逆説の日本史3 古代言霊編: 平安建都と万葉集の謎

著者 :
  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (361ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093794145

作品紹介・あらすじ

目次
第一章/道鏡と称徳女帝編
-愛人騒動をデッチ上げた「藤原史観」
称徳女帝に生涯独身を強制した〝時代の掟〟/「乱倫の
女帝」の〝愛人関係〟を検証/藤原仲麻呂と大炊王は
「奇貨おくべし」を再現しようとした!?/対朝鮮半島
の外交政策が原因だった称徳女帯のクーデター/「道鏡
巨根説」「道鏡愛人説」を生んだ歴史家の〝錯覚〟/
〝愛人関係〟を否定した称徳女帝の詔勅/「皇帝」に
なろうとした藤原仲麻呂の〝野望〟/「道鏡皇帝」を
決断した称徳女帝の〝ある事情〟/ユートピアを実現
しようとする「外来思想修正の法則」/皇帝史観と表裏
一体の「藤原史観」 ほか

第二章/桓武天皇と平安京編-遷都を決意させた真相と風水説
遷都反対派を一掃した「藤原種継暗殺事件」/「平城
京~長岡京~平安京」遷都は怨霊対策/平城京と奈良の
大仏を捨てた天皇家の〝贅沢〟/「エリコ返還」と
「平安遷都」に共通する宗教の力/風水説により設計さ
れた平安京と江戸/「迷信」ではなく「科学」としての
陰陽道/長岡京の「鬼門」に位置する平安京 ほか

第三章/『万葉集』と言霊(コトダマ)編
-誰が何の目的で編纂したのか
恋人の名を口にできない古代人の〝タブー感覚〟/言論
の自由を封殺し続ける「コトダマ信仰」の世界/戦後
平和は「平和憲法」によって守られたのか/「祝詞」化
している〝外国製〟日本国憲法/コトダマが支配する
「憲法第九条問題」と「言葉狩り」/本名と通称を使い
分けさせた〝名前のタブー〟/「原万葉集」に〝犯罪
者〟の歌が掲載された謎/「正史」に記載されなかった
『万集』の成立事情 ほか

感想・レビュー・書評

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  • #3524ー141ー347

  • 称徳女帝と道鏡についての考察、平安建都の理由など、独自の視点で語られていてなるほどと思いながら読んだ。

  • この巻だけでもよんでも面白いと思います。
    教科書で習った事実がすっかり覆されました。

  • オーディオブックで読了。
    弓削道鏡と称徳女帝の見方が変わります。

  • □本編で扱う人物・テーマ、そして印象に残った点は次のとおりである。

    1.道鏡と称徳女帝
    □明治から戦前頃まで、日本三大悪人のひとりとされた道鏡。その道鏡との姦通説が流布した称徳天皇(重祚前は孝謙天皇)。しかし、この二人の性的関係はあり得ないと井沢氏は指摘する。その理由は次のとおり。
    ・女帝と道鏡が初めて出会ったのは762年。この時女帝は45歳、道鏡は55-60歳と既に高齢である。
    ・性的関係があったのなら、道鏡は「破戒僧」として僧籍も剥奪されるはずだが、その事実はない。
    □にもかかわらず、この二人が貶められることになった背景は、次のとおりである。
    ・藤原仲麻呂が計画した新羅征討計画を阻止した(もし、日本が新羅征討に成功したとしても、次に唐との全面戦争になるのは必至であり、日本の敗戦は避けられない。つまり、二人は日本を亡国の危機から救ったのである)。仲麻呂は、軍事力をもって政権を奪取しようとし恵美押勝の乱(764)を起こすが、これも鎮圧される。
    ・歴代のどの天皇もなし得なかった、天皇制の大胆な変革を試みた。つまり、血統ではなく、中国のように徳のある人間(=道鏡)を「皇帝」に据えることで、国家の安定に繋げようとした。
    ・律令国家の基盤を崩す一方で、藤原氏の勢力拡張の要因となったのが、実質的に藤原氏が制度化した「墾田永世私財法」と「公廨稲」の制度。称徳女帝と道鏡はこれに対抗し、律令制を守るための画期的政策を行った。つまり、ここでも藤原氏の横暴と対決したのである。
    ・称徳女帝の崩御をもって「天武天皇系」の皇統が断絶して「天智天皇系」の皇統が復活した。天智天皇系の皇位継承を正当化するために女帝と道鏡を不当に貶める必要があった。
    □結局、宇佐八幡宮信託事件の本質は、今後の日本のあり方についてのイデオロギー論争であったのだ。称徳女帝・道鏡側は敗者となった。これにより、血筋に基づく日本の天皇制のあり方(万世一系)が確立するとともに、律令国家の寄生虫「藤原氏」の原理が確立するのである。

    2.桓武天皇と平安京
    □「なぜ、桓武天皇は平城京を捨てて平安京に遷都したのか」。「奈良の仏教勢力の影響を脱するため」という教科書に書かれた理由は不十分である。この遷都には、日本史を理解するうえでの重要な理由が隠されている。それは次のとおり。
    ・大仏を擁した平城京の仏教が、鎮護国家の観点から何の役にも立たなかった。
    ・天武(新羅)系天皇(称徳天皇)から天智(百済)系天皇(光仁天皇)へと「王朝が交代」した。
    ・藤原種継事件に連座して廃された早良親王を筆頭とする、諸々の怨霊(祟り)が生じた。
    ・怨霊の祟りを防御するために、陰陽術を採り入れて計画する必要があった。ちなみに、桓武天皇が平安京に移ったのは794年10月22日。この日は、陰陽道でいう「革命」の時にあたる。
    ・奈良仏教に代わって、密教が優遇された。それはそれが加持祈祷を中心とした呪術的色彩が強かったから。

    3.万葉集と言霊
    □万葉集は、600年代中頃から700年代中頃までに作られた4500首余りを収録する歌集である。これを最終的に纏め上げたのは、大伴家持(718-785)であるといわれる。家持は、桓武天皇の皇太子早良親王の春宮大夫。家持は、早良皇太子反逆事件の首謀者として、桓武によって早良と共に極刑に処せられた「犯罪者」なのである。従って、「万葉集」が世に出たのは、最終的撰者の家持が、桓武天皇の遺言によって罪を許された806年以降(平城天皇の時代)と考えるのが自然である。古今和歌集の序文にも「古につたはるうちにも、平城の御時よりぞ広まりにける」とある。
    □万葉集の代表的歌人の一人、柿本人麻呂について、正三位という身分にもかかわらず正史に記載されていない。この点について梅原猛氏は、正史には「柿本猨(サル)」と記載されているからだとする。彼が持統・文武朝のもとで失脚し、最終的に石見国に流され、水死刑(自殺刑)に処せられる。彼が非業の死を遂げたことによって後世、「歌聖」と称されるようになり「人麻呂」と呼ばれたとする。
    □梅原氏は、人麻呂と三十六歌仙の猿丸大夫は同一人物であった可能性を指摘している。

  • 1995年刊行。

     著者の言い分をそのまま是としたとしても、平安貴族だけに通用していたにすぎない平和観を、当時の日本全体あるいは現代日本に拡張解釈しつつ、現代日本を批判的に論じるのはあまり説得力があるとは思えないが、本筋とは関係のないその点は置くとしても、死が怨霊を生む点、怨霊回避の要請としての出家、懲服としての宗教とその施設の言及は興味深い。ただ、これも先行研究がありそうだ。

  • 元々の知識も薄かったというのもあるが、藤原氏一族が長く力を持っていたというのが、驚いた。しかも一番たち悪い形だし。
    言霊信仰が現代でも根強いのは感じてたけど、それを自覚してない人が多いとは考えてなかった。声高に訴えるわりに代替案もないのはそういうわけだったのか、と。

  • 平安京遷都の裏には風水が関わっていた!?秦の始皇帝に万里の長城を造らせた「予言」とは?なぜ柿本人麻呂は「歌聖」となったのか?様々な歴史の謎を今までにない逆説的な立場から考察する『逆説の日本史』シリーズ、古代編。思わず「なるほど!」と手を打ってしまいそうになる見解にページをめくる手が止まりません!日本史が苦手な人にもオススメ!!【中央館2F-シラバス和 210.04/IZ/3】

  • 言霊信仰の話がおもしろかった。
    井沢氏の「言霊」を読んでみたくなりました。

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著者プロフィール

1954年、名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社。報道局在職中の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。退社後、執筆活動に専念。独自の歴史観からテーマに斬り込む作品で多くのファンをつかむ。著書は『逆説の日本史』シリーズ(小学館)、『英傑の日本史』『動乱の日本史』シリーズ、『天皇の日本史』、『お金の日本史 和同開珎から渋沢栄一まで』『お金の日本史 近現代編』(いずれもKADOKAWA)など多数。

「2023年 『絶対に民主化しない中国の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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