- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087880236
作品紹介・あらすじ
『介護のうしろから「がん」が来た!』 篠田節子
まさにガーン!
直木賞作家・篠田節子が綴る、ふんだりけったり、ちょっとトホホな闘病&介護エッセイ。
認知症の母につき合って二十余年、母がようやく施設へ入所し、一息つけると思いきや、今度は自分が乳がんに!? 介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び……落ちこんでる暇なんてない!
作家・篠田節子が乳がん発覚から術後までの怒濤の日々―—検査、手術、還暦過ぎての乳房再建、同時進行で老健にいる母の介護―—を、持ち前の取材魂をもとにユーモア溢れる筆致で綴る闘病&介護エッセイ。
乳房再建手術を担当した聖路加国際病院・ブレストセンター形成外科医との対談「乳房再建のほんとのトコロ」も収録。
【目次】
1 発見 「ヒン」でもマンモに写らない
2 入院まで 「標準治療」とは、お安くできるスタンダードクラスの治療、という意味ではないらしい
3 再建の決断 還暦過ぎのシリコンバスト
4 手術 「バストが邪魔」巨乳温存マダムのゴージャスな愚痴と、手術台上のガールズトーク
5 院内リゾート 読書三昧とオプショナルツアー
6 退院 自宅療養時の不安 「先生、右側が叶恭子になっています!」
7 手術後25日の海外旅行 天使が微笑む都――七年ぶりのバンコク
8 日常復帰 雑用と飲み会の日々――廃用症候群三歩手前で考えたこと
9 二度目の手術へ 乳房とは仰向けになると変形するもの――形成外科手術の難題
10 解禁 クリスマスの金の玉
11 乳房再建その後 見た目問題とさわり心地
12 波乱含みの年明け がんのうしろから何が来る?
13 介護老人保健施設入所の経緯 「施設もデイサービスもショートステイも、絶対拒否!」な家族を抱えた介護者のために――
14 ホーム巡礼 八王子十四ヵ所 まずは見学、何をおいても見学、とりあえず登録
15 ここは絶海の孤島!? パラオ Wi‐fiもケータイも繋がらない
16 グループホームに引っ越し 娘のいちばん長い日
17 エッセイは終わっても人生は終わらない
【特別対談】篠田節子×名倉直美
やってみてわかった「ここが知りたい!」 乳房再建のほんとのトコロ
あとがき
【著者プロフィール】篠田節子 しのだ・せつこ
1955年東京都生まれ。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。『長女たち』『竜と流木』『肖像彫刻家』など著書多数。
感想・レビュー・書評
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認知症の母の介護をしつつ、作家活動にも勤しんでいた著者に、あるとき、乳がんが見つかる。
満身創痍、四面楚歌、絶体絶命。
だが作家は落ち込んだり、悲観したりはしない。きわめて冷静に、腹を据えて客観的に判断し、しかし時には羽目を外し、いくぶんかのユーモアを道連れに、事態を乗り切っていく。
介護部分よりはがん部分の方が主体である。が、闘病記と呼ぶほど辛気臭くはない。闘病エッセイとでも呼べばよいのか。
ところどころで笑わせつつ、治療に一区切りがつくまできっちりまとめ、巻末には形成外科医との対談も収録。
リーダビリティ高く、乳がん治療の一例も知ることができて参考にもなる。
著者は長年、認知症の実母の介護をしてきた。その母が施設に入ることになり、少々手が空いたところで受けた検査で黄色信号。
さてそこからの精密検査、がんの判定、入院先の選定、全摘・温存・再建の判断である。あれやこれやとリサーチし、1つ1つを決めていく。
著者、62歳。還暦を越えて再建でもないだろうと一度は思うが、趣味のスイミングのためにやはり再建すると決める。再建の場合は、その後に備える処置が必要であるため、いずれにしても摘出前に決定しておかなければならないのである。
そんなこんなの日々の間に母のところに見舞いにもいかねばならない。認知症の母はなかなかに気難しい。手伝ってもらう風を装い、手仕事をさせて落ち着かせたり、半ば騙すように入浴や着替えをさせたり、試行錯誤だ。
著者のがんが判明する前に入った施設は長期滞在型ではないうえ、他の利用者とのトラブルもあり、転所を余儀なくされる。
転所先を選ぶにも、何はおいてもリサーチが必要である。どこにどのような施設があるのか。見学させてもらい、話を聞く。雰囲気のよさそうな施設であっても、母が気に入るかどうかはまた別問題というのが難しい。
圧巻は「娘のいちばん長い日」の副題がついた章。
ようやく母も落ち着けそうなグループホームが見つかり、引っ越しの日も決まる。
一方で、著者は大きな賞の受賞が決まったとの知らせを受ける。そこまではよかったのだが、その授賞式がなんと母の引っ越しの日と重なっている。
むずかる母をなだめて、無事に引っ越しを終え、授賞式に出席することはできるのか!?
華やかな式の舞台裏がまさかこんなに綱渡りとは。
それにしても、乳がんというのはずいぶんと身近な病気になっているのだなと思う。
著者の場合はとりあえず経過も比較的よさそうで何よりだが、もちろん、亡くなることもある病気であるし、特に若い患者さんには容姿が変わる辛さも大きいだろう。
一人ひとり経過も違えば、受け止め方も異なる。けれども、確実に症例は積み重ねられ、治療法は改善されつつあるのだと思う。
著者の作品は時々拝読しているのだが、作品の印象よりもずっとざっくばらんというかさばさばしたお人柄のようだ。作品と作者は別物とはいえ、少々意外だった。
しかし、作品の奥にこの腹を括った冷静な目があるのか、というのは、ちょっとわかる気もする。
本書は本書でおもしろかったのだが、次に読むときはやはり小説を読みたい。本書でも触れられていた受賞作あたりがよいだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
"今はそれどころじゃない、たいしたことはない、と体からの警告や訴えを無視して仕事に励み、子育てや介護に勤しむ。それが深刻な結果をもたらすこともある。
体の声を無視してはいけない。
おかしい、と思ったら立ち止まる、危ない、と判断したら医療機関を訪れる。その一瞬をないがしろにせず、自分ファーストに切り替えることの大切さを、病気になって初めて知る。"(p.14)
"人は永遠には生きられないが、ハード面の進歩によって、死の間際までそこそこの快適さを享受できる可能性は、この二十年の間に飛躍的に高まったはずだ。事が起きた場合に、だれかのせいにして自身の心理的負担を減らそうなどという気さえ起こさなければ。"(p.65) -
介護関係にいる私としては、介護のことについての記載は、まさしくその通りと深く思ってしまいました。
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これも未読のまま返却。
「乳がんで死んだ人はいない」
ほんとか?死んだ人、けっこう身近にいるぞ。2人も。
この著者の適当さと雑さが気になった。 -
誰にでも起こりうる「介護」。
そして、誰もがなりうる「がん」。
ということは、当然のことながら、両方が同時に発生することもあり得ます。
そして、まさに両方が同時に発生した著者によるエッセイ。
すべてのがんに当てはまるわけではないと思いますが、がんは治る病気になりつつあることを実感しました。
個人的には、がんになったら、そのまま受け入れよう、と思っていたのですが、この本を読んで、ちょっと考え直してみようと思いました。 -
同じ病でも、出来る場所、切除範囲、治療に再建まで、人によってそれぞれ違うものなのだなぁ、と読みながら改めて思った。
悲壮感もなく、あっけらかんと飄々と語られる状況に、何だか勇気づけられたり、救われるような気持ちになる。
再建関連の話は、とても参考になった。
また、介護の話もそう遠くない未来で関わってくる話かもしれず、大変さがよく伝わってきた。 -
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