- Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087816952
作品紹介・あらすじ
2020年 第18回 開高健ノンフィクション賞受賞作。
両手の指9本を失いながら“七大陸最高峰単独無酸素"登頂を目指した登山家・栗城史多(くりき のぶかず)氏。エベレスト登頂をインターネットで生中継することを掲げ、SNS時代の寵児と称賛を受けた。しかし、8度目の挑戦となった2018年5月21日、滑落死。35歳だった。
彼はなぜ凍傷で指を失ったあともエベレストに挑み続けたのか?
最後の挑戦に、登れるはずのない最難関のルートを選んだ理由は何だったのか?
滑落死は本当に事故だったのか? そして、彼は何者だったのか。
謎多き人気クライマーの心の内を、綿密な取材で解き明かす。
≪選考委員、大絶賛≫
私たちの社会が抱える深い闇に迫ろうとする著者の試みは、高く評価されるべきだ。
――姜尚中氏(政治学者)
栗城氏の姿は、社会的承認によってしか生を実感できない現代社会の人間の象徴に見える。
――田中優子氏(法政大学総長)
人一人の抱える心の闇や孤独。ノンフィクションであるとともに、文学でもある。
――藤沢 周氏(作家)
「デス・ゾーン」の所在を探り当てた著者。その仄暗い場所への旅は、読者をぐいぐいと引きつける。
――茂木健一郎氏(脳科学者)
ならば、栗城をトリックスターとして造形した主犯は誰か。河野自身だ。
――森 達也氏(映画監督・作家)
(選評より・五十音順)
【著者略歴】
河野 啓(こうの さとし)
1963年愛媛県生まれ。北海道大学法学部卒業。1987年北海道放送入社。ディレクターとして、ドキュメンタリー、ドラマ、情報番組などを制作。高校中退者や不登校の生徒を受け入れる北星学園余市高校を取材したシリーズ番組(『学校とは何か?』〈放送文化基金賞本賞〉、『ツッパリ教師の卒業式』〈日本民間放送連盟賞〉など)を担当。著書に『よみがえる高校』(集英社)、『北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック』(小学館。第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞)。
感想・レビュー・書評
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いやー。新年早々、重い読書になったなー…
胡散臭さいっぱいの登山家、栗城史多氏の謎に迫るノンフィクション。
凍傷で指9本を失いながらも、七大陸最高峰単独無酸素登頂にこだわり、最後はドン・キホーテの如くエベレストで息果てた栗城氏。
実力不足でビッグマウスな栗城氏の「エベレスト劇場」ビジネスは、マルチビジネスに近いものがあった。
相手に誤解を与え、それを利用する。決して誤解を解く努力をしない。利用できるものはし尽くす。そして、そこには誠実さのかけらもない
明らかにおかしな価値観。しかし否定しきれない生き方。煎じ詰めれば、栗城氏の虚実皮膜な人生は現代社会が我々に課している人生そのものなのだ。
後味が悪い。 -
【感想】
カメラを手に、山を劇場に変える、新時代の登山家。
栗城史多はインターネット全盛期における登山のあり方を変えた人物、といってもいいかもしれない。それはいい意味でも、悪い意味でも。
栗城は身体が硬く、登山の技術はなく、体力も並であり、おまけに運動神経が悪い。加えて努力を重ねる真面目人間ではなく、行きあたりばったりで挑戦する「芸人肌」な人間だ。そんな栗城が登山を始めてからわずか2年目、準備不足のまま挑んだマッキンリーに、なんと単独で登頂成功してしまう。これが栗城の自信につながり、その後アコンカグア、エルブルース、キリマンジャロと、とんとん拍子で登頂を成功させていく。
登山の厳しさを知るプロ達は、誰しもが栗城をこう評する。「アマチュアのレベルだ」。
実力と経験のある一流登山家でも、予期せぬ雪崩や落石で死ぬ可能性がある。完璧な用意と油断のない心。数々の登頂で積み上げた経験。そうした盤石性すら山の前では一瞬で無意味になる。登山とはそういう世界であり、その世界に入ったばかりの栗城は経験に加えて純粋に実力が足りていなかった。
一方、他の人に無くて栗城にあったのはビジネスの才能だ。持ち前の企画力で学生の頃から話題を集め、企業に融資を募れば多額の金が集まり、講演会を開けば人が集まりおまけに話も面白い。栗城が「魅せる登山」を意識していたのも成功の一因である。登頂の際には必ずカメラを持参し、シーンを作ることを意識して立ち回っている。登山の過程を手持ちカメラで撮影するという手法は、インターネット配信の時代にピタリと合致していた。
そんな栗城の営業力と人間性に惹かれて、「単独無酸素七大陸最高峰登頂」を応援したいという人が続々と集まってくる。大小さまざまなパイプが寄り集まり大きな流れとなって、栗城をエベレストに運んでいった。
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本書の中盤からは、栗城の負の面が徐々に描かれていく。本当の山頂が目の前にあるのに、手前のコブ(認定ピーク)の地点で登頂を諦める。「単独無酸素での七大陸最高峰登頂」という誤解を招く表現(実際には、酸素ボンベが本来必要なのは7つの峰の中でエベレストだけ)を前面に押し出し、スポンサーや聴衆を集める。マルチビジネスの会社が主催している講演会に足を運び続ける。栗城の言動は次第にパフォーマンス性を帯び、幸か不幸か世間から注目を集めていく。
栗城のエベレスト遠征は、Yahoo! JAPANがサポートしていた。同社は栗城がABCに入ったその日から登山の過程を動画で毎日配信し、最後の山頂アタックを生中継で全世界に流すという大仕掛けを用意していた。
「栗城にネットでの生中継を吹き込んだのは、日本テレビの関係者ですよ。彼が考えたことじゃない」とBCのカメラマンとして同行する森下は話す。
自分だけの「劇場」を作る必然性、遠征資金を募る謳い文句、それらを思案していた栗城は、黒木安馬など多くのコンサルタントや企業家との関わりから、「自己啓発」という世界に傾倒していく。そして彼は「登山(見える山)」と「自己啓発(見えない山)」を一体化するアイデアを思いつき、世界の人々と「夢の共有」をするという目標を掲げるようになった。
「仮に登頂の生中継ができないとしたらどうしますか?」
筆者の質問に栗城はこう答える。
「それならエベレストには行きません」。
彼は更に言葉を続けた。「ただ登るだけではつまらないので」。
登頂が目的ではない。世界最高峰の舞台からエンターテインメントを発信するのが、彼の真の目的なのだ。
しかし、それは山への冒涜ではないのだろうか?
登山家の間では、栗城のセールスポイントである「単独登山」を疑問視する声が挙がっている。そもそも登山家の言う「単独」の解釈はマチマチで、自分で張ったロープしか使わない者もいれば、他の隊が使ったハシゴを使用する者もいる。栗城はもっぱら後者であり、下山中、外国の隊が残していったテントで夜を明かすこともあれば、シェルパを先行させて先にザイルを張らせるという工作もしていた。
そんな中、栗城がエベレストに挑戦する日が訪れた。
初挑戦は、標高7,850メートル地点での敗退だった。
「ボクの仕事は、隊長の栗城を安全に下ろすことではないんです。彼以外のスタッフを守る立場だった。栗城が一人で死ぬ分にはいいけど、周りを死なせちゃいけない、無謀な冒険の巻き添えにしちゃダメだ。他の隊員の命を守ることは栗城にはできない。副隊長であるボクの一番重要な仕事だと思っていました」
栗城隊の副隊長である森下は、筆者のインタビューにそう語っている。栗城は技術も体力もエベレストに値しないと察知していたのだ。
2回目のエベレスト登頂は7,550メートルでの敗退。森下はこの登頂をきっかけに、栗城と決別した。
3回目の登頂も失敗した後の4回目の挑戦で、栗城はノーマルルートより格段に難度が高い西陵ルートを選択する。この挑戦も失敗し、栗城は凍傷を負う。右手の親指をのぞく9本の指の、第二関節から先を切断した。
このころにはもう、栗城の主戦場であるネットでも彼を批判する声が多数を占めていた。「プロ下山家」。それが栗城につけられたニックネームである。
2015年3月、栗城は3年ぶり5回目のエベレスト挑戦を宣言する。このときも生放送を予定しており、5,600万円の総費用のうち2,000万円以上をクラウドファンディングで集めた。
それにも関わらず、途中で登頂を断念。同時中継は実行されなかった。のちほどブログで配信されたアタック時の動画も、後日撮ったやらせという声が挙がり、栗城のブログは炎上していった。
繰り返すこと8度目の挑戦となった2018年5月18日、栗城は登頂中にファンに向かってこう宣言する。
「南西壁ルートに変えます!」
とても正気の沙汰ではない。エベレストのネパール側にある南西壁は「超」の字がつく難関ルートだ。実際、高度順応の段階ではノーマルルートを標高7,200メートル付近まで登っている。安全性を無視しての急な方針転換は無謀としかいう他なかった。
21日午前8時頃、シェルパからBCに無線が入る。
「死んでいる」
栗城の遺体はC2の少し上、標高6,600メートル付近に横たわっていた。滑落死であった。
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8度目の挑戦を前にして、栗城は焦っていた。回を重ねるごとに出資に後ろ向きになっていくスポンサー、年齢から来る身体の限界、失敗するたびに傷ついていく評判……。この機会を逃せば、山を下りたとしても行くところがなくなるのは明白だった。
そして栗城は禁忌を犯した。
BCで酸素ボンベを使ったのである。
実は、栗城は今までも酸素ボンベを使っていた。寝るときにも使っていたり、BCだけではなく上のキャンプ地までシェルパがボンベを運んだこともあったりしたそうだ。また、単独登山と称しながらBCまでシェルパに荷物を運ばせて、テントを立てるところだけ撮影のために自分でやる、といった行為も横行していた。
登頂直前でのルート変更、成功のため無酸素をかなぐり捨てる執着。栗城はもう後戻りができなくなっていた。
――頑張ってください、勇気付けられました、と言われれば、その声に応えたくなるのが人間です。これは外すことのできない鎖を、自分に巻きつけていくのと同じことです。そこに、大人たちが、企業が、近づいてくる。大きな挑戦には資金が必要だから、彼らを相手にしなければ実現できない。すると失敗が許されなくなる。そしていつしか挑戦をやめられなくなる……。
もしかしたら、栗城は死ぬ場所を探していたのかもしれない。山から下りたあと、次の人生が始まるのが怖かったのかもしれない。歳をとってまで生きたくない……、いつ死ねるんだろう?エベレストに挑む前、何度もそう口にしていたという。
――私たちは無意識のうちに、彼を謳い上げる前提で番組を作ろうとしていなかったか?私たちと彼との関係は馴れ合いではなかったか?私たちは彼に文句を言ったか?私たちは彼という人間を愛したか?(略)私たちは栗城史多の本当の姿を伝えようとしただろうか?
栗城は純粋に「人に喜んでもらいたい」という思いで登っていた。彼の実績の多くが嘘であろうとも、そこだけは偽りのない本心であった。常に夢を口にし、世の中に希望を与える。それをモットーにして山に挑んでいた。
ネット登山家は人々に夢を語りながら、自身は死を望んでいたのだ。
彼は孤独という「単独」の中で、山を登っていたのかもしれない。
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栗城に対する後世の評価は否定的だ。
私も、栗城が事前準備を怠り山に挑んでいること、また「単独無酸素七大陸最高峰登頂」と言いながら内実は酸素ボンベやシェルパを使うという詐欺行為を働いていたこと。これらは決して許されるべきではないと思う。
しかしながら、栗城が山に挑むための動機、すなわち「人々に笑顔を届けるため」「有名になるため」という野望は、それでいいと思っている。そして、「死ぬ可能性が高いのに無茶な登頂を決行した」ことについては、事実といえど批判されるべきではないと思うのである。
そもそも登山自体が常軌を逸した行動だ。8,000メートル級の山に命をかけて登る理由など、どこまで突き詰めても合理的なものはない。ならば、「名声のために登る」と「山が好きだから登る」の間に、本質的な差はないのではないだろうか。もっといえば、栗城の動機が「山以外に行き場所がないから」「引くに引けなくなった今、成功を収めるしかないから」だとしても、それをもって「不純な動機」とは言い切れないのではないだろうか。
栗城の滑落死の責任は徹頭徹尾彼自身にあるが、ただ、間違いなく自らの命をかけて登頂していた。エンタメだろうと本気だろうと、彼には彼なりの「山を登る理由」が存在していた。それが真実であり、他の登山者との間に貴賤の差はないと思ってしまうのだ。
「8,000メートルの高さも、酸素を吸う事によりその高さを三分の一の3,000メートルにしてしまうならば、暇とお金をかけてわざわざ8,000メートルに登ることはない」
文中で触れられているこの言葉は、日本の登山家で初めてエベレストに無酸素登頂した吉野寛氏の言葉である。これを目にしたとき、思わず「山に挑む意味とは何か」を考えてしまった。
エベレストの死亡率が1%まで下がり、誰でも目指すことのできる山となった今、登山者は「山頂」ではなく「道中」を意識するようになった。単独、無酸素、難関ルート、冬期登頂……。一つ達成されれば人々はこぞって自らに縛りを化し、無謀とも呼べる挑戦に身を投じていく。一昔前までは無酸素登頂でも「自殺行為」だったものが、登山道具が進歩するにつれて、注目すら集めない記録へと落ちぶれていく。栗城の「指欠損」「生中継」という制限もその縛りの中に含まれるとすれば、栗城は「登山」という営みの中にある止まらない欲望によって殺されたのではないか、と思えてしまうのだ。
登山という行為は、やはり残酷だ。そして、人々の期待を背負うというのは、それに輪をかけて残酷である。
苦々しい後味が残るが、ぜひ読んでほしい一冊だった。
※追記
この本を読んだ方は、ぜひ『さよなら、野口健』を読んでほしい。栗城と同じく「アマチュア登山家」と呼ばれながら、全く逆の人生を歩んだ人物だ。世間の注目を浴びながら山を降りた野口と、引き返せずに命を落とした栗城。対照的ではあるが、二人の根底には同じものが流れている。
https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/4797674075 -
デス・ゾーン 河野啓
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2018年5月。
登山家 栗城史多氏がエベレストで滑落し、亡くなった。
新聞で度々目にしていた登山家であった。
滑落したニュースはまだ鮮明に記憶している。
あれから4年が経過した。
ようやく手に取り、読了した。
記載されていた事実を読み取ると、
1.無酸素が厳しく、ボンベが必要なのは8,000メートル級の山のみ。
2.単独登頂という定義自体が曖昧なこと。
3.2009年1回目。そのあと複数回挑戦していたこと。
4.2018年アタック。もっとも厳しいルートを選択していたこと。
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山を降りたら、次、どうするか?
若き登山家が数少ない隣人たちに漏らしていた、心の叫び。
山を登るという目的から、いつのまにかビジネス、ショーにして資金を集めなくてはならなかった現実。
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自身のこころと身体。
わかっているようで分からないのが常である。
当時のメディアからは、まったく見えなかった登山家の姿があった。
自身に置き換えながら、最後のページを締めくくった。
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登山を孤独な信念によるものではなく大衆のエンターテインメントへの変革を考えた登山家、栗城史多の伝記のような一冊。
エベレスト登頂をインターネットで生中継することを第一に登山も行うも、2018年5月21日に35歳の若さで滑落死することになります。
彼が生きてきた軌跡を追い、何故そこに行き着いたのかを問います。
本書は読者によって捉え方や感じ方が大きく異なるであろう内容で、私は彼にもう少し山に対して真摯に向き合う姿勢があれば違った未来があったのではと考えてしまいました。 -
二〇二〇年第十八回開高健ノンフィクション賞はこの作品だった。ネットでこの本を見つけた時、正直に言って躊躇いがあった。普段ジャンルを問わず読書をしている僕にとって初読みではありません。ただ登山そのものが未知なる世界だった。
登りたいという夢を馳せ、命を懸ける登山家は世界中に多くいる。栗城史多という人も多くの中の一人、過去に六大陸最高峰を制覇してきた強者だったことは確かだ。エベレストだけは違ったのか?残念なことに彼については何も知らなかった。
標高八八四八m。気温マイナス35℃。酸素は地上の三分の一。これだけの数値だけでは本当の過酷さが分からない。
通常空気は、約八割が窒素、約二割が酸素で、それが三分の一になると、人の身体に及ぼす影響はどうなのか?
二〇〇八年秋のマナスル(八一六三m)への山行の途中、標高六三六〇m地点でSpO²(経皮的動脈血酸素飽和度)医療用の測定器で計測した。肺や心臓の機能が低下すると、この値も下がってくる。九十六%から九十八%が健康な人の標準値、九十%以下になると呼吸不全に陥る危険信号。
本人の無線からベースキャンプで受けた情報では、「きのうSpO²が六十三と悪く、頭が痛くてダメでした」と報告された。
これが正に「デス・ゾーン」(死の領域)
脳神経外科医で、自らも山岳愛好家の越前谷幸平さんによると、「脳は特に低酸素に弱い」と書いている。「七千~八千mの高さの低酸素で登山者が死なないのは、下からゆっくり時間をかけて体を慣らしながら登っているのです」と説明しています。
栗城さんはエベレストへ過去七回も挑戦している。断念せざるを得ない状況はいくつもあり批判も多い。婚約者と別れた。凍傷で指を九本失ったのは誇りとはならない。八回目、是か非でも登頂を果たしたいという願いは、それらを越えたのか? -
大自然に対して準備も力量も足りないのに無謀に挑んで死んでしまう人の話に惹かれてしまう。『北極探検隊の謎を追って』(ベア・ウースマ)もそういう話だった。そこから学べる事があるからとかじゃなく、単に私の底意地の悪さからくる野次馬根性からなんだろうけど。
この人のことは知らなくて、本文にも写真は無いし(ここに登録して知ったけど帯には顔写真があったが手元の本には帯は無し)ので、読み終わったらネットで調べようと思っていた。顔が分かると自分で新たな物語を構築しながら読んでしまいそうだったから。
でも我慢出来ずに半分位読んだところで検索してしまった。小柄な男性、愛嬌があるけど顔立ちはあまり優れていなくて、その人の生命力で周りを惹きつけるギラギラしたタイプを勝手にイメージしていたけど、違った。実物はもっとソフトで女性に好かれそうな、テレビ映えしそうなタイプに見えた。でも、ああ納得、おじさん達に可愛がられそうだし、性格的に弱さもありそうとも思った。
まだ現実を知らない無謀な大学生のノリそのままでどんどん突き進んで行って、エベレストの何回目かで現実が見えるようになってしまったのではないかな。無酸素とか、単独登山の矛盾も、それまでは自分の中で全く齟齬が無かったんじゃないのかな、最後の方は自分でもやりながら齟齬が出て来て……と思ってしまった。
著者が最後の方で「ネット登山家」と表現しているのが、一番この人にあっている肩書ような気がした。全てを否定するつもりは無いけれど、どうしても感じてしまう胡散臭さをも表現できているような。 -
7大陸最高峰無酸素単独を掲げて、エベレストに挑み、滑落死した栗木史多さんを追ったノンフィクション。著者はエベレスト2回目までは、テレビ番組制作で、直接追っていたが、その後疎遠となり、亡くなったことを機に、関係者へのインタビューや動画を通して、栗木さんの行動を追っていく。
凍傷で指を失った頃、動画サイトやNHKの番組で見たことがあり、その際本文にも出てくるような評価を目にしたのが、記憶にあり読んでみた。
夢の共有を掲げ、インターネットを使った登頂生配信を宣伝し、挑戦していくが、登頂できず、その中でネット中心にも批判が広がっていく。自分が目にしたのは、やはりその頃で、批判的な論調が多かった。本の中でも著者が取材していた頃は、批判はほとんど見なかったのが、ほとんど批判に変わっているのに、驚いている。更にその後の挑戦時にはコメント自体が少なくなっていると書かれているのも考えさせられた。
途中、ネットのコメントや登山家のコメントで、山を登るのが好きではなかったのか?という問いが出てくる。文中でも講演や資金集めで、練習不足の場面が出てくるが、その反面山に復帰するために登山し8,000m級にも登頂している。そこまでできたこと登頂にこだわることは、山を登ること自体は、こだわりがあったのだろう。
7大陸最高峰無酸素登頂のレトリックや実際の登山状況からすると、やはりインターネット配信など登頂ではないところに気持ちはあったのかもしれない。筆者は文中で、きちんと意見を言ってあげてなかった、裏取りせずに言葉を使ったといった点を反省している。メディアやネット様々な影響から引くに引けなくなった感もある。
だが、真にどこまで思い込んでしまったかは、わからない。その後は色々言われても、他の分野で、できることがありそうにも思える。
筆者が記したもっと山の人と向き合えて、意見を聞いていたら、というのが印象的だった。 -
両手の指9本を失いながら“七大陸最高峰単独無酸素”登頂を目指した登山家・栗城史多氏について取材したノンフィクション作品。内容が興味深くテンポよく読み進められる。
2020年 第18回 開高健ノンフィクション賞受賞作。
2021年 Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞、ノミネート。
栗城氏のエベレストでの滑落・死亡のニュースは知っていた。当時は「ネットで叩かれている登山家」のようなイメージはあったがその人となりは知らなかった。
北海道放送のディレクターである著者は番組取材の対象として栗城氏とであった。著書では著者と栗城氏との出会いや取材内容から疎遠になるまでが時系列で細かく書かれている。また取材の中で彼の学生時代や登山との出会いも書かれ、滑落死後にはエベレスト挑戦や最後の登山の詳細な様子が再び取材され書かれている。
著者の全体を通して登山家としての栗城氏を批判するような箇所が多々ある。同意する内容が多いのだが、私としては何か違和感が漂っていた。
山そのものと向き合うのではなく、「夢の共有」を謳いエンターテイメントに特化してしまった栗城氏。SNSが流行した時代背景とともに、周りが担ぎ上げたのか、本人が自ら担がれたのかわからないが、実態がなにもない空っぽの人間がどんどんできあがっていく。
その一つの手段がエベレスト単独・無酸素挑戦であり、無謀な挑戦であった。
インターネットにより誰もが発信でき、双方向で繋がれる時代の寵児であった。目立ちたいだけで目立てる時代。いつかこのような「死」につながる無謀なことが起きてもおかしくなかった。それが、たまたま栗城氏だった。
一つの起因に、彼を利用したメディアがあるのではないか。著者自身が、その一端を担ったのではないか。それなのに、批判ばかりというのはあまりではないのか。栗城氏から受けた不義理を著書の中で「仕返し」しているのではないか。読んでいく中でそのような違和感を少しずつ持ち始めた。
しかし最後まで読み考えが変わった。
著者は気づいていた。気づいていながら、栗城氏の本を書いた。メディアやSNSの巨大な力を認識し、栗城氏と同じ人間を出さないよう、自分への戒めも込めて書いた。
栗城氏の挑戦や死に至るまでのストーリもさることながら、著者の栗城氏への捉え方の移り変わりも興味深い。
終始緊張感があり、読んだあともずっと緊張している。なぜだろう。栗城氏が今生きていたら何をしているのだろうか。