誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087815412

作品紹介・あらすじ

第11回開高健ノンフィクション賞受賞作。虐待を受けた子どもたちは、救出された後、虐待の後遺症に苦しんでいた。その「育ち直し」の現場であるファミリーホームに密着、子どもたちを優しく見つめる。

感想・レビュー・書評

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  • わかってる、と思って
    ました。

    いいえ、とんでもない。

    虐待の後遺症の猛威に、
    頁を捲れば捲るほどに
    胸をつぶされます。

    虐待は子どもたちから
    何を奪うのか。

    社会性をはじめそれは
    もうあらゆるものを、

    明るい未来や、ときに
    生命までをも奪うのが
    虐待。

    何もわかってなかった。

    これほど人間の根幹を
    歪めてしまうんですね
    ・・・

    ブレーカーを落として
    感情のスイッチを切り、

    アザだらけの幼い体を
    震わせてる子どもが、

    今この時もきっと何処
    にいます。

    私に出来ることは何か。
    自問せずにいられない
    です。

    • コルベットさん
      猫丸さん、本当にそのとおりだと思います。現実は過酷なものですが、愚かな不幸はなくしていきたい。そう思います。
      猫丸さん、本当にそのとおりだと思います。現実は過酷なものですが、愚かな不幸はなくしていきたい。そう思います。
      2024/02/17
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      コルベットさん
      > 愚かな不幸はなくしていきたい。
      子どもの様子が怪しいと思ったら、「児童相談所虐待対応ダイヤル189」に通報出来る?
      ...
      コルベットさん
      > 愚かな不幸はなくしていきたい。
      子どもの様子が怪しいと思ったら、「児童相談所虐待対応ダイヤル189」に通報出来る?
      児相がシッカリ仕事するかどうかも不明だけど、、、

      子どもが逃げられる場所や方法が増えますように
      と言っても4歳とかじゃ無理かな?
      このコトに関しては鬱陶しいくらいにお節介な人が増えると良いな(無責任な願望)
      2024/02/19
    • コルベットさん
      虐待かも?と思ったら迷わず「189」(いちはやく)にダイヤルですね。24時間繋がって、通告した人や内容が漏れる心配はなしと。しっかり覚えてお...
      虐待かも?と思ったら迷わず「189」(いちはやく)にダイヤルですね。24時間繋がって、通告した人や内容が漏れる心配はなしと。しっかり覚えておきます!(๑•̀ㅂ•́)و
      2024/02/19
  • 【感想】
    心が痛い。ページを1枚ずつめくるごとに、やり場のない悲しみが押し寄せてくる。虐待者から逃れたあとも、まだ悲劇が終わらないとは。残りの人生でこんなにも過酷な時間を過ごさなければならないとは。

    本書は、里親や施設のスタッフ、被虐待者本人から聞き取りを行い、「虐待の後遺症」について論じていく本である。
    「虐待の後遺症」とは、虐待者から逃れた後も、暴力によるPTSDやうつといった症状に苛まれ、再び問題行動を起こしてしまうことである。私たちの感性からすると、虐待者から保護された子どもは、施設や里親の手によって暴力のない平和な生活を営むことができる、と考えるのではないだろうか。しかし、心の傷が元通りになるのには相当な時間がかかり、なかには大人になっても完治しないケースもある。乳幼児期という人格の形成期間に養育者から暴力・育児放棄を受けることで、社会性が身につくことなく成長してしまうからだ。
    また、実親だけでなく、なんと被虐待児を引き取った里親も虐待に及ぶケースが多いらしい。
    虐待されている子どもたちは感情を抑圧されているが、それを実親に向けて発散することは不可能である。実親から引き離されたあと、その貯まった怒りが優しく保護してくれる人たちに向かうことがある。これが「虐待の後遺症」の典型例であり、それに耐えかねた里親が養子に暴力を振るうことがあるのだ。
    加えて、虐待の後遺症は子ども時代に終わるわけではなく、本人が親になったときにも起こってしまう。自身は親から愛情をかけてもらった記憶がないため、我が子に対してもどう愛情を注げばいいかわからない。言うことを聞かない、早く寝ないといった育児上の障害が起こったときに、自身の子ども時代の経験を思い出し、虐待の記憶がフラッシュバックする。その結果、親と同じく暴力を振るうことで問題を解決しようとするのだ。

    私が本書で一番胸を締めつけられたのは、明日香ちゃんのエピソードだった。実母から虐待を受けた後に里親にもらわれ、そこで不自由なく生活していたが、実母からの「一緒に暮らそう」という甘言に乗せられて、里親と学校の同級生に暴力を振るうようになる。実母は明日香ちゃんを「弟と妹の面倒を見る奴隷」としかみなしておらず、きちんと育てる気など最初からない。その先に幸せなどないと内心わかりつつも、「おかあしゃまは、めがみしゃま。なんでもかなえてくれる、めがみしゃま」と、赤ちゃん言葉で実母にすがる。

    こんなに理不尽なことはあるのか。ただ愛してもらいたいだけなのに、元の生活に戻りたいだけなのに、自己中心的な親によって、再び傷が広がっていく。
    虐待は、親元から離れて終わりではない。成長期を暴力で染められた子どもは、人間のような社会性や思いやりを身に着けることなく、動物のように成長していく。なんとか社会に適応し、自分が親になっても、今度は虐待者として悲劇の連鎖に加担していく。

    筆者「だからこそ今、虐待で保護された膨大な数の子どもたちに正しい光を当てなければならない。『子どもたちの現実』から目を逸らしてはならない。それが『子どもの側』から虐待を見ていくという視点だ。『虐待の後遺症』という視点を持って、『殺されなかった』被虐待児の現実を、私たちは社会全体で見つめていかなければならないと強く思う。

    ――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 虐待を受けた子どもの「その後」
    「先生(医師)が気になる子、目をかけなければいけない特別な子の母親に見られたかった。あたし自身、常にいい母でありたいと思っていましたし、子どもと時を重ねることに自分の価値があると思っていました。熱心に看病する母であると評価してもらえることに、非常な満足感と安定感を感じていました」

    香織は、このような理由で自らの子どもの点滴に水を混ぜ、容体を悪化させた。犯行動機は「入院生活を長引かせること」。病院は香織にとって心地いい場所だったからだ。
    検察官からの動機にまつわる執拗な問いに、香織はこう答えた。「子どもと二人だけで24時間いられるというのは、日常を離れて子どもと濃密な時間を過ざすこと。すべてをあたしに委ねている子どもは、あたしの一部。小さな子どもと密接にいられるのはとても心地いい。入院することによって常に、先生や看護師さんの目が向けられ、わが子を特別な患者として気にかけてくださり、私も看病する母として特別な存在となって、言葉をかけてもらえることに居心地の良さを感じていました」
    「代理ミュンヒハウゼン症候群」と括られる人たちに、共通に見られる特徴だった。

    虐待を受けた子どもというのは、どんな状態にさせられているのだろう。それまで私は、虐待を受けた子どもは、児童相談所によって保護されて親から離されれば、それでひとまず問題は解決すると思っていた。少なくとも、もう殺される危険はないのだと。はっきりわかったのは、私は何もわかっていなかったということだ。
    あいち小児は日本で唯一虐待外来を持っている。病院内には虐待を受けた子どもたちを入れて(隔離して)おくための閉鎖病棟がある。
    「虐待を受けた子どもは、とにかく問題行動をひっきりなしに起こす。そして自身の弱さが外に出て、イライラが募ると暴れてしまう。つまり、虐待的な対人関係を繰り返すのです。でも子ども同士がお互いに脅威を与えるようでは、安心がもたらされない。安心がないところでは治療ができない。この病棟は、そうした不安定な子どもたちを安心な構造全体で抱っこするというイメージなのです。子どもを閉じ込めることが目的なのではなく、守るためのものなんです」
    そう施設長は語る。

    虐待を受けた子は怒りや恐怖など、さまざまな感情に蓋をしているのだが、保護されて警戒が緩むと、蓋が開く。そうすると陰湿ないじめをしたり、激しい暴力衝動が抑えられなくなったりする。


    2 美由
    5年前、里親の久美さんが一時保護所で見た美由ちゃんは、「壁になっていた女の子」だった。児童相談所の児童福祉司は、「この子は、しゃべれないかもしれません」とまで言った。
    彼女が虐待されたのは、なんと里親からだった。虐待された子どもたちの抑圧された怒りは、優しく保護してくれる人たちに向かうことがある。これが「虐待の後遺症」であり、それに耐えかねた里親が養子に暴力を振るうことがあるのだ。

    美由ちゃんは暮らしの中で、急に獰猛で暴力的になることもあれば、ボーッとして呼んでも返事をしないこともある。何かで注意されると、そこで感情を切ってしまって、フリーズすると何時間でも無表情のまま立ち尽くす。記憶をそうやって飛ばすので、注意されたことが積み上がらない。だから、何度でも同じことをやる。これは「解離」という。
    解離とは、脳が器質的な傷を受けていないのに、心身の統一が崩れて記憶や体験がバラバラになる現象の総称だ。虐待というつらい記憶を消すために、スイッチを切って生き延びるのである。

    「悲しい思いをした時に 『悲しい』と感じると、悲しみに関連した外傷記憶(トラウマ)がフラッシュバックしてくる。怖いと思うと、怖い過去がどっと出てくる。性的な興奮を感じてしまったら、同じように過去の性的なトラウマが出てくる。それはつらいことですし、また、恐怖だとかの感情を顔に出したら、余計に虐待者を怒らせてしまうので、それらの感情も含めて全部に蓋をするんです。残るのは薄っぺらい、にこにこ笑っているだけの人格です。そうやって、自分を守っているんです」
    解離は防御である。殴られるという痛くてつらい経験も「感じない」ようにして自分から切り離してしまえば、痛みもつらさも軽くなる。美由ちゃんも「壁になって」感じないようにして、その場を生き延びてきたのだ。


    3 雅人
    雅人くんのお腹には、刃物で切られた痕があった。それも縫うなどの処置がされたものではなく、自然についたような傷口だった。手には、ケロイド状のやけど痕もあった。
    「痛みに対して、忍耐強い」「人の目を見ない。見られるのもいやがる」「自分自身、人間関係、人生に否定的な考えを持っている」「パターンに固執し、柔軟な考えができない」
    雅人くんに見られるこのような特徴は、「愛着障害」という症状に括られるものだ。この「愛着障害」こそ、被虐待児のほとんどが抱える問題といっていい。
    愛着とは、赤ちゃんと母親など養育者との間に作られる情緒的な関係のことだ。心理学的には、幼児期までの間に子どもと養育する側との間に作られる、母子関係を中心とした情緒的な結びつきを指す。人を信じ、世界を信じ、成長していくすべての基盤となるのが「愛着」なのだ。

    「産まれたばかりの赤ちゃんには、 『心地よくなりたい』という肉体的な欲求と、『甘えたい』という情緒的な欲求があります。この欲求が継続的に無視されると、他人の気持ちをくみ取る脳の部分が成長せず、愛着障がいの症状が出てくるといわれています」
    愛着とは愛され、守られ、大切にされた記憶。いつでも戻れるあたたかなお母さんの膝があり、守られてきたことにより、自分を信じ、他人をも信じることができるのだ。ゆえに愛着が育っていない子は、往々にしてスキンシップをすることができない。

    虐待的な環境で生きてきた子どもが養育者との間に獲得するのが「虐待的な絆」であり、それは人にマイナスに作用する「愛着」だ。痛みや痺れや怒声だけが養育者とのつながりだとしたら、子どもはその感覚だけを頼りに生きるしかない。これが虐待者との間に形成される〈歪んだ愛着〉=〈虐待的な絆〉だ。こうして作られた虐待的な絆は、虐待の連鎖へとつながっていく。

    雅人くんはADHDを発症していた。
    虐待と発達障害は、複雑に絡み合っている。なぜ、被虐待児に発達障害の子が多いのか。それは養育者が、発達障害をもつ子どもに対して育てにくさや非社会的な特徴を感じ、それを「しつけ」によって正そうとした時に、あっとう間に虐待へと横すべりしてしまうという傾向があるからだ。たとえば、落ち着きのないADHDの子に対して、どうして他の子と同じようにできないのかと苛立ち、つい手を上げてしまうことがある。
    杉山医師はあいち小児の臨床で、生まれつき発達障害でなくても、虐待を受けることで発達障害のような状態を呈するということを「発見」した。その「発見」の上に立ち、子ども虐待を「第四の発達障害」と位置付ける。子供への虐待そのものが、脳に器質的な変化を与え、広範な育ちの障害をもたらし、発達障害と言わざるを得ない状態を作り出す――。虐待とはどれだけ残酷で過酷な結果をもたらすのだろう。


    4 拓海
    「家庭を知らない子」――施設側が言うとおり、拓海くんには2歳で保護されるまでの家庭の記憶はない。母親からの虐待を覚えていないことが幸せなのかどうかはともかく、「愛着」という基盤のないまま施設で成長してきた子だった。
    拓海くんがいた施設では、職員が子どもたちの動きを徹底的に支配していた。加点・減点の権限を持っている職員がポイントをちらつかせて子どもたちの行動を規制していた。

    「俺の部屋は四人部屋で、俺は二段ベッドの上なんだ。夜の一時に先生の最後の見回りが来て、それが終わると、あとは大人は誰も来ないから、寝てると、下の子にベッドから引きずり下ろされる。だから、夜は寝ちゃだめなんだ。寝たら、やられる」
    「俺がいる間に二回、戦争があった。中学生が計画を立てて、先生をぶっ飛ばすんだ。俺は中学生の命令でガラスを割ったし、女の保育士に突っこんで、その人を辞めさせた。小学生は中学生の決めた通りにやるんだ。バケツに水を入れたのを、先生にぶつけたり…。中学生の決めたところに隠れていて合図があるとバーッと出て行くんだ」拓海くんのいた施設は、年度内でもしょっちゅう職員が辞めることで里親仲間でも有名なところだった。

    「ママ、大人になるってつらいことだろ。俺はもう、死んだ方がいい。大人になっても、どうせ俺はバカだから、お仕事はできないし、今、死んだ方がいい。大人になるって、つらいことだろう」


    5 明日香
    筆者が取材で訪れた乳児院は、「より小さい集団での、担当との愛着形成」を目指し、懸命に努力を重ねていた。一人一人の乳幼児に担当の職員がつき、担当以外は抱っこや授乳もしないというシステムで、その職員との愛着形成を図っていた。授乳は抱っこしてちゃんと目を見て、入浴は職員が裸になって一緒に入り、離乳食の介助も担当職員が笑って話しかけながら行うなど、できる限り「お母さん」のような養育が心がけられた。
    赤ちゃんの食事がすむと、体験取材中の筆者にも「一緒に、子どもたちの前で同じものを食べてください」と声がかけられた。そこに、どんな意味があるのかと聞くと、職員が説明した。「おいしいね」って私たちが食べるところを見せないと、子どもは大人が食べるということがわからないのです」
    これこそ、施設のジレンマだった。ここまで気を配らないと、赤ちゃんたちは「食べる」という当たり前の営みすら目にし、学ぶ機会がないのだ。家族の生活の場である「家庭」で育つこととは、根本がどうしても違うのだ。

    明日香ちゃんは川本恭子さんの里子として、まるで本物の親子のように愛情を注がれて育った。しかし小学6年生のころ、実母から「一緒に暮らそう」と言われ、生活が一変する。上手くいっていた学校でも、家でも、自分の居場所がなくなるように暴れ、他の子どもたちに暴力を振るうようになった。何かと実の母親と里親を比べ、「本当のママはよかった」と、恭子さんを傷つけるような発言を繰り返したのだ。

    「帰りたい。オレは嫌われても帰りたい。お母さんのところに帰りたい」。明日香ちゃんは何度も口にする。恭子さんが「わたしたちがいるよ」と言っても、「親でもないくせに」とはねのける。
    実のところ本当の親からは、「弟と妹の面倒を見る奴隷」としかみなされていなかった。明日香ちゃんが6年生になり、多少の分別はつく年になったと思いこんでいたため、育児を負担させるために呼び寄せようとした。責任を持って引き取る気など毛頭なく、そこに本当の愛はなかったのだ。

    それは、明日香ちゃんにもわかっていたはずだと恭子さんは思う。しかし明日香ちゃんは止まらない。「お母さんと幕らす」という念願は、これまで積み重ねてきた学校の友達関係や勉強や川本家という家族をゼロにしてでも、明日香ちゃんにはなくてはならないものだった。「おかあしゃまは、めがみしゃま。なんでもかなえてくれる、めがみしゃま」。六年生だというのに、赤ちゃん言葉で実母にすがった。

    明日香ちゃんはその後、家庭復帰から2ヶ月足らずで実母の家から追い出され、今は情緒障害児短期治療施設に入所している。


    6 虐待の後遺症
    「お母さん」と、精一杯の思いを込めて呼びかけた、たった一人の存在が継母だった。愛してほしい、守ってほしいと心から望む存在から、愛され、守られ、大切にされた記憶が欠片もないとしたら、なぜ生まれてきたのかがわからない。この世界にすがりつく一本の糸すらないのなら、どうやって生きていけばいいのだろう。
    だから、人は探し求めるのだろうか。どれほど親に虐待を受けたとしても、そこに一片でも愛情があったのなら、それだけで存在の意味が立ち現れ、暗闇の世界にたった一人でさまよう地獄から救われると。
    ただ、その果てに何があったのか。

    感情のスイッチを切ってプレーカーを落とさない限り耐えられない、過酷な現実を強いられた子どもたちは、すべてがズタズタに寸断されていた。心も身体も脳も、すべてだ。親から与えられたものといえば血の味、痛み、輝れる感覚、そして恐怖。
    だからこそ今、虐待で保護された膨大な数の子どもたちに正しい光を当てなければならない。「子どもたちの現実」から目を逸らしてはならない。それが「子どもの側」から虐待を見ていくという視点だ。「虐待の後遺症」という視点を持って、「殺されなかった」被虐待児の現実を、私たちは社会全体で見つめていかなければならないと強く思う。

  • 児童虐待とは子どもがどんな状態に置かれているかを、頭では分かったような気になっていましたが、全然分かっていませんでした。大人になって見聞きし、想像してみたところで、実際に子どもたちがどんな思いをしているのかには遠く及ばない。それほど根深いところで傷付いているということを、この本を読んで知りました。虐待の連鎖の恐ろしさも、改めて戦慄を覚えました。政治や社会がしなければならないことがあるはず。何の資格もない私や、一般市民が出来ることもあるはず。考え続けます。

  • 今までにも何冊か、虐待を受けた子供たちについて書かれた本は読んだことがある。
    里親が書いたもの、治療者が書いたもの、虐待の被害者本人が書いたもの、そのいずれもあったが、すべてに共通していたのは、人は幼少期に絶対的な庇護を受けて育つことで、初めて人間としての根幹が作られること、それが欠落してもたらされる影響は恐ろしく根深いこと、そして、虐待者の多くが、やはり同時に被虐待児であったということだ。

    どこかでこの負の連鎖を断ち切らなければいけない。
    深く傷ついた心を癒し、家族の温かさと生きる喜びを知ってほしい、そのために奮闘する、医療者、福祉司、児童養護施設のスタッフ、教師、そして里親の方々。

    どんなに悲惨な過去を背負わされた子供でも、適切な援助で、人から大切にされる自分も、人を大切に思える自分も、そして生きていることの幸せも、きっと感じることができる。そう信じたい。

  •  おそらく「虐待」とか「子供の貧困」か何かで検索をして引っかかった本。出版も去年の11月ということで、読んでみた。

     虐待を受けて「根っこ」(287頁)をうまくはることができなかった子供たちは、本文から分かる行動だけを見ていると、まさに「動物」である。常に怒声や痛みの恐怖に怯え、感情をシャットアウトして自分を守るのである(=「解離」かな?)。

     そのような環境で育ってきた子供たちは、体はどうやって洗うのか、お箸はどう持てばいいのか、といった「日常生活」をどのように送ればいいかを全く知らない。そのようなことから一つ一つできるようにさせていくことが里親の仕事(の一つ)になる。

     さらに重大なのは、これが連鎖することである。虐待を受けた子が親になって、自分で子供を育てようとすると、フラッシュバックに悩まされ、やはり自分の子を虐待してしまうという。

     解決策を模索せずにはいられないけれども、特効薬のようなものは思いつかず、少しずつ知っていき、ゆっくり対処する、というありきたりのことしか思いつかない自分が悔しくなる。

  • 4.09/727
    内容(「BOOK」データベースより)
    『心の傷と闘う子どもたちの現実と、再生への希望。“お化けの声”が聞こえてくる美由。「カーテンのお部屋」に何時間も引きこもる雅人。家族を知らず、周囲はすべて敵だった拓海。どんなに傷ついても、実母のもとに帰りたいと願う明日香。「子どもを殺してしまうかもしれない」と虐待の連鎖に苦しむ沙織。そして、彼らに寄り添い、再生へと導く医師や里親たち。家族とは何か!?生きるとは何か!?人間の可能性を見つめた感動の記録。2013年第11回開高健ノンフィクション賞受賞作!』

    目次
    第一章 美由 ――壁になっていた女の子
    第二章 雅人 ――カーテンのお部屋
    第三章 拓海 ――「大人になるって、つらいことだろう」
    第四章 明日香 ――「奴隷でもいいから、帰りたい」
    第五章 沙織 ――「無条件に愛せますか」


    冒頭
    『 はじめに
    彼女はなぜ、娘の臓器写真を平然と直視できたのだろう。
    JR岐阜駅から大府駅へと向かう東海道本線の新快速電車に揺られながら、私の脳裏には二〇一〇年五月十二日に京都地裁一〇一号法廷で目撃したワンシーンが、繰り返し立ち現れた。
    法廷のモニターに映し出された写真が、生後八か月で亡くなった四女の肺内血管の組織細胞であることを、当然、彼女はわかっていた。
    亡くなったわが子の臓器の一部を、動揺も混乱もなく見つめることは、私には多分できない。』


    『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』
    著者:黒川 祥子
    出版社 ‏: ‎集英社
    単行本 ‏: ‎296ページ
    受賞:開高健ノンフィクション賞

  • 虐待の現場から助け出されても、虐待の脅威は続く。
    いくら愛情もって接しても、やっぱり子供は「お母さんと一緒にいたい」
    どんなに酷いことされてきても、肉親を求める子供達がいる事、私達は知らなければならない。
    衣食住が整う事も大事だけど…
    どんなに貧しくても子供にとっては親に愛される事を一番望んでいる。
    何も持たずに生まれた子供達の唯一の願い。
    それを暴力や恐怖で返す虐待は、何があっても間違ってる。

  • 里親さんたちの献身的な養育には頭が下がるばかり。そして、まだ生徒や学生の実子も一緒になって面倒を看ているというにも驚いた。
    第4章の「奴隷でもいいから、帰りたい」の明日香ちゃんは不憫で不憫で仕方なかった。客観的にみても里親さんのところにいたほうが幸せな暮らしができるであろうに、それでもなお実母との生活に恋い焦がれてしまうなんて・・・。どうしようもない思いにただ涙が溢れ、里親さんたちの苦悩が切実に伝わってきた。

  • 杉山登志郎医師のお話しは直接伺ったことがあります。今も第一線で子供達のために奮闘されているんですね。
    そのほか頭が下がるのは、里子として子供達を預かって家庭を作っている人たち。
    もっともっと支援や制度の充実が望まれます。

  • 今現在この日本で起こっていることとは
    正直信じられないくらいの衝撃を受けた。
    特に児童養護施設の描写、学校関係者や親の言動。
    読んでいるだけでふつふつと怒りがわいてきて
    目の前が暗くなり、胸がふさがるようだった。
    きれいごとを言ったところで自分にはどうすることも
    できないのも分かっており
    ただただ里親さんたちのご苦労を思い、
    頭が下がるばかりです。
    世の中にはひどい大人たち(理解できる部分もあるが)
    もいるけど本当に素晴らしい大人もいるということと
    子供たちの希望を捨てない逞しさに救われたし
    こういう事実があることを知らしめてくれた本著
    に感謝したい。
    子育てについて参考になることもたくさんあるので、
    子を持つ大人には是非読んでほしい。

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著者プロフィール

黒川祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家。1959年福島県生まれ。東京女子大学卒業後、弁護士秘書、ヤクルトレディ、業界紙記者などを経てフリーランスとなる。おもに事件や家族の問題を中心に執筆活動を行っている。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社文庫)で第11回開高健ノンフィクション賞受賞。その他の著書に『熟年婚 60歳からの本当の愛と幸せをつかむ方法』(河出書房新社)、『「心の除染」という虚構 除染先進都市はなぜ除染をやめたのか』(集英社インターナショナル)などがある。


「2018年 『県立! 再チャレンジ高校 生徒が人生をやり直せる学校』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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