日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (452ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087815559

作品紹介・あらすじ

日本軍の敏腕スパイが体験した凄絶な戦争秘史。戦後の中国で潜伏13年。獄中に20年4ヵ月。過酷な拷問を不屈の精神で耐え抜く。本作の著者はその次男。一家の悲劇の全てを伝える執念のノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • まるで 映画のような すごい内容でした。
    このような 事が本当にあったのでしょうか?と
    思えるような 驚くべき内容でした。

    中国との国交が結ばれた当時は 
    私は戦後とか戦争とか全く考えもありませんでした。
    ただ 当時は パンダが来るという わくわく感があった記憶しかありません。

    でも、パンダの後に この深谷氏が 日本に帰還したニュースって 大々的にあったはずですが
    私は全く覚えがありません。

    小野田氏がニュースをにぎわせていたのは記憶にありましたが・・・・

    それにしても 本当に戦争は
    一人の家族を こんなにまでも 苦しめていたとは。
    本人だけではなく 何も知らなかった 家族までが
    こんなに苦しんで・・・・

    しかも、帰国してからも 数々の困難にあわれてしまって。
    もっと もっと幸せに生きたかったことでしょう。

    99歳で亡くなったそうです。

    街には もう 戦争の傷跡などが 目立たなくなってきていますが、まだまだ 戦後を引きずっている人が いると いう事を改めて感じ、敗戦後70年ですが まだ 苦しんでいる人がいる。

    戦争は 本当に良くないですね。
    二度と あってはならない事ですね。

  • ジャングルに隠れてて終戦を知らず…という話は聞いたことあるけど、終戦を知っていて且つそれ故に帰国できず、そんなに最近(ではないけど、戦争を思うとあまりに最近に感じる)まで中国にいた人がいたのか、という驚き。

  • 壮絶としか言いようがない。
    スパイとして終戦後も中国に残り、逮捕され、三十年近く監獄に囚われてしまった人物の物語。

    どれだけ虐待を受けても祖国のために口を割らず、家族を信じ、家族もまた支え、最終的に日本に家族と供に帰国することができた。帰国後も祖国のサポートがあまりないまま(この辺りは残留邦人と同じといえば同じだが)、苦労し、それでも子供の世代は真面目に頑張り、孫の世代になれば大学に行き、一般的な中流家庭に慣れている。

    壮絶な一方で、ある種苦難の時期を過ごした宗教家の物語に通じる清廉潔白な感があり、物語としてすごく面白いかと言うと、そうでもない。できればもっと人間臭さを出し、また実際のスパイ活動とはどんなものだったのか、そういった記述があればより興味深いものになったような気はする。

    中国側の物事の進め方、面子の保ち方は今とあまり変わらないような気がする。今、彼らが出す公式発表というものが、如何に作られたものである可能性があるかを暗に指し示しているような気がする。

    とにもかくにも、深谷家が日本に戻って苦労があったとしても、少しでも心に余裕のできる生活を手に入れることが出来たと信じたい。

  • フィリピンルバング島で戦後も終戦を信じず戦い続けた小野田寛郎の話、シベリア抑留者の話と、以前にも戦後の物語を読んできたが、また、新たに凄惨な人生の物語があった事を知った。戦後もスパイ容疑から中国で囚人生活を送った深谷義治氏、この著書である。

    スパイの釈放は確かに難儀な問題だ。戦時中に逮捕されれば死を賭し、国家から切り捨てられる覚悟は必要だろう。その点、国家のために戦後のスパイ容疑を認めず、拷問を受けた深谷氏は、模範的というか、そうしか対応のしようがなかったのだろう。スパイ容疑を認めれば、両国から見放された上で実刑を受けるリスクさえあった。

    時代背景が状況を更に厳しいものにした。文革が集団的狂気の中で家族を追い詰め、家族も一時離散。想像だけでも辛い人生が、深谷義治本人とその息子の記録から綴られる。

  • 2015-136
    戦後も日本のスパイとして活動し、中国に20年もの間拘束され虐待されてきた深谷義治氏とその家族の話。
    こんな悲惨なことが本当に起きていたなんて。
    国に対しての忠誠心はすごいけど、犠牲になった家族は可哀想。
    国より家族のほうが大事やんかと言える世の中になったことに感謝。

  • あの戦争とそれから続く日中国交回復までの間にこのような凄惨な仕打ちを受けていた日本人がいたとは。国家は国民のためにとかいいながら、いざとなると弊履のように棄てて恥じないのか。我々の心にも問いかける力作。

  • 日中平和友好条約の締結まで、日本のスパイとして中国で囚われの身であった深谷氏とその家族の壮絶な物語。久々に熟読してしまった。

    文章もよくできていて読みやすい。
    中国で育たれた次男である著者が書いたものとは思えないほど。著者の娘さん(主人公のお孫さん)まだお若いが最後の方で少し書かれているがしっかりした文章。かなり本編にもご協力されたのであろう(ワープロでお孫さんが主人公の記述を助けられていたとか)

    涙しながら、熟読しました。

  • 夢中で読み終えましたが衝撃でした。
    終戦になってからも、上官から「任務続行」の命を受け、中国上海に潜伏して諜報活動をしていた深谷義治さん、その時30歳。
    それ以前に中国人女性と策略結婚されています。
    動機は策略だったとはいえ、3男、1女をもうけ、やがて信頼や絆がうまれ、幸せな家族として暮らしてきましたが、やがて身許が明かされ中国公安当局により身柄を拘束されるや、日中平和友好条約の締結による特赦を受けるまで、20年あまり投獄されていました。
    と簡単に書きましたが20年です・・・
    生まれたての赤ちゃんなら成人しています。深谷さんが拘束された時、下の御嬢さんはまさに0歳だったのです。
    そして投獄されていた間に受けた拷問や虐待、細かくは書かれていませんが想像を絶するものだったようです。
    その間にも深刻な結核に罹ったり、脊椎を骨折したり、何度も生死の境をさまよいながらも、家族のもとに帰りたい一心で耐えてこられました。
    でももっと簡単に返してもらえる方法があったのです。
    「戦後も中国で諜報活動をしていた」この事実を認めさえすれば釈放されたのです。
    けれど深谷さんは頑として認めませんでした。
    「私は国に命を捧げてきた軍人であり、死んでも日本国に対して不名誉なことをかぶせてはならぬ」という一心からでした。
    そして釈放が認められ、ようやく帰国を果たされ、こんな思いで日本の名誉を守ってきた深谷さんに日本の対応は結構冷たいのです。
    帰国に関しては、外務省や地元島根の皆さんの尽力のおかげで、大歓迎を受けての帰国でしたが、それからの生活が成り立たないのです。
    長い投獄生活で心身ともにボロボロの深谷さんと、言葉の壁に阻まれた奥さんと子供たちがまず生活するには大変でした。
    頼りになる軍人恩給が正当に出ないのです。
    深谷さんは、戦線離脱者として扱われていたのです。
    せっかく苦労してやっと帰ってきたのに、まだ安らかに暮らすことのできない理不尽さに家族は打ち萎れるのです。この問題は今現在もまだ解決されていないようです。
    最後にお孫さん(著者の娘さん)の文章が掲載されていますが、こんな立派なお孫さんができたこと、こんな風に父親や祖父母のことを思ってくれていること、それだけで深谷さん一家がいままでされてきたご苦労が報われる思いです。
    今年は戦後70年の節目の年ですがまだまだ戦禍は終わっていないと、思い知らされた1冊です。

  • 真相は闇の中で,日の丸に忠誠を誓った義治氏は戦後の諜報活動を語ろうとしないから戸惑う。百歳前に死んじゃった~大4(1915)島根県太田市に生まれる。昭7(1932)旧制中学を中退・大阪伊藤岩商店勤務。昭12(1937)応召,歩兵一等兵として中国大陸へ。昭14(1939)憲兵志願試験合格。昭15(1940)明治勲章勲八等。伍長勤務上等兵になり,済南赴任。参謀本部直属として諜報謀略工作への従事開始。昭17(1942)陳綺霞と謀略結婚。昭18(1943)勲七等瑞宝章。中野の陸軍憲兵学校6月,憲兵曹長。昭20(1945)敗戦。任務続行の命令を受け,中国上海での潜伏開始。昭33(1958)中国公安により逮捕され,上海市第一看守所に投獄される。このとき,妻31歳,長男12歳,次男10歳,三男6歳,長女0歳。昭49(1974)無期懲役判決で上海市監獄に移監。家族と16年振りに面会。昭53(1978)日中平和友好条約締結で特赦。11月5人の家族と大阪空港に帰還,島根に暮らす。昭54(1979)重婚罪で告訴されるが無罪。昭55(1980)拘禁の後遺症で身体障害者五級第二種認定。昭59(1984)テレビ朝日水曜スペシャル『日本100大出来事』で歴史の真相を公表。平17(2005)重度身体障害者になり広島の病院に転院。平成26(2014)99歳,寝たきりの生活~拘禁中に背骨を折っても治療してもらえず,自分で直すが,寒さに震える中で,歯だけが伸びて鬼のような形相となったため,4回に分けて29本の歯をすべて抜かれた。妻も太田で水汲み中に転び,脊椎骨折している。日本の名誉のために,戦後の諜報活動は認めず,その後も語ることはなかったが,上官の証言で,任務継続を命じられたのは間違いなく,平成9(1997)年8月に上海で発行された「上海灘」という雑誌に「一個長期潜伏上海的日本間諜」という記事が載り,サブタイトルに「軍国主義処心積慮,隠身中華伺機還魂」とあって,著者は刑務官だ。日中貿易が活発化していく中で,元軍人が貿易商として上海に来て,接触を持ったため逮捕した…とある。ふーむ,戦後の諜報活動を継続していたのか…?判断が付かない。文化大革命の影響を受けて,酷い扱いを受けたことは間違いなく,友好条約締結で帰国できたことも間違いない。帰ってくると母親には軍人恩給が支給されていて,その一方で年金を払っている。本人が軍歴を申告しなければならないのに…身内が架空の軍歴を申告したのだろう。身内って誰なの?この部分が一番の疑問。もっと貰えるはずなのに,中国に亡命したものと役人からは見倣されている。政治家や同期生は一生懸命やってくれているけど,役人は頭が固くて駄目,政治決着を望んだが,その政治家が病気になって頓挫。そこいら辺に違和感を感じるんだよね。この次男の書き方も,白髪三千丈的な世界で,中国人的な発想が垣間見られ,その一方で祖国に馴染みたい気持ちもあり,ま,複雑だっていうのはよく解るよね。読むのに一週間かかりました。この次男は私より8歳年上。義治さん,百歳!!なんと丈夫なことだろうか?頑強な精神力? ずっと,「ふかや」って読んでたけど,実は「ふかたに」

  • 日中戦争中、スパイとして活動していた日本軍人深谷義治の半生を彼の次男、深谷敏雄が記したノンフィクション。

    深谷義治のスパイ活動は日本敗戦後も命ぜられたが、彼は中国で逮捕されてもそのことを決して自白しなかった。結果、彼には厳しい拷問がかけられ、片眼の失明、肺の3分の2を失い、すべての歯を抜き取られる。さらに、残された彼の家族は長男も収監され、極貧の生活を強いられる。

    やがて日中平和友好条約締結により、深谷義治は釈放され、多くの日本人応援者の援助により家族で日本へ移住するが、それでハッピーエンドにはならない。

    深谷義治以外の家族には見知らぬ土地で、頼りになるべき軍人年金が満足にもらえないことが判明。著者を含めた子どもたちは言葉もわからない国で肉体労働に従事し、自分の生活と両親の介護を両立させる。そんな苦しい生活の中、不自由な日本語で本書を完成させた次男、深谷敏雄の執念は父親譲りだ。

    本書を読むと、深谷義治一族の団結心とそれを応援する日本人たちの無償愛に心打たれる。しかし、理不尽な日中両国の対応に怒ることも忘れちゃならない。

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