- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784093864916
作品紹介・あらすじ
あなたの過去が甦る。心震える八つの名短篇
《「さがさないで。私はあなたの記憶のなかに消えます。夜行列車の窓の向こうに、墓地の桜の木の彼方に、夏の海のきらめく波間に、レストランの格子窓の向こうに。おはよう、そしてさようなら。」――姿を消した妻をさがして僕は記憶をさかのぼる旅に出た。》(表題作)のほか、《初子さんは扉のような人だった。小学生だった私に、扉の向こうの世界を教えてくれた。》(「父とガムと彼女」)、《K和田くんは消しゴムのような男の子だった。他人の弱さに共振して自分をすり減らす。》(「猫男」)、《イワナさんは母の恋人だった。私は、母にふられた彼と遊んであげることにした。》(「水曜日の恋人」)、《大学生・人妻・夫・元恋人。さまざまな男女の過去と現在が織りなす携帯メールの物語。》(「地上発、宇宙経由」)など八つの名短篇を初集成。
少女、大学生、青年、夫婦の目を通して、愛と記憶、過去と現在が交錯する多彩で技巧をこらした物語が始まる。角田光代の魅力があふれる魅惑の短篇小説集。
感想・レビュー・書評
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『長編は取材などの準備が1年はかかるのですぐには書き出せないけれど、短編は1000本ノックのおかげですぐに書ける』、『書きたいテーマもありますし、短編は新しい書き方を試みたりすることもできる』と短編への想いを語る角田光代さん。
長編が好きか、短編が好きか、これは人によってもその時の気分によっても異なると思います。物語世界にどっぷりと浸るには、やはり長編は欠かせません。何百ページという分厚い本を目の前にすると、気分によってはたじろぎもしますが、読み終えた後の充実感は長編ならではのものがあると思います。一方で、たじろいだままページを開くことないままに終わる時もあるかもしれません。読書は趣味の世界です。気分が乗らないのにページを開くことなどしないと思います。そんな時に、そんな読書のハードルを下げてくれるのが短編集です。サクッと一編だけ読んでも、読みたいものだけを読んでも、そして、好きな順番で読んでもいいという読書の自由度を高めてくれる短編集。しかし、そんな短編集であっても、時間をかける以上、読後の充実感はとても重要です。『自分で1000本ノックを課して大量の短編を書いていた』と過去を振り返る角田さん。短編の名手と言われ、磨き上げられた角田さんの手による短編は、あの作品、この作品、と過去の私に充実した読書の時間を与えてくれました。
さて、そんな角田さんが2000年代前半に発表された短編をまとめた短編集がここにあります。「対岸の彼女」や「八日目の蝉」と同時期に書かれた短編をまとめたこの作品。そこには、気軽に読める作品世界の中に、角田さんらしい人の心の奥深くを鮮やかに描き出す物語が静かに展開していきます。
『さがさないで、という書き置きを残していなくなるという、じつに陳腐な、陳腐すぎてだれもそんなことはしないだろうことを、妻はやってのけた』と『テーブルに、妻からの手紙』を見つけたのは主人公の『ぼく』。『近所にできた焼き肉屋のチラシ』の裏に書かれていたその手紙は、『私はあなたの記憶のなかに消えます』という言葉に続いて『夜行列車の窓の向こうに、墓地の桜の木の彼方に、夏の海のきらめく波間に、レストランの格子窓の向こうに』と、幾つかの暗示のような言葉に埋められていました。『仕事から帰ってくると妻はいつもどおりの笑顔でぼくを迎え』てくれた、と昨日のことを振り返る『ぼく』は、『「さがさないで」につながる点も線も何ひとつない』と困惑します。そして、『これは行楽だ』と、『寝間着を着替え、旅行鞄を引っぱり出して支度をはじめた』『ぼく』は、『何も決まっていないこの連休』に、妻は『二人きりでゲームをしようと提案しているのに違いない』と考えます。『妻が書いた、夜行列車、墓地の桜、夏の海、格子窓のレストラン』は、『かつて恋人同士だったぼくらが訪ねた場所』だと思い当たった『ぼく』。『さがしてごらん』、『連休が終わるまでのあいだに、私を見つけてごらん』と、妻は言っているんだと確信する『ぼく』。そして、そんな『ぼく』は、家を出て想い出残る地へと向かいます。『バスに乗り、さらに私鉄を乗り継いだ町』にある『格子窓のレストラン』へと向かった『ぼく』は、『がらんとした駅前、古くさい商店街』を見てかつての『若いおたがいの姿』を思い出します。『そのときと同じ場所にちゃんとあった』というそのレストラン。『ご相席でもよろしいですか』とウェイターに訊かれて『格子窓の近くの席』に案内された『ぼく』は、『十歳くらいの女の子』と席を共にすることになりました。『ひょっとしたらこの女の子は、妻の知り合いではないだろうか』と『彼女は妻から何かメッセージを託されているのではないか』と考えた『ぼく』は、『あの、何か、ぼくに伝えることはある?』と女の子に話しかけます。しかし、『「えっと」と頼りない声を出した』女の子は、『わかりません』と、ちいさく答えるだけでした。そして、レストランで妻を見つけられなかった『ぼく』は、次に『学生時代の妻が住んでいたというアパート』へと向かいます。『郵便局の角を曲がってしばらく歩くと、以前と同じ場所』にその建物を見つけた『ぼく』は、『お下げ髪の女の子』の姿を見つけて思わず息をのみます。その女の子が妻に見えたという『ぼく』。そして…と続く表題作でもある〈私はあなたの記憶のなかに〉というこの短編。茫洋とした物語の中に、記憶とは何かを考えさせてくれる好編でした。
1996年から2008年という期間に様々な媒体で発表された作品を集めたこの作品。八つの短編が収められていますが短編間に繋がりは全くありません。主人公もその置かれたシチュエーションも全く異なりますが、何故かまとまり感を感じられるのがとても不思議です。そのまとまり感を、『ちゃんとできない人たちばかりで、どれも同じ空気を纏っていますよね』と語る角田光代さん。そんな角田さんのおっしゃる通り、八人の主人公たちはどこか影を感じる雰囲気感に満ち溢れています。そして、そんな人物たちは過去の何らかに思いを馳せていきます。
そんな8編の中から私が特に気に入ったのは次の3編でした。まずは、一編目の〈父とガムと彼女〉です。父親の葬儀の場、『毒々しいほど甘ったるいガムのにおい』に顔を上げ、そこに初子さんの顔を見つけた『私』。そんな初子さんは、『私が小学校に上がってまもなくのころからしばらく、私の面倒を見てくれた人』という関係性。母親の代わりに面倒を見てもらった日々。そんな初子さんに懐いていた当時の自分を振り返る『私』は、『初子さんは、じつは父の恋人だったのではないか』と考えていたことを思い出します。『私のなかの初子さんはそこで時間を止めてい』た、という過去の想い出の中の人物との再会が、過去の疑問に決着をつけていく物語。思い出の中に閉じ込められていた『ガムのにおい』を上手く絡めて過去と現在を繋いでいく好編でした。
二つ目は〈空のクロール〉です。『一度も泳いだことがな』いにもかかわらず、水泳部に入部した『私』は、『入ってすぐ、何か違うということに気づ』きます。それは、『まったく泳げない新入生というのは私しかいなかったのだ』という現実でした。そんな『私』は、厳しい練習で次々と辞めていく新入生たちを横目に練習を続けます。そして、三年生になった『私』は、同じ水泳部の梶原理恵子とクラスメイトになります。そんな彼女が初めて『私』に語りかけた言葉が『ねえババア、ポテチ買ってきてよ』でした。そして始まった『私』に対する激しいいじめのシーンが描かれていくこの作品。『今の私は、いじめ問題など書きたくないし、書かないと思います』と語る角田さん。そんな角田さんの言う通り、角田さんの作品でいじめのシーンが描かれるとても珍しいこの作品。角田さんらしく胸をえぐるようないじめのシーンは見ていて非常に辛いものがありますが、その独特なまとめ方に角田さんらしさをとても感じた短編でした。
そして三編目は表題作の〈私はあなたの記憶のなかに〉です。その冒頭は上記した通りですが、『さがさないで、という書き置きを残していなくな』った妻を、それ自体ゲームだと考えて、記憶のなかに生きる妻の面影を追い求めて旅をする主人公の『ぼく』。『ひょっとしたら妻は本気でいなくなったのかもしれない』と思いつつも『格子窓のレストラン』を、『学生時代の妻が住んでいたというアパート』を…と巡っていく『ぼく』は、妻が残した『あなたの記憶のなかに消えます』という言葉の意味を考えます。『ひょっとしたらぼくらは本当にひとりかもしれない。だれといても、どのくらいともにいても、ひとりのままかもしれない。けれど記憶のなかではぼくらはひとりではない』と、考える『ぼく』の妻への想い。この短編集のトリを務める短編として、そんな『ぼく』が行き着いた想いのその先に、奥深い余韻を残してくれた素晴らしい作品でした。
…といった2000年代前半に書かれた短編を集めたこの作品。他にも〈父とガムと彼女〉の雰囲気感を違う角度で描いたような〈水曜日の恋人〉、学生たちの寮生活を描いた〈神さまのタクシー〉、そして、携帯メールの隆盛を上手く作品世界に盛り込んだ〈地上発、宇宙経由〉など、興味深い作品が揃ったこの作品。長編を読んだ後のような充実感はないものの、短くとも角田さんの作品世界を色濃く感じることのできる短編が集められたこの作品。サクッと読める八つの短編の中に、角田さんが描く人の内面世界の描写の妙を気軽に味わうことのできる、そんな作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
親子、カップル、夫婦、そして友達との間で、相手の気持ちがわからずに戸惑う人たちを描いた短編集。
ほとんとハッピーエンドのストーリーがなく、ちょっと苦しくなってしまったが、
かろうじて、"地上発、宇宙経由"は、ニアミスする登場人物たちが、それぞれのポジションでこれからよい関係が築けそうな気配を見せて終わるので、ホッとした。
本のタイトルにもなっている"私はあなたの記憶のなかに"は、主人公の妻が家を出るときに書き残していった別れの言葉、"さがさないで。私はあなたの記憶のなかに消えます"から取っている。
別れの言葉としては一方的で、残された方としては理不尽なことに変わりはないけど、変に相手が傷つく言葉で説明するよりよいのかもしれないなぁ。 -
「父とガムと彼女」、「猫男」、「神さまのタクシー」、「水曜日の恋人」、「空のクロール」、「かえりなさい」、「地上発、宇宙経由」、「私はあなたの記憶のなかに」の今までに書かれた8つの短編。登場人物等それぞれに繋がりはありません。過去の出来事を回想しているものが多いかな。どれもしっかり、ほど濃く書けてて、読み入ってしまった。角田さんは神奈川出身だったのか。「水曜日の恋人」は数十年前の、自分の馴染みがある街が描かれており、そこで懐かしさを感じたのだけれど、それもあってか中高の頃の感情を思い出し、すっかりこの世界を味わえた。高校生の感情を書いていたり、男性が主人公のものもあり、回想、孤独、もう2度と会わない人へのメッセージ、角田さんの幅広さを感じた、思った以上に良かった。
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角田さんの新刊だと思って図書館でみつけて読んだら、随分前の短編のアンソロジーで、新作でなくてちょっと残念でした。
『父とガムと彼女』
どこかで似た話を読んだ気がしました。
すごく似ているのでこの話かも。
『神様のタクシー』
最後のタクシーですっとばす場面がよかったです。
『水曜日の恋人』
この主人公の女の子はかなり強い子供だと思いました。
私だったらグレます。
水曜日の空気感はわかりますが。
『空のクロール』
中学生ってなんて残酷な年代だとやるせなく思いました。
でも主人公が仕返しをするところは、かなり小気味よかった。
『おかえりなさい』
なんかいい話っぽいと思ったら、笑える話になってしまった。
『地球発 宇宙経由』
このお話がストーリー的には一番面白かったです。
次はどうなるんだろうと思いつつ読みました。
『私はあなたの記憶の中に』
エピソードは面白かったけど、これは何をいいたいのか、私は理解できませんでした。 -
短編8話の作品、いずれもさらりと読める。みんな重苦しくはないけどなんだか苦味が残ります。読後わたしの記憶のなかには軽くしか残らなかった 笑。
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父とガムと彼女/猫男/神様のタクシー/水曜日の恋人/空のクロール/おかえりなさい/地上発、宇宙経由/私はあなたの記憶のなかに
の8話からなる短編集。
家族問題、いじめ、人間関係、不倫、夫婦のことなど、どれも身近にありそうなことをこんなにうまく言葉で表現できて伝えられるのはさすがだと思った。ゾワゾワっとさせられるのもあり。
角田光代の世界観がところどころ出ていてよかったけど、やっぱり長編を読みたいなぁ。