黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087816518

感想・レビュー・書評

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  • ちょっと古い話だが、2014年と2016年に行われた、東京都知事選挙に立候補した"全候補者"への取材を中心に書かれた本。特に「主要候補」以外の、いわゆる『無頼系独立候補(泡沫候補)』にスポットが当てられている。候補者ポスターからは分からない、様々な政策も丁寧に取材されており、どんな気持ちで立候補しているのか、がよく分かる。身近に選挙があったら、是非参考にしたいと思わせられる作品。

  • 都知事選とかは 候補者が多すぎて全然わからずという事もあったし わずかの期間でその人なりがわかるわけでもなく メディア報道されない限りは 目に付かず。
    わざわざ YouTubeなどにアクセスしてまでは 調べなかった私ですが 多くの人も 忙しいから 目に飛び込んで来る情報が 選挙の情報になっていたと思います。

    この本を読んで いつも選挙に出ていた候補がなぜ立候補しているのかなど わかりました。

    これからは 色々チェックしたいと思いましたが 告示してから 短かすぎますよね。
    選挙自体の改正も色々して欲しいですね。

    なぜ投票率が上がらないのからとかも含めて 検討して欲しいです。

  • 様々な選挙に出馬する「泡沫候補」たち。当選する見込みも、供託金が戻ってくる見込みもないのに、なぜ彼らは立候補するのか。そこに踏み込んだルポだと思って読み始めたが……。いやあ、笑った。こんなに面白い本だとは思わなかった。1章はマック赤坂という候補者を追い、2章で日本のシステムの問題を考察し、3章で都知事選に焦点を当て各候補者に迫る。大変な取材だったと思うが、あまりそんなことを感じさせないユーモアがあった。今後はもっと候補者の主張に耳を傾けようと思う。ちなみに、マック赤坂は今年の港区議選で初当選したそうだ。

  • 風変わりな泡沫候補の活動を追ったドキュメンタリーがおもしろくないはずはなかった。

    そして、メディアに無視され自分の存在・主張が届かない状況で選挙戦を戦う手段として変わり者になり注目を集める戦略のことや、「多様な選択肢」であるはずの泡沫候補の政策をあらかじめ切り捨てるのは社会にとっては損失ではないかとの視点、高額な供託金の没収など大きなリスクを取って出馬した候補者に対して、もう少し敬意を払う必要があるとの主張など、なるほどと思わされた。

    何より、「もし、自分が立候補するとしたら」と想像を巡らすことが、民主主義社会に自分が参加していることへの実感を持つことに繋がるだろうと、納得させられた。「一票は大切。選挙は棄権してはいけない。」と抽象的に語るよりも、とてもわかりやすい。子どもたちに、そういう教育ができないか。

    幸い、得ようと思えば、インターネット、SNSで、どんどん情報を得ることができる時代だ。
    せっかくの機会だから、「選挙マニア」になって今回の東京都知事選挙を楽しんでみよう。
    選挙権はないけれど。

  • これは歴史に残るノンフィクション本です。
    ちょっと古い話になりますが、2016年に小池百合子氏が勝って都知事になった
    東京都知事選には、何人の立候補が出馬したかを覚えていますでしょうか。

    なんと21人です。

    おそらく多くの人は、小池氏、増田寛也氏、
    そして鳥越俊太郎氏の三つ巴の戦いとしか
    記憶していないことでしょう。

    それもそのはずです。
    その主要3名しかTVでは扱われなかったと
    言っていいからです。

    その他は「泡沫候補」という言葉で括られることが多い。
    しかし、彼ら彼女らは決して目立とう精神で、負けて元々で出馬したのではないのです。

    ややもすると変テコリンな格好で「頭がおかしい、
    選挙オタク」という色物扱いにされがちですが、
    それはそうしないと「全く存在していないと同様に
    マスコミに扱われてしまう」からです。

    皆、しっかりと政策を持って立候補しています。
    なのに、ほとんどの有権者は彼らを”黙殺”してしまっています。

    この本を読めば、次の選挙の成り行きの見方が変わります、政治への見方が変わります。
    素晴らしいノンフィクションです。

  • 「泡沫候補」と呼ばれる候補者がいる。
    有力な支持者もいなければ、政党の後ろ盾もない。知名度もなければ、資金も十分にはない。ないない尽くしで、しかし、彼らはドン・キホーテよろしく、選挙に立候補するのである。そしてたいていの場合は、当然のごとく、あえなく散る。
    たった1つの枠に21人もの候補者が立った2016年の東京都知事選は例外的な多さではあったが、多くの選挙には少なくとも1人や2人、誰の目から見ても闘う前から負けが見えているかのような候補者はいる。彼ら・彼女らを駆り立てるものは何なのか?
    これはそんな候補者たちを綿密な取材で追った1冊である。

    著者は長年にわたり、こうした無名の候補者たちに注目してきた。著者は彼らを「泡沫候補」とは呼ばない。敬意をこめて「無頼系独立候補」と呼ぶ。
    なぜか。
    彼らには、公共のために何かをなそうという気概があるからだ。ときに荒唐無稽で、ときに癖が強すぎたとしても、彼らには、有権者に訴えたい「政策」があり、未来に向けた「ビジョン」がある。
    少なくとも、政局を醒めた目で眺め、ときには投票にさえ行かず、選挙で何か変わるとは信じていない、そうした有権者よりも、よほど政治に真面目に向き合おうとしている。
    そんな彼らを「泡沫」と貶めるのか、という憤りがそこにはある。

    こうした候補者は、「主要」候補者に比べ、マスコミから取り上げられることが圧倒的に少ない。政見放送や選挙公報ではすべての候補者に平等に機会が与えられる。しかしテレビのニュースや新聞紙上では、「主要」候補者数名の主張・政策のみが比較され、「泡沫」候補は名前のみということもある。1面・2面を使う「主要」候補に対し、「泡沫」候補は全員まとめても4コマ漫画より小さいスペースしかないことも珍しくはない。

    日本で立候補をするのは想像以上に大変だ。
    政治に興味を示すなんて変わり者。今までの仕事や地位はどうするのだ。家族はどうなるんだ。そんな周囲の冷ややかな視線に負けて、立候補を断念するものも少なくない。
    もう1つ、日本の特殊な状況として、供託金の問題がある。選挙の種類にもよって額は異なるが、立候補に当たっては数百万円もの供託金が必要とされる。この金は一定の得票率を越えれば帰ってくるが、そうでなければ没収される。それどころかポスター代などの必要経費も自前だ。この金を用意できない者は、そもそもの出発点にすら立てないのだ。

    候補者らは、熱き心でこの壁に挑む。
    派手な外見であったり、パフォーマンスが異様であったり、「キワモノ」感が強い候補者もいるが、その多くは、落ち着いて話を聞くと、日本の未来を見据え、どうすれば皆が幸せになれるのかをごく真面目に考えている。
    多くの候補者は自分の中に芽生えた疑問から逃げない。落選しても二度・三度と挑む者も多い。

    著者もまた熱き心を秘めている。
    選挙に立候補する勇気は「2万パーセント」持てないと言う著者だが、20年に渡り、多くの選挙を取材し、そのほとんどすべての立候補者を追うというのは並大抵のことではない。
    その陰には、大手マスコミが既成事実のように特定の候補者たちを「主要」候補と呼び、彼らの主張のみが報道され、たいていの場合は特段の番狂わせもなく、そうした候補者の中の1人が選ばれていくことに対する疑問と苛立ちがある。

    著者は、「無頼派」の闘いに密着し、愛のあるツッコミをいれながら、一流の読み物に仕立てている。
    端的に、ものすごくおもしろい。彼らの闘いは不思議な感動を呼ぶ。
    それと同時に、「政治」に対する自分の姿勢を鋭く問われる1冊でもある。
    なぜ立候補に対するハードルがこんなにも高いのか。なぜ政治にかかわることにこんなにも覚悟が必要とされるのか。「主要」候補でない彼らの主張はなぜ当然のように「黙殺」されることになっているのか。
    こうした疑問は、じっくり考えてみる価値のあるものだ。

    そうやってマスコミや私たち自身が「黙殺」しようとしているものは、「泡沫候補」と呼ばれる候補者たちだけではなく、「政治は私たち自身のためのものである」というあたりまえ過ぎる事実そのものなのかもしれないのだから。

  • 著者が訴えていることはすごくよくわかる。実にまっとうな考え方だと思う。選挙とは、今現在の民主主義という仕組みの要であり、誰もが立候補して自らの政治的主張を述べる権利を持つはずだ。それなのに実際には、立候補のハードルは高く、そこを越えても、大きな組織の後押しや圧倒的な知名度がない人は、「泡沫候補」と呼ばれ、マスコミには黙殺され、時には嘲笑されたりする。それでもなお、選挙に出続ける人はいる。マスコミは、彼ら彼女らの主張をきちんと報道すべきであり、私たちもその声に耳を傾ける必要がある。

    その通りだなあと思う。でも…、でもね、ここで取り上げられている「泡沫候補」(著者は「無頼系独立候補」と呼ぶ)の方たちの意見に、真剣に耳を傾けることができるかと言われると、うーん、これはちょっと難しい。もちろん、ふんふんなるほど、という政策や理念もあるのだけど、どちらかというと、およそ実現性のない空想的なものとか、意味のよくわからないスローガンとか、それはちょっとどうなのかというものが目立つように思う。候補者のなかには、明らかに常軌を逸した感じの人もいて、まあそこまではいかないにしても、あまり共感を呼ばないだろうという人が多いのではないだろうか。

    何度落選しても、結構な金額の供託金を没収されても、選挙に出続ける人たち。「泡沫候補」と呼ばれ、無視されたり嘲笑されたりしながら、それでもなお立候補するのはなぜなのか。当然その理由は人によって違うのだろうが、そこが今ひとつわからず、もどかしい。

    おや、マック赤坂のことが書いてある!というのが、手に取った理由。派手なパフォーマンスで知られているけれど、京大から伊藤忠商事に入社、その後レアアースの会社を経営している人でもあることを最近知った。選挙に出続ける意味を、言葉で語っているのかと期待したが、どっこい、そんなわかりやすい人ではないようだ。反骨精神に貫かれた真面目な姿と、突飛でふざけた言動の間で、人物像は揺れ動き、とらえどころがない。

    最も多くのページが割かれているのがこのマック赤坂氏だが、他の方たちはおおむねもっと理解を超えている。読みながら困惑してしまったのが正直なところ。とは言え、繰り返しになるが、著者の主張自体は、実にもっともだと思った。たとえば、次のようなくだり。

    著者は、こうした「泡沫候補」を無視したり冷笑したりすることはたやすい、選挙に関心を持たず、無関係のスタンスをとるのはもっと楽だ、それはクールでかっこよく見えるし、忙しい毎日を送る上での賢さかも知れない、と述べた後、こう書く。
    「私はそれを愚かな賢さだと思う。めぐりめぐって、結果的にそのことが自分の人生に不利益をもたらすこともあるのだから」
    「私が無頼系独立候補たちを尊敬する理由は、『逃げない』という一点だけでも十分だ。彼・彼女らは、有権者による投票結果を受け入れる覚悟をもって自分の思いを提案してくる。それは選挙に行かずに政治に不平不満を言うものよりも、遙かに尊い心の持ちようだと私は思う」

  • 選挙に出る人、すごいですね。
    そしてそれを取材し続ける畠山理仁さん、すばらしいですね。
    畠山さんの取材活動、ずっと追いかけていきたいと思います。
    ただね、本書とは関係ありませんが選挙に出る人を茶化して高みの見物のつもりでバカにするヒルカラナンデス、特にダースレイダーこと和田礼と親しくするのはどうかと思います。

  • 国政選挙や自治体選挙に立候補する候補のうち、当選の見込みがなくマスコミからも無視されている、いわゆる「泡沫候補」を追った渾身のドキュメンタリー。

    中にはトンデモ候補もいるが、少なくとも自らの政治に関わろうという「泡沫候補」達の志自体は立派だし、内容的にも真っ当な主張が多い。むしろ主要候補より政策提言が具体的で、見るべき(聴くべき)ものは多いのだという。著者は、これらの候補を、敬意を込めて「無頼系独立候補」と呼び、選挙のたび執拗に追いかけている。著者のこの執念にも脱帽する。

    著者は、日本の選挙制度の問題点として、選挙運動期間がとても短いこと(このため、各候補の政策をじっくり吟味することができず、知名度の高さが勝敗を分ける結果になっている)、立候補に必要な供託金が高すぎること(志ある有為な人材が組織に頼らずに立候補することが極めて難しくなっている)を指摘する。確かに、その通りだと思った。まあ、これらの仕組みは既得権者たる現役の政治家に有利に働くから、(著者も言うように)改正は難しいだろうなあ。

    また著者は、マスコミ各社の「泡沫候補」達への差別的な扱いに憤っている(というか勿体ないとしきりに嘆いている)。マスコミも基本商業主義だからなあ…。この辺りの情報格差問題は、著者も試みて一定の成果をあげているように、インターネットが解決していってくれるのかもしれない。

    これまで「泡沫候補」については、目立ちたがり屋の自己満足、くらいにしか認識してこなかった。白眼視してきたことをちょっと反省。本書、都知事選の前に読んでおけばよかった。

  • 著者のいう「無頼系独立候補」、あるいは「泡沫候補」、大川総裁のいう「インディーズ候補」、山口敏夫の自称「啓発候補」といった選挙の立候補者に関するレポ。
    同じように供託金を払って立候補した、法的には同等であるはずの立候補者をマスメディアが事実上選別していること、諸外国と比べて独特な供託金制度、といった問題点を指摘しつつ、彼らがピエロ的に振る舞うこと(振る舞わざるを得ないこと)をレポートする。
    「選挙」について考えることに一石を投じる一冊。

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