと神経太すぎたりと子供の目から見て立派な大人たちではないが、まさに“デッドゾーン”真っ只中にいるはずの鈴木るりかさんが、そんな自分たちのことも、それを通りすぎた大人たちのことも愛情をこめて書いてあるのが味わい深い。
     全編を通して登場する中原君は、スポーツ万能で、成績も良くて、ルックスも性格も良くて、全編を通して、主人公達を助けてくれる。だけど、何でも持っているはずの彼がどうして、カッコ悪い主人公たちをそれぞれ助けてくれたかというと、実は長年デッドゾーン真っ只中の兄を身近に見ていたからだったのだ。中原君が、大好きな陸上を続けるかどうかも少し悩んだほどの兄の存在。だけど、やっぱり“好き”なものを続けることを選んだ。そのことが中原君を強くし、周りに対する思いやりも生まれた。
     温かくて、いいお話だった。
    「息が出来るうちは大丈夫」。私も頑張ろう。

  • 一作目が非常に良かったので、こちらも期待しながら読んでみた。
    「さよなら、田中さん」の世界を今一度味わいたいような、いやそれとも新たな著者の世界に出会いたいような。。そして大変満足した。
    遠い昔になった中学生時代にタイムトリップした気分と、今を生きる子どもたちの息遣いがリアルに感じられる物語で、笑ったり考えさせられたりほろっと来たり。
    きびきびとした短めのセンテンスと嫌味のない表現。まわりくどさとは無縁の、終始明るい筆致だが、時折ハッとさせられる鮮烈な場面もある。

    7つの短編を学校の時間割に見立てての構成で、1時限目は国語。2時限目は家庭科。
    3時限目、数学。4時限目、道徳。そして昼休み。
    5時限目と6時限目は体育で、最後の放課後まで。
    それぞれ語り手(主人公」は違うが、章ごとのキャラクターはどれも際立っている。
    そして全ての話に共通して登場するのが「中原君」という男の子。
    成績優秀なスポーツエリートで、クラスの人気者。
    この「中原君」が要所要所で誰かをフォローするキーマンだ。

    スーパーマンのような「中原君」だが、順風満帆とは言えない事情があり、それは「体育」の中で明かされていく。
    作品全体の要とも言える部分で、主人公とその祖父との会話、仲良しの友人の隠された素顔、中原君の抱えていた胸の内や、ひとの死と言葉に出さない内面、ほのかな恋心などが上手くテイストされて、切なさとユーモアを随所にまじえて語られる。
    大人であれば「そういうこともある」で済んでしまうような話でも、中学生だったらひとつひとつが「今を生きる力」に影響しそうな大きな事柄だ。
    不安も悩みも抱えているのが当たり前で、大切なのはその向き合い方だと、恥ずかしながらオバちゃんはこの子たちに教わったわ。

    「国語」の章で「死ねば悲劇になると思うのは安直だ」と批判している著者が、この「体育」では主人公を死と向かい合わせ、それが、生きる希望へと繋がっていく。
    もしや鈴木さん、大変な策士ではないのかな。
    一段と腕をあげた作者の今後が、ますます楽しみだ。

  • 中学生の日々の生活を時間割形式で描いた七編が収められた連作短編集。学校生活が生き生きと描かれているのは、著書自身が中学三年生だからだろうか。本書全編に登場するスーパーヒーロー(←死語?)"中原君"の事情が解明される『五・六時間目 体育』の章は感動物の一編。前作「さよなら、田中さん」と合わせて読むと、この著者の凄さがよく分かる。一年後の出版で、全編書き下ろしだそう、、、。

  • 鈴木るりかの14歳、明日の時間割を読みました。
    鈴木るりかが14歳高校受験の頃に書いた作品です、
    国語、家庭科、数学、道徳、昼休み、体育、放課後と分けて書いてありますが、なかなか面白かったです
    国語は、国語の先生が小説家志望で自分には才能があると思っていて主人公の受賞にびっくりして編集者に見てほしいと頼まれます。
    家庭科は、お母さんの家庭科の話
    一番面白かったのは体育です。
    運動神経ゼロの主人公の視線からの文章が面白かったです。

  • とてもよかったです!
    まず読み終わった一番の感想は、これが中学生が描いたものなのか!?でした。ほんとうに圧巻で収録されている7編もそれぞれタイプの違う人々の物語ですが、どの編もクスッと笑えて胸がじーんと温まる作品でした。
    またカラテカ 矢部太郎さんのイラストとも作品の雰囲気が調和していてより一層温まりました☺️

  • 本作もすごく面白かったです。
    とある田舎の同じ中学校に通う14歳の少年少女たちによる短編集。連鎖と言えるほどではないけど、ところどころ繋がってる部分があったり。どのお話にも、つねに中原くんという男の子が出てきます。各話の主人公にはならないけどキーパーソンとして登場する彼にもいろいろあって…?
    それぞれの14歳たちの日々の生活や、悩み、感動に触れ合える。笑って泣ける、そして心に残しておきたいフレーズが必ずあるのはもう、るりか節ですね。

    どのお話も好きだけど、一番共感し、励まされたのは「五・六時間目 体育」です。
    このお話の主人公・星野茜は、運動神経が悪いどころではなく、もはや運動神経が「ない」レベルで、毎度の体育の時間が憂鬱。中学・高校・果ては大学にまで体育がつきまとうだと…!?
    そして個人競技なら本人が恥をかくだけですむが、球技などの団体競技になると迷惑をかけるしかなく、毎度申し訳なさを感じる彼女に共感。
    なんせ私も運動神経が悪いので…まだ彼女と違ってマラソンで歩くほどではなかったけれども。私の場合球技などが散々なのが目立ったせいか、逆に冬に長距離走を普通に走ってクラスの平均くらいのタイム出したら周りに驚かれましたね。えっ、あなたそういうタイプだったの?って。どういうタイプだよ。とりあえず作中の彼女には、運動神経の悪さではいい勝負だな〜と勝手に心の中で声をかける笑
    そして体育に対する気持ちも共感…体育以外の授業で居眠りしようがテストの点が悪かろうが周りに馬鹿にされることはそうないのに、なぜか体育だけは運動神経なし人間に対して公開処刑・罵詈雑言という仕打ちなんですよね。
    まさに中学の時、体育のバレーの時間でボール取りに行くの間に合わないから見送ったら「最後まで諦めるな!」と叱責?激励?されたんですよね。その言葉を放った子は運動神経抜群。いやこれ授業で嫌々なんとかやってるだけだから勘弁してくれ…他の座学だとさして仲良くないクラスメイトに最後まで諦めるな!なんて言う機会ないのだけど…ペーパーテストの点が常にそんなに良くない子に成績良い子が「次も諦めるなよ!」って言ったら誰だお前嫌なやつになると思うんですけど…なんて思っちゃったりもして。なぜ体育やスポーツになると野次が合法になるんだろう??私には終わった話だがなんとかならんか。
    いやそんな話は置いといて。
    とにもかくにも、体育全般に対してもはややる気を奪われてしまって、今年のマラソンも歩いて終わらせようと思っていた茜。
    しかし様々な事情からなんとしてもマラソンを最後まで走らなければならなくなった茜。この経緯が、最初は強制的なものだったのですが、最終的に、自宅療養をしているもう後が長くない大好きなお祖父ちゃんのために、嫌な体育と、マラソンと向き合う決意をしたのです。泣いてまうやろ。
    またお祖父ちゃんのことや、体育が苦手なことに対して、茜は小さなことで悩んでしまうと思っているけど、そんなことないよ!と大声で言い張りたい。
    大人になってもうじうじ悩むことはたくさんあるし、茜の悩みは決して小さなものではない。
    そりゃ(作中にもあるように)発展途上国のゴミを拾ってなんとか生きている子どもたちに比べたら小さな悩みだと思えるけど。
    その比較をプラスにとるかマイナスにとるかもその人次第だけど。
    でも今の自分の悩みを些末事だなんて思わないで。
    そう思ってしまった。悩まない人なんていないよ。
    このお話には、たくさんのテーマが詰め込まれている。
    それは生き方そのものについてだったり、生きること・死ぬことであったり。
    茜14歳は、大嫌いで大の苦手な体育と向き合うという、彼女の人生の中で大きなチャレンジをした。
    それはただ苦手を克服するというだけの単純なものではなく、彼女の生き方を、人生観を変えるほどのものであったと思う。
    デッドゾーンを抜けた彼女の人生のその先は。
    「西も東も、人から見たら間違っているかもしれないけど、私が走って目指すところが西。苦しくても、走り続けていれば、セカンドウィンドがやって来る。必ず来る。」

    この物語の主人公たちは、みな14歳。
    明日があるのです。少年少女たちの明日の時間割は、勝手に大人に決められて窮屈なものもあるでしょうが、自分で決めてもいけるのです。
    彼ら彼女らの行く先に幸あれ。
    他のお話にも言いたいことはあったけど、一番好きなこのお話について(余分な私の体験談?も書いてしまいましたが)感想を書きました。
    他のお話については今回割愛。
    備忘録がてら目次だけ載せます。

    一時間目 国語
    二時間目 家庭科
    三時間目 数学
    四時間目 道徳
    昼休み
    五・六時間目 体育
    放課後

    • workmaさん
      ゆまちさんの書評を読んで、
      おもしろそう!読んでみたい!と思いました
      ゆまちさんの書評を読んで、
      おもしろそう!読んでみたい!と思いました
      2022/11/14
    • ゆまちさん
      workmaさん

      ありがとうございます!
      ぜひぜひ、とても素敵な作品なので読んでみてください^^
      workmaさん

      ありがとうございます!
      ぜひぜひ、とても素敵な作品なので読んでみてください^^
      2022/11/14
  • 間違いない、彼女は堂々たる小説家だ。
    2作目となる今作を読んで、あのデビュー作の出来がまぐれではなかったことを確信した。

    またもや泣かされることになろうとは…
    生きることについて教わることになろうとは…
    今作は現代の中学生が日頃抱える問題に寄り添った連作短編集。
    いつまでも無邪気な子供ではいられない。
    けれどいくら煙たがれても、大人が差しのべる手は絶対に必要。
    思春期の不安定な心情を描く同級生ならではのリアルさと、俯瞰した眼差しで彼らを冷静に見つめる落ち着き。
    この両方でもって描かれた、ちょっと不器用な14歳達はみな抱き締めたくなる位愛しい。
    全ての短編に登場して悩める主人公達をナイスアシストする中原君がいい味出している。
    彼を要所要所に登場させ物語を引き締めまとめる辺りがとても巧くてニクい。

    次回作を読むのが待ち遠しい。
    作中に出てきたオススメ本、山本周五郎作『樅ノ木は残った』もいつか読んでみたい。

  • 『さよなら、田中さん』の衝撃が、単なるビギナーズラックじゃなかったことを証明してくれる第二弾。これまたすごい。
    田中さん、大好きだったから、あの母子超えるキャラなんてそうそう生まれてこないだろうなんて思っていたのだが、いやはや、るりかちゃん、さすが。
    14歳のころって、それぞれがなにかしら悩みを持っていて、その悩みっていうのは大人になれば「そんなことで悩まなくても」って思っちゃうくらいの者だったりもするのだけど。だけど、その悩みのひとつひとつにつまずいたり立ち竦んだり後ずさりしたり、しているわけだね、14歳。
    そのリアル14歳の渦中にいるるりかちゃんだから、その悩みを内側から描くことができたんですよね、あたりまえだけど、これってある意味とても勇気のいること。自分の「今」を描くのってとても恥ずかしかったり苦しかったりするはず。それを物語にするためにどこか少し離れたところから「今」を見る眼が必要なわけで、その眼をもっているるりかちゃん、本当にすごいなと思った。
    そして今作では、中原君という「間違いなくいい子」(だけどやはり悩みを抱えている)をピンポイントで登場させることで過剰に渦中に巻き込まれることなく第三者として彼らを見守ることができる。その立ち位置も心地よくて。
    14歳だったころの自分の、毎日の滑稽なほどの悩みっぷりを思い出してしまった。

  • 中学生で小説家デビューした鈴木るりかさんの2作目。
    「国語」「数学」「道徳」などの教科の名前がついている短編集だ。
    舞台は中学校。登場人物は中学生とその家族、教師。

    最初の「国語」の主人公が三木明日香という中学生で小説家デビューした女の子だったので、この後の話もこの子が主人公で話が進むものと思っていた。
    あまり主人公が名前呼びされないこともあり、2作目(家庭科。家庭科が得意な女子が主人公)の主人公も三木明日香だと思って読んでいた・・・。
    「あれ?家庭科の先生になるの?小説家は辞めるのか?」とか思いながら読んでしまったよ。

    「体育」の、主人公とおじいさんとの交流が良かったなぁ。
    おじいさんが孫に言う言葉、私もすごくよく分かるよ。私、もう40だからなぁ。
    若い子はみんな健康的で美しい、みんなきれいで格好いいってことも。
    渦中にいる10代の子たちが、そういう言葉を求めているんじゃないっていうのもわかるんだよ。私もかつてそういうことを気にしていたから。美形かどうか、異性を惹きつけるかどうか、そういうことが大事なときだからね、思春期は。
    でも、その時期を過ぎて、若いって素晴らしかったな、と心から思うんだよね。
    私の中に、もっと素直に、あのときの言葉を受け入れられる心があれば良かったのにな。
    おじいさんが語った、おじいさんの父親は戦争で子供の顔を見ることもなく亡くなり、自分は十分長生きしたから思い残しはないということも、なんかわかるよ。
    身近に若くして亡くなった人がいるが、私はきっとその人のことをずっと忘れないと思う。逆にいうと、年を取って亡くなった祖父のことは、「思い出す」ことがある(つまり、普段は忘れていられる)のだ。
    死んでから、忘れてもらえるくらいがちょうどいい。と言うのは、生をまっとうした人だからこそだと思った。
    だから、「どんな姿になっても、命の砂時計の最後のひと粒が落ちきる瞬間までは生きている」。こんな染みる言葉を孫に話して聞かせることができて、おじいさん、良かったよね。

    「放課後」の主人公である先生は、ほぼ私と同じ年の大人(ただし男性)だ。
    「国語」にも登場した、妙に拗ねてる先生。
    でも、大人だからこそ、素直な気持ちを思い出すとか、初心にかえれることってあるのかも。
    小説家は、人の作品を批評したり分析するより、読んでくれる人を思って書くことが大切なんだろう。
    この先生の未来も、ちょっと明るい気がしてきた(まぁ、現実的には難しいんだろうけど、賞とか関係なく書きたいものを書くというのは良いことだと思う!)。

    それにしても、この物語のすべてに登場する「中原くん」。彼はいいね。
    私の中学生時代にも、スーパーマンがいた。彼を思い出したよ。
    勉強とスポーツができるのはもちろん、人が照れてしまうようなことも素直にすっと言える、彼がいうと嫌味にならないし、大人・こどもどちらの懐にもすっと入っていくような。そんな男子がいたなぁ。
    こう書いてて「そんな完璧な同級生は本当に存在したのか?幻では?」なんて思い出すくらい。中原くんも、幻感があったなぁ。
    でも、きっと誰の心の中にも中原くんはいるのではないだろうか。

    「中学生」って、誰でも通る道だから、この本を読んで多くの人が懐かしいセンチメンタルな気持ちになったり、登場人物の誰かに心を寄せたりすることができると思う。
    いい本だった。

全120件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

鈴木 るりか(すずき るりか)
2003年東京都生まれ。史上初、小学4年生、5年生、6年生時に3年連続で小学館主催『12歳の文学賞』大賞を受賞。あさのあつこさん石田衣良さん、西原理恵子さんらが、その才能を手放しで絶賛した「スーパー中学生」。2017年、14歳の誕生日に大賞受賞作を含めた連作短編集『さよなら、田中さん』発表。近年では珍しいローティーンの文壇デビューで、各メディアの注目を集めベストセラーに。

鈴木るりかの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×